【熱海市 土石流】“同和系列” 天野二三男、力の原点は 秦野市にあった(前編)

By 三品純

「もう(天野氏は)小田原市内にいないと聞いています」(天野二三男氏の有力取引先業者)。誰がいったか天野氏を評して“ 逃げ足も新幹線”というのも納得。追及を避けるべく雲隠れの状況だが、取材をしているとかなり深い関係者にもNHK、朝日新聞らが接触していたのには驚いた。一部マスコミは主要人物からの聞き取りを終え、最終的には小田原市、熱海市をターゲットにしているというが果たして――。渦中の両市を中心に行政機関へ深く食い込んだ天野氏とそのグループ企業。力の原点をたどると秦野市に行きつき様々な闇が浮き彫りになる。(タイトル画像は左から女優の磯村みどり氏、中央が天野氏、奥がランダムハウス城山の事実上の所有者、上野宏文氏)。

小田原給食センターを 購入した理由は 転売目的か

天野氏関係施設に最初にアプローチしたのは7月6日のこと。「小田原給食センター」(小田原市府川)が本拠地ということで現地に行った。同センターは前回の記事で関係企業及び自由同和会神奈川県本部が入居していると指摘した。だがどう見ても廃墟同前の社屋でここに会社機能があるとはとても思えない。それから印象的だったのはマスコミ各社が多数、待機していることだった。各社の共通認識として少なくとも書面上は同所が天野氏の居所だから直撃取材を試みたのだろう。

しかし小田原給食センターは事務所用途ではなく別の存在理由があった。

小田原給食センター登記簿によると昨年9月4日にジャパントータルエンジニアリング株式会社(J社)の所有になり、今年3月11日に湘南オーガニックファーム株式会社に移っている。

J社も天野氏の関連会社で代表取締役は篠田晃雄氏。篠田氏は関連会社の一つ、有限会社ロングランの役員も務める。ロングラン社は自由同和会神奈川県本部などの前事務所、ランダムハウス城山の一時期の所有者だ。

嘘か実か、この人物の素性は面白い。市政関係者の話。

「篠田氏の母親は昭和天皇の乳母をしていたというのです。篠田氏はよく“オレは昭和天皇と乳兄弟だ ”とか“ 皇宮警察や公安警察にも顔が効く”と吹聴していました。そんなこともあり天野氏の“ 警察対応”として支えていたのです」

またJ社 役員欄には自由同和会神奈川県本部副会長の古谷誠氏、それから上野宏文氏(6月30日に辞任)の名がある。上野氏はランダムハウス城山を競売で購入したウエタカ商事株式会社社長・上野美恵子氏の夫。上野氏に事情を聞くと「確かに(上野美恵子氏は)妻です。ランダムハウスも競売で購入しただけで天野さんは取引先の一人にすぎません」と話す。

しかし移転先である小田原給食センターを所有していたJ社の役員に名を連ねるのは妙な話。単なる取引先の一人とは考えにくい。

そして現在、同センターの所有は湘南オーガニックファーム(小田原市久野)に移転。社長には磯村登美恵氏の名がある。この女性、ランダムハウスの住人にして磯村みどりの芸名で活躍した女優だ。年配の方はテレビ黎明期のNHK女優といえば懐かしむかもしれない。実績ある女優で、啓発映画への出演も目立つ。天野氏との縁については「チャリティー公演で知り合った」(天野氏周辺)との証言もあるが、関係情報は後述する。

和歌山県の広報誌『県民の友』(平成元年11月号)より。
北九州市の広報誌『きたきゅうしゅう』(市政だより平成4年7月1日号)。

話を戻し、なぜ小田原給食センター 移転が必要だったのか? それは小田原市の区画整理と大きく関係する。神奈川県は「都市計画道路穴部国府津線」という道路整備事業を進めている。これまで住民説明会を開催してきたが、用地買収など住民との折衝が続く。

面白いことに給食センターはもろに道路整備の対象区間(赤線と緑線のT字部分)。つまり転売目的で購入したというのが関係者の一致した見方だ。しかし所有者が天野氏というのはあまりに“ ミエミエ”。そこで得意の「会社ロンダリング」だ。天野氏自身は給食センターの所有者である「湘南オーガニックファーム株式会社」代表取締役職を今年3月7日付で辞任。同日に天野氏の“金庫番 ”飯高美奈子氏も監査を辞任した。代わって3月20日付けで先の磯村氏が代表取締役に就任。つまり市内で土地トラブルを起こしてきた両氏が役員だと市への転売に支障が出る、という思惑だろう。

さらに自由同和会神奈川県本部まで小田原市給食センターに移転したのも興味深い。天野氏の事業と同本部は別ではなかったのか? 関係企業が移転したからといって同本部までもれなくついてくる合理的な理由がない。だがこれも計算した上での移転だという。

