月別アーカイブ: 2018年1月

日本人のおなまえ研究(1)
“名前が左右対称なら在日”は本当?

By 鳥取ループ

ネット等でしばしば話題になる「在日認定」。奇しくも先日、奈良県安堵町あんどちょうの増井敬史けいじ町議が福島瑞穂、辻元清美、山尾しおり国会議員を「極悪非道の在日Korean」と認定したことがきっかけで辞任した。もちろん、増井敬史町議の件をはじめ、多くの場合在日認定は何の根拠もないものだ。

そこで、本誌では『日本姓氏語源辞典』の作者であり、外国由来のものも含む日本人の姓氏を徹底研究し、在日コリアンの名前についても精通している宮本洋一氏に、「在日の名前」という観点で話を伺った。
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ガキ使『黒塗りメイク』炎上騒動の行く末は超表現規制社会(後編)

三品純 By 三品純

前回に続く「ガキ使」の黒塗りメイク騒動。映像、紙媒体を問わずメディアにおける黒人描写は、たびたび論議を巻き起こす。そして「ブラック」「黒い」これらのキーワードに関しても黒人差別を助長する、といった意見も散見される。果たしてこれらは本当に差別なのだろうか。表現のあり方、また差別と訴える側の実態や論理に迫った。
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ガキ使『黒塗りメイク』炎上騒動の行く末は超表現規制社会(前編)

三品純 By 三品純

昨年12月31日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 大晦日年越しSP絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時!』(日本テレビ系)でダウンタウン浜田雅功が米黒人俳優・エディ・マーフィーの出世作『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセル・フォーリーに扮した。

が、この際、顔を黒塗りメイクしたことが「黒人差別」として批判を浴びた。番組終了後、ネットでは批判意見が殺到し、呼応するかのように人権運動家、文化人、メディア関係者も苦言を呈した。もちろん全ての表現物で人種的、民族的な描写は慎重になるべきだ。しかし過剰な批判と自主規制はいつか自分の首も絞める。特に出版、新聞、報道問わずメディア関係者の方、またジャーナリスト、作家の類、その矛先は自分に向けられるかも―――。

ダウンタウンと人権

ダウンタウン。紛れもなく国民的お笑いスターだ。かく言う著者も若い時分、番組観覧に行ったフリークだが、やがてダウンタウンで人権を論じるとは思いもよらなかった。

また同和問題に関心がある人ならば、あのコントを想起するかもしれない。90年代の人気番組『ダウンタウンごっつええ感じ』で松本・浜田両氏による「豆」というコントがあった。「豆」は、部落解放同盟の糾弾集会のパロディではないかと、マニアの間で語り継がれている。ダウンタウン両氏は、兵庫県尼崎市出身。解放教育がなかったはずがない。おそらく子供の頃の原体験に由来していると思う。興味がある方は、「ごっつ 豆 コント」こんなキーワードで検索すれば現在でも視聴できるはずだ。とても風刺が効いた名コントである。一見は不条理ギャグの世界、だが訳知りの人が見れば背筋が凍るだろう。

一方、今回のガキ使で問題となった演出は、エディ・マーフィー主演の映画『ビバリーヒルズコップ』の主人公・アクセル・フォーリーのモノマネ。メイクが差別か否か別として、特に似てもいなければ、面白くもなかった。人種的な特徴をデフォルメしたメイクでもない。個人的には、日焼けしたパンチパーマのオジサンにしか見えなかった。演出のレベルとしては、とても稚拙だ。テレビ業界の人々は「ふりきった企画」とか「とんがった企画」という言葉を好む。そんなにとんがりたいならば、あの「豆」の再現というわけではないが、今回はポリスがモチーフ。ならば、だ。

黒塗りメイクをした浜田のもとに人権ポリスがやってきて糾弾する。『ちびくろサンボ』を絶版に追い込んだ「黒人差別をなくす会」のパロディ。どうせならこれぐらいの演出に挑んでほしい。では、抗議を受けた日本テレビの見解はどうか。局側の見解、抗議件数、また人権団体等からの抗議の申し入れの有無などを聞いてみると日本テレビ広報部名でこう回答があった。

今回の「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」は、アメリカの架空の警察署という設定で制作しました。ご指摘のシーンについては、ダウンタウンの浜田さんが、あくまで、映画「ビバリーヒルズコップ」で俳優のエディ・マーフィーさんが演じる主人公「アクセル・フォーリー」に扮したもので、差別する意図は一切ありません。本件をめぐっては、様々なご意見があることは承知しており、今後の番組作りの参考にさせていただきます。

