ヘリ基地反対協幹部は今 反海洋博で〝押しかけ闘争〟は否定 辺野古闘争に集結する昭和の亡霊たち

By Jun mishina

辺野古沖転覆事故が発生した3月16日、ヘリ基地反対協議会の仲村善幸、浦島悦子・両共同代表、安次富浩顧問、名護市議の東恩納琢磨事務局長が記者会見に応じた。謝罪の一方で、国の聞き取り調査を拒否している。そこで筆者は同協議会幹部への直撃取材を敢行するとともに、その活動履歴に迫った。すると現在の辺野古デモは1975年反海洋博闘争の焼き直しに過ぎないことを実感する。(写真=東恩納氏の自宅前)

辺野古闘争ツアー御一行様大歓迎

辺野古地区にある宿と交流スペースの「クッション」。

名護市辺野古地区のキャンプ・シュワブ前に設置されたテント村。公道を我が物顔で占拠し、アジト化した。筆者の眼には行き場を無くした活動家、特に高齢者の終着駅としか思えない。ともかくテント村に集まった活動家によって辺野古新基地の建設が遅れていることは事実だ。

基地反対闘争の現場では、無関係の人命が失われる事故も起きている。3月16日の辺野古沖転覆事故では、抗議船に乗船していた同志社国際高校の武石知華さんが亡くなった。さらに2024年6月28日には、名護市安和桟橋付近で、抗議活動中の70代女性を制止しようとした警備員がダンプカーに巻き込まれて死亡する事故も起きた。

これほどの陰惨な事故を起こしても活動家たちは意に介さずこう言い放つ

「基地建設が悪い」と。

異様な他責思考は共産党、社民党など左派野党も同様だ。〝反体制〟あるいは〝権力との闘い〟を自負する人々と傲慢さ、冷酷さがにじみ出る。

ただその反面、テント村に集まる面々にとって辺野古闘争は単に「闘争」だけではなく「観光」でもあるのだ。辺野古地区には活動家用の宿、商店、飲食店がある。

しかも沖縄県庁前から辺野古ゲート前、安和桟橋、本部塩川港行きのバスが運行。反対活動は現地住民というより県外からの参加者が多いからだ。

現地で配布されるパンフレットには「泊まって参加するならここが便利!」というキャッチコピー。言うなれば〝辺野古るるぶ〟だ。もはや辺野古闘争はアトラクションと化した。

抗議活動用パンフレット。

地域では区長らが再三、公道上の妨害行為等を控えるよう抗議団体に要請してきたが、聞き入れられることはなかったという。沖縄のためと言いつつ、現実は地域住民に余計なストレスを与えているに過ぎない。それどころか犠牲者まで出したことについて「反基地のためなら許される」と本気で考えているフシがある。

あるいはセクトのような「革命には犠牲がつきもの」という思想だ。

2008年のグリーンピース宅配便窃盗事件を覚えているだろうか。グリーンピースジャパン(GPJ)の活動家が鯨肉入りの宅配便を盗取した事件。捕鯨船員が鯨肉を横流ししていると主張したGPJの活動家が独自調査として盗み出したのだ。

事件後、都内でGPJの支援者集会が行われた際、会員が窃盗事件について苦言した。ところが当時の事務局長、星川淳氏は「鯨肉の横流しという違法行為を調べるものだから許される」などと説明したのには驚いた。

ただGPJ側に対して苦言できる雰囲気があったということは、当時の左派にも一定の理性と遵法精神はあったかもしれない。ところが辺野古に限らず、当節のデモに集まる面々は刹那的、超攻撃的、無法的だ。何より金井氏自身も抗議船は違法行為と認めながら活動を続けてきた。そして彼も県外出身者。辺野古闘争を体現したような人物だ。

憔悴した様子の仲村氏

ヘリ基地反対協議会の事務所前。

辺野古闘争の中心にいるのが、3月16日に記者会見に応じた幹部たちだ。

ヘリ基地反対協議会の仲村善幸、浦島悦子・両共同代表、安次富浩顧問、名護市議の東恩納琢磨事務局長はそれぞれの名うての活動家だ。いずれも本土での講演会、機関誌などでのインタビューなど沖縄闘争におけるリーダー格として扱われてきた。

問題は仲村氏らがどこまで抗議船の運営に関与していたのかということ。あくまで私見なのだが、金井氏にほぼ丸投げ状態だったと予想する。無論、運営団体だから責任がないと言っているわけではない。金井氏と反対協議会は、互いの思惑と利害がかみ合う形で抗議船を運用していた。しかし現場の実務は金井氏側に大きく依存し、その部分が制御不能になっていったのではないか。

