真宗大谷派は日本有数の仏教団体。護憲、死刑廃止、そして部落解放運動といった左派活動にも協力的だ。「解放運動推進本部」という部署が示す通り、同和問題にも熱心だが、先ごろ同教派徳泉寺(川崎市)住職によるパワハラ騒動が発生した。実はこの住職、同教派東京教区・同和協議会元会長。そんな御仁がパワハラ発言とくれば反発は一層、強まるというもの。それが10月に名古屋市内で「解放推進運動要員研修」の講師を務めるからブーイングは収まらない。
小森龍邦氏以来の「是旃陀羅」不読問題
本論の前に教派の長年の難題、大乗仏教経典「観無量寿経」の是旃陀羅の不読問題を解説しておこう。
「観無量寿経」は浄土真宗にとって重要な経典。その中で旃陀羅はインドの被差別民(チャンダラー)を意味し、日本でも「被差別民」の意味で使用されてきた。
「観無量寿経」の教説の中で母親を殺そうとする阿闍世王に月光大臣が「是旃陀羅のような悪逆の者だ」と諭した。これが部落差別を助長するとして部落解放同盟広島県連(尾道市)から大谷派に対して是旃陀羅の「不読」を要求されてきた。
「不読」とは文字通り読経する際に是旃陀羅を読まないということだ。読経の中で「是旃陀羅」だけ読み飛ばすのか、まさかピー音が入るわけでもあるまい。「経典の用語を厳密に解釈すれば不読だらけになる」(宗議会議員)との危機感が強まる。
「今なお根強い差別」などと訴える人々が差別事例として執着するのが数千年前に成立した経典の一節。むしろ「他にやることがないのか?」と同情すら覚える。
日常生活の中でどれほど経典に触れる機会があるのか分からない。「是旃陀羅」と聞いてどんな人が「差別」「痛み」と感じるものだろうか。
確かに不読問題の歴史は長く、水平社結成当時から書き換えや訂正を求められてきた。ただし現状の不読要求は広島県連が中心。
「不読問題」は部落解放同盟広島県連の独自活動といってもいい。こんな背景がある。県内の解放運動の指導者、故・小森龍邦氏(県連委員長、衆議員議員、新社会党委員長)は真宗大谷派内で「先生」と信奉されてきた。同氏は著作でも是旃陀羅問題を論じ、不読要求の中心人物だ。
つまり広島県連は小森氏の活動を踏襲しており、また大谷派から不読について「配慮」が滲み出るのも小森氏の遺産といったところ。こうした経緯を説明した上で本題に入ろう。
リモートワーク会議中に「給料泥棒!」となじる
パワハラ発言の原因はズバリ、「不読問題」。それは今年2月21日、真宗大谷派同朋社会専門委員会のリモート会議に遡る。会議には大谷派教学研究所(教研)の役職者他、委員(宗議会議員)が出席して是旃陀羅問題について討議した
パワハラ発言主は委員の一人、東京教区徳泉寺・岩嵜徹住職。先述した通り同氏は同教区同和協議会元会長でホームレス支援といった活動にも関わる。そして同時に、是旃陀羅不読の推進派だ。会議中に岩嵜住職は教研所員に対して
「教研が宗派として(不読についての)見解を書けないようでは給料泥棒だ」
と迫った。一介の所員に対して「給料泥棒」とは酷だ。ご承知の通り、パワハラは社会問題の一つ。政治家あるいは大手企業役員、著名人ならばそれこそ“週刊誌ネタ ”というもの。
同所員は傷つき休職を余儀なくされた。確かに不読をめぐる教派の姿勢は非常に曖昧だ。その点、岩嵜住職の苛立ちも一面、理解できる。しかしこの苛立ちは「教派の姿勢」というよりも、同所員が「不読」反対派の論客という点が大きい。
その後、岩嵜住職は自身のFacebookにこう投稿した。パワハラに監視て事情聴取を受けたことを明かした上で
宗議会報告 10日、3日間に渡る議会が終わった。 今日、私は議長から呼び出しを受け、 同朋社会専門委員会での、教学研究所の職員へのパワハラに関して事情聴取を受けた。 これは、是旃陀羅問題の教学的解明を、今まで行ってこなかった教学研究所ねあり方を聞いている中で、何時聞いてもやって来なかった理由をのべす、これからやると言った返答を繰り返してきた事に対し、私が腹をたてた事によるものだ。 相手を罵倒した行為は謝る事にしても、のらりくらり、まともな問答をしない教学研究所は、やはり指弾されるべきだと考えている。 教学研究所所長からの告発が、宗務総長と議長に届き、議会としても私の謝罪を求めており、今後を穏便にするためにも、私は私が行った言動に対しては謝罪をするつもりである。 兎に角、教学研究所には、是旃陀羅問題に対する教学的視座をきちっと表明してもらいたい。 その表明がいい加減であれば、私はパワハラ表現無しの批判を徹底的にするつもりでいる。(原文ママ)。
と訴えた。議論でエキサイトするのは人間誰しも起こりえる。しかし大谷派はあまねく同朋の公議公論をつくす「同朋公議」を是としている。そこで「給料泥棒」とは「同朋公議」に逆行しないか。
この詳細については『宗教問題』(季刊2022年春季号)でレポートしており当時、岩嵜氏に取材を申し込んだところ
「今回の私への取材に関してお断り致します。また今後とも、電話、メール、郵便、面談等のすべての取材はお断り致します」(原文ママ)
とメールで返答があった。
その後、パワハラ発言は どうなった?
