月別アーカイブ: 2013年5月

示現舎ノンフィクション「B-CAS 事故 ‘8674422’ 2012年テレビ視聴制限崩壊の真実」発売

By 鳥取ループ

「B-CAS 事故 ‘8674422’ 2012年テレビ視聴制限崩壊の真実」の

電子版(600円)を発売中です。買い求めはこちらから。

示現舎電子書籍ショップ(新)
//work.jigensha.info/wp-content/plugins/pripre/pages/dist-item.php?id=33365973451b84d8
こちらでは500円で販売しております。PayPalアカウントが必要です。実験中につき、不具合の際はご連絡ください。

示現舎電子書籍ショップ(旧)
//atamaga.jp/bz

ブクログのパブー
//p.booklog.jp/book/72195/

楽天kobo
//rakuten.kobobooks.com/search/search.html?q=%22%E7%A4%BA%E7%8F%BE%E8%88%8E%22

Android版
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.atamaga.bz

書籍版はアマゾンおよび模索舎で発売中です。

今まで同和を主に扱ってきた弊舎ですが、今回の舞台は放送業界です。とは言っても、華々しい話は何もなくて放送業界の裏方がテーマです。本誌が独自に入手した資料と関係者の証言から、ちょうど1年前に起こったB-CASカード解析騒動の真相に迫ります。

平成の龍馬氏を始め逮捕された人にインタビューし、逮捕時の体験を独占スクープ。そして、事件当時のB-CAS社の内情も本誌が初のレポートです。また、カードがクラックされた過程も詳細に追っています。

9784990578787

2012年5月、デジタル放送の視聴制限を簡単に破るソフトウェアがネットで拡散され、おそらく何十万という世帯で有料放送の“タダ見”が可能になってしまうという前代未聞の事態が発生した。そして翌6月には警察による摘発が始まり、現在でも散発的に逮捕者が出ることが続いている。

しかし、なぜこのような「事故」が起こってしまったのか、比較的新しい知的財産権に関する法律と情報技術が関わる問題であるだけに広く理解されているとは言いがたい。

本書は筆者が1年にわたり当事者に対する取材と資料の分析を行い、その核心に迫ったものである。執筆にあたっては、できるだけ技術論を排して一般の人でも理解しやすくするように心がけた。一連の騒動は、法律と技術の関係とそれぞれの限界、そして知的財産権と情報技術のあり方を考える上で、重要な示唆を与えているだろう。放送業界のみならず、産業全般に関わる人々にもぜひお読みいただきたい一冊である。

目次
・本書について
●第1章 アナログからデジタルへ
・電波の発信と受信
・電波の変調方式
・デジタル放送の仕組み
・手のひらの上で転がされるデジタルデータ
・ソフトウェアとプログラムとソースコード
・なぜB-CASが存在するのか
・DRMが抱える矛盾
・建前と実情
・難視対策衛星とは

●第2章 より便利なテレビを求めて
・工業国の側面
・無名の有志らにより、さらに“研究”が進む
・暗号とは
・B-CASで使われる暗号化方式とは
・B-CASカードは何をしているのか
・ソフトウェアの開発と発展
・B-CASカード解析の予兆
・“BLACKCAS”の衝撃

●第3章 丸裸にされたB-CASカード
・謎の人物「ヤキソバン」
・B-CASカードの解析のために様々な人が参戦する
・カードに見つかった「裏口」
・ついにカードの内部が暴かれる
・CardToolの登場
・いかにしてB-CASカードは書き換えられたか
・「毒電波」が発せられる
・SoftCASが実現した!
・宝探しゲーム
・B-CAS社の損害は11億円以上

●第4章 京都府警が動き出した!
・早朝の捜索と逮捕
・京都地検と押し問答
・淡々とした判決
・裁判で争えなかった
・「平成の龍馬」氏
・放送の受信は「人の事務処理」なのか
・慶応大学法科大学院教授・安冨潔氏の意見書
・摘発の基準は?
・民事訴訟が提起される

●第5章 「事故」は防げたか?
・B-CAS突破は防げなかったのか
・被害を拡大させた要因
・松竹梅コース
・カードが破られても有料放送の契約者数は減っていない
・TRMP方式はB-CASの後継となるか?