金井氏との関係性を解明したい。そこで取材拒否されるのは承知の上で、各氏を訪ね歩いた。

【辺野古沖転覆事故】平和丸船長・諸喜田タケル氏は事情聴取中 担当弁護士「今は回答できない」

仲村氏については3月23日の記事で電話取材したが、直接、会うのは初めてだ。仲村氏は名護市内中心部に在住。応対した仲村氏はかなり憔悴した印象だった。

「捜査中のこともありますしお話できません」

記者会見の時よりも少し痩せた印象も受けた。同氏も長年、自治労北部地区労事務局長として反基地活動に参加。2006年から4期、名護市議を務めた。長きにわたり沖縄闘争に関わった闘士ではなく、ごく普通の高齢者だった。

ポツンとプレハブ一軒家の浦島氏

記者会見で唯一の女性、浦島悦子氏は沖縄県出身者ではない。鹿児島生まれ九州大学出身のインテリだ。奄美大島の生活を経て沖縄に移住した。フリーライターとしても活動。沖縄関連の著作は多数だ。

浦島氏は転覆現場の対岸の東海岸地域に住む。近くの丁間漁港にはかつて抗議船が停泊していたが、地元でトラブルを起こして追われた。地域住民も浦島氏をよく知っていたが、あまり事件について語りたがらない。

こうした態度は沖縄全体に通じる傾向だ。しばしばマスコミ、野党議員は基地反対が「沖縄の民意」という。そうだろうか。それは単に野党や活動家の願望ではないか。かといって「基地賛成」でもない。実は沖縄県民の民意の核心とは実は「関わりたくない」ではないだろうか。

もちろん過激な活動に対して苦々しく思う県民もいるだろうが、かといって「やめろ」とも言えない。こうした県民性があるからこそ逆に県外の活動家が大手を振って反対闘争に従事してきたのだろう。

だからヘリ基地反対協議会のトップが県外出の浦島氏というのは非常に象徴的だ。

付近住民によれば15年以上も前に移住してきたという。プレハブの一軒家に住んでいた。この一帯は名護市でもかなり外れだが、さらに奥まった場所だ。換気していたのだろうか、家のドアが開いている。「ごめんください」と奥に向かって声をかけてみた。

「?」

部屋には無数のビラ、機関誌が散乱していた。まさに闘争とともにある生活のようだ。

すると出てきた浦島氏。

「取材はお断りします」

予想通りの反応だが、膨大な資料と生活状況をぜひ見てみたい。食い下がるが最終的に「出てけ」と怒らせてしまった。

さらに浦島氏について確認したかったのは事故当日の天候状況だ。「当日はとても穏やかだったという漁業関係者の証言もある」といった発言についてである。

筆者も辺野古地区で調べたが、波が穏やかだったという証言は聞けなかった。ただもし彼女が反対側の東海岸地域から海を見てのことならば、あるいは穏やかそうに見えたかもしれない。誰の眼の、どの地点の海の様子だったのか聞きたかったが、応じてはもらえなかった。

安次富氏は名護市内に住んでいない

続いてはSNS上でも最もバッシングされた安次富浩氏だ。いわゆる事故発生直後の記者会見で腕組みが批判されたのは記憶に新しい。

筆者はもともと仲村氏、安次富氏、浦島氏については運営団体とは言え抗議船にほぼノータッチだったと考えていた。どころかヘリ基地反対協議会の事務所に常駐すらしていなかったのではないか。そんな予想を立てていたが、特に安次富氏は名護市在住ですらなかった。

名護市内の安次富氏の自宅を訪ねてみると、周辺住民は「安次富さん? 名護にいないんじゃない」と言う。

また家族によれば「親の介護でここにはいません」という説明だ。

辺野古闘争の中心で政府も手を焼くヘリ基地反対協議会の面々も日常生活がある。

そして市外の安次富氏を訪ねると玄関先で話に応じてくれた。案の定、捜査の関係で話はできないという回答なのだが、疲弊した様子は伝わってくる。7年ほど前から市外で父親の介護をしているという。安次富氏も高齢者だから老老介護である。突然の訪問にもかかわらず、話に応じてもらったのであの話を振ってみた。

-記者会見で腕組みしたことがSNSでもかなりバッシングされているのはご存知ですか

知ってるけど、あれは誤解ですよ。私、考え込んだり緊張するとこうやって腕を組むから。

—それから名護市議の東恩納琢磨さんが市議の立場で3月16日の記者会見に出席したことは地元でも問題になっていました。仲村、浦島両氏だけだと不安だから市議の東恩納さんも出席したという証言があったのですが、どうですか。

それは違うと思います。(東恩納氏は)事務局長だからね。

-『週刊ポスト』の記事で東恩納さんが中国政府に近いメディアの記者を抗議船に乗せたと報道されましたけど、こういうことはよくありましたか。

分かりません。本人に聞いてみてください。

予想以上に話してくれた安次富氏には感謝したい。介護の問題もある上、現在の住まいは辺野古地区から離れる。これも日々、辺野古に常駐して抗議船の運営に関わっていたとは考えにくい。

