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月刊「同和と在日」2012年1月号発売しました!!

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鳥取県琴浦町の「風の丘」。ここでは2003年に石碑に書かれた「東海」の文字が政治団体からの猛抗議で削除された。その現場から、今まで知られていなかった“斜め上”の実情をレポート。
クラスメートの前で部落出身を告白する「立場宣言」。当時の教育関係者の証言と文書から、謎を解き明かす。同和教育にからむトラウマを抱える方におすすめ。

目次
●拡大版リベラルな電波グラビア館
・韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyo「 外務省を「人間の鎖」で包囲しよう!」 バーチャル劇場
●特集「あの騒動は今」 歪んだ日韓友好のツケ・鳥取県琴浦町「風の丘」の痛すぎる話
・気がつけばメディアは韓国だらけ
赤碕あかさきと韓国の交流の原点とは?
・消えた東海、公園はトラブルメーカー
・9号線を怪しく彩る不思議な風車
・4億円を使ってできた朝鮮風の箱庭
・施設の随所で見られる片山善博の名前
・日韓交流から「恋人の聖地」に脱却か?
・一体、誰に向けての施設なのか?
・痛々しい東海削除の傷跡
・ハングルで「韓日」表記があちこちに
・配慮が必要な友情と友好とはなんだ?
・物産館は民団の運営、言いだしっぺは片山
●連載・僕らの部落民宣言 第1回 ~立場宣言は如何にして行われたか~
・米子の立場宣言
・教育委員会の指導方針
・立場宣言の理論と実践
・学力保障と進路保障
●緊急レポート“強盗国家”韓国を許すな 狙われた敦賀市・常宮神社の国宝「新羅鐘」
・民間の文化財も韓国人が奪いに来る!
・明治時代以来の国宝「新羅鐘しらぎのかね
有光ありみつけん氏が返還運動のフィクサーか?
・それでも公共放送? 中継で返せと騒ぐ韓国人レポーター
●声に出して読みたい「同和と在日」文献の旅
・部落問題研究所五十年のあゆみ
・解放運動裏年表 内ゲバの歴史

相談員差別発言事件を考える学習会(2011.11.27)資料

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月刊「同和と在日」2011年12月号「啓発・学習は弁護士無しの欠席裁判! 差別発言で退職に追い込まれた隣保館員」で採り上げた、学習会の資料を公開しました。以下をダウンロードして下さい。

相談員差別発言事件を考える学習会-H23-11-21.pdf

出版物やウェブサイトなどで引用する際には、なるべく「示現舎(//work.jigensha.info/)提供」などと出典を添えてくださいませ。

学校法人神奈川朝鮮学園関係資料

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月刊「同和と在日」2011年12月号で報じた、神奈川県の朝鮮学校の資料です。

神奈川県の朝鮮学校を巡っては、授業内容を確認するために、神奈川県が朝鮮学校に提出された教科書がダミーだったと産経新聞が報じるなど、県が補助金を支出している学校の教育内容が話題となっています。朝鮮学校の実情の一端を生の資料から知りたい方のために、関係書類を公開します。


こちらから資料をダウンロードすることができます

この資料は神奈川県が公開したものなので、利用は自由ですが、出版物やウェブサイトなどで引用する際には、なるべく「示現舎(//work.jigensha.info/)提供」などと出典を添えてくださいませ。

この資料に関するコメント、情報提供はこちらまで。

月刊「同和と在日」2011年12月号発売しました!!

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部落解放研究集会に潜入! 現地からの実況レポート。
「橋下徹」新潮―文春報道について同盟員と直接対談。
滋賀県で隣保館員が糾弾され職を追われたことが発覚。
神奈川県の朝鮮学校の膨大な資料を独自入手!
ほか

●実況中継! 同和と在日がゆく「部落解放研究第45回全国集会」レポート
・「インターネット上の差別事件を考える」を一緒に考えよう
・同和事業になじみが薄い岐阜県が開催地
・森永卓郎氏の鉄板ギャグが滑る!? 部落解放研究集会の様相
・定番の差別事例紹介から人権啓発ビデオが流れる
・「大淀町立大淀病院事件」の遺族も出演。毎日新聞の影がチラリ
・ナチスはもういい! より具体的な話が聞きたい!
・下吉氏「鳥取ループは開き直っている」って言うけれど
・宣伝御礼! 「同和と在日」が写真付きで紹介された
・鳥取ループの登場に同盟員「同じ空気を吸いたくない!」
・隣保館職員「理論で勝てない」と泣きを入れる
・悲しきは末端の活動家と地区住民たち
・社会運動体の内部にこそ階級制度が存在するのでは?
・理解、批判、ガン飛ばし、有益だった集会終了後
・ウワサの九州の感動男登場、こんなところで青春ドラマ
・謎の「喧嘩自慢」気になるメッセージと同和と在日の意義
●「鳥取県内の同和地区(被差別部落)」を掲載した理由
・隠すという行為そのものが「情報を公開」する場合
・グーグルマップに掲載するというアイデアの源
・同和地区マップを消す方法とは
●特集・「橋下徹」新潮―文春報道を考える
・スペシャルインタビュー「地元の解放運動家はどう見たか?」
部落解放同盟豊中支部運営委員 佐佐木寛治氏
●ワイド特集「人権擁護法案クライマックスシリーズ5回戦」
・野田首相も推進派! 来期が最終章? 人権侵害救済法案の裏側
・組坂氏激白「野中さんが人権擁護法案で〝糾弾〟を抑え込もうとした」
・人権オジサン平岡法相、リンチ死遺族にお忍び謝罪
・ナゼか差別禁止法を訴え始めた元朝日新聞編集委員の無節操
・学会員もいる救済法の〝別働隊〟「反差別国際運動」
・啓発・学習は弁護士無しの欠席裁判! 差別発言で退職に追い込まれた隣保館員
●耐震工事もできない 朝鮮学校の厳しい財政事情
●滋賀県同和行政バトル日記⑫
・本誌が草津市の審議会で採りあげられる
・第七回口頭弁論 いよいよ結審か!?

月刊「同和と在日」に続々と反響が!

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今年11月9日から3日間開催され、行政や部落解放運動団体関係者約6000人が参加した「部落解放研究第45回全国集会」で、本誌が紹介されました。本誌が繰り返し問題提起している同和地区と情報公開制度の話題で、研究会は大いに盛り上がりました。


今年11月21日に草津市で開催された草津市隣保館等運営審議会で、本誌で取り上げた草津市の隣保館嘱託職員の採用における、いわゆる「同和枠」の問題が議論されました。前回の審議会では実際に本誌がその場で配布されました。審議会では、同和枠を廃止するように委員が市に対して強く迫りました。

本誌が様々な所で議論を生み、実際に自治体の政策に影響を及ぼしています。

同和奨学金返還業務は大阪市職員の墓場?(同和と在日2011 3)

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三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年3月号

「大阪市の同和奨学金返還業務の職員が激務でダウンしている」「訪問先で激しく罵倒され返還を拒否された」「職員のスクラップ工場と化している!」
 こんな情報が当編集部に寄せられたのが先月のこと。情報提供者の話を聞くと、かつての〝解放奨学生〟、そしてその保護者にオロオロする職員、こんな光景が思い浮かんでしまう。ある意味、同和事業の最大のひずみとも言えるこの同和奨学金。奨学金と言いつつも地域によっては実質的な給付金制度の場合もあり、また返還をめぐって各地域でトラブルになることも少なくない。
 実は「部落民」とは誰かという問題を検証する際に、「同和奨学金」は一つの重要なキーワードであり、解放運動とは何であったかを考える上でも欠かせないものだ。
 同和奨学金は本人や親の希望で積極的にというよりも、教師や地元解放同盟支部からすすめられて取得するということが圧倒的に多かった。同和奨学金は解放運動により「勝ち取られた」ものであるから、それを受け取ることで、部落解放同盟の行事に参加しなければならないという暗黙の圧力が生ずる。各学校では同和奨学金の受給者により解放奨学生の会が組織され、各地の解放奨学生の交流集会や合宿が行われた。そういう場面では、必然的に周囲は全て「部落民」なのである。
 すなわち奨学金を受け取ることで「部落民」であることを意識させる。というよりも誓わせる、といった方がいいかもしれない。同じ地区内で周囲のほとんどが同和奨学金を受け取っており、解放奨学生のイベントに参加しているとすれば、自分だけ奨学金を受け取らないということは難しい。受け取りを拒否する理由を説明することも困難だ。「アイツは部落の子供と一緒にされたくないと思っている差別者だ」と言われかねない。なので、地区によっては同和奨学金への加入率が一〇〇%となり、解放奨学生たちは解放運動のために協力せざるを得なくなる。そのため、同和奨学金は部落解放同盟の組織拡大策という言い方もできる。
 考えてみれば実に過酷な制度だ。奨学金によって新たな「部落民」を生み出した可能性すらある。多くの子供は、いずれそのような実情に疑問の持ち、冷めた目で見るようになるのだが、中には解放運動にすっかり染められてしまう子供もいる。そのような子供たちの行動は、さしづめヒットラーユーゲントか、文化大革命下における紅衛兵のようだ。
 水平社博物館の守安(もりやす)敏司(としじ)氏は「被差別とアイデンティティー」の中で自分の妻の経験談として、こんなエピソードを明かしている。
 高校教員だった守安氏の妻が解放奨学生の合宿研修の教員として参加していた。女生徒たちが鏡ばかりを見て、集合時間に遅れているので「集合時間に遅れるよ。あなた鏡を見るのが好きなのね」と注意した。すると数十名の奨学生に「管理教育粉砕」「部落差別をされている子供の気持ちが分かるのか」と深夜まで問い詰められたという。ところが翌朝、生徒がやってきて「先生ごめんな。うち先生の苦しみが分からんかってん」と謝罪した。この守安氏の妻も被差別部落の出だということを誰かが話したのだ。妻はこれを聞いてこれは一体何だ、と思った。彼女は管理教育の権化とされたことを正面から受け止めるつもりで、決して「部落出身」と言わないと決めていた。ところが部落出身と分かった途端、生徒たちの怒りは収まった。部落と分かれば皆兄弟仲間。こんなことが部落民の優しさなのか、と怒りよりも悲しみに包まれたという。
 一読すると「生徒たちが部落民であることを理由に時間を守らなかった身勝手さ」について批判のポイントを挙げることができるだろう。だがそれ以上に注視すべきは部落民という異様な結束と連帯感の根底にはこの解放奨学生制度があったことである。
 奨学金はいわば解放運動家養成ギブスのようなものだ。小林(こばやし)道弘(みちひろ)大阪市議は二〇一〇年九月一四日の文教経済委員会でこう述べている。

もう同和地域の中でも経済的に非常に、いわば奨学金がなくても親は子供を高校に行かせる家庭も出てきたと。そしたら、そういうところはもう奨学金は要らんのちゃうんかと。けれども、一つの運動の中で、いやいやいや、この奨学金、本来は、もともと、先ほど今課長から説明あった意義もあるけども、もう一つの側面でいうたら人材育成という目的あんねんと。人材育成という目的があるということは、これ奨学金をもらえる家庭でね、経済的に豊かであったとしても、もらうべきちゃうかと。つまり、なぜかというと、この奨学金を受給することによってさまざまな取り組みに参加するんですよ