●第6章 イタチごっこは終わらない
・消えたサイトと、細々と続く開発
・規制強化される一方で法律は穴だらけ
・“公然の秘密”は保護されるべきか?
・規制が不可能な機器
・できるカードとできないカード

・おわりに
●付録
・安冨潔 慶応義塾大学法科大学院教授の意見書

内ゲバ発生! 反日御殿「ナヌムの家」のトホホ〝お家騒動〟(同和と在日2011/2)

By 鳥取ループ

三品純(取材・文) 同和と在日電子版2011年2月号

水曜デモの前線基地、ナヌムの家

「私たちは日本政府に対して心からの謝罪と補償を要求する」。毎週水曜日、韓国・ソウル中学洞の日本大使館前でこんなシュプレヒコールが飛び交う。第二次世界大戦中、日本軍の軍慰安所で性行為を強いられたという、いわゆる「従軍慰安婦」たちとその支援者による「水曜デモ」の光景だ。水曜デモは、1992年1月8日正午から、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が被害にあったと主張するハルモニ(おばあさん)たちと始めたものである。この運動の様子は、日本でもたびたび報じられることもあるが、特に有名なのが民主党・岡崎トミ子元国家公安委員長が2001年に現職の国会議員としては、異例の国費でデモに参加したことだろう。
 そして水曜デモに参加するハルモニたちのいわば“前線基地”の役割を果たしているのが、元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」だ。この施設で居住するハルモニたちが、水曜デモに参加するのである。発足の経緯は、1992年8月に仏教人権委員会が「ナヌムの家設立推進委員会」を設立。この年の10月にソウル市内に施設が建設され、移転を繰り返しながら現在の広州市に。この施設は、ハルモニたちの居住施設とともに6つの展示場と野外展示公演のスペースを備える歴史館でもある。
 1999年11月には社会福祉法人の認可を受け、翌年4月に、日本軍「慰安婦」被害ハルモニを入所資格とした無料養老施設となり、国から月額約600万ウォン(60万円)の支援金も受けるまでになった。施設内には、医師や看護師ら医療スタッフもいる他、生涯学習やゲートボールなどのプログラムも用意されている。韓国人はもちろん、日本からもボランティアスタッフが数名おり、日本語の翻訳、通訳、案内業務などに従事する。
 日本でも定期的に、市民団体らの手で映画『ナヌムの家』の上映会が開催されている他、関連する講演会、イベントは多数。また全国メディアでも、2006年3月20日に『ニュース23』(TBS)でナヌムの家の特集が組まれたことも。番組内では、日本と韓国の若者がナヌムの家で議論し、従軍慰安婦問題の解決に向け、協力し合うといった様子が放映された。だがその後、「参加者募集の呼びかけなど存在していない」、「話し合いの上で水曜デモに出かけるという演出だったが、すでにデモ参加は決まっていた」など“やらせ疑惑”も浮上していた。
 もっともニュース23で特集される以前から、日本の若い世代の活動家の間でもナヌムの家への関心は高く、現地でボランティア活動に従事する若者もおり、水曜デモや講演会などの運営に携わっていた。日本人も関心を寄せるこのナヌムの家で、研究員・村山むらやま一兵いっぺい氏とインターン、古橋ふるはしあや氏の雇用をめぐってナヌムの家で“お家騒動”が起こっているのだ。

“日韓の架け橋”ナヌムの家の研究員、村山一兵氏が解雇

 2010年12月、日本の市民団体関係者に、村山氏と古橋氏からメールが送られてきた。それはナヌムの家が両氏を不当に解雇するため、支援を求める内容だった。この人物、日韓問題の運動家の中では、ちょっと知られた人物である。

2003年から1年間韓国に留学しました。でも「慰安婦」被害者のハルモニたちに出逢うのはまだまだ先なんです。留学した当初は、ナヌムの家に行くことが出来ませんでした。ナヌムの家に行った友だちもいたんですけど、最初は正直言って「行っていいのかなあ」と。なんかすごく肩が重いというか、……難しかったですね。最初にナヌムの家に行ったときも、自分にとってハルモニが遠いというか。帰ってからも周囲にハルモニのことを話すことは出来ませんでした。で、これはおかしいなあと思って