そこで注目したいのが事務局長で名護市議の東恩納琢磨氏だ。

東恩納氏、現在の妻は県外出身の活動家

そして再び名護へ。議員である東恩納氏の居所ははっきりしている。東恩納氏は瀬嵩地区に住む『じゅごんの里』を運営している。現在の妻は県外出身の活動家で、辺野古闘争を通じて知り合い再婚した。筆者は辺野古闘争の活動家の大半が県外出身者と考えてきたが、その一端が垣間見えたものだ。

周辺住民はこう話す。

「事故前は次の選挙も出るのか聞いたら〝反基地と言えば通る〟と笑ってたな。転覆事故もあったし、週刊誌の取材を受けてからかなりピリピリしているみたい。あまり自宅でも見かけないね」

週刊誌の取材とは作家の安田峰俊氏のことだろう。中国政府系メディア『環球時報』の記者を抗議船に乗せた問題。中国のプロパガンダに利用されかねない由々しき問題だ。それに平和や反体制を謳う彼らが中国政府に協力するのはおかしい。

東恩納氏への疑問は尽きない。同氏が中国人記者を乗せたのは『じゅごんの里』の観光用グラスボート『ゆがふ世』。同船はもともと辺野古基金を使って1千万円で購入した。ご承知の通り、辺野古基金とは基地反対運動をサポートすることが目的だ。ところが観光用となると商業利用だから同基金の趣旨からは大きく外れる。

自宅付近で直撃した。

夕方、自宅付近を待つと東恩納氏は車で帰ってきた。

—事故のことも含めてお話を聞かせてください。

弁護士とも相談して事故原因の検証をやっているところで今、話せることはありません。

-皆さん、そうおっしゃるのですが、今まで厳しく主張してきて事故があったら黙るというのは説得力が無くなると思いますよ。

厳しいというのはどういうことですか。

-抗議活動ですね。

それとこれとは関係ないと思いますよ。私たちは事故原因をちゃんと究明していこうと考えています。これ以上、入ってこないで。(指をさして)これ防犯カメラ。

事故原因と抗議活動は別。つまり事故と闘争を結び付けるなという考え方だが、これは共産党、社民党、あるいは左派メディアにも共通する。直撃した4氏の中でこれをはっきり言ったのは東恩納氏だけだった。

実際に抗議船の運用に関して最も詳しいであろう役員が東恩納氏だ。今後も最も注目したい人物である。

海洋博の反対闘争で押しかけ闘争は否定

記者会見で注目された4氏から話を聞けなかったのは残念だ。しかし活動家としての背景、生活に触れたのはとても有意義だったと思う。

その後、沖縄の本土復帰当時からの闘争を知る古参の活動家に仲村氏らに取材したことを説明した。すると同氏はこんな話を始めたのだ。

「仲村氏、安次富氏はちょっと系統が違いますね。彼らは1975年の沖縄国際海洋博覧会闘争を知っています」

海洋博闘争とは、1975年に沖縄で開催された「沖縄国際海洋博覧会」の誘致・開催に反対し、新左翼や一部の地元住民・沖縄県教職員組合などが展開した一連の反対運動とテロリズムの総称だ。仲村氏、安次富氏は青年期で海洋博闘争を知る世代である。

1975年7月、第二次大戦後初めての皇族訪問となる皇太子夫妻(現在の上皇上皇后)の来県に対し、沖縄解放同盟準備会などのメンバーが車両への投石や火炎瓶を用いた襲撃事件が起きた。本来は「本土復帰とは何か」という疑問から、本土の活動家やセクトが合流して過激化していった。

「ところが反海洋博闘争の後で〝押しかけ闘争は失敗〟と総括されたのです。それを仲村氏や安次富氏が知らないはずがありません」(前同)

押しかけ闘争とは他地域の活動家が〝連帯〟と称して闘争に加わることだ。第二次安保闘争の終焉によって活動場所を求める活動家が来沖したのは容易に想像できる。

ところが反海洋博の段階で県外活動家の参加は失敗と結論付けられていた。

何かに似ていないだろうか。現在の辺野古闘争に通じているのだ。県外からの活動家が座り込み、声を挙げる。非常に古いやり方だ。何より当事者の金井氏自身がおしかけ闘争そのものである。

そして抗議活動自体が目的化、生活化していき行動が過激になっていく。押しかけ闘争を地でいっていた。

辺野古闘争とは、海洋博以来の極めて古典的な運動様式の延長線上に過ぎない。県外から活動家が押しかけ、現地の暮らしを巻き込み、正義の名で危険行為を正当化し、人の死さえも省みない。辺野古に集結する活動家たちは、本土復帰以来の沖縄闘争にすがる「昭和の亡霊」たちなのかもしれない。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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