 本来は地区内外の経済格差の解消が目的だったはずが、結局は解放運動の拡大に使われるようになった。同和奨学金にはこんな性質もあったのだ。そして大人になった解放奨学生から奨学金を回収するというのだから、それは「激務でダウン」もするだろう。さぞかし大変な惨状だろうと思い、大阪市教育委員会事務局の担当者に確認すると、意外にも若干事情は違っていた。
 同和奨学金は建前上は貸与制度であるのだが、大阪市の場合は返還金と同額の補助金を本人に支給し、それをもって相殺(そうさい)することにより、市が返済を肩代わりしてきた。実質的な給付金だったのである。しかし、この措置が市の要綱で行われていたことが後々問題となった。要綱は行政による取り決めに過ぎず、議会の議決を経たものではない。同様の措置を行っていた京都市では、市民から相次いで訴訟が提起され、その結果「同和奨学金の肩代わりは行政の裁量権の逸脱である」として裁判所から賠償命令が出された。大阪市でも監査委員会から違法性を指摘され、ついには「肩代わりする」とした過去の〝口約束〟を撤回しなければならないところまで追い詰められたのである。
「平成一三年以前に返済期を迎えた対象者は三二五四人で免除額が一六億三七四七万円。地対財特法失効後の平成一四年以降に返還期間が始まった対象者は五二三人で四億九七七九万円。いずれの場合も免除する方針でしたが、平成一八年に市の随時監査があって平成一四年以降の対象者の免除については無効になりました。そちらが返還業務とおっしゃられているのは、この平成一四年以降に返還期間が始まった方に対する業務です」
 ただし平成一四年以降の対象者も救済策があり、所得が生活保護基準で算出される額の一・五倍以下の世帯であれば五年間返済が免除され、期限がきたらまた免除申請を行う。ただし申請は必要で、申請がなければ返還に応じなければならない。
 つまり職員は、十分に返済の余力がある世帯には返済を求め、低所得世帯には免除申請を依頼しに訪問しているのだ。
「確かに大変な作業ではありますね。教育委員会所管の各部署の課長と係長がペアを組み六二のチームで対処しています」
 と、現在では一部の職員だけに負担が集中しないように、組織をあげて対処しているという。また、過酷な回収業務により歴代の担当者をつぶしてきたという伝説は、実際はかなり違っていたようだ。
「申し上げたように、これまで回収業務自体をしてきませんでした。しかし、もともと奨学金貸付業務自体がお金を扱うため神経を使いますし、市全体の業務を係長と職員二人の計三人だけで担当していたものですから、激務のためにつぶれてしまった職員がいたという話は聞いています」(同事務局担当者)
 他府県でもある話だが、もともと奨学金をしぶしぶ受け取らざるをえなかったケースも少なくないという。だがそれも奨学金を受け取った当時は、返還も免除申請も必要がないということが安心材料ではあったのだろう。一見すると申請さえすれば免除されるわけだから美味しい話ではある。ただ一方でこんな対象者もいるという。
「すでに結婚された方に免除申請をお願いする場合は、プライバシーの問題もありますから、保護者を通じて慎重にやっています。結婚相手の方に同和奨学金を受け取っていたことを知られたくないということで保護者の方も〝なんで今になってそんな申請がいるんや〟とお叱りを受けることもありますね」(同)
 これにははっきり言って「がく然」とした。奨学生たちは「部落民」を意識し、名乗ることで奨学金を受け取っていたのではないのか? 大人になるころには堂々と「部落民」と言える世の中が来るものと信じて解放運動に参加した元解放奨学生たちは、「同和地区出身」が結婚相手にばれるのではないかと恐れながら日々を過ごしているのだろうか。未だに「部落解放」を達成できない運動体と、「府民は未だに差別をしている」と言ってはばからない行政はなんと罪深いことであろう。
 数十億円を投じた結果がこの結末である。こんな複雑な思いと、もともと無理がある同和奨学金制度のツケを背負わされる市職員たち。今後も徒労の日々が続くのだろう。(三)

草津市ゴージャス隣保館ぶっちゃけ裏事情(同和と在日2011 3)

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鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2011年3月号

自立したくても自立できない、甘やかしと甘えの構造

 本誌二〇一〇年一二月号「グラフ特集・草津市ゴージャス隣保館見学記」(示現舎ムック「同和と在日」に収録)で、滋賀県草津市の四つの同和地区にある隣保館をレポートした。そこから導きだされた結論は、作ってしまった施設は何とかして広く市民が利用するしかないということであった。しかし、その後隣保館の実情を知る地元住民から話を聞いたところ、そのような簡単な問題ではない状況が次第に見えてきた。隣保館が隣保館である以上、広く市民に使われるということはなく、さらには、隣保館こそ同和地区住民が自立できない原因だというのである。
 草津市のある同和地区の住民であり、部落解放同盟支部員でもある増田(ますだ)秀夫(ひでお)(仮名)氏からお話をうかがった。
「(同和地区は)自立できない、永遠に。自立する気ないもん」
 隣保館の事業は教育・啓発・就労の三つがセットになっている。「教育」は学校の教員による、同和地区の児童生徒を対象とした学習会である。一方、「啓発」は社会教育指導員、「就労」は職業安定協力員という市の嘱託(しょくたく)職員により行われている。隣保館の嘱託職員は、ほとんどの場合地元住民の中から採用される。つまりは〝同和枠〟である。もちろん、隣保館のトップである館長をはじめとする正職員はそうではなく、様々な部署から異動してきた普通の市職員だ。
 増田氏によれば、隣保館の正職員と嘱託職員の関係は歪(いびつ)なものであるという。
「隣保館は地域のためにあるので、館長さんも役所も地域の人にも逆らえないですよ。とくに、町会長、支部長には絶対逆らわないです」
 各同和地区に一人いる町会長は同和事業促進協議会(同促)会長でもあり、税の減免、同和住宅の入居など属人的な同和対策事業の対象者を認定する権限を持つ。「支部長」とは、言うまでもなく部落解放同盟滋賀県連合会の支部長である。これも各地区に必ず一人いる。
「支部長や町会長というのは市と対等な立場で話し合えるし、逆に市の方が気をつかいよるね」
 増田氏は、市の職員である館長について「洗脳されている」と表現する。とにかく同和地区住民が相手だと役所の職員が気を遣うというのだ。実は同和地区を一番腫れ物扱いしていて、同和地区住民を怖がっているのは、日頃一般市民を啓発する立場である行政職員ではないかと筆者は日頃から疑っているのだが、増田氏によれば、「まさにその通り」であるという。
 放課後に同和地区の児童生徒に対して行われる学習会について、増田氏は「隣の地区はそんなことやっていないのに、なんで僕らだけこんなことまでしてもらえるんだろう」と不思議に思い、特別扱いに感謝さえしていたという。しかし、中学生になって教師からそのことの意味を初めて知らされて、ショックを受けた。
 また、草津市では今でも小中学校の教師の「現地研修会」がある。教職員も、どこが同和地区で、誰が同和地区の児童生徒かということを把握させられるのである。
「そういうことをするのは、先生方に『この子らは特別に扱わないといけない』と知らしめること。半分脅しみたいなものが入っているでしょうね」
 また、草津市の同和地区には自治会館がない。自治会館といえば普通は地区の共同所有となっており、そこで町内会の活動が行われたりする。また、同和地区には公有ではあるが行政職員が常駐しない地区会館があり、地区住民の自主的な活動に利用するということもあるのだが、草津市にはそのような施設は一切ないという。隣保館自体が自治会館のような役割を果たしているのだ。例えば祭りなどの町内の行事の世話も隣保館員が行う、町内会の会計まで隣保館が手伝うこともある、地区の会合にも館長が出てくる。そのために、隣保館は夜遅くまで明かりがついている。
「こんなことしてたら、絶対に自立できない」
 増田氏はそう語り、さらに「俺らは永遠に同和で差別されるんだ、だから同和行政を続けてくれ」と言わんばかりに、行政に甘え続ける一部の住民の姿勢も問題視する。増田氏は、行政に対して同和対策事業の継続を求めている地元有力者の名前を挙げ、こう批判した。
「自立するための議論をして欲しいけど、自立してしまったら終わってしまうからね。俺らは一般市民より下でいいんやと、差別されてもいい、あいつらはそういうとこやと指さされてもいい、その代わり施策を続けてくれと。同和が好きなんや、あの人らは。税金をいつまでも奪い取りたい。過去に江戸時代に身分制度があって理不尽な扱いをしてきた先人がいる、だから施策を受ける権利があると。それなら、一般人と仲良くしたいとは思えないもんね」
 よく「2(に)ちゃんねる」等でも揶揄(やゆ)されるように「差別がなくなったら困る人達がいる」という疑いは、「内側」にも同様にあるのだ。もちろん、そういった指摘に対しては、「いや、それは逆で差別があるから施策が必要なんだ」といった言葉が返ってくる。しかし、増田氏は本当に当事者に「部落解放」に向かおうという意思があるのかについても、疑いを向ける。
「(講演などで)歳いったおっさんは『差別がなくなっても施策を続けて欲しい言っているんちゃうんや、差別をなくせと言っているんや』と、どこでも言うでしょ。でもその割には当の地区の人は誰も来てないし、無関心だね」
 啓発や講演あったとして、地区内の各戸に声をかけても人が集まらない。何とか来てもらえるように落語家や歌手を呼んで工夫しても、来るのは地区住民の一割にも満たない。
「隣保館に出入りするのは地区の者でも限られているから、例えば同盟員でも『俺らノータッチだから勝手にやってくれ』と、そんな感じの人ばっかりですよ」
 小中学校では学習会があり、解放運動に触れる機会があるが、高校生になり、そして社会人になれば解放運動との関わりが薄れる。女性であれば婦人向けのサークル活動、子供がいればPTA関係で再び解放運動と関わる機会があるが、特に独身の男性であれば、積極的に関わろうとしなければ、解放運動関係の行事に関わることはほとんどない。