この通り無難でひな形的な内容だった。ただガキ使自体、日テレの看板番組であり、これぐらいの抗議で揺らぐとは思えない。またダウンタウンが所属するのは、あの巨大な「吉本興業」だ。芸能界では絶対的な力を持ち、また「同和問題企業連絡会」(同企連)の会員企業である。この団体、企業の人権啓発を行うのが目的だが、実質は人権問題でトラブルが起きた時の“用心棒”的あるいは“防波堤”的な役割を持つ。ガードは万全。詳細は『あなたの会社が同和に狙われる第4回 同和と企業は持ちつ持たれつ?』で触れている。

オバマ前大統領のマスク。この場合の黒塗りは許されるのか。

表現物における黒人描写の変遷

それにしても時代は変わったものだ。例えば80年代の人気番組『オレたちひょうきん族』では、ウガンダ・トラ(故人)がマイケル・ジャクソンに扮し『スリラー』のモノマネや黒人少女とのコントをやった。同じくひょうきん族で言えば、島崎俊郎の「アダモステ」は、肌が黒い南洋の原住民がモチーフだ。今のご時世ならば抗議があるかもしれない。また鈴木雅之、田代まさしらのバンド「シャネルズ」は、顔を黒塗りにしたバンドだった。この場合の黒塗りは、差別的な意図ではなく、純粋に黒人音楽へのリスペクトだろう。

TVCMでも印象的な作品がある。西日本、東海地方の方なら覚えているかもしれない。和歌山県の銘菓「那智黒」のCMだ。https://www.youtube.com/watch?v=lmM1br9zFSs

著者が小学校低学年ぐらいまでは、ごく普通に放送されていた。老女と黒人男性がダンスをしながら、男性が「ナチグロ」と叫ぶだけ。同じく80年代、読売ジャイアンツで活躍したウォーレン・クロマティが漫画で登場する時は、チリ毛、分厚い唇、体臭、といった描かれ方だ。韓国のプロ野球から日本球界に復帰した新浦にうら壽夫ひさお投手がニンニクやキムチを食べた口臭をクロマティに吐きかけ、クロマティは腋の臭いでやり返す(高橋春男『Black & White』より)。現在なら新浦の描写も併せて別の線からも怒りを買いそうな内容だ。

近年の例を挙げよう。元SMAPの香取慎吾は、2005~2007年頃流行した「ブートインキャンプ」のビリー隊長のモノマネをした。この時のメイクも黒塗りだ。またお笑い芸人のノッチは、オバマ前大統領のモノマネをしていた。彼自身、もともと地黒だから黒塗りメイクというほどでもないが。ただ当時、香取やノッチに抗議が殺到したという話は聞いたことがない。

何より笑ってはいけないシリーズでは、以前も黒人に扮する演出があった。「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時」(2013年)でタレントのマツコ・デラックスが同じく黒塗りメイクで「エマニエル坊や」に扮した。ところが当時、ガキ使が炎上したとか、批判が殺到したとか、そういう話は聞かなかった。

にも関わらず浜田の黒塗りメイクは、問題だと言う。この違いが謎だ。このことは「人権意識の向上」といった性質のものではないだろう。ネットを中心とした批判、抗議、バッシングといった現象は、謎のレールが存在し、僅かなきっかけやその都度の空気感でレールに乗せられる。このレールは、誰にも見えない。何かに怒りたい不特定多数の暗い情念が一定量集まった時にレールが敷かれる。現象は異なるがネット上で“文春砲”と賛美された『週刊文春』も目下のところ小室哲哉の不倫疑惑で炎上中だ。勢いがある著名人の不倫報道は「功績」で、かつての輝きを失った小室の不倫報道は「残酷」という。この違いも全く謎である。文春報道も浜田の黒塗りメイクもこの謎の抗議レールに乗せられたと思う。

本当の怒りの根源はアナタの心の闇! 抗議する人たちの素顔

それともう一点気になることがある。とにかく抗議者たちは、ここ2~3年で先鋭化したことだ。全ての俳優、歌手、政治家ら著名人は、パロディの対象になる。しかしガキ使への抗議者たちは、黒人に関してはその対象外と考えているのか。例えばトランプ大統領の被り物は許容され、オバマ元大統領の被り物は禁止、そういうわけでもないだろう。通販サイトを見れば、肌が黒く塗られたオバマ元大統領の仮面やおもちゃが販売されている。

ただ抗議者たちの怒りは、沸点に達するのも早いが、冷却も早い。黒塗りメイク問題は、年明けからネットニュース、SNSでも随分盛り上がったものだ。現在は、すでに収束状態にある。中には、純粋に人権問題に関心がある人もいたのだろう。しかしその大半は、とにかく怒るタイミングを待っているように見受けられる。これが人権問題だろうが、企業の不祥事、タレントのスキャンダル、大学生や高校生の悪戯…なんでもいい。とにかく騒動があるところ何でも抗議の対象にする。

