【大阪市】日本の習慣を〝厄介者〟扱い「大阪市多文化共生指針」で韓国化する公立学校

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By Jun mishina
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「生野の学校だけどやりすぎや」。大阪市生野区内の小学校に通学する児童の保護者はこう憤る。同氏によれば職員室等の特別教室の室名表示板は朝鮮語が併記されていたという。取材してみると同様のケースは他地域でもあった。こうした取り組みは学校単位なのか、それとも大阪市の指導なのか。生野区の場合はコリアンタウンという事情もあるが、それ以上に「大阪市多文化共生指針」という教育方針が影響しているようだ。(写真=民団新聞に取り上げられた小路小学校)

民族学級の草分け的存在「小路小学校」

御幸通商店街。

JR鶴橋駅前のアーケード街は焼肉とキムチの匂いが漂い、韓国のような情緒がある。また生野区・大阪市東成区にまたがる「猪飼野(いかいの)」は古代の渡来人ゆかりの地であり、現在は日本最大の「大阪コリアタウン(御幸通商店街)」だ。

こうした地域性のため学校教育も非常に韓国文化の影響を受けている。

生野区内の大阪市立小路小学校に通う児童の保護者は学校を訪れた際、疑問を感じたという。

「在日が多い地域とはいえ、学校の教室まで朝鮮語表記というのは驚きました。生野とはいえやりすぎとちゃいますかね」

こういう話だ。職員室や音楽室などいわゆる「特別教室」の表示プレートが朝鮮語になっているという。生野という土地柄を加味しても日本人の保護者としては違和感を覚えても仕方がないことだろう。

調べてみると小路小は民族教育では草分け的な存在だった。『民団新聞』(2001年1月24日)によると同校の民族学級は1950年に開設されたという。80年代から国際理解教育が始まり、その指導を韓国人講師が担ったという。「国際理解」とはいえ、実態は朝鮮文化を中心とした教育だったのだろう。

あえて朝鮮語を用いる理由が分からない。同校に聞いてみた。

「確かにプレートは朝鮮語、日本語の併記にしています。どういう経緯で始まったのか分かりません。以前からのことですし、それに大阪市の国際教育・多文化共生の基本方針の下で行っており問題はありません」

また同様の疑問は同市立大池小学校の保護者からも寄せられた。

同じく同校にも質問してみたが「そういうことにはお答えできません。ノーコメントです」と明言を避けた。いずれの学校にも見学を求めたが応じてもらえなかった。

戸惑う保護者の一方で、「大阪なんてそんなんだらけやで。韓国化してるわ」という住民もいる。

大阪の公立小で「韓国語のいただきます」

驚いたことに大阪市内の公立学校の〝韓国化〟については国会でも取り上げられていたのだ。昨年2月6日、衆院予算委員会でのこと。

日本維新の会の西田薫衆院議員が大阪の教育現場について質問した。

西田氏は、教員の負担軽減や学級担任への加配をめぐる質疑の中で、教員数を増やす議論だけでなく、学校現場で実際にどのような教育が行われているのかも検証すべきだと主張した。

その具体例として挙げたのが、大阪の公立小学校における韓国・朝鮮文化の指導だった。

西田氏によると、ある教員は給食の際、児童に韓国語で「いただきます」と言わせていたという。さらに給食中、児童が分かれて食事をする各班を回りながら、韓国・朝鮮の文化や歴史を教えていた。

教室内だけではない。休み時間に廊下ですれ違った際にも、児童は韓国語で挨拶をしなければならなかったと説明した。

外国語や外国文化を学ぶこと自体は、国際理解教育の一環として否定されるものではない。しかし西田氏が問題視したのは、特定国の言語や文化を紹介するという範囲を超え、一般の児童に日常的な実践を求めていた点だ。

西田氏は以前から、複数の保護者から同様の訴えを聞いていたという。本当にそのような実態があるのかを確認するため、大阪府議会の教育常任委員会でも調査を求めた。

その結果、大阪府教育委員会からも、こうした教育実態が存在するとの趣旨の正式答弁を得たと説明した。

さらに西田氏は、ある保護者の証言も紹介した。

その保護者の子どもは、学校から帰宅すると朝鮮半島の民謡「アリラン」を覚えていたという。保護者はアリランを学ぶこと自体を問題視していたわけではない。疑問を抱いたのは、子どもがアリランを歌える一方で、日本の国歌である「君が代」は歌えなかったことだった。