同和地区と一般地区に立ちふさがる壁

 増田氏が一貫して主張するのは、「同和地区は永遠になくならない」そして「隣保館は一般の人に使ってもらえるはずがない」ということだ。
「一般の人から利用してもらうにはどうすればいいか、市の職員から相談されるけど、隣保館である以上それは無理やで。どれだけ努力しても無理」
 その理由の一つは、やはり「差別」である。
「一般の人が地区の家を買って、キャンセルしたことがある。不動産屋は、そこが同和地区なんてことは言えないもんね」「近隣の人の方が差別がすごい。なんでかというと、邪魔なんですよ。目に見えてるから」
 増田氏はそんな話をとめどなくする。そして、隣保館が一般に開かれているということも、形だけのもの過ぎないことも指摘する。
 その原因の一つは、冒頭でも触れた〝同和枠〟の問題だ。嘱託職員は同和地区の住民で、同和地区のための就労相談や、啓発活動をしているのだから、一般市民が気軽に来れるような雰囲気ではない。また、隣保館は同和地区の自治会の活動を隅から隅まで面倒を見ているが、同じことを周囲の地域にもやっているわけではない。
「〝ああゆう連中〟の施設に行けるかと周囲の人は思うよね。出入りしているだけで〝ああゆう連中〟なのかと思われてしまう」
 また、一般の人が施設を使う場合は当然使用料がかかるが、同和地区の活動のためであれば、光熱費、チラシのコピー代、料理教室の材料代まで全てタダであるという。これでは一般市民は使う気になれない。
 そして、隣保館が解放同盟が「勝ち取った」施設であることが、さらに隣保館を使いづらいものにしている。解放同盟に入っていない人は、気を遣わざるを得ない。
 ちなみに、住民と解放同盟の関係は地区によって違う。例えば、西一(にしいち)、橋岡(はしおか)地区では町内会と解放同盟支部は別だ。一方で新田(しんでん)と芦浦(あしうら)地区では町内会と解放同盟がセットになっている。つまり、町内会に入るのであれば、同時に解放同盟にも入らなければならない。
「隣保館じゃなくて公民館にすればいいかと思ったけど、それも無理やね。よく考えたら公民館は既にあるし、一集落の隣保館なのに公民館とは規模が全然違う。建物がある限り隣保館は隣保館、壊してしまうしかない」
 一二月号(示現舎ムック「同和と在日」)でもレポートした通り、草津市の隣保館はどう考えても異常であり、周囲から浮いている建物である。それは地元でも言われていることで、公民館よりも浮きすぎていて評判が悪いという。
 財政面の問題もある。現在は隣保館の運営費の四分の三が国と県から補助されてるが、公民館であればそれをほとんど市で負担しなければならなくなる。取り壊すにしても、隣保館建設にかかった費用の大部分が国からの補助であるため、その返還のために市は大きな負担を強いられることになる。結局、隣保館はそのまま続けるしかない。そして、隣保館に付随(ふずい)する啓発や就労相談などの事業も何らかの形で残り続けることになる。
「どうして自立するかという真剣が議論がないんだよ。もっと部外者の、市民の目からの意見をぶつける機会を設けてくれたらいいのに、そういう場を作らない。まあ、作れるわけないんやけど」
 そう増田氏は言う。それはその通りで、同和対策事業を批判することはおろか、同和地区名を口にするだけで差別と言われてしまうような世の中で、一般市民が意見をぶつけるなどということは期待できないだろう。
「一般の人に部落の歴史から何から勉強させるなら地区名を出すのも理解できるとか言ってますけど、そんなこと言ってたらきりないですよ」
 さらに、増田氏が指摘するのは隣保館員など啓発に関わる人が、あまりに浮世離れしていることだ。
「この前来た人権センターの人。私は高校出たときに、どえらい就職差別を受けて、県連や解放県民センターの人が動いてくれた、その恩返しを含めて職員になって働いていると。そんなんばっかりや。普通の人がそんなこと言わないよ。時代の流れに全然ついてきていない」「甲賀(こうか)の水口(みなくち)の隣保館の人が来て、結婚差別で自殺しただのという話をする。何年前の話かと思ったら平成四年か五年の話なんですよ。未だにそんな話をするのかなと。そんな話聞いてたら洗脳されますよ」
 隣保館は紛れもなく同和地区施設であり、そこで働く人も、ほとんど同和地区住民、同和問題と接し続けることになる。すると、働く人の感覚も、一般社会とはかけ離れたものになってしまうという。増田氏はそのような人を冷ややかに見ている。
「未だに結婚差別があるとか言っている人は限られてますよ。例えば会社に勤めたら、自分から同和と言うわけでもないのに、隣保館の連中は限られた世界に住んでる。だから隣保館はおかしい」
 さらに増田氏が問題視するのが、隣保館職員の採用と待遇である。
 草津市の隣保館は大きいだけでなく、職員の数も多い。例えば新田は一七人、橋岡と西一は一〇人、一番小さな芦浦でさえ七人だ。採用方法にも問題がある。
「普通は市の嘱託職員の募集があれば何十人も応募があるのに、隣保館は支部長か町会長が『あんたがやれ』と言ったらそれで通る」
 隣保館の嘱託職員の月給は一八万円。本来であれば市が定めた要綱により、嘱託職員の雇用期間は五年までで、週の勤務時間は三〇時間を超えないのが原則である。しかし、隣保館には明らかにこの原則から外れた職員がいる。
 例えば、新田会館には、かれこれ一三年間隣保館で勤務している嘱託職員がいる。また、別の隣保館のある嘱託職員は支部長をやりつつ月に一〇〇時間残業しているという(註:残業時間の問題については二〇一一年九月現在、是正されている)。
「地元採用で職員になった人が残業で金儲けしとるんですよ。それに支部長の役職の人が隣保館の嘱託をしていても、嘱託としての仕事をちゃんとまっとうしているのかと思いますよね」
 草津市職員課によれば、確かにそのような職員がいることは把握しているという。ただ、五年を超えて勤務していることについては、隣保館の嘱託職員は市長が特別に認めて長年勤務させているという。また、残業については上司の指示で行っているものなので、問題はないという。
 しかし、増田氏はこう語る。
「職業安定協力員は仕事してないですよ。これは本人が悪いんじゃなくて、もともと仕事がないのに与えている人に問題がある」
 同和対策事業終了間際に、滑り込みで国からの予算を確保して建設した隣保館。一館あたり約三億円という巨額が投じられているだけに、何とか活用の方向を模索したいところだが、考えるにつけ、どうにもならないのである。
「全部税金なのに、そのありがたみをわかっていない。だから、なくしてしまえばいい」
 増田氏は、そう切り捨てた。(鳥)

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同和事業の再来か!?アイヌの集会潜入レポート。
もはやエセ同和支援局と化した法務省人権擁護局の「人権侵犯」認定から人権を守る方法。
あの虎姫からのレポートの続編。他

※今回は「自演」と「滋賀県同和行政バトル日記」はお休みです。

●リベラルな電波グラビア館
・「5兆円よこせ」「認定するな」なんでもアリになってきたアイヌ団体
●人権擁護局から人権を守る方法
・政府の“人権関係クレーム対策部署”
・法務局が引っかかった罠
・大阪法務局の団交部屋
・法律の限界
●続・日本最大規模、虎姫改良住宅のまた貸し事件の真相に迫る!
・見えない解決策は「河清を俟つ」か?
・虎姫の「虎の尻尾」を踏んだ!?
・入居関係に問題があると思われる者とは?
・開業資金まで町から出ていた
・同和事業費が予算の半分を占める町
●声に出して読みたい「同和と在日」文献の旅
・「お前ら殺すぞ」松本龍元復興担当相の迷著はハダカの王様の証

「同和と在日2 ~大阪同和大帝国~」本日発売

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示現舎のリアル書籍の第3弾、「同和と在日2 ~大阪同和大帝国~」が本日発売です。以下の書店でお買い求めになれます。

アマゾン
模索舎(店舗・通販)

内容紹介

今回の舞台は全国でも桁違いの同和対策予算が投じられた大阪。2011年10月からは同和地区の場所を調査することを禁止する条例が施行されている。その一方で部落解放運動団体により大阪の同和地区一覧が出版されていたことが判明するなど、あまりにも“開けっぴろげ”な大阪の同和行政にホンネで迫る。

恒例の滋賀県、草津市からのレポートも掲載。

月刊「同和と在日」2011年10月号発売しました!!

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http://p.booklog.jp/book/35003

※今回は三品純が蒸発してしまったため、申し訳ございませんが「自演」と「日本最大規模、虎姫改良住宅のまた貸し事件の真相に迫る!」は休載致します。

「同和はタブーではない」(書籍版「部落ってどこ? 部落民ってだれ?」)で最後まで謎だった「部落解放同盟滋賀県連合会各支部名簿流出事件」の真相をついに解明!
あの橋下徹知事のゆかりの地、八尾市安中地区を探訪。他

●大阪府知事 橋下徹が育った同和地区を歩く
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・名簿流出の真相
●鳥取市同和対策減免対象地域非公開の理由
・同和減免と情報公開制度
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●滋賀県同和行政バトル日記⑪
・第6回口頭弁論

韓国大好き、片山善博総務相が鳥取県でやってきたこと(同和と在日2010 11)

アバター By 鳥取ループ
鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2010年11月号

 菅内閣唯一の民間人として閣僚入りした片山(かたやま)善博(よしひろ)氏。東大法学部を卒業した後に自治省に入省したエリート官僚であり、また鳥取県知事として〝改革派知事〟のさきがけとして活躍したことは記憶に新しい。東京都に導入されたホテル税に対して「東京へ来るなというメッセージだ」として石原慎太郎都知事にかみついたことや、地方分権改革推進会議が、国から地方に対する税源移譲を先送りするよう意見を出したことについて、当時の西室(にしむろ)泰三(たいぞう)議長が東芝の会長であったことから、東芝製品の不買をほのめかしたことなど、歯に衣着せぬ発言は強く印象に残るところである。
 鳥取県では、一九九九年四月に片山氏が知事に就任する前は、官選知事の時代を除いて全て鳥取県出身者が知事を務めてきた。一方、片山氏は隣の岡山県出身である。彼の鳥取県における評判はどうなのか。手始めに地元の何人かへ電話で連絡をとってみたところ、次のような答えが返ってきた。
「片山と言えば、県庁ではごっつい評判が悪かったですね。人使いが荒いし、それから、人に対する好き嫌いが激しかったので、秘書課で気に入らない人はすぐに入れ替えてしまったそうですよ」(鳥取市役所職員)
「私は片山という男のことは、ものすごく嫌いでしてなあ」(県庁OB)
 いきなりこんな調子である。
 地元関係者の話を総合するとこういうことだ。片山氏が知事になってからというもの、県庁では能力のない職員は容赦なく切り捨てられるようになった。給料も減らされた。当然のことながら、職員から良く思われるはずがない。
「県庁の職員からは悪口ばっかりだ。だけども、県庁の職員でない人間にはどうでもいいことだ」「今までは仕事ができないような職員がいつまでも辞めさせられずに置かれていた。例えばずっとうつ病をわずらっているような職員がいたが、片山知事の時代になってから閑職に置かれて、最後はクビになった。だけど、クビになったらとたんにうつ病がよくなったみたいだな」(地元関係者)
 嫌な予感を感じながら、かつて片山氏が知事として活躍した鳥取県で取材した。