「要は行政が交渉に来た場合、“(同和だから)身構えて来いよ ”というメッセージです」(天野氏周辺)。

小田原市が同和団体を背景とした天野氏に屈服してきたというのは地元の一致した見方。

「通常、開発をする場合は業者と行政の間で事前協議が行われます。ところが天野氏の場合、先に開発を始めるのです。それも最初は“測量をする ”という名目で着手し、いつの間にか重機まで入れます」(市内業者)

しかも多少の不備は黙認してきたというのが小田原市。当初、兄・昇氏(故人)の影響と推論していたが、昇氏について調べると全く悪い話が出ない。

「昇さんは名物職員といった人で、住民から苦情が入ると日曜日でも部下を率いて確認に来るような方でした。ご本人は笑っていましたが“市長選はどうか ”という声もあったほどです」(前出市政関係者)

むしろ天野氏に忖度していたのは「都市部開発審査課か、あるいは市幹部のS職員です」(同前)と漏らす。

S職員については天野氏関係企業の役員を務めまた自由同和会神奈川県本部副会長・古谷誠氏も面識があると証言していた。万一、道路用地の売却も小田原市が手心を加えたら、不可解な方法で転売益を得ることになる。行政の最後の良心が問われそうだ。そして話は秦野市に移る。

自由同和会 神奈川県本部 元会長、伊藤玄勝が 天野を助けた

小田原市そして熱海市、いずれも天野氏にお手上げだったのは紛れもない事実。ではその力の原点、すなわち「同和」との関係はどこで始まったのか。その答えは秦野市にあった。

「盛り土は儲かる」

とある土木業者が笑いが止まらないといった体で証言したのは忘れない。いわゆる建設、開発残土問題は全国で深刻化している。不思議なことに住民の生命、資産を脅かす問題にも関わらず地方議会では受け入れ制限や規制を盛り込んだ条例の制定がとても鈍い。LGBT、ヘイトスピーチ規制、こういった理念条例はスピード成立なのに、だ。

「経済活動を阻害する」というのが主な反対理由なのだが、これも議員と業者の癒着の他ならない。もちろん天野氏の事業も無関係ではない。多数の犠牲者を出した盛り土の責任が今、問われている。

天野氏はかねてから「これからは秦野も(開発や盛り土を)やるから忙しくなる」と周囲に話していたという。この発言は実に意味がある。同氏が同和団体に関与するきっかけは秦野人脈にあるからだ。その背景を説明する。

歴史的に神奈川県は保守系の融和団体が強い地域。融和団体とは反体制、糾弾闘争を是とする「全国水平社」と異なり、政府に対しても協力的で穏健的な同和問題の解決を目指した組織である。特に秦野市は長源寺(同市曽屋)を中心として融和運動が活発化した。融和運動は特に教職員、中でも校長らに受け入れられたという。

高齢の退職教員の話。「神奈川は戦前、水平社系団体がなく融和団体系の『青和会』が設立されました。いわゆる“糾弾 ”も行うけれど、それは水平社系の活動家に“ 日和見”だといわれると具合が悪いから一種のポーズとしてやっていたんですけどね」

神奈川県が作成した教職員用のパンフレットより。

その長源寺に伊藤玄勝いとうげんしょう(故人)という僧侶がいた。この人物こそ神奈川県自由同和会の初代会長だ。

「浅黒くて眼光が鋭くいかにも運動家という雰囲気でしたね。教育熱心な人で青和会の機関誌『青和』を読みなさいとかこの文献が勉強になるんだ、と指導していましたよ。ただ茶目っ気もある方でした。やはり同和教育に関心を持つ教員の親戚が有名女優だったので“ さすがに君はスマートだな”なんてからかっていました」(前出教員)

ここでいう有名女優は先出の磯村みどり氏が若手時代、ともに人気を博した人物だ。不思議な縁である。

伊藤氏も融和団体の文献で学んだが、自由同和会の前身「全日本同和会」には所属していなかった。それから伊藤氏は90年代になって全国自由同和会神奈川県本部を結成し会長職に就く。

JR二宮駅前にある「岩崎建材株式会社」の2階に同会の事務所があった。同社によると「単純に賃貸契約で事務所を貸していました。弊社が自由同和会の会員というわけではありません」との説明だ。

なぜ天野氏は伊藤玄勝氏と知り合ったのか。話は遡る。

「天野塾とは二種類の意味があって一つは実際に天野さんが経営していた学習塾。同塾出身者で不動産業になった人は少なくありません。それから塾出身ではなく天野さんのもとに集まった人たちに不動産ノウハウを教えるのが通称、天野塾とされるグループです」(市政関係者)

