2007年参院選、民主党・小沢一郎代表(当時)は自民党の地盤だった地方の一人区を重点的に遊説し、見事に議席を奪った。そして民主党は参議院第一党に躍進し、政権交代が現実味を帯びてきた。当時、「格差拡大」という言葉が政治、メディアのシーンで多用される中で、民主党が打ち出した「国民の生活が第一」というフレーズは実に効果的だ。
また公約として提示された「子供手当て」や「戸別所得補償制度」といった分配策は有権者を惹きつけた。そして2009年に政権交代を実現する。もちろん細野も党職について政権奪取に尽力することになる。しかしその後、政権運営に挫折し分裂を繰り返した挙句、民主党もその後継政党の「民進党」も消滅してしまった。前編で紹介した通り、民進党の解党は「細野の責任」を問う地元・三島からの声もあったが果たして――。
後編はこれまでの細野の歩みを検証しつつ、野中広務との関係性に迫っていく。
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