片山氏と朝鮮半島

 片山氏といえば、韓国通として知られる。知事になる前から何度か韓国に通っており、知事になってからは北朝鮮を訪問したこともある。韓国語も日常会話程度ならできるという。
 ネットでは「知事は公用車を韓国の自動車メーカー『ヒュンダイ』製のものに変えさせた」という噂まで流れた。しかし、念のため県庁に確認をとったところ、知事の公用車は二〇〇二年からずっとトヨタのクラウンで、今のところ県庁の車は全て日本車だそうだ。
 しかし、片山氏が韓国語ができるということは、本人も公言しているので間違いないことである。現職の県職員に「片山さんが韓国語が得意だったのはどうしてでしょう」という疑問をぶつけてみたところ、「それは私の口から言うわけには…」と、非常に思わせぶりな答えが返ってきた。これに限らず、片山氏のことに関しては現職の県職員は口をつぐむ。片山氏と韓国の関係について、前出の県庁OBに聞いたところ
「あんた、そんなことも知らんだが」
 と言われてしまった。OBは、片山氏が知事だった頃、事あるごとに県政に異議を申し立ててきたという。一方、現職の県職員はいくら知事を退任したからと言って、片山氏のことは言いたがらないそうで、「今の県職員は義侠心のある人間というのがそれこそあらせん」ということだ。
 OBは片山氏の韓国好きについて、このような話をしてくれた。
「彼が韓国に行ったときに、伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)を暗殺した安(アン)重根(ジュングン)が書いた掛け軸を買ってきて、県立図書館に掛けとるです。それで、けしからんということで反対運動を起こして外させたんですよ」
 この掛け軸は「一(イル)日(イル)不(ブ)讀(ドク)書(ソ) 口(ク)中(ジュン)生(セン)荊(ヒョン)棘(クク)」という書で、読んで字のごとく「読書を一日しなければ、口の中にとげが生える」という意味である。韓国では学校でもよく教えられる有名な言葉で、それ自体は図書館にはぴったりのものではあるが、その由来が問題だった。掛け軸は、二〇〇二年に片山氏がソウルの「安重根義士記念館」で買ったもので、もちろん本物ではなくレプリカである。もとは額縁に入れられたものを掛け軸に作り直したものだ。OBが所属する鳥取市の政治団体「あすの日本を考える会」は「テロリストの書を図書館に掲げるとは何事か」ということで県立図書館に抗議し、その結果掛け軸は撤去された。これが二〇〇六年二月ごろのことである。
 さらにOBは話を続けた。
「赤崎(あかさき)の道の駅に朝鮮の使節の像があるんですよ。これは赤崎(あかさき)町(ちょう)(二〇〇四年九月に東伯(とうはく)町(ちょう)と合併し、琴浦(ことうら)町(ちょう)の一部となった)の町の年間予算が四一億円のときに、片山知事が三億九二〇〇万円の借金をさせて作ったんですよ。その碑文(ひぶん)の中の『日本海』という部分にカッコ書きで『東海』と書いてあった。これも、東海をカットさせて、直させたんです」
 この時も、「あすの日本を考える会」の抗議を受け、町は碑文の「東海」という部分を、二〇〇七年二月ごろに削りとった。しかし、それから約二ヵ月後、韓国民団から抗議があり、このことが日本でも韓国でも大きく報道された。共産党の青亀(あおがめ)壽宏(としひろ)町議などから碑文を元に戻すべきだとの声があがり、議会との板挟みになった当時の田中(たなか)満雄(みつお)町長は体調を崩し、入院してしまった。琴浦町役場の周辺では右翼団体の街宣車が抗議活動を行ない、騒然となった、一方海を隔てた韓国では、鳥取県と友好提携を結んでいる江原(カンウォン)道(ド)の道庁舎前で日の丸が燃やされた。
 碑文があるのは日韓友好交流公園のことで、赤碕町の中井(なかい)勲(いさお)町長により、二〇〇三年に建設されたものだ。「片山氏が町に借金をさせた」というのは正確ではないのだが、詳しくは後で述べることとしよう。
 皮肉なことに、片山氏が知事であった時期は、朝鮮半島と日本の両国民の関係が大きく転換し、双方の対立が表面化した時期と重なる。二〇〇二年のサッカー・ワールドカップが日本と韓国で共同開催されたことは、単に日韓のスポーツ交流であること以上に双方のナショナリズムが激突することでもあったし、以前からあった韓国の「反日」が日本でも広く知られるきっかけとなった。そして、同年の日朝首脳会談で北朝鮮の金正日総書記が日本人を拉致したことを認めたことから、北朝鮮に対する日本国民の感情は大きく悪化した。韓国による竹島の不法占拠、また世界的には「日本海」である海の呼称を、韓国式の「東海」に変えさせようという運動など、従来はタブー視されてきたような問題がおおっぴらに語られるようになった。ただ諸手を上げて友好を叫ぶだけでは済まない、国際関係の現実を片山氏も強く感じたのではないだろうか。
 それにしても、片山氏はなぜ韓国びいきなのか。OBは岡山県赤磐(あかいわ)郡瀬戸(せと)町(ちょう)鍛冶屋(かじや)(現在の岡山市東区瀬戸町鍛冶屋)にある、片山氏の実家の近くまで行ってみたという。そこで聞いた近隣の人の話によれば片山氏の祖父は安政時代に朝鮮から来て日本国民になったというのだ。
「近くに日蓮宗のお寺があって、その近くで掃除をしていたお爺さんが、子供の頃の片山氏を知っていたので、片山家の墓はどこにあるか聞いてみた。そしたら、『あの衆はこのお寺にまつってもらえるような人種じゃあらせん』と言うだが」
 しかし、それもその程度の話で、「片山氏は朝鮮人」ということについて確たる証拠はないという。そもそも安政時代と言えば片山氏からすれば祖父どころか曾祖父ないしは高祖父、つまり「ひいひいじいさん」くらいの代である。本当に朝鮮からの渡来人だったとしても、それほど前の代のことであれば、今さら朝鮮人とは言えないし、現在の片山氏に影響しているとは考えにくいだろう。
 OBによれば「奥さんも同族で、知事公舎で朝鮮語で会話していた」と、言いたい放題である。なお、配偶者の弘子(ひろこ)氏とは幼ななじみである。弘子氏は片山氏が知事に就任してまもない頃に悪性リンパ腫を患い、二〇〇九年七月一七日に死別している。新聞報道によれば、葬儀はキリスト教会の関係者と共に行ったということだ。しかし、別の地元住民によれば、弘子氏の実家は黒住(くろずみ)教だという。なぜなら、知事選挙の時に黒住教本部から鳥取県内の黒住教の家に、弘子氏を通じて黒住教と縁のある片山氏に投票するように要請が来たということである。黒住教と言えば岡山が発祥の地であるので、弘子氏の実家が黒住教だったとしても不思議ではない。それにしても「朝鮮人」が天照太神を祭る神道の黒住教に入るのか? OBに疑問をぶつけてみたが、
「黒住は朝鮮人だで」
 といった調子である。

環日本海国際交流ブーム(?)の火付け人

〝片山善博朝鮮人説〟は信ぴょう性が低いと言わざるをえないが、片山氏がなぜ韓国びいきなのかは、自身の著書「地域間交流が外交を変える」(光文社)の中で本人が語っていることが本当のところだろう。著書によればこういうことだ。
 一九八四年、片山氏は国土庁土地政策課で地価の高騰対策の仕事をしていた。海外の土地対策の政策調査のために当初はニューヨーク行きを予定していたが、予算の都合で上司から韓国行きを命じられる。当時の片山氏の仕事は「一日一冊本が読めるくらいに暇だった」ため、それを期に独学で韓国語を勉強した。
 一九九三年にはさらに彼の韓国趣味に拍車がかかる。その年、中国五県の総務部長会議が仁風閣(じんぷうかく)宝隆院(ほうりゅういん)で行われることになったため、当時鳥取県の総務部長だった片山氏は会場の床の間に飾るのに適当なものはないかと県立図書館館長に尋ねた。そこで館長が見つけてきたのが「漂流朝鮮人之図」という掛け軸である。これは一八一九(文政二)年に赤崎に漂着した朝鮮人を描いたものである。興味を持った片山氏は、わざわざ韓国・江原道に出向き、掛け軸に描かれた朝鮮人の子孫捜しをはじめた。片山氏の韓国人脈は、この時に築かれたものである。それが縁となり、一九九四年、鳥取県は韓国・江原道と友好提携を結んだ。鳥取県と韓国との密接な関係は、片山氏が知事になるずっと前から片山氏により築かれたと言って間違いないのである。
 実は筆者も当時の思い出がある。一九九五年に「鳥取県青少年洋上国際セミナー」というイベントがあった。高校で各学年に一人、タダ同然で一週間韓国旅行ができるということだったので、物好きだった私が志願した。その年は鳥取県で全国高等学校総合体育大会があり、韓国の高校生も招待された。どこに行ってもとにかく「環日本海交流」を呼びかける、そんな年だった。しかし、一学年に二五〇人くらいはいた私の高校で、名乗りをあげたのが、私たった一人だけだったのだから、一般の県民にとってどの程度の盛り上がりだったか、おおよそ察しがつくだろう。
 事前の研修では鳥取大学の留学生という韓国人女性が講師として出てきた。その年は終戦五〇周年でもあったのだが、当時上映していた神山(こうやま)征二郎(せいじろう)監督の「ひめゆりの塔」や、広島の平和記念式典のことを引き合いに「まるで日本が被害者のようでおかしい」と用意したプリントまで配って非難したかと思えば、「キムチ」の発音にやたらこだわって「〝kimuchi〟じゃない〝kimchi〟だ!」と怒るなど、なかなかエキセントリックな人であった。これから行く国にはこのような人ばかりなのかと不安になったが、今になって思えば、単なる人選ミスである。
 ともあれ、一週間の「韓国旅行」は私にとってはよい経験になった。当時はアジア通貨危機直前の韓国が最も輝いていた時代であったから、韓国側は産業や観光をアピールしていた。感じたのはそんな韓国側と我々の温度差である。韓国国民は日本国民と比べると国粋主義的と言えるくらいのナショナリズムの国であり、国民は自分の国のことを自慢することをはばからない。そして韓国は日本以上に競争社会であり、弱肉強食の国である。韓国側から出てくるのはエリート高校の生徒だ。かたや我々はほぼ無差別に集められた中高生、上司の頼みで送られてきた、あまりやる気の無さそうな町役場や村役場の職員という烏合の衆である。我々は何度も何度も時間も守れずだらだらと行動し、船上の朝礼で引導者に怒られるような有様であった。
 二年後にはアジア通貨危機があり、韓国は未曾有の経済危機に陥るのだが、それでも鳥取県と韓国との交流事業は続けられた。その頃既に片山氏は鳥取県を離れ、自治省に戻っていた。再び鳥取県に戻るのは知事になったときである。

学芸会県政

 鳥取県知事となった片山氏が最初に手をつけたのが、県議会改革である。片山氏は、就任早々県議会の現状を「学芸会だ」と言って批判した。当時の県政について、鉄永(てつなが)幸紀(ゆきのり)元県議会議長に話をうかがった。
「学芸会ということの意味は、議会の前に議員が質問通告書を出すのは当然のこととしても、質問に対する知事側の答弁、さらに議員の追求の内容までもが事前の根回しで決められていたということです」
 議会の前になると、議員から当局に対して議会での質問事項を書いた質問通告書を提出する。それをもとに県の職員が回答を準備し、知事が答弁する。それに対してさらに議員が追求するという形で議会での論戦が行われるわけだが、それが全て事前のシナリオ通りに行われていたというのである。
 それが、片山氏が知事になってからは、議員の質問に対して知事がどのように答弁するのかは、議会の本番まで分からなくなった。当然、知事の答弁に対する議員の追求の内容も分からない。論戦が成立するようにするには、双方ともに役人任せにするのではなく、議題について事前の幅広い調査が必要になる。
 しかし、意外にも鉄永氏自身はこの知事のやり方に違和感は感じなかったという。
「私は県議会議員になる前は青谷(あおや)町(ちょう)議会の議員をしていましたが、質問通告書を出してそのままというのは当然のことでしたよ。逆に今までの県議会のやり方に違和感を持っていました。まあ、他の議員で戸惑った方はいたようですね」
 しかし、それで議会が全て知事のペースになってしまうということはなかったのだろうか。鉄永氏によれば、むしろ逆だという。
「片山さんはスポンジみたいなものですよ。何でも吸収してしまうんですよ。議会が提案すれば、『え、こんなことが?』というようなことがあっさりと通ってしまうという面がありました。もっとも、『箱物を作れ』みたいな提案は通らないと分かっていたので、最初からしなかったですけどね」
 個性的な「改革派知事」にしては意外な一面である。片山氏の政治手法は、原理原則、総論については非常に強い主張を持つ反面、各論については民意、つまりは議会に委ねるということのようである。それは片山氏の優れた点でもあるが、後述する「人権救済条例」の一件では、そのことが原因で足元をすくわれることになった。