(2010年2月14日大阪府堺市内の講演録より)

 村山氏は、法政大学法学部政治学科出身。実は筆者の大学の後輩であったことも判明した。なにしろ同大学は2000年代に入っても、機動隊が出動するほどである。なるほどいかにもだなあ、と個人的には思いつつ、経歴を見ると、2003年に韓国の延世大学に交換留学生として渡航し、ナヌムの家のボランティア活動にも関わるようになり、水曜デモにも支援者、ハルモニたちに混じって参加している。『中央日報』など韓国メディアによると、彼の弟も19歳にして、デモに参加したというから、まあ筋金入りの運動家ではある。
 またしばし来日し、講演会などで講師として登壇したり、メディアに取り上げられることもあった。後述するが、日本でのこうした活動も解雇理由の1つであったことが判明する。
 さて問題が起こったのは2010年12月のことで、それは日本でも知れ渡った。村山氏が、日本の支援者らに当てたメールで問題が発覚したのである。村山氏のメール(2010年12月25日)によると、12月9日、家側から解雇と即日業務停止を伝えられたという。解雇理由として、事務所側が挙げたのは「2010年12月5日に東京で行われた女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムに事務所に無断で参加し、通訳をしたこと」「始末書の不提出」の2点だった。
 そこで村山氏は、ナヌムの家の責任者、アン信権シングォン所長に書面による解雇理由を要求するも、「作成する」と言われながら、後日、琴仙クムソン副院長から「解雇をするのに書面は必要ない。他の所に聞いてみろ」と反論されたそうだ。また村山氏は、12月9日に歴史館のカギや警備カードを、そしてその数日後には、業務用のパソコンも没収された、と訴えている。また村山氏が日本から予約を受けていた訪問客の案内業務からも外されており、事実上の業務停止処分の状態だったようだ。
 そして村山氏は、メールを通じ、この状況を日本の支援者らに訴えていく。すると12月24日の職員朝礼で安所長が「ナヌムの家の悪い話をすることは、結局はハルモニに被害をあたることである」「ナヌムの家の職員として個人的な感情を外部に話してはいけない」などと批判されたとある。
 また「12月末に解雇とは言っていない。3月末に今年の契約が切れるので、再契約はしないと言った」(安所長)との主張や、琴仙副院長、キム貞淑ジョンスク事務長を交えた4者の話し合いでは「12月末で解雇とは言っていない」と説明があったことも明かしている。
 メールの文面だけでは、一般企業の労働問題にもありがちな水かけ論とも思える。どうも状況がつかめないが、「村山さんは、日韓の架け橋になった功労者なのにこの処分はひどすぎる」(日本の支援者の一人)という意見や、中には「日本、韓国の議員に呼びかけて村山さんを助けてくれるよう要請行動も検討している」(有力支援者)といった声もあり、日本国内では村山氏への同情が集まっているようにも見える。
 一体、ナヌムの家で何が起こっているのか、村山氏本人に電話取材を通して尋ねた。
「12月に解雇? 決まっていません。まだ何も正式なことは決まっていません。失礼します」というのが最初の回答だった。一方、インターンの古橋氏にも状況を確認してみたが、応答はなかった。

ナヌムの家が「これ以上、私たちと共に仕事ができない」と反論

 さて関心は、ナヌムの家側がこの一件をどう説明するかである。実は、家側の内部紛争については“前歴”があった。2001年2月、ナヌムの家の所長で、設立の中心人物だった慧眞ヘジン師が女性職員に肉体関係を迫られたなどを理由に告発され、所長職を辞任し、大韓仏教曹渓宗の僧籍も返還するという事件も起こっている。詳細を尋ねようと、日本語ができるという金事務長に確認してみた。
 金氏は「日本語はできますが、ゆっくり話してください」と言い、こう説明してくれた。
「村山さんの解雇はもう決まっています。インターンの古橋さんももともと12月までの契約になっています。どんな問題があったかですか? ええ問題はたくさんありますが、説明がとても難しいです。後日なら日本語ができる人もいますので、質問を送ってくれたら回答します」(金氏)
 そこで村山氏の解雇理由などについての質問状を、メールで送付した。日本の支援者から教えられたアドレスには「このメールは一兵が管理してます」とあり、一応、双方が確認可能であるようだ。
 すると後日、ナヌムの家から詳細な回答文が送られてきた。
 回答文はこんな書き出しで始まっている。