もちろん、アリランを覚えていたことと、君が代を歌えなかったことだけで、学校が国歌教育を怠っていたと断定することはできない。学年や授業の進度、学校行事の状況によっても事情は異なる。

また、一時的な国際交流の授業で韓国語の挨拶を体験させることと、日常的に特定言語の使用を求めることも分けて考える必要がある。

問題は、こうした指導が児童の自由意思によるものだったのか、それとも教員の指示として事実上強制されていたのかという点だ。

西田氏はこの教育を「自らの思想を生徒たちに押しつけるような思想教育」「偏向教育」と位置付け、文部科学大臣に認識を求めた。

元凶は「大阪市多文化共生指針」

令和2年は松井一郎氏が市長の時代だ。

韓国に偏った教育としか思えない。なぜこのような事態が起きるのか。先の表記問題も含めて大阪市教育委員会に聞いた。

「本市の学校園は、多文化共生社会の実現のために必要な施策を進めるにあたっての方向性を示す「大阪市多文化共生指針」を令和2年12月に策定し、本指針行動計画に沿って施策を推進しております。また、学習指導要領や「大阪市教育振興基本計画」に基づき、多文化共生教育を推進しております」(指導部教育活動支援担当)

当世の政治、行政が呪文のように繰り返す多文化共生である。

現に先の学校施設の表示にしても、もし多文化共生というのならば例えば中国語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、それこそインドの紙幣のようにあらゆる言語で表記すればいい。ところが多文化共生という割に実際は朝鮮文化が大半だ。

妙なもので大阪市の教育界の韓国化を取り上げたのは日本維新の会の西田氏だが、「大阪市多文化共生指針」は令和2年の策定だ。つまり維新の市政下で作られたことになる。

よく読み込んでみると、非常に定義が曖昧で「共生」という名の思想強制としか思えないのだ。大阪市の指針には、教育行政が外国人側の文化的要求を広く受け入れる一方、共通ルールへの適応や日本語習得の責任を明らかに避けている。

さらに問題なのは指針の対象となる「外国につながる児童生徒」の定義。その範囲は広く、対象となる基準も必ずしも明確ではない。指針にはこんな注釈があった。

本指針では、住民基本台帳法における「外国人住民」だけでなく、日本国籍を取得した人や戦前・戦後に日本に引きあげてきた人、親が外国籍である子ども、海外から帰国した子どもなど、国籍は日本であっても外国籍の人と同様の課題を抱えている場合があることから、これらの人々も視野に入れ、「外国につながる市民」「外国につながる児童生徒」という呼称を使用している。

外国につながる児童生徒というのがキーワードだ。いかにも左派が好みそうな表現である。

だが何世代までを対象とするのか、また誰がどのような基準で「外国につながる」と判断するのかが明確でない点だ。日本で生まれ、日本語を母語とし、日本の学校生活に特段の困難がない子どもまで、出自によって政策対象として括られる可能性がある。

対象範囲や制度上の限界を明確にしないまま、理念だけを先行させた指針だ。

ある行政関係者はこう解説する。

「国連のSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる基本理念、誰一人取り残さない(Leave No One Behind)の影響を感じますね。影響というより踏襲したと言った方が正確でしょう」

また同氏は教育分野で最も批判を招きやすい点として母語・母文化について単なる「尊重」や「学習機会の支援」ではなく、「保障」という表現を用いている点に注目した。

一つ一つの定義が雑だ。

指針は、民族学級、民族クラブ、国際理解クラブ、母語教室などをさらに発展させ、外国につながる児童生徒が関係する国・地域の言語や文化を学ぶ機会を拡充するとした。

疑問点が尽きない。先の行政関係者はこう指摘する。

「母語・母文化の継承は本来、家庭や民族団体、外国人学校などが中心となって担う領域です。公立学校がどこまで費用・人員・授業時間を投入するのか、限界が示されていません。大阪市には160の国・地域の出身者がいると指針自身が説明しています。すべての母語・母文化を同程度に保障することは現実的に不可能ですよ。結果として、人数が多い集団や、行政・教育委員会との関係が深い団体だけが制度の恩恵を受ける恐れがあります」