改革派知事のさきがけ

 片山氏は、二〇〇九年八月二九日岡山大学で開催された「第16回全国市民オンブズマン岡山大会」の講演で、自身の業績を次のように自画自賛した。
「鳥取県には六〇〇〇億円くらいの借金がありまして、私は八年間知事をやりましたが、毎年毎年、六〇〇億円+α(プラスアルファ)くらい借金を返していました」「何を一番手応えのある仕事をされましたかと聞かれましたから、借金を返したことと答えました」
 この話にはかなり誇張がある。県財政課に問い合わせたところ、「片山さんがそんなことを言われたんですか?」と驚かれてしまった。県財政課がインターネットで公開している資料によれば、片山氏が知事に就任した一九九九年の県の借金は四九五七億円である。片山氏が言う六〇〇億円というのは、借金を返すために、利子を含めて毎年それだけの支出があったということである。元金の返還額は二〇〇四年の五九一億円がピークとして、毎年五〇〇億円程度である。しかも、新たな借入もあるので、実際は一〇〇~二二一億円くらいが実質的な借金の減少額である。
 しかし、これにもからくりがある。平成一三年度からは、地方交付税が減額され、不足分を臨時財政対策債(臨財債)として借り入れるようになった。臨財債は償還費用を将来の地方交付税で国が補填するとされてはいるが、県の借金であることには変わりない。臨財債の借り入れは毎年三〇〇億円前後もあるため、実は純粋な意味で鳥取県の借金が減ったことは一度もないのである。
 片山氏が退任した二〇〇七年の鳥取県の借金は総額六一四九億円である。しかし、臨財債による借金は国の責任という面があるので、その分を引けば四六〇三億円。つまり、片山氏が就任中に返した借金の額は三五四億円だ。
 それでは、どのように借金を返したのか。鉄永氏はそのことについて開口一番こう言った。
「基金がだいぶ減っていますね」
 基金というのは、貯金である。片山氏の就任当時一〇一四億円あった基金が、退任時には四〇三億円に減っている。その差は六一一億円であるから、借金以上に貯金も減ってしまったのである。しかし、借金を返すための努力はそれだけではない。
「支出を減らしたんですよ。まず、公共事業を減らしました。そして平成一三年から平均で五%人件費をカットしました。」
 これら財政の健全化は全て片山氏が主導したことなのかというと、必ずしもそうではないようだ。
「公共事業を減らすのは片山さんの方針でしたが、最終的に議会の責任でやったことです。それから、企業でも何でも財政を立て直すなら人件費から手をつけるのが筋ですから、人件費のカットは議会から提案したものです。私としても以前から必要だと考えていたことを、片山さんの時代にやったということです」
 さらに「わたり」という不合理な給与制度をなくした。「わたり」とは勤続年数が長いという理由だけで、実際の職務よりも上級の給与を支給することである。また、現業職の給与が民間に比べて高すぎたので、これも是正した。鉄永氏は当時のことをこう語る。
「もちろん、県の職員はこころよく思わなかったでしょうね。自民党政調会長だった私は恨(うら)まれ役になりましたから、ずいぶん票を減らしましたよ」
 あまりにも能力に問題がある職員に退職を勧告することが行われたのも、片山氏が知事になってからである。片山氏が退任した後も人件費削減の努力は続けられ、最初は一〇〇〇億円以上あった人件費が二〇〇九年までには約九五〇億円に削減された。
 そして、片山氏と言えば情報公開である。審議会の議事録が公開され、予算書などあらゆる情報がインターネットで公開されて透明化された。議会も片山氏の改革に呼応して、インターネットライブ中継をはじめた。二〇〇四年には全国市民オンブズマン連絡会議が発表した「全国情報公開度ランキング」で、鳥取県が一位になっている。
 改革派知事のさきがけとしての片山氏の成果は全国的にも注目された。鉄永氏は当時の状況をこう語る。
「いろいろな県から、とにかくいっぱい視察が来てましたね」
 一方で、産業界に対する片山氏の姿勢は、非常にドライであった。
「片山さんは産業界からはあまり評価されてはいなかったですね。とにかく自立ということと、やる気のある人とやっていこうということですから」
「自立」ということは、片山氏の政策を表す一つのキーワードである。公共事業の削減は全国的な流れではあったが、鳥取県はそれを比較的先駆けて行った。結果として多くの建設業者がつぶれた。片山氏が退任した直後の二〇〇七年の夏ごろ、私は県内の土建業者を取材していたが、県の指名競争入札でAランクとされる業者に電話してみたところ、もう会社をたたんでしまっていたということがあった。他の土建業者が「最近は県の研修でも自立しろと言われる。要は転職しろということだ」とぼやいていたことが思い出される。
 このようなドライなスタンスは市町村に対しても同様であった。前述の日韓友好交流公園の建設のために、当時の赤碕町が三億九二〇〇万円という巨額をすんなりと借り入れることができたのは、このような片山氏のスタンスゆえだろう。市町村が借金をするためには都道府県の許可が必要であるが、片山県政のもとでは事実上フリーパスだったようだ。鉄永氏はこう語る。
「片山さんの考えは自己責任ということでしたからね。市町村が借金をするのを許可しないということは、私が知る限りなかったと思いますよ」

人権救済条例騒動

 片山氏と県議会と言えば「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例(人権救済条例)」のことを外すわけにはいかないであろう。この条例は全国初の人権救済を目的とした条例として二〇〇五年九月一二日に鳴り物入りで成立した。しかし、条例の内容が非常にずさんなものであったことから全国から非難が殺到し、二〇〇六年三月二八日には施行停止、二〇〇九年三月二五日には廃止に追い込まれた。
 この条例は杉根(すぎね)修(おさむ)議員(当時)の提案により片山氏が推進したものだ。鉄永氏によれば、この条例の中身について、当時の多くの議員は無関心であったという。
「細かいことには頓着しなかったですね。人権を守るならいいことだ、その程度に考えていました。総論はよくても各論で問題が起こってしまった典型例でしょうね」
 条例を作るにあたって「人権尊重の社会づくり委員会」が条例の内容について審議した。その委員の人選についても議会は無関心であったようだ。鉄永氏に、例えば委員に朝鮮総連関係者が入っていたことについて、どのような経緯があったのか尋ねた。
「委員に朝鮮総連関係者が入っているということは、条例が成立して騒ぎになってから知ったことです。もちろん、片山さんは知っていたはずですよ。委員は知事が任命することになっているんですから」
 そもそも人権救済条例の中味についても議会ではほとんど議論されず、片山氏と、委員会任せの状態となっていたのである。私の手元に当時の人権尊重の社会づくり委員会名簿と、委員による定例の協議会と、人権救済条例の原案を作るための人権侵害救済検討会の議事録がある。そこから、多くの問題が浮かび上がってくる。
 条例の内容を検討した委員の中には、単に人権を守ろうというのではなく、条例を利用して県内の市町村の政策に干渉しようという意図を持つ人がいた。例えば、朝鮮総連鳥取県本部委員長の朴(パク)井愚(チョンオ)委員は、二〇〇四年一一月一八日の鳥取県人権尊重の社会づくり協議会でこう発言している。
「具体的事例となりますと、在日韓国朝鮮人の年金の不利益の問題があります。これは国がそういう具合に制度をつくりました。国籍条項とかです。県内で市町村をかけずり回っても一九二七年以前に生まれた高齢者には不払いというふうにほとんどの市町村がそうです。岩美町は一九三二年一月一日以前に生まれたものを高齢者とみなし、満七〇歳以上になると福祉手当を出すと、で中山町は三万円で四市が二万五千円です。こういった問題をこの人権相談の窓口で救済せよということは、これは救済の対象になるとみなしていいのでしょうか」
 つまり、在日韓国朝鮮人の年金未加入者に年金が支払われないことについて、人権救済の申し立てをしようと考えているわけである。それに対し、中島(なかじま)弘(ひろし)人権局長は「行政なり政治の施策の判断で行われているものについては対象には考えておりません」と答えている。
 さらに、条例自体にまで地方自治に反する内容が入れられてしまった。人権救済条例には、人権侵害の事実を通報できない場合として、次の規定がある(第17条第3項第5号)。

申立て又は通報の原因となる事実が本県以外で起こったものであること(人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれのある者が県民である場合を除く。)。

 これは「鳥取県民に対する人権侵害は取り締まるが、鳥取県民による他都道府県民に対する人権侵害は取り締まらない」と取れるものであり、これ自体が差別的な規定だとして全国から非難が殺到する原因となった。しかし、この規定は単なるミスで入れられたものではなく、委員らの強硬な主張によって入れられたものである。
 二〇〇四年六月二二日の人権救済制度検討委員会議事録によれば、松田(まつだ)章義(あきよし)委員が、次のように条例の県外への適用を強く主張している。
「やっぱり、県民が県外で被害を受けた場合、人権委員会に申し出た場合は、それを受けて、県外の役所にこういう申し出があったか調べてくれないというような、県外の役所との調整とか斡旋とかいうことをすすめていかないと、被害者の救済などできないではないか。特に、調査が困難だから適用外などというのは冷たい。こんな文言が出てきたらふくろ叩きにあうのでは」
 これに國歳(くにとし)眞臣(まおみ)、椋田(むくだ)昇一(しょういち)、藤村(ふじむら)梨沙(りさ)の各委員が同調する発言をした。それに対し、中島人権局長が「そもそも条例はその自治体の中だけで有効なもので、県外への適用は不可能だ」と説明したことから、会議が紛糾した。藤村委員に至っては「委員を辞めたい」と何度も述べ、強硬に県外への適用を主張した。このとき、中島人権局長は県外への適用が不可能なことを知事は認識しており「県外のことは仕方ない」という姿勢であったことを説明している。
 しかし、結局は片山氏も不可能と考えていた県外適用の規定が入れられた条例が、委員会の案として出されてしまった。本来であれば、議会で問題とされるべきであるが、その議会は前述のような状態である。片山氏は当初から条例の制定を推進し、自らが任命した委員会にかけて条例案を作成した手前、自らそれに反対するわけにもいかず、多くの問題をかかえたまま条例案は可決してしまった。これは片山氏も想定していなかったことではなかっただろうか。皮肉にも、主に県外から「ふくろ叩き」にあってしまった。
 鳥取県で「人権」と言えば、それは「同和対策」のことであった。弱小県である鳥取県は国の同和対策の恩恵を最も大きく受けた県であるし、また二〇〇〇年ごろまで、部落解放同盟から行政や企業への糾弾が頻繁に行われた。そのため、人権に関わることについて、はっきりと批判的な意見を言えないだけでなく、原理原則が平気で曲げられてしまうような雰囲気が蔓延していた。また、議会に限らず多くの県民の態度は「無関心」であるから、結果として言った者勝ちのような状態になった。
 例えば二〇〇五年には県の公文書から性別の記載をなくすように各種規定が変更された。これは前出の人権救済制度検討委員会の藤村梨紗氏が呼びかけたものである。藤村氏自身が男性から女性への性同一性障害であり、「性別の記載を求められることが苦痛だ」というのがその理由である。しかし、そもそも「藤村梨紗」という名前自体が本名でなく、委員会でも女性風の名前を通している。本音は「性別欄に男でなく女と書きたい」ということは明らかなのに、なぜか「性別自体の記載をなくす」という奇妙な主張が通ってしまった。結局、医療機関や福祉施設のようなところでは、さすがにそれは不便ということで現場判断で性別の記載が戻されているのが実態である。
 同時期に「人権に配慮するため」として県の公文書から元号の記載がなくなった。誰の人権に配慮するという意味なのか聞いてみると「日本の元号になじみのない外国人に配慮した」というのである。しかし、考えて見れば県の公文書はほとんど全て日本語で書かれており、日本語を読める外国人が元号を知らないということはあり得ないし、元号と西暦の換算を不便と感じるのは外国人に限らないので、どう考えてもつじつまの合わない話だ。それなのに通ってしまったのである。背景にあるのは、鳥取県特有の「同和教育」である。子供が小学校に通っている地元関係者によれば「元号は天皇制を認めるから使わないと、子供が学校の同和教育で教えられた」ということだ。
 二〇〇六年からは男女共同参画を推進している企業を県の入札で優遇するという制度が導入された。しかし、伝統的に女性の就業率が高い鳥取県で必要なことなのか、育児休暇などの要件をクリアできるのはもともと余裕のある企業であるため、実質は単なる大企業優遇ではないかということなど、突っ込みどころは多い。そもそも、給料が低いから夫婦共働きでないと暮らせないというのが鳥取県の実情なのだ。
 そのような体質が人権救済条例騒動を期に変わったかと言えば、そうでもないようだ。例えば二〇一〇年八月にもこんなことがあった。同和対策に批判的な共産党系の団体である「鳥取県地域人権運動連合」(鳥取県人権連)が、県の「県民自ら行う人権学習支援補助事業補助金」の交付を申請したところ、県は「部落差別が現存するかぎり同和行政は続けるという県の基本方針に沿わないため」という理由で助成を断った。
 人権という概念のあり方については、様々な意見があるはずだが、税金を使って県の方針に肯定的な意見だけを増長させ、批判的な意見を相対的に排除する体質は残念ながら変わっていないように思う。いくら住民の意見を汲みとっても、情報公開を推進しても、行政が堂々と世論誘導をするようでは、それは見せかけだけの民主主義でしかない。