ちなみに抗議と言えば弊社、示現舎もご想像通りとても多い。そしてその経験上からある傾向を感じている。例えば「同和問題」の場合、抗議主は、人権団体の当事者というよりも例えば「ネットを見た」「新聞で見た」という人々だ。特に知識があるわけでもなく勢いで抗議してきたのが容易に分かる。そんな人々の話を聞いてみると、最終的にこんな本音を吐露することがある。

「教育委員会が私の意見を聞いてくれない」

「人権意識が低くなったので私の文集を図書館が採用してくれない」

こういったもの。なんだ結局、自分のことじゃないか? 怒りの根底を辿ってみると日常生活における不平不満が募っている。そんな様子だ。参考に『住所でポン』の抗議は、さらに鮮烈。

「お前らのせいで反日ユダヤと朝鮮総連の工作員が家の前にいる」

「創価学会が電磁波攻撃をしてきた」

最初のような不満はまだしも「反日ユダヤ」「電磁波攻撃」の類は、老婆心だがライフスタイルや精神状態を改善した方がいい。電話をかける先を明らかに間違えている。もちろんこれらは、極端な例かもしれない。ただ何かにつけて抗議、苦情といきり立つ人々、本当の怒りの元は、自分の心に潜んではいないか。

メディアやヤフーが黒塗りメイク騒動を煽っているという声もあった。

黒塗りを禁じることが問題解決なのか?

それにメディア関係者の反応も疑問が残った。浜田の相方、松本人志が出演する『ワイドナショー』(フジテレビ系)1月14日の放送回では、黒塗りメイク問題が扱われた。出演者各氏の反応が興味深い。松本は「言いたいことがあるけど、面倒臭いので浜田が悪い」と笑いを取りつつ、明らかに不満気だった。

逆に演出に対して否定的だったのは、キャスターの安藤優子。「エディマーフィーに扮したことではなく笑いのネタにしたことが問題だ」と指摘した。また音楽プロデューサー・もふくちゃん は「国際的な立場になっているということに目配せした番組作りが必要なんじゃないかなというふうに思います」と訴えた。

安藤、もふくちゃん両氏は、黒塗りメイクを否定的に見ていた。今後、どんな意図であれ黒人を連想させるような演出はNGという意味か。松本はこう問いかけた。「モノマネとか色々バラエティで、黒塗りは、じゃあもう、なしでいくんですね?  はっきりルールブックを設けてほしい」。するともふくちゃんは「黒塗りはアウトだと思います」と応じ「塗らないやり方のモノマネはいくらでもある」と強調していた。彼女も表現に関わる立場として、こうあっさりと演出の手段、手法を閉ざしてしまっていいものだろうか。

なぜなら仮に黒塗りメイクを禁じても、批判者たちは別のシーンで差別の鉱脈を見つけるものだ。だからもふくちゃんの認識はとても甘い。『ピーターパン』のフック船長も障害者差別だ、やがてこう言いだしかねない。他人に対する「差別」というレッテル貼り。相手を屈服させるにこれほど効果的な言葉もない。行政、司法、政治すらも「差別」という言葉に白旗を挙げることもある。だから新聞、テレビなど報道機関は、政治家などの失言を待ち構えている。その効果を熟知しているからだ。だからこそ逆に「差別」という批判にも弱い。こうした特性上、今回の黒塗りメイク問題によって放送業界では一層、自主規制が強化されると予想する。

ブラック企業は差別的表現? 人権派教授もやり玉に

もちろん自身が一撃必殺の「差別」を使用できる立場の時はいい。しかし逆に身に降りかかる可能性がある。今回の黒塗りメイク問題の場合、黒=肌の色、という分かりやすい状況があった。では言葉の表現はどうか。例えば「ブラック」「黒」。

元来、日本語で「黒」はネガティブなイメージで使われてきた。「腹黒い」「頭の黒いネズミ」「暗黒街」「暗黒社会」。あるいは「黒い霧解散」(1966年)、「黒い霧事件」(1969年)など。この場合の「黒い」は、主に暴力団関係者を示している。また「容疑者はクロ」この場合は、犯人ということを意味する。

そんな経緯から労働基準法を逸脱したり、過酷な労働環境にある企業に対しては「ブラック企業」と言うようになった。また金融機関で返済状況が悪い利用者などを「ブラックリスト」と言う。中身が不透明で怪しげな様を「ブラックボックス」。この通りブラックもネガティブなイメージで使用されてきた。この場合のブラックは、もちろん黒人を示すものではない。従来から黒に込められた意味を当てはめたにすぎない。それに色で物の様態、状況を表すのは「黒」に限ったことではない。「白」もしかり。また「真っ赤な嘘」、「黄色い声援」、「青ざめる」などもある。あるいは、共産党員を「アカ」という。これも蔑称に違いないが、なにしろ赤は共産主義のシンボルカラーだし、共産党員自身が自虐的に「アカ」と自称することもある。