しかしあの天野氏が学習塾とは一体どんな状況だったのか興味津々だ。小田原市鴨宮住民は「もう忘れたなぁ」と苦笑しつつ、関係人物を話すと記憶が蘇った様子。

「意外だろうけど天野塾はとても評判が良かったんだ。というのは受験戦争が過熱する中で“勉強だけではダメだ ”という方針からキャンプや野外活動も積極的にやっていた。保護者からは“情操教育にもいい ”ということで一目置かれていたからね。そういえば湘南オーガニックファームも体験型農園とうたっているでしょ。あれは天野塾の教育方針の名残りじゃないかな」

ところがなぜか不動産業に手を染めるようになり、天野氏は大きな借金をこさえてしまう。そこで「伊藤玄勝」が登場する。同氏については「熱心な運動家」という評価もあるが、こと「同和」に関して純粋な熱心さと受け取ることはできない。

「伊藤玄勝という人が同和団体をやっていて“ 同和を名乗ればヤクザの取り立ても免れる”と聞きつけ天野さんは相談にいったのです。伊藤さんも“ それなら任せなさい”ということで手を差し伸べました」(伊藤氏知人)

今となっては借金がどうなったのか知る由もない。しかしその後の天野氏の事業を見れば解決した、と見る他ないだろう。ただし伊藤氏からは同和問題も取り組むよう命じられた。

その一つが古い知人らが共通して記憶に留める「東北キャラバン」だ。天野氏は全国自由同和会(当時の名称)の若手を集めて東北に部落問題の学習旅行に出かけたという。しかし推測でしかないが、いわゆる被差別部落を回ったのか怪しい。というのは弊社の『部落探訪』でも東北の部落というのは非常に少ない。そもそも天野氏の知見でどう部落を特定したのか?

解放運動の父、松本治一郎氏の孫・松本龍元環境大臣(故人)が宮城県・村井知事に放った暴言も包み隠さず地元メディアは放送した。もしあの一件に遭遇したのが在京キー局、あるいは西日本の局ならばまずお蔵入りだっただろう。宮城だから放送できたというのは決して推測だけでもあるまい。つまり東北で部落問題は馴染みが薄いという裏返しである。

おそらくは東北キャラバンも日本史の教科書に掲載されそうな「困窮する東北の貧農」のイメージだけで向かったのではないか。マスコミ記者、あるいはジャーナリストの類でも社会派氏たちが人権絡みで好むのはまず大阪市西成区のあいりん地区だ。天野氏が選んだ東北というのも社会派氏らに共通する薄さ、浅はかさを感じてしまう。しかし同和問題について素人同然だった天野氏が副会長に抜擢された。当時の天野氏を知る麻雀仲間の話も面白い。

「天野さんはオレらに相模工業大学附属高校(現湘南工科大学附属高)を卒業して専修大学中退という経歴を話してくれたよ。それが部落の歴史を学ぶと言い出して確か大学院にも通っていると聞いたなあ」

同和問題の活動家としての印象を聞いてみた。

「農村部の高齢者の前で講演することがあったんだ。オレにも来いっていうからさ。そしたら話がとても良いって好評だったんだよ。天野さんの周囲に人が集まるのもなんとなく分かったね」(同)

ともかく伊藤会長、天野副会長体制で自由同和会神奈川県本部は運営されていく。同本部と交流があった人物によると

「オスマン・サンコンさんをゲストに呼んだイベントを開催していました。歌手や女優を呼んだとか結構やっていましたね。一方できな臭い人物も神奈川県本部に出入りしていましたよ。甘利明元経済再生担当大臣の献金を告発した一色武という千葉県の会社役員がいたでしょ。『週刊文春』のスクープ記事でしたか? 当の一色さんの姿も神奈川県本部で目撃したことがあります」

こんな意外な人物まで浮上するから驚きの連続だ。

甘利氏の政治資金収支報告書を調べると一色氏は平成26年に総額11万円を献金していた。その住所は秦野市南矢名とある。これまた秦野市だが、ともかく一色氏と自由同和会神奈川県本部との関係についてはまた別の機会に譲る。

地元では名うての解放運動家として一目置かれる伊藤玄勝氏の下で同和団体役員として力をつける天野氏。そしてトラブルは秦野市で起きるのである。(後編に続く)

2016年に甘利氏のスキャンダルを報じた週刊文春。しかし同誌は熱海案件では天野氏について言及していなかった。

【熱海市 土石流】“同和系列” 天野二三男、力の原点は 秦野市にあった(前編)」への2件のフィードバック

  1. 税金泥棒

    土を弄ると儲かりますね。公共工事は。民間の受入側は1t=2万円くらいでした。土建会社も粗利が30%以上はでます。我々は税金泥棒ですね。

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