片山氏が去った後

 鉄永氏に片山県政について、点数をつけて頂いた。
「七〇~八〇点というところでしょう」
 意外に高得点である。では残りの二〇~三〇点は何が不足していたのか。
「ポピュリズム的な面があったと思います。それから、原理原則にこだわりすぎ、情に欠けていた。気に入らない人を排除して、最後の方には周囲がイエスマンばかりになっていたのではないか」
 最後に、総務大臣としての片山氏への要望をうかがった。
「鳥取県のような、弱い地域に配慮した基準を作るようにして欲しい。知事を経験し、現場を知っている片山氏には期待しています」
「学芸会」ではなくなった議会、人件費のカット、情報公開といった片山氏の政策は、片山氏と同様県外出身である平井(ひらい)伸治(しんじ)氏が知事になってからも引き継がれている。しかし、〝ドライ〟だった片山県政の反省もあり、平井知事になってからは産業に力を入れるようになり、市町村と協力するスタンスへと変わってきているという。
 片山氏が目指したのは「教科書通りの地方自治」であったように思う。議会での議論が尊重され、意見を言えば通る、議論の前提となる情報も公開される。一見すると民主主義の要件は満たしている。しかし、一方では声の大きな人の意見が通り、そうでない人は報われない面があった。人権、男女共同参画、国際交流といった、華々しいキーワードはメディア受けするのは確かだが、県民にとって重要なのは働く場所がない、収入が増えないといった日々の生活の問題であり、そのような県民の非常に冷めた見方とのギャップを感じた。
 政治家は、声の大きい人の「熱い理想」だけでなく、庶民の「冷たい本音」にも公平に耳を傾ける必要がある。片山氏の総務大臣としての能力が正しい方向へと生かされるかどうかは、今の国会が本音での議論をどこまでできるかにかかっているだろう。(鳥)

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・踊らされた運動体と行政
●滋賀県同和行政バトル日記⑩
・第5回口頭弁論

・「緑色の地区界」は個人情報か

現地ルポ 〝プロ同和〟村﨑太郎が語らざる共産党・人権連の不都合な関係(同和と在日2011 1)

アバター By 鳥取ループ
三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年1月号

 バブル景気にわく八〇年代後半、バラエティー番組などに若い猿回し芸人が登場した。彼に操られる猿は机に手をついて「反省!」というポーズを披露した。いかにも人間臭い動作で芸人も猿も瞬く間に人気者になっていた。あれから数十年、彼は「同和地区の出身者」であることをカミングアウトした。もちろん「弱者」「差別」などの言葉を好むメディアが放っておくはずもない。TV、新聞、雑誌で彼を取り上げた。そして今では猿回し芸だけでなく、各地で「人権問題」の講演や執筆を続けている。「猿回し芸人・村﨑太郎」その人である。
 村﨑は一九六一年、山口県光市浅江(あさえ)に生まれる。後に詳しく説明するが自身が語るとおりこの地は同和地区だった。村﨑の父、義正(よしまさ)(故人)もこの地で生まれ、やがて解放運動に身を投じた。一九七〇年には日本共産党の市議にもなりインフラ整備や生活改善に尽力した。
 村﨑はカミングアウトについて妻との共著『橋はかかる』の中で「二年前に被差別部落出身であることをカミングアウトして以降、私は小さなカミングアウトを囁(ささや)かれる」としている。二年前とは、二〇〇八年一二月二八日の『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)に出演したときのこと。村﨑にとってはこれが〝カミングアウト元年〟ということになるようだ。
 確かにTVメディアという反響を鑑みれば、出版物とまた別の意味があるかもしれない。ただ作家、立花隆の『青春漂流』(一九八五年)の中ですでに村﨑が被差別部落出身であることを話している。解放運動家、父、義正氏は『怒りの砂 高州(たかす)解放運動の歩み』(一九七六年)の中でも太郎についてその思いを綴(つづ)っている。本書の奥付には発行所名に「山口県部落解放連合会」「光市協議会」の名がクレジットされるように、一般向けの書物ではなく、関係諸団体に配布する非売品だ。
 もともと本書の読者は限定的の上、今やほぼ入手困難。だから露出という意味ではTVや大手出版社の書籍とは比べ物にならないが、ただ彼の出自を知ることは本書で可能だ。
 彼は、月九ドラマを手がけるなど著名なテレビプロデューサーの栗原美和子と二〇〇七年夏に、再婚。彼女もまた在日韓国人と日本人の恋愛をテーマにした『東京湾景』(二〇〇四年)を担当するなど、人権や社会弱者といった題材を好む。
 栗原との再婚後はメディアでの活動も活発になっていく。それは本業の猿回しよりも、自身の生い立ちや同和問題をテーマにしたものが目立つ。栗原自身も二〇〇八年に、私小説『太郎が恋をする頃までには・・・』(幻冬舎)を出版するなど、夫を通じて同和問題に取り組むようになった。時には夫婦でメディアに登場することもある。
『女性自身』の「シリーズ人間」(No・1982)で、村﨑は妻と一緒にインタビューを受けた。普段は芸能スキャンダル、料理、韓流ドラマ、こんな俗っぽい内容が並ぶ女性週刊誌の中で同和問題を扱うというのも珍しい。これも猿回し芸人と月九ドラマのプロデューサーという肩書きがあってのことだろう。
 村﨑はインタビューの中でこう少年時代をふりかえっている。
「家はトタン屋根の掘建(ほった)て小屋。雨が降れば泥だらけになる砂利道に囲まれていた。事故で死んだ犬を拾ってさばき、干して保存食にするような貧しい生活。外の大人たちからは「部落の子やから普通やない」と言われ、友達からも「親に、村﨑の家に遊びにいってはいかん、と言われた」と囁(ささや)かれた。
 解放同盟系の機関紙や刊行物でもよく見られるエピソードである。さて冒頭、彼の父親について日本共産党の名が出たところに、違和感を持つ人もいるかもしれない。村﨑自身の「同和問題」における主張やスタンスは、父が所属した共産党、人権連とは異なり、部落解放同盟のそれとほぼ同質のものである。
現在、村﨑自身はむしろ解放同盟と蜜月の関係だ。
「シリーズ人間」のインタビューでは、最後に組坂(くみさか)繁之(しげゆき)部落解放同盟中央執行委員長も登場し、村﨑夫婦に賛辞の言葉を述べている。
「お二人は、部落の者と部落外の者との結婚の、希望の光です」とある。大手メディアが「同和問題」を扱うときのある意味、定型句やパターンを踏襲しながら構成された内容だった。だがどうも村﨑の言説には何かと疑問を感じる。彼は少年時代についての貧困を語っている。
 これもどうだろうか。実はもともと村﨑の出身地が判明したのはもう一つの理由があった。埼玉県に「黒須(くろす)建設」という会社がある。このHP上で、村﨑の同級生を名乗る役員がこんな自己紹介文を掲載した。すると一気にネット上で拡散されることになる。それがこの一文だ。

山口県光市浅江の出身です。保育園から中学校まで、
周防(すおう)
猿回しの会で活躍中の村﨑太郎君と同級生でした。彼は中学生の時、走るのが速くて目立っていました。三年生の時、市内一周駅伝に同じチームで参加し7区間ほとんどで区間賞の完全優勝でした。

最近新聞で、若くて綺麗でスリムな人と再婚した記事が載っていました。大変
羨(うらや)
ましく思います。うちの奥様は少し太めです。

 この言だけを見れば、村﨑が訴えるほどの窮状(きゅうじょう)はさほど感じない。また村﨑はインタービューで「親に、村﨑の家に遊びにいってはいかん、と言われた」という。そうだろうか。『怒りの砂』で義正氏はあとがきでこうしめくくっている。

 つい最近のことだが、玄関のブザーが鳴るので出てみたら、女子高生たちが五人立っていた。「知雄(ともお)さん居ますか」と聞くので、「居ますよ」と答えて応接間に通した。知雄が出てゆき、一緒に三時間ばかり、雑談したり、レコードを聞いたりしていたらしいが、翌日、太郎が「知雄兄ちゃんのところへ昨日女の子が五人で押掛けて来た」と私に報告した。「知っているよ」と答えると「すごいね」と云う。青年達の、伸々とした生活や活動をみていて、日本共産党の宮本委員長が先般光市に帰郷されて、「時は無駄に流れていない」と、しみじみ云われたが、私も、つくづく、そう思う。

 知雄とは三男だ。ここで描写されている村﨑家と太郎が講演会で話す家庭の様子とイメージ異なる。

これがほとんどノンフィクション!?

 一方、栗原はインタビューで『太郎が恋をする頃までには・・・』についてこう語る。

壮絶な半生を過ごしてきた男と、それを伴侶として受け止めようとする女の心の叫びが綴られている。美和子さんは「内容はほとんどノンフィクションです」と言い切る

 なるほど〝ノンフィクション〟か。本作は説明の必要もないだろうが、典型的な被差別部落像で構成されている。話は太郎をモチーフにしたハジメという青年が東京進出は故郷を隠すものだったと告白することから始まる。差別から逃れたくて故郷を捨てた、と。それで結婚差別である。結婚相手が被差別部落出身ということを理由に親族がつきあいを断ってくる、とまあ見事なばかりの前近代的な「部落像」が描かれている。
 そしてハジメは「俺のはじめての恋は成就(じょうじゅ)しなかった。成就できる世の中になっていなかった」と叫ぶ。
 彼女によればこれも「ほとんどノンフィクション」ということだ。どの程度の取材をしたのだろう。
 彼の叔父、村﨑勝利(かつとし)全国人権連副議長は『いのち輝け:解放運動に生きる』(兵庫部落問題研究所)の中で一族の結婚問題についてこう書いている。

 いい機会なので、この親族の部落内外の自由な結婚について、あれこれ考えてみた。まず、私の兄弟の関係で、長男が一九三〇年(昭和五)年生まれで六十五歳、末弟が四十三歳という年代である(中略)ところでこの兄弟の結婚のうち、部落内結婚が四組で、当然ながらここには部落差別の問題はない。紹介したいのは、部落内外結婚が五組で、部落出身を理由に反対されたのは私のときだけだ、ということである。一方、まだ差別が厳しいといわれたこの時期に、長男は見合い結婚をしている。私のとき以外はすべての兄弟が両親族の祝福のもとに結婚している。

 また私の子供三人も含め、甥と姪たち二十五人のうち、すでに十五人が結婚したが、そのすべてが部落内外の結婚である。このうち「部落」が問題となってクレームのついた組もあるようだが、結婚する当事者や周囲の説得で納得し、それぞれが家族、親戚の祝福のもとに新しい生活を開始し、親戚つき合いも深め合っている。

 まるで島崎藤村の『破戒』のような世界観を持つ「太郎が恋をする頃までには」とは随分、異なる状況が説明されている。
 勝利氏は「ともかく、部落問題で最も解決のむつかしい課題といわれた、部落内外の自由な結婚は、私の親族の状況から見ても、ほぼ解決した問題といえないだろうか」と締めている。
 ところが村﨑夫婦は「結婚差別は存在する」という。だが勝利氏が説明した通り、少なくとも村﨑一族内ではその問題は解決しているようだ。ただこうした実態はこの夫婦から語られることはない。ひたすら「差別残酷物語」の語り部のようにメディアで部落差別を訴える。それも一つの方程式のような体裁の記事によって、だ。
 

テレビドラマプロデューサーで、被差別部落出身の男性との結婚を公表している栗原美和子さんが十二月十一日、「差別のない社会をめざして-橋はかかる」と題して富岡市七日市の市生涯学習センターで講演する(中略)二人の親は一時、結婚に反対した。村﨑さんは被差別部落の出身を公表後、仕事が減ったが、ハンセン病の回復者や被爆者など弱者に芸を披露する日々を送っている

(『東京新聞』二〇一〇年一一月二九日)

猿回し師として、名前が知られるようになった自分が告白することで、問題が解決に向かうことを期待したのだ。

 しかし期待に反して、メディアに取り上げられることはほとんどなく、イベントなどの仕事も減り、 「まだタブーなのだ」と思い知らされた

(『読売新聞』二〇一〇年九月二七日)