こんにちは。「ナヌムの家」です。村山一兵氏に関連して、「ナヌムの家」の立場をまとめて送信します。今回の件は「ナヌムの家」独自の人事に関連する問題です。つまり、従業員個人の職業的態度や姿勢、行動規範、業務の指示の不履行に関連する組織内の、問題です。そして今回の件はナムヌの家自らの人事と関連された問題です。すなわち、職員個人の職業的態度と姿勢、倫理綱領、業務指示不履行と関連した組織内の問題です。これと関連してナムヌの家の運営、事務、要人、会計、資産、事業など、固有権限を侵害する越権行為、虚偽事実流布、事実関係拡大解釈や陰湿な攻撃。 そして、色々な問題が提起されて、これ以上ナムヌの家で私たちと共に仕事ができないと判断の上、2011年3月31日の契約満了後、再契約をしないと口頭の助言をしました。再契約の問題は、使用者側の判断です

 回答文というよりは、なにやら“糾弾声明”にも見えるこの文書には解雇に至った経緯が説明されている。

平和の理想郷、ナヌムの家の人間臭い労働環境

 ナヌムの家から送付されてきた回答文は、一見して村山氏個人への不満が伝わってくる内容だった。何よりも、一番重要なポイントとして「村山氏は、自分の対場、位置を十分に理解していなかったことである」と家側は指摘する。

村山氏 は報告、連絡、相談などの社会的ルールを無視し、全て日本からのボランティア依頼、各地における集会依頼メール、要求、相談、文書作成、写真使用等に関し、報告無しで本人のみで、消化・処理・行動していた。日本側から公式以来は事務所宛ではなく、全て 村山一兵氏宛になる。村山一兵氏は日本の代表者ではなく「ナヌムの家」の日本人担当職員である。

 確かに日本からの依頼メールであれば、日本語ができる村山氏が必然的に窓口になるわけだが、この場合、村山氏個人が処理するのではなく、所長ら管理者の承認、了承を経て業務が行われるはずである。文面を読む限りは、日本での活動は村山氏の個人的な判断で実行されていたようにも見える。またナヌムの家は、今回の解雇騒動についても、突如、日本の支援者にメールで呼びかけたことも問題視している。確かに先にも述べた通り、日本での状況は、村山氏寄りの意見が多い印象である。とは言え、回答文からは村山氏の単独スタンドプレーと思しき、行動も見て取れるのだ。
中には「業務未処理状態」として、「2008年から歴史観内の水曜集会スペースをリニューアルするように指示したが、現在までに処理されずにいる状態」「2010年1月に前年分も合わせて日本訪問者リストの作成業務を指示したが未作成」「2010年韓日強制併合100年、光復65周年と関連して日韓の団体間の多くの行事が開かれ、日本の国会の日本軍慰安婦被害者関連法、戦後補償法などに関連し日本側の資料を整理して報告せよと指示しても、いまだ報告をしない」
 また「水曜集会の際、毎回ハルモニと2人が同行する事になっている。1人は運転手、1人はアシスタント。キム・ジョンスク事務長 より、水曜集会に関し、ナヌムの家は、常に日本からの来場者、電話が来るかも知れない為、 1度に2名の日本人の同行は避けるよう十分に 業務の説明、指示をする。それにもかかわらず、支持に従わず 村山一兵氏 、インターン綾氏2名が同行 。再度、所長が説明し、業務の指示をしても支持に従わず。(本人の理由は、一緒に行きたいとのこと)」(原文ママ)などの業務上の問題も挙げている。
 もっともこうした話は、双方の行き違いという側面もあるかもしれない。この辺りの言い分については、第三者からは是非は判断しにくい。それにしてもナヌムの家の村山氏解雇に関する回答は、実に詳細というか、はっきり言って細かい。