さて教学研究所所員に対するパワハラ発言の処分はその後、聞かない。過去、教派では同様にパワハラ問題が発生しているが、いずれも対応が不十分だと内部で不満が渦巻く。
今回のパワハラ発言について十分な総括がない中で、岩嵜住職は10月4日、名古屋別院で「第11期解放運動推進要員研修」の講師として登壇する。プログラムを見ると是旃陀羅不読問題についての講演だ。自身が抱える問題を説明することなしに、人権や差別を説く――。
岩嵜住職に関する情報が寄せられるのも不満、反発が強いがゆえだ。
こうした疑問や反発に同氏はどう応じるだろう。
「一切話をしないと言ったはずですが。なぜ連絡してくるのですか。取材には応じません」
前回同様に説明や反論もなかった。「同朋公議」という教派の理念はいずこへ、だ。
三品さん、取材お疲れ様です。
しかし数千年前の経典の文章、しかも原典がインド、中華を経由して入ってきたものを日本の人権団体が読まないことを要望するとは・・・
仏教は肉食を禁じていません。
お釈迦様も肉食しています。
仏教僧が自分のために動物を殺生をすることを禁じているだけです。
くだらん。パワハラは権力がある側の人間がすること。
同和は弱者であり何を言ってもパワハラになど成り得ない。
むしろ同和にパワハラなどと因縁をつけるのは差別!
猛省せよ!
経典の差別内容について、自覚できなかった事は親鸞の限界性です。日蓮のように自らせんだらと名のれなかったのです。
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差別構造を糾弾する者の内なる差別生が明らかになるのが、その人の他者に対する日常的な態度です。これは信念と態度の解離に他なりません。親鸞や近代真宗教学が取りあげる事がなかった人間認識の死開がここにあります。差別は罪悪不思と言う抽象論にあるのではなくて、私達の日常の態度に存在するものと思います。😰😰😰
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信念(思想や宗教的信念)とそれを振りかざす者の日常生活における態度との乖離には甚だしいものが見られる。今回の経典不問論者の教研職員に対する言動もそれを物語るものである。外では差別反対や男女平等を信念としながらも、自坊では大寺院の住職としてふんぞり返っている。などが好例である。筆者は大谷派に縁があるものだが、この教団の偽善性には辟易している。もしかしたら、近大の真宗教学や宗祖親鸞自身、あるいは弥陀の本願に偽りがあるのかも知れない。
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観経に対しては不読する事に賛成です。ただし、経典の差別性をそのまま踏襲した親鸞への激しい批判も必要です。特に親鸞は、変成男子の和賛も残していて差別的仏教者でもありました。彼が言う、阿弥陀の本願においてはすべての衆生が救われると言う宗教思相はでたらめだらけでした。今後は石河原粒の会の皆さまには、親鸞、及び真宗教団への批判もされる事お願い致します🙇🙇🙇
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大谷派のパワハラ体質は本山だけでなく、地方の教務所などにも存在しております。また、地方の弱小寺院は大寺院に様々ないじめ受けております。そして、あろう事かその大寺院の住職が同和問題や教学の指導権お握っておる次第です。
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私も宗門に属する者ですが、今私達に必要な事は親鸞や真宗自体を疑うことだと思います。ここでの真宗とは真宗教団であり、親鸞とは親鸞の残した言説そのものです。もういい加減にしてもらいたい。親鸞は被差別者の立場に立ち、支配階級の聖道門仏教を否定したとかという都合の良い嘘を吹聴したりすることを。親鸞の和讃ひとつ例にとっても、全く差別思想そのものですよ。当時の日蓮や一遍の言説と較べて話にならない位に深い差別性がありますよ。真宗教団の現状も同じです。
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麻原彰晃が部落差別は前世のカルマと言っていましたが、仏教全般にもそのような考えがあるのでしょうか
私は真宗大谷派に所属する一門徒です。50年間の門徒体験と、この宗派への関係を通して実感させられた事は、2030年代においても、この宗門の古い封建体質はほとんど変わらないということでした。その背景には檀家制度があったり、仏教というよりも「阿弥陀教」と名付けるのにふさわしい「信心・信仰」を重視する親鸞、蓮如の排他的な教義が存在しているようで。そこから様々な差別やハラスメントが起こつのではないでしょうか?理由は単純です。阿弥陀という半ば超越的な信仰対象は「抑圧してくるもの」のシンボル以外の何者でもないからです。
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