 両氏の新聞記事のインタビューを抜粋した。記事は「被差別部落出身の男性との結婚を公表している」との記述もあるが、結婚し、公表することが「立派なこと」だとは思えない。なぜなら勝利氏が語っているようにそのようなカップルはいくらでもいるわけで、今さらそれを勲章のように振りかざすことに何の意味があるのだろか。
 また「被差別部落の出身を公表後、仕事が減った」「イベントなどの仕事も減り」という同意義の記述もある。そうだろうか。こうしてインタビューで取り上げてもらい、ドラマも小説も自叙伝も出した。無論、それは「被差別部落出身」という肩書きがあってのことだろう。仮に村﨑が地区外出身者だったらば、こうしたメディアのアクションはあったとは思えない。
 現に九月の読売の記事は村﨑の講演会の告知も掲載されていた。講演会は仕事ではないのか。

村﨑節炸裂! 松本人志は九九ができない

 そしてひたすら「差別」を訴える。二〇一〇年一二月四日、横浜市が主催した横浜市人権講演会
「村﨑太郎トークライブ&猿まわし」での話。この日も〝村﨑節〟は健在だった。
 一五分程度の猿まわしの後、講演が始まった。参加者によると「プロの芸人だから岡村みたいに欝(うつ)になって休んでいる間もない。あれは絶対に欝だ」こんな調子で始まったトークは「中学校の時、勉強は全然していなかった。その頃の先生はお前はどんなに頑張っても、いい学校へ行っても入れて市役所かな、あとは教師か、と言った。九九もできなかった。松本人志も九九ができないらしい。松本もそのへんで生まれている。やめよう。また問題発言だ」と続いたという。
 そして「〝みなさんが知らないだけで、今でも部落問題で若い人達が何人も自殺しています〟と訴えました」(参加者)。もっともこの手の話は、村﨑の講演会や著書を見れば別段、珍しい話でもないが、一連の発言の根拠を問うた。
 すると専属の弁護士の名前で膨大な回答文が送られてきた。(全回答文は後に掲載)
自殺の問題について回答文を抜粋する。

 村﨑はここ二年の間、日本各地のマイノリティの方々を訪ね、交流を持っております。多くの若者たちとも懇親会を重ねてきました。その中で得た情報を基にしたものが上述の発言であり、学者が統計で出したものではなく、村﨑が自分の目と耳で直接得た情報のため、この点のデータ、統計が村﨑の手元にあるわけではありません。村﨑は自分の足を使って色々なところを旅して訪れています。被差別部落だけではなく、ハンセン病の元患者さんが暮らす療養所や被爆者の方や限界集落のお年寄り等々、直接触れ合わなければ知りえないことを、村﨑は当人たちから得ています。村﨑がカミングアウトという行動に出たのはそれが目的です

 この点も疑問だ。なぜならば自身の経験則だけを自殺の根拠にするならば、いくらでも言いようがある。しかも彼のように「被差別部落出身者」が語れば、少なくとも一般人は反論さえできないのがこの種の言説の特徴だ。しかも弱者救済にカミングアウトが必要だったという。逆に言えば、カミングアウトしなければそうした行動はできないだろうか。世の中、被差別部落出身者でなくても。彼のいうところの療養所や被爆者の方や限界集落に触れ合う人はいるだろう。
 彼はカミングアウトしてから、仕事は減ったとも言った。横浜市市民局人権課によるとこの講演会のギャランティーはシステムブレーンという仲介業者に七〇万円支払ったという。うちどれだけ村﨑の手元に渡ったのか、分からないが「業者を介したとしても七〇万円はかなり高額な部類」(横浜市関係者)という。ではもしカミングアウトせずごく普通の猿回し芸人だったらこの謝礼は発生したものか。というよりもそもそも横浜市〝人権講演会〟に招かれることはあったのかどうか。

著書ではふれられない共産党一家

 とにかく彼の主張が「部落解放同盟」の主張に近いことが分かってもらえただろうか。もちろん解放同盟の主催する講演会にも招かれている。

前述した糾弾闘争問題だ。これはまだ今後も続けられてゆくのか…部落問題をタブーではなくしていくためには、そのことから目を背けることはできない。そこで私は、部落解放同盟に確認する必要を感じた(中略)正直なところ、全解連(人権連)とは支持する政党の違いや運動方法における考え方の違いが理由で、友好関係にあるとは言えないが、私には関係のないことだ。それに解放同盟は、カミングアウト以降の私をたびたび大会の講師に呼んで下さっているから、敷居は高くない

(『橋はかかる』より)

 村﨑は解放同盟と人権連の対立について「関係ないこと」としている。ところがこれが無関係でもない。前述した通り、彼の父親は共産党の市議で全解連の中央委員を務めた。村﨑自身も自著では義正氏が全解連であったことは書いているが、共産党の市議だったとは書いていない。少なくとも既存の刊行物でそのことについて言及したものは見つからなかった。面白いことに村﨑にとって「被差別部落出身」よりも「共産党一家」であることの方がよほどタブーなのだろうか。さらに気になるのが「太郎さんの母親は人権連山口県連の執行委員です。地元では太郎氏をよく思っていない人も多い」(事情通)という証言を得たことだ。母親は人権連、息子は部落解放同盟のシンパということになる。このため「一族も村﨑の発言や出版物にも怒っているし、地元関係者の反発は強い」(前同)という話も伝わってきた。地元では村﨑はどう思われているのだろう。またなぜ村﨑は被差別部落出身であることは全面に出しても、父が共産党の市議であることは触れたがらないのだろう。こんな思いから光市を訪ね、村﨑家と共産党の関係を取材してみた。

村﨑家のふるさとを訪ねて

この地域の名所、虹ケ浜海岸。夏には多くの観光客が訪れる。海沿いには工場群も立ち並びいかにも瀬戸内の海という風情だ。

あさえふれあいセンターかつての隣保館。今は「あさえふれあいセンター」に改称。全く同和色は感じない。スポーツや生涯学習を中心に利用されている。

 山口県光市。同和問題よりもここは「光市母子殺人事件」のイメージの方が強いだろう。光市に到着し、駅から徒歩二〇分ほどの浅江地区にむかい、村﨑家を訪問したが、留守だった。近くの三男宅の玄関には大きな猿がいた。ごく普通の街角で猿がいる光景も珍しい。まじまじと見ると猿の表情も怒ったようで興奮している。確かにこれから村﨑家に尋ねることが、非常にきわどい内容だけに招かざる客であることは確かだ。
 ということで先に周辺や関係者を取材することにした。武田薬品、新日鉄光といった大企業の工場の他、海沿いにはいくつかの工場群が並ぶ。観光はと言えば虹(にじ)ヶ浜(はま)海水浴場くらいなものだろう。村﨑の住む、浅江とはあしの生い茂った沼の入江湾を形作ったことから浅い江、「浅江」となったらしい。その言葉通り、浅江からは海はとても近い。とぼとぼ歩くと島田川にぶつかった。
 島田(しまた)川は義正氏や村﨑の著書にも出てくる。義正氏の祖父、梅二郎がここでズガニというカニを採りに行っていた。梅二郎が手をガニに挟まれ溺(おぼ)れかけた。すると近所の子供たちが「なんじゃエタの梅か」とあざ笑った。村﨑一家の刊行物がよく持ち出す差別のエピソードである。
 取材前に浅江について知る人から、「あの地域は七〇年代まで塩水しか出ないひどい土地だった」と聞かされていた。義正氏にとって上下水道施設の整備は悲願でもあり、その運動は上下水道に費やされたといっても過言ではない。地域住民によると「義正さんが上下水道の獲得運動のために使った費用は、生涯で得た議員報酬の総額を上回ったかもしれない」というほどだ。なるほど確かにこう海が近くては塩水しか出ないのだろうと思ったが、周辺のご老人によれば「そんな馬鹿なことはない。そりゃウチらのジイサンの頃の話だ」と一蹴(しゅう)された。やはりこの手の「悲惨話」はある意味、伝言ゲームのように伝わることもあるものだ。
 義正氏の祖父に当たる梅二郎は資産家だったという。ずいぶん気性が激しい人らしく、義正はこの祖父に肥溜めに突っ込まれたことがあったそうだ。資産家になったのも義正曰く「あくどい儲け」らしい。当時、結核の療養所(現在の光市民病院)だったため、患者が死亡してもその遺体の引き取り手がなかった。遺族からは棺(ひつぎ)に着物や指輪を入れてやってください、こんな依頼があったそうだ。だが梅二郎はこの着物や指輪を〝失敬〟して、古物商に売り払った。遺体の処置から火葬までも請け負ったため、その代金も入ってくる。
 ところが昭和二二年、梅二郎は河豚の食中毒で死亡。ここから村﨑家の家系が傾いていく。太郎はしばし幼い頃は、貧しかったというがもとをただせば地元では資産家である。少なくとも部落=貧困とは限らない。
 一方、義正氏も随分な武勇伝の持ち主だ。昭和三〇年代から水道設置闘争、それから地元の保守系住民で結成された全日本同和会との闘争、コワモテな人である。後に全解連に参加するわけだが、その活動スタイルはむしろ我々が解放同盟に抱くものに近い。「あいつら(人権連)もたいがいのことやっとるやないか」と関西地方の部落解放同盟員に言われたことがある。今となってはその言葉も妙に説得力がある。
 今の人権連からは実力行使の印象はないがその昔は、共産党系であっても過激なものだったようだ。しかも義正の場合、むしろ任侠(にんきょう)に近い。叔父には山口市内の暴力団、松田会の親分もいた。
 そんな義正氏にも春が来た。妻、節子さん(太郎の母)との結婚だ。実は以前から少し村﨑家の取材も続けていたが、その当時こんな話を聞いた。
「節子さんはとても気丈な人。当時、義正さんは酒やらケンカの荒れた生活でした。義正さんが熱心に結婚を申し込んで〝よし私が〟と受け入れたんですよ」(福岡県内の共産党町議)。
 面白いことにこの町議が義正と妻の話をするときはなにやら青春群像のように楽しそうに語る。ところが話の中で「人権擁護法案」の話題になった時に表情が苦々しくなった。そして「こういうことを書くから、おかしな法律ができるんだ」と出してきたスクラップは太郎氏のインタビュー記事だった。
 普段、新聞記者や編集者の話を聞いているとある共通点がある。それはいわば〝アウトロー信仰〟のようなものである。言うならば映画『パッチギ』のような世界への憧れ、賛美、とにかくアウトロー好きという人が少なからずいる。一つには高学歴の多いメディア業界の人間にとって「アウトロー集団の感覚にも理解できる自分」でいたい。こんな思いも感じる。だから同和と在日、彼らが犯罪を起こせば「社会のせい」「差別のせい」と断じる。
 これはおかしい。犯罪なり不祥事を全て出自のせいにすればその時点で話が終わる。逆に言えば同和地区出身者でも、在日コリアンでも真面目に生きている人はたくさんいるだろう。現在の同和と報道を検証するに、もちろん「同和タブー」もっと言えば「同和は怖い」という側面もあるのだろうが、もう一つにはこのアウトロー信仰も手伝っていると考える。
 義正氏のアウトローぶりについても何か地元の共産党員は感慨深げだった。「あははあれは痛快だった」義正氏が関わった事件などの話を向けるとこんな調子である。

未償還金六億円! 光市の同和行政の影

浅江中学校同特法立法当時は、市内の小中学校の教職員全員が会員となり「光市学校同和研究会」を設立した。また『橋のない川』の上映会も行われるなどかつては同和教育が活発だった。

