1921年の『地方改善ニ關スル調査』によれば東茨城郡澤山村阿波山舘向下に15戸の古村が合った。そこは、現在の城里町 阿波山である。小字は西坪。
農業や草履づくりをやっていたようである。

西坪と言うと、この庚申塔から南東の辺りである。現在の自治会名では西町、ここから北西は北宿になる。

この建設会社の裏手をストリートビューで見るとお堂らしきものがあるというので行ってみた。





場所と言えば北宿になる。あらゆる方向からアプローチを試みたが、草木が生い茂っていて近づけない。

ただ、ゼンリン地図を見ると、墓地の名字は大山城の東側に分布しており、古村とは無関係と判断した。




大山城の西側、何の変哲もない農村で古墳のようなものも見える。やはり記録にある古村はこの辺りであろう。


ただ、気になったのは、大山城を取り巻くように同様の傾向の名字が分布していることだ。茨城県の古村に特徴的である「小松」「小松崎」という名字も見受けられる。

念のため、大山城を一周していると気になる廃墟が見えた。

この裏手に何かあるような気がしたのだ。

そこで発見したのが、この素朴な鳥居とお堂である。

もしかすると、これは白山神社ではないのだろうか。

周囲は草が茂っているが、神社は明らかに今も手入れがされている。


文久の頃の石柱の文字がなぜか一部削り取られている。

付近の詳しい方から話を聞くことができた。
これは確かに白山神社で、御前山の白山神社から分かれたものではないかという。長吏、穢多との関係は知らないという。
しかし、これはまさしく古村の白山神社ではないか。周囲の家の住人が亡くなってしまい、神社も荒れ放題になっていたところ、最近になって付近の住民で再興し、これから祭りをやるのだという。

大変貴重な白山神社であるから、これからも大切にしていただくようお願いしておいた。




田子内も何の文献的根拠も無く片岡と決めつけているな研究者こと宮部
オマエの現地の人も明らかに騙された回があるし信用できんがなw
ネットの電話帳を早く直せや
研究者こと町誌をこねくり回して断定できないのに場所や名字を特定する宮部w
次は上三川町に行けや
「伝説 上三川町の知られざる世界」が素晴らしい文献的根拠があるガイドブックやろ
イザナギ、イザナミ、ククリヒメを連想させる注連縄ですね。神社で略式もないだろうから、こういう様式なのでしょう。初めて見ました。同時に地元の方は本当は由緒をご存じなのだろうなとも思いました。だからと言って「面倒だから話さなかっただけ」の可能性を否定するものではありません。
>古墳のようなものも見える。
土塁?