2010年8月26日金貞淑事務長 が業務上の支持をしたが、指示に従わず、大声で2人が争うことになった。そのため副院長が2人に始末書提出するよう指示。事務長は27日付で提出、村山一平氏はいまだ提出していない

 こんな話から「全従業員の身に着けているネームカード継続して未着用」ともあり、

 → 「ナヌムの家」はいつも多くのイベントや歴史館観覧で、多くの国内外の方々が訪れており、訪問者が従業員を区分できず、右往左往して不便さを訴えることがある。そのためスタッフの名前カードの着用を要請した。その後、副院長クムソンお坊さん、アン所長、他事務長、看護師、調理師、ほかスタッフ全従業員が着用することにする。 村山一兵氏 、インターン綾氏二名 のみが着用なし。着用することをあらためて要求して、 インターン綾氏は着用、最後まで 村山一兵氏は着用しない。(理由は不明)
または
●ネームカード未着用に関する事由書 未提出
 → 副院長クムソンお坊さんは 村山一兵氏 にいつも会議ごとに指示、口頭で警告をしても着用せず、他の従業員たちはすべて着用しているが、なぜ着用しないか理由書を提出するように3回提出を要求。一度は提出するが理由書の内容話にならなかったため、きちんとした内容を書くように言ったが、聞き入れず未着用のままでいた。
●報告なしの事務経費を支出
 → 取引先への入金処理に関して報告とは違う内容・金額等不明な点が多く発生
(何度か改善を要求したが、改善されず)
●事務所使用に関して
 → 会議で24時間オープンされていた事務所を夜10時まで使用することにした。夜10時以降の業務処理をしなければならない状況の時、許可をとって使用する事を会議で決定する。しかし、村山一兵氏は数ヶ月間許可なしで事務所を使用した。口頭で注意・警告しても、事務所を勤務終了後継続して使用していた模様。時には10時過ぎに直接電話ではなく、携帯電話のメッセージで報告をすることもあった。(職場の規則に従わない)

(原文ママ)

とこのような主張もあった。
 日本の慰安婦問題の活動家や左派メディアにとって見れば、ナヌムの家は、戦時被害者を守る希望の砦と賞賛するのだろう。だがナヌムの家と村山氏の間で起きた、労働トラブルは、むしろ一般企業などでも起こりそうな話がズラリと並ぶ。日本で報じられる姿と違い、その実情は、かなり人間臭いトラブルも多いようだ。

* 水曜デモに向かう途中で事故、ハルモニたちと参加を決行
 それは2010年8月18日の水曜集会の参加途中のことである。集会に参加するために、ソウルに向かう途中、信号停止中のナヌムの家の送迎車が接触事故を起こしていた。
 送迎車にはハルモニたちも同乗していたという。「村山氏はハルモニたちに異常がないと自己判断し、水曜集会に出席。事務所に連絡するか、指示を受けるのか、病院に行くなりの、行動が必要にも関わらず、一方的に処理。ハルモニの安全は気にしていない。結果、車両後方トランクを全面交換する」(ナヌムの家)と批判する。
 また翌週8月25日の水曜集会のことである。ハルモニの1人が体調不全で出席が不可能と見られていた。その折、こんなやり取りがあったそうだ。ハルモニは「水曜集会に日本の方々がたくさん来るので、行く必要があると」、と言ったそうだ。事務所側は「どこから日本人がたくさん来ると言う情報が入ったのか」と確認したところ、「一兵氏(村山氏)が言った」と答えた。そこで「なぜ体調が悪いハルモニを水曜集会に行かせるのか」と事務所側はただしたところ、村山氏は「そんなことは言っていない」と回答したという。ただその他、ハルモニたちも「一兵氏が行かなきゃと言った」と答えた。
 事務所側は「今後は、水曜集会も重要だが、ハルモニ達の健康を優先すべきである。健康チェック後、(血圧・体温)水曜集会の参加についてハルモニ達の意見を聞こう」と言うと「なぜそんな必要があるのか、行く行かないは、ハルモニ達の自由だ」と村山氏は反論したそうだ。これに対して事務所側は「実際、健康が優先だと言うことを理解してくれない」と批判する。家に住むハルモニたちは80、90代の高齢者ばかりだ。確かにデモよりも健康問題の方が切実なような気もした。