 地元の英雄、義正氏肝いりの同和事業についても触れておこう。例外なく光市にも事業が促進されていった。面白いことに当時の「広報ひかり」を見ると、同法が施行された一九六九年頃から、紙面に「同和事業をさらに推進」「貸し付け金拡充」こんな文字が躍った。また浅江は同和教育推進のモデル地域に指定され、村﨑の出身、浅江中学校は「同和教育に留意した道徳指導」を主題とする文部省(当時)の研究指定校にもなった。
「正確には覚えていないけど、同和地区中小企業支援や住宅改修貸付金、自動車免許取得の補助や奨学金で同特法が施行されてから五年ほどで五~六億円の予算は投じられたんじゃないかなあ。だから義正さんのところにも随分、おかしな人がたかりに来たものですよ。ところが義正さんはそんなとき、建築廃材置き場に連れていくんですよ。それで〝ええか、このコンクリートの壁を三日間ぶっ通しでぶっ壊すんだ。それができたら融資の口も聞いてやってやる〟というわけです。ただ、たいていの場合、一日も持たずに逃げ出してしまいます。すると義正さんは〝根気のないやつだ。あれじゃあダメだ〟と嘆息(たんそく)していたものです」(地元市議)。
 この地域の特徴を見ると、関西地域にありがちな豪邸や巨大な集合住宅群は存在しない。むしろまあどこにでもありそうな地方の家屋ばかりだ。かつての隣保館だった「ふれあいセンター」も現在は同和事業を全く感じさせない。玄関口のスケジュール表にスポーツや生涯学習が書かれる中、ポツリと「人権連光支部会議」がある。せいぜいこの程度だ。それから光市には部落解放同盟はない。いわば人権連のお膝元といってもいいだろう。かつては全日本同和会光支部があって、義正氏とも対立したがこれも今は消滅。
 ところが同和事業の影はある。同和地区住民を対象にした二〇〇九年度までの住宅新築資金等貸付金の収入未済額は三億一〇三二万〇三七三円で、償還率が二%。また同和福祉援護資金貸付金は二億五四〇七万八四一二円で償還率は二・五%。合計約六億円も滞納があるのだ。
 私を含めて一般に解放同盟が強い地域にこうした滞納が起こりがちと考えてしまうが、光市の場合は当てはまらない。これが村﨑の言う貧しい地域の一側面でもある。

部落差別以上のアカという差別

猿まわし劇場途絶えていた猿まわし芸の復活の立役者となったのが俳優の小沢昭一氏。猿まわし劇場の看板の題字には小沢氏の名が。

「村﨑君か、光市内で(二〇一〇年)一一月七日に、フォークジャンボリーというイベントがあったけど、彼も出演していたね。そういえばお母さんも見にきとったかね」との情報を地元の共産党員から得た。義正とも親交があったという人物だった。彼に太郎氏が解放同盟寄りの主張をしていることなどを話し、地元や村﨑家はどう思っているのか、またなぜ太郎は共産党一家であることをふれたがらないのか聞いた。やはり彼も一族への遠慮かもう一つ歯切れが悪いが少しずついろいろなことを教えてくれた。
「お母さんと対立しとる? そんなことはないと思いますよ。確か一ヶ月に一度は帰省してるという話ですよ。確かにお母さんはウチ(人権連)の執行委員だけど、県連の三役から〝気持ちは分かるから、太郎君のことは気にしないでくれ〟と言われているそうですよ。そりゃ親子だからイデオロギーはまた別ということでしょ」
 親子の党派問題。なるほどそこには地元人権連の配慮で成り立っていたのだ。「親子で対立していた」などの情報は、少し異なった。ではなぜ太郎氏は共産党にふれたがらないのだろう。証言からある意味、共産党員の悲哀さえ感じた。
「義正さんが亡くなったときに、地元の議員さんが弔辞文を書いたんだけど、一族の意向で解放運動のことは書いても、共産党の活動は書かないで欲しいというリクエストがあったそうですわ。なんでかって? そりゃまあどうせウチら〝アカ〟ですからね(笑)」
 こう自嘲気味に語った。そうだ重要なことを忘れていた。同和問題を取材をするとき必然的に人権連や共産党員に取材をする機会が多い。だが考えてみれば、世間一般で見れば彼らは〝アカ〟なのだ。解放運動家たちはしばし「就職差別」を持ち出すが、自治体や企業では逆に同和枠が設けられていることもある。
 それに対して共産党員はどうだろう。枠どころか共産党というだけでまず出世の道は閉ざされる。そればかりか公安警察、または公安調査庁などの機関からは監視対象にされる。同和地区出身であることより、むしろ共産党員であることの方がよほど差別を受けているのだ。となれば村﨑が共産党にふれたがらないのもある意味では当然のことだろう。人気商売にとって共産党一家など足かせでしかないかもしれない。
 全ての疑問が解けたところで再度、村﨑家を訪ね、母親に取材を申し込み、太郎氏の主張の疑問などを聞いてみた。突然の訪問に驚いた彼女は三男も呼び同席させた上で話をしてくれた。
「ええ確かに私は県連の執行役員ですよ。それで息子とも考え方は違いますけど、あの子は今でもこっちに来てくれますし、あの子にはあの子の考えがあるんですよ。それでいいじゃないですか。私たち人権連は一人ひとりの考え方を大切にするのですよ。ただし部落解放同盟の主張は絶対に私は許しません」
 こんなやり取りが続く中で業を煮やした三男氏がついに爆発した。
「アナタねえ分かっていないよ。俺もそりゃ解放同盟の言っていることは嫌いだよ、でもそれが何なの? お袋はお袋、俺は俺、太郎は太郎の生き方があっていいじゃないか。太郎が部落差別で自殺したって言っている? そりゃアイツはアイツの考えがあってのことでしょ。そりゃ俺たちとは違うけどね。じゃあアンタ猿回しや部落の何を知っているっていうんだよ。アンタは解放同盟がおかしいっていうけど、アンタも同じだ。アンタの背中に解放同盟がいる。これは俺からのプレゼント、アナタの背中のこの辺りに解同がいる、この言葉をプレゼントフォーユー!」
 唯物(ゆいぶつ)論、科学主義、中央の共産党の論客たちは、しばしこのような言葉を用いる。そして数々の政治闘争、イデオロギー闘争で、共産党は、諸団体や政治家、運動体と対立してきた。だが、村﨑家内部のイデオロギー問題は、家族の絆(きずな)の方が勝ったのである。ただ突然の訪問という非礼もあってのことだろうが、それ以上に、太郎氏の件について二人からはいらだち、もどかしさ、のようなものも感じた。とは言えこうした一族の思いとは別に村﨑の「解放運動」は続いていくのだろう。もっとも、その主張は、彼の父が望んだ「部落問題の決着」につながるのか、分からないが。(文中敬称略)(三)
浅江神社義正氏の著書でも紹介されている神社。ここを北上すると浅江中学がある。


参考資料・村﨑太郎氏の事務所の回答全文(原文ママ)

一、岡村隆史さんに関する発言について

 岡村さんが欝だという情報はマスコミから得たものです。数々の新聞のテレビ番組などで、欝が濃厚と報道されておりますし、ご本人も相方の矢部さんも、それに近い発言をなさっています。人権問題を語る際に、村﨑自身が部落差別を原因として欝になったという過去の事実は欠かすことのできないものです。しかし村﨑は、猿まわしという仕事そのものが被差別部落出身の証であるにもかかわらず、猿まわしを楽しみにしてくれるお客様がいる以上、仕事を休むことをせずにやり続け、欝を乗り越えました。このため村﨑には、仕事と直接向き合い、仕事を続けてゆくことによって、欝は乗り超えることができるんだという信念があるため、岡村さんが欝になったとしても仕事を休まない方がいい、仕事を続けることによって、病の根幹が解決される等と、同じ苦しみを体験した同業者として岡村さんに対してエールを送ったというのが、岡村さんに関する発言の意図です。もちろん第三者である村﨑が公衆の面前で、岡村さんが欝であると発言すること自体問題であり、この点につきまして村﨑は岡村さんに対して真摯に謝罪したいと考えております。しかしながら、岡村さんに関する発言の意図は以上のとおりであり、村﨑は、突然、欝について発言したわけでも、岡村さんを誹謗中傷するような目的をもって発言したわけではありません。村﨑の講演会全体を聞いていただければ、この点はご理解いただけるものと考えております。

二、松本人志さんに関する発言について

 松本さんが九九ができないということはご自身がテレビ番組でも著書でも語っておられます。「その辺で生まれている、というのは、村﨑が生まれ育った環境と非常によく似ているという意味で、これも松本さんご本人の番組内での発言や著書から得た情報です。この発言に関しても、松本さんを誹謗中傷することを意図したものではありませんし、突然、松本さんの話題を持ち出したわけでもありません。村﨑の発言は「自分は中学になるまで九九ができなかった。周囲の大人たちは『勉強なんかしても意味がない。俺はいくら勉強しても出世はできない。』等と断言し、酒浸りの暮らしを見せつけていたので、差別が原因で将来に希望も持てずに努力する気もわかなかった。しかし父から叱咤激励され、突然開眼し、猛勉強をした結果、学年でトップクラスの成績を収めることができた。ダウタウンの松本も、九九ができないとテレビで言っていた。お笑い芸人になる前に印刷屋で働こうとしていたところを、浜田から『お笑い芸人になろう』と誘われて、この道に入ってよかった。もし印刷屋になっていたら、九九ができないから、何枚刷っていいかもわからなかっただろうという笑い話をテレビでしていた。九九ができなくても、努力の結果、タレントとして大成功している人もいる。」等というもので、環境のせいにして努力を怠ってはいけない、諦めきった大人たちが将来ある子供たちの夢を奪うようなことをしてはいけない等ということを伝えるための発言です。その後の「やめよう。問題発言だ。」等という部分に関しては、「著名人の名前をあげると最近では誹謗中傷だ、問題発言だと抗議されてしまうことが多い。そんな意図ではないので、これ以上はやめた方がいいでしょうね。」という趣旨の発言をしたにすぎません。以上のとおり、松本さんに関する村﨑の発言は、差別を受け、幼い頃に勉強できなかったとしても、努力すれば夢がかなえられるということを具体的に伝えるための発言であり、この点につきましては、どうかご理解いただきたいと考えております。

三、自殺問題について

 この点の村﨑の発言は、「日本では年間の自殺者が三万人いると報道されている。しかし、どういう理由でどういう状況で自殺したのか、ということに対して日本人は関心を持とうとしない。自殺の場合、データに上がらない例も沢山ある。部落差別が原因で結婚障害にあって、自殺している若者もいるという例をいくつも聞いた。」等というものです。村﨑はここ二年の間、日本各地のマイノリティの方々を訪ね、交流を持っております。多くの若者たちとも懇親会を重ねてきました。その中で得た情報を基にしたものが上述の発言であり、学者が統計で出したものではなく、村﨑が自分の目と耳で直接得た情報のため、この点のデータ、統計が村﨑の手元にあるわけではありません。村﨑は自分の足を使って色々なところを旅して訪れています。被差別部落だけではなく、ハンセン病の元患者さんが暮らす療養所や被爆者の方や限界集落のお年寄り等々、直接触れ合わなければ知りえないことを、村﨑は当人たちから得ています。村﨑がカミングアウトという行動に出たのはそれが目的です。他人が出したデータではなく、自分自身の目で見、耳で聞きたい。そのためには先ず自らが弱者であることを打ち明ける必要があったのです。
 当日の公演は終了後大絶賛を受け、横浜市長自ら楽屋に訪れ「このような人権に関する素晴らしい講演をしていただき、心から感謝しています。」等とお礼を述べていただいたほどで、村﨑に他人を誹謗中傷する意図も、他人に対する差別的意図も全くない、ことは講演を聞いていただいけた方々に明らかだったと思われますので、この点はどうかご理解いただけますよう、お願い申し上げます。これからも村﨑は、マイノリティの方々を訪ねる旅や講演、猿まわし公演というものを通して、世の中のみなさんと触れ合っていきたいと思っています。応援していただけると幸いです。

以上

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内容紹介

愛荘町役場に同和地区の場所を問い合わせた東近江市の男性が部落解放同盟に糾弾された。一方筆者は同和地区の場所を情報公開請求した。

その只中、何者かが解放同盟の名簿を流出させ、爆破予告を行う。

「同和王国」滋賀県を舞台とした1つの騒動を通し、市民と行政の関係、情報公開制度のあり方に鋭く斬り込む。

書籍版「同和と在日」と在日も増刷予定です。来週あたりからアマゾンから購入可能になります。