1919年の『民族と歴史』第2巻第1号に、茨城県の長谷川凸津という人物による「常陸新治郡地方の特殊民」という短い報告が載っている。この地方では旧幕時代、どの城下にも一端に部落があったと述べたうえで、石岡町について次のように書いている。
「同縣同郡石岡町(舊松平播磨守城下)の北端に柳町と稱する處あり。此處は一帶穢多の部落にして、今猶ほあり。」
石岡は松平播磨守の府中藩の城下町である。研究者の見立てでは、その北の端は今の石岡市府中にあたるという。そこをクエストしてみた。
1919年の『民族と歴史』第2巻第1号に、茨城県の長谷川凸津という人物による「常陸新治郡地方の特殊民」という短い報告が載っている。この地方では旧幕時代、どの城下にも一端に部落があったと述べたうえで、石岡町について次のように書いている。
「同縣同郡石岡町(舊松平播磨守城下)の北端に柳町と稱する處あり。此處は一帶穢多の部落にして、今猶ほあり。」
石岡は松平播磨守の府中藩の城下町である。研究者の見立てでは、その北の端は今の石岡市府中にあたるという。そこをクエストしてみた。