ところが「ブラック」「黒」の使用について黒人差別を助長するという声が少なからず存在する。「ブラック企業」という表現も黒人差別を助長する、こういう主張に対して、我々日本人はどう向き合うべきだろう。特に左派の方々、メディアにとって「ブラック企業」問題は、とても関心があるはず。ブラック企業の過酷な労働現場に迫って喝采を浴びるかと思いきや、別の一派から差別とお𠮟りを受ける。そんな可能性が大いにあるのだ。

先述したもふくちゃんが言うところの「国際的な目配せ」が必要と言うならば、「ブラック企業」「ブラックリスト」「腹黒い」「黒い人脈」これらも排除しなくてはならないのか。メディア関係諸氏、そして黒塗りメイクに抗議した人々は、こういう状況を望む?

そして中には人権問題に取り組む専門家ですら“ブラック狩り”に遭遇することもある。在日コリアン、被差別部落問題に取り組む東京造形大学・前田朗教授もまたその一人。人権派の前田教授も「ブラック企業」という言葉を使ったら差別的だと指摘を受けることもあるのだ。そこで前田教授に「ブラック」という表現について、また批判に対してどう応じたのか聞いてみた。
(次号に続く)

東洋経済は黒塗りメイクを批判する記事を掲載したが、ブラック企業が差別と言われたらどうするのだろう。

部落差別解消推進・部落探訪(55)
奈良県北葛城郡河合町西穴闇

By 鳥取ループ

奈良県では難読地名が多い。今回訪れる西穴闇もそうで、「にしなぐら」と読む。これは当て字で、もとは「長倉ながくら」だったものが「なぐら」と転訛して、今の字が当てられたらしい。しかし、なぜよりによってこの字が選ばれたのかは分からない。

1935年の記録では世帯数164,職業は農、商、日稼。1955年の記録では世帯数253,職業は靴、農とある。世帯数が増えていることから、よそからの移住者が多うことがうかがえる。
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奈良市環境部は永遠に“清美”されないのか!?(後編)

三品純 By 三品純

奈良市環境部レポートの最終回。前回までは、昨年夏に発生した職員の不祥事について迫ってきたが、今回は環境部全体にスポットを当て、検証していく。不祥事が相次ぐ裏に潜むものは何か?
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部落差別解消推進・部落探訪(54)
群馬県前橋市粕川町込皆戸(後編)

By 鳥取ループ

込皆戸は、上原善広氏の『日本の路地を旅する』にも登場する。同書には地名は明記されていないが、「群馬女子高生誘拐殺人事件」の犯人の出身地ということが書かれているので、少し調べれば分かる。この中にも、タクシー運転手が「あそこはチョーリンボーって言われています。あまり今は言わないですけどね」というシーンがある。

また、同書によれば込皆戸では強盗や議員の汚職等の事件が頻発していたそうだ。
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奈良市環境部は永遠に“清美”されないのか!?(中編)

三品純 By 三品純

不祥事が相次ぐ奈良市環境部の実態に迫るレポートの中編。今回は、問題となったファミリープール(大和郡山市)売店業務を請け負った森嶋企画、そして奈良市環境部関係者への直撃取材を中心にお伝えする。結論から言えばみな一様に「取材拒否」だった。残念ながら「分からないことが分かった」という結末なのだが、現地の反応、雰囲気を感じ取ってもらえれば幸いだ。
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部落差別解消推進・部落探訪(54)
群馬県前橋市粕川町込皆戸(前編)

By 鳥取ループ

北関東では「チョーリンボー」という言葉が今でも知られているようである。群馬県の山奥で、とある宿の女将に「チョーリンボーという言葉を知ってますか?」と聞いてみると、「それ聞いたことある、お年寄りがあの家はチョウリンボーだみたいなことを言ってた。でも、意味はよくわからない」という答えが返ってきた。なんとなく人の出自を馬鹿にする言葉とは分かっているけど、それが「長吏」に由来する言葉であるということはもちろん、部落に関わるものであるということまではあまり知られていないようである。
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奈良市環境部は永遠に“清美”されないのか!?(前編)

三品純 By 三品純

昨年、奈良市環境部職員が病気休暇中に県営プールの売店で働くという不祥事が発覚した。「また奈良市環境部?」そう思った人も少なくないはずだ。自治体に限らず企業、各種団体が過敏なまでに「コンプライアンス」を掲げる中で、なぜ奈良市環境部の不祥事は続くのだろうか。本稿は現地取材、内部資料を通して、「奈良市環境部」と「不祥事」について検証していく。
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