どうやらこの指針は、NPOやNGO、人権団体が教育現場に関与する免状、お墨付きと言ってもいいかもしれない。

「文化には尊重すべき側面だけでなく、日本の法制度や人権原則、男女平等、学校教育の方針と衝突する慣習もあり得ます。しかし指針は文化の尊重の限界についてほとんど説明していません」(同前)

日本の習慣をまるで困りごとのように扱う大阪市

また驚いたことに大阪市は日本の習慣を障害物のように扱っていた。

同市は無作為抽出した外国人4千人を対象に外国人住民アンケートを実施し、回答は606人(回収率は約15.2%)という結果を得た。指針では随所でアンケート調査を引用している。

外国人住民アンケートでは、出産・子育て・教育上の困りごととして、「日本の保育や学校の慣習にしたがうことを求められる」31.3%が挙げられた。

この回答を受け、指針は「文化や習慣の違いに配慮したサービスの提供」が必要だと結論づけた。

そうだろうか。もちろん文化、習慣の中には合理性に欠いたものもあるだろう。しかし時間厳守、給食、掃除、集団行動、保護者への連絡、学校行事など、共同生活を成立させるためのルールも含まれる。

しかし具体的にどの慣習が不合理なのか、単に従いたくないという回答なのかが区別されていない。あまりに一方的なものだ。

日本の役所にもかかわらず自国の習慣や制度を〝厄介者〟扱いにしている。逆に外国文化、習慣には寛容だ。

人権保障、文化尊重、母語教育、通訳、多言語文書、相談支援については、異様なほど丁寧である。対して「日本語を習得する努力」「就学・出席に関する保護者の責任」「学校の共通ルールの遵守」「日本の法制度や生活習慣の理解」「地域社会への参加」「他者の文化や日本社会を尊重する責任」といった記述は皆無に等しい。

つまり学力保障より文化的アイデンティティが前面に出ている。行政が策定した指針だとは思えない。まるで革新政党や人権団体の綱領のようだ。

外国人に対する配慮ではなく特定団体への配慮

先述した通り、外国人住民アンケートは対象が4千人、回答は606人。この結果が果たして外国人の声を拾っているのか疑問だ。さらに、回答者の国籍・出身地域別の構成によっては、特定の集団の意見が強く反映されている可能性もある。回答者属性を併せて検証すべきではないか。

もっともこの指針は本当に外国人への配慮のみが目的なのか疑問だ。

真の狙いは大阪市が「多文化共生」に取り組むというポーズではないか。行政職員が「仕事をしている姿勢」を演出する際に「多文化共生の推進」は格好の材料となる。こうした施策はメディアにも取り上げられやすく、人権団体や革新系政党からも評価を得やすい。

この指針も要は外部組織への迎合と、外国人施策への熱意を印象付けようとしたものだ。

指針は、大学、研究団体、NPOなどと連携し、教育実践や教職員研修を進めるとした。しかしどの団体と連携するのか、また政治的・思想的中立性をどう確保するのかまでは説明されていない。

「多文化共生」「人権」「国際理解」を掲げる団体は往々にして特定の歴史観や政治的主張を持つものだ。公立学校の授業や教職員研修に関与させるなら、連携先の団体名、選定基準、活動内容、補助金、中立性を確保する仕組みも説明が欲しい。

ところがこの指針は「多文化共生」を強調しつつ、朝鮮語の使用など実際は特定民族に偏重したものだ。運動体の影響を感じずにはいられない。

結局のところ、大阪市は、多文化共生社会に取り組む姿勢を印象付けることばかりに躍起になっているように見える。そして同市が見つめる先には児童や外国籍者ではなく特定の外国人団体、運動体、大学、NPOがあるだろう。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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  1. 匿名

    これが本当の百済内

    冗談はさて置き外国勢力の息がかかったパヨクをどうにかしないと
    委託の部分が肥大化した現代日本の行政は敵の決起から一夜で乗っ取られますよ
    職員が日本人でも委託業者を外国勢力が支配してたら
    職員たちは委託業者の労働組合という身分に早変わりできるから(御用組合だけど)

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