女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウム参加の裏側

 左派の市民団体からは今や従軍慰安婦問題におけるヒーローのように讃えられ、一方、右派のネットユーザーからは反日思想の権化のようにバッシングされる村山氏。たびたび彼の主張が各ブロガーに扱われることもあるが、その1つに中国・上海で日本軍の慰安所とされる地域の訪問ルポがある。韓国のインターネット新聞『韓国日報』(2010年6月28日)にも村山氏の訪問記が掲載されている。過去ログを見ると、同紙記者のキム・ヘギョン氏の署名が付されていた。
 この上海取材についても、ナヌムの家の事務所は問題視している。
 2009年にキム・ヘギョン記者 は 村山氏に「ナヌムの家」研究者の立場から慰安婦問題のため中国上海の取材を要請。この時、村山氏は「個人休暇」を取って、記者に同行し、上海に行ったとのこと。その後、ナヌムの家側は、村山氏が上海に行っていたことを記事で知ったと説明している。記事にはナヌムの家の研究者、村山一兵と紹介され報道していることから、村山個人ではなく、やはりナヌムの家代表者として取材に同行したと見るべきだろう。この点については村山氏のマナー違反にも見えるがどうだろうか。
 実は解雇理由にもなった「女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムの無断参加」についてもこんなトラブルがあった。
 2010年11月25日、 沖縄キリスト教大学の催しに村山氏と玉仙オクソンハルモニが招待されることになり、これは正式に事務所にも受理された。そして女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムについては、カン日出イルチョルハルモニとスタッフ、および日本の通訳ボランティアが参加することになっていた。ところが村山氏は、沖縄より「東京に行きたい」と主張し始めた。そして沖縄キリスト教大学側に対し「事務所が行くことを許可しない」と村山氏は説明したそうだ。
 当然、大学側からは「何故一兵さんを来させないのか!」とクレームの電話が入ったため、家の事務所側は「村山氏自身が沖縄より東京行きたい」といった旨を説明。それで再度、村山氏と李ハルモニの沖縄行きが決定。その際、村山氏は東京に行かない、ことを確認したというが、村山氏から休暇願いが提出されたのはこのやり取りの後のことだった。しかも女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムで通訳ボランティアを依頼していたスタッフに村山氏は密かにキャンセルさせたのだ。そして2010年12月急遽、村山氏が東京で姜日出ハルモニらの通訳スタッフとして女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムに参加したのであった。
 シンポジウムの最終日の6日には、懇親会も開かれその最中のことである。
 1928年生まれの83才のカン氏にとってはシンポジウムと日本への旅は体力的にも大変だったことだろう。カン氏はスタッフに「疲れたので休みたい」と申し出るも、村山氏からは「みんなが待っているから行こう」と誘われたという。スタッフらは「懇親会よりも健康状態の方が先だ」と主張し、口論に発展したそうだ。
 真剣に運動に関わる人から見ればこうしたトラブルをどう感じるものだろう。「女性国際戦犯法廷」、正式名を「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。2000年に「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)が開催してから国内外のメディアでもたびたび取り上げられた。特に有名なのが、NHKが2001年1月30日に放送した、NHK教育テレビ・ETV特集「ETV2001  問われる戦時性暴力」をめぐって発生した「NHK番組改変問題」も記憶に新しいだろう。この問題について2005年1月12日、朝日新聞は、自民党・中川昭一氏(故人)と安倍晋三氏(当事副官房長官)から番組制作に圧力があったとする記事も報じている。後にはVAWW―NETジャパンによって法廷闘争にも発展した女性国際戦犯法廷。こうした過去を経て、村山氏をめぐる問題について、支持者、批判者を問わず当時の関係者たちは何を思うだろうか。

韓国の市民運動の「北」と「宗教」シンドローム

 ナヌムの家からの回答文を見ると、確かに村山氏自身の勤務状況にも疑問点が多い。かといって 先にも述べた通り、過去にはナヌムの家内部で所長による性的行為の強要事件が発生するなど、決してその過去は「清廉」でもない。しかも事件を起こした所長は、僧侶、つまり宗教者でもあった。そしてここに韓国の市民運動が抱える問題の一端があるのだ。韓国の市民運動に詳しい東国大学の研究者はこんな話をしてくれた。
「日本に『パボ』というアイドルグループがいるでしょ。私など労働問題に関わっているとビックリするんですよ。パボとは韓国語で『馬鹿』とか『アホ』の意味なんですが、韓国の労働運動のシンボル的な活動家にチョン泰壱テイルという人がいました。彼は中学さえ中退するほど貧しかったのですが、独自に労働法を学び、劣悪な労働環境と戦うために『パボの会』というのを作ったんですよ。みな学歴もない労働者ばかりだったので、アホの会という意味ですね。結局、彼は70年にガソリンをかぶって焼身自殺をすることになったんです。それ以降は、全泰壱のような本当に貧しい労働者が先頭に立って労働運動をするのではなく、どちらかといえば“北韓派”と呼ばれる親北朝鮮の一派が力をつけました」
 また同氏は宗教団体と人権運動との関係性についてもこう指摘する。
「韓国は犯罪被害者を救援するために『犯罪被害者支援センター』を全国に55カ所も設置しましたが、実はこれがほとんど機能していませんでした。それで結局、民間のカトリック団体の力を借りてようやく機能するようになったのです。つまり北のシンパか宗教団体の協力がないと、なかなか市民運動や人権活動に人が集まらないのも否定できません」
日本国内の支援者の中にも宗教関係者が関与していることを快く思っていない人も決して少なくない。また村山氏自身もたびたび日本の団体や支援者に対して「ナヌムの家のハルモニ達はナヌムの家を出たいと言っている」、「ナヌムの家は問題が多い」というメールを送っていたという。ならば自らその問題点の原因は、宗教にあるのか、施設内の制度にあるのか、白日の下にし、社会に問うことがあっても良かったはずだ。雇用が切れた後、村山氏がナヌムの家について何を訴えるのか見ものではある。

解雇騒動、見守らざるをえない日本の支援者たち

 当初は一方的な解雇にも見えた今回の問題だったが、ナヌムの家側の説明では、若干、村山氏にも疑問点を感じた。一連の事実を踏まえて再度、村山氏に事実関係を確認した。
「契約についてまだ何も決まっていません。まだナヌムの家で働いていますよ。事故の話ですか。それは解雇の理由として聞いていません。それに知らない方なの電話ではお話できません。韓国に来て頂ければお話します」
 ということであった。もっともこの村山氏、単なる研究員ではなく、ナヌムの家で暮らす「住民」でもあるのだ。ここを解雇となればすなわち韓国内での住居を失うことにもある。勇み韓国に乗り込み、いつしか慰安婦問題の若手のホープまでに成長し、メディアや講演会出演も多数。それも「ナヌムの家」の研究員という肩書きがあってできたこと。また自身も単に支持者に向けて、メッセージを発するだけでなく、女性国際戦犯法廷における通訳問題なども合わせて説明すべきだろう。
 一方、慰安婦問題の支援者の間では、おおむね村山氏への擁護的な意見が多かった印象だが、慰安婦問題解決に取り組む関西地方の地方自治体の議員はこう話す。
「村山さんはとても熱心にやっておられたと思いますが、なにしろまだ若いでしょ。現地のスタッフからすれば、個人行動が目立ったと判断される可能性はあったかもしれませんね。ただナヌムの家の皆さんも熱心な方ばかりですよ。内ゲバ? 単に行き違いでしょ。我々は日本でできる限りのことをやって見守るだけです」
 とは言え、今後、日本の支援者たちにとっては厳しい選択が迫られるだろう。村山氏の活動自体は応援したいものの、かといって大っぴらに「ナヌムの家」を批判することも難しい。前出の議員の言葉を借りればこの一件、実は「見守らざるをえない」のかもしれない。一体、彼らが守ろうとしたものは何だったのか? 高齢者となったハルモニたちなのか、それとも組織なのか、個人の思想や運動なのか? 改めて思う、人権運動が組織化した時、本当に守るのは「人」でなくなる、と。(三)