ワイド特集 人権救済法案 クライマックスシリーズ5回戦(同和と在日2011 12)

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By 宮部 龍彦

三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年12月号

民主党政権の発足以来、千葉景子、江田五月、平岡秀夫といった歴代の法務大臣が立法に意欲を見せてきた「人権救済法案」。党内には、推進派が多くたびたび上程が検討されるも、いまだ実現に至っていない。このため一部からは”ゾンビ法案”とも揶揄されるほどだ。「立法に意欲」しかし「断念」の無限ループを繰り返す同法案の内情に迫った。(*本稿は電子版「同和と在日」2011年12月号に掲載した記事に補足、加筆したものです)

野田首相も推進派! 人権侵害救済法案の裏側

「民主党には頑張ってほしい。野田さんも平岡法務大臣に対して人権救済法は大事だから一日も早くやってくれ、と言っている」

本誌でもレポートした昨年11月10日、部落解放研究第45回全国集会第6分科会「人権侵害救済法がひらく未来―政府案の実力」で組坂くみさか繁之しげゆき氏はこう立法に向けて気勢を挙げた。外国人地方参政権などには慎重の態度とみられる野田首相も人権侵害救済法は容認の立場を取るようだ。また組坂氏によると加藤かとう友康ともやす部落解放中央共闘会議議長らと政府に人権救済法の陳情に訪れたという。その顔ぶれは前原政調会長、輿石こしいし幹事長、平岡法相ら党内の有力者に及んだという。法案提出の担当大臣になる平岡法相からは「なんとか頑張りたい。次の常会で出したい」という回答を得たそうだ。

民主党―部落解放同盟の協力体制は万全と見える。しかもカギを握る政調会長が解放運動にも理解がある前原氏だからもはや提出を阻むものはないだろう。ただ民主党政権の発足以来、千葉、柳田やなぎだ江田えだ法相と推進派が続き、たびたび「なんとしても実現したい」と言い続け、強い意気込みが聞かれたが、結局は果たせぬままではある。

民主党の推進派議員からはこんな“焦り”も聞かれる。「官房長官時代に人権侵害救済法の陳情を受けていた枝野えだの氏も狭山さやま事件の弁護団を離れ、運動体とは距離を置かざるをえなかった。また部落解放同盟が支持する中川おさむ氏(衆)や狭山弁護団のつじめぐむ氏も次の選挙で議席を死守できるか微妙だ。立法のチャンスは来年の常会になるだろう」

つまり立法に向け“タマ”が確保できる現体制しかないというわけだ。

「平岡さんも人権救済法に熱心です。とても細かいところにまで目が届く人。一時、民主党の法制局長官と言われていたくらいで、救済法案にも大臣がそこまで意見を言わなくてもいいくらい細かく意見を言います」

推進派の松野氏も多少のもどかしさをのぞかせる。もっとも平岡大臣が細かい指摘をしなくてもいまだ党内、関係団体で議論が続いているのは事実。その焦点が人権侵害の定義。松野氏が自らも「違法に人権を侵害するものを定義として考えているが人権侵害の区別をどうするかというとつきつめると正直いって簡単ではない。さらにつめないといけない」と話す。

この通り「定義」をめぐり、政府、党内でも議論は揺れる。その一方で現場からの突き上げは激しい。一部からこんな不満や要望も漏れてくる。

部落解放同盟東京都連合会の支部や支部長に送られた連続大量差別はがき事件(2003年)を例に取り、「この事件は支部長を実名で送りつけたから差別として立件できたが、団体への中傷はどうするのか」と訴える。つまり本来は対個人に対する人権侵害を「団体」にまで適用せよ、というわけだが、これでは人権侵害の適用範囲があまりに広範になってしまう。だが実際にこのような適用範囲の拡大が可能とは考えにくい。

実際に次期、通常国会で提出したいと鼻息が荒いがにも関わらず人権侵害の定義すらできていないとは不思議な話。民主党案、法務省政務三役、旧人権擁護法案の中で「人権救済の定義」について比較をすると民主党案と旧人権擁護法案が「不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為」と定義しているのに対して、法務省案の場合は「空欄」になっている。

人権侵害を救済するのが目的の同法案がその定義でまだ議論が続いている上、所管する法務省は定義がないという有様である。むしろ人権救済法を取り巻く人々が「人権」に振り回された格好だ。さらに救済に当たる人権委員の数も民主党案、解放同盟の間で折り合いがついていない。組坂氏は「我々は7名を求めるが、内々では5人にしてほしいという話もある。ただ5人は誤認逮捕だよ(笑)」と委員数7人を強く訴える。

ダジャレを交え穏やかに語る組坂氏だが、委員会7名には並々ならぬ意欲を見せる。かくも解放同盟が委員にこだわるのも、民主党案の委員の条件に「委員のうちに人権の擁護を目的とし若しくはこれを支持する団体の構成員又は人権侵害による被害を受けたことのある者が含まれるよう努める」としており、「支持する団体の構成員」という部分に解放同盟員の関係者をねじ込みたいという魂胆が見え隠れする。

対して松野氏は「人権委員会の委員を何人にするのか詰め切れていない」とこちらも不透明。しかも「日弁連からは国会の中に委員会の推薦委員会を作って人選すべきという提案がある。ただ人選する人の人選は誰がやるのか難しい」(松野氏)と明かす。人権委員会を推薦する委員を作って、その人選が難しいとはもはや禅問答のような風情。2012年常会に法案提出を目論んでいたが、結局は断念したようだ。いずれにしても関連団体と民主党の間の密室の協議で進行する同法案。他にすべきことは山ほどあるのではないか?(三)

組坂氏激白「野中さんが人権擁護法案で“糾弾”を抑え込もうとした」

「人権擁護法案は野中さんが法務省と糾弾を抑え込むためにやろうとした」。同じく第6分科会でこんな不満をぶちまげた組坂氏。救済法の議論が煮え切らないことに若干、いらだちを感じてのことか。野中さんとはもちろん野中広務元官房長官である。組坂氏から野中批判が聞けるとはなかなか貴重だ。

過去、批判者には厳しい対応を取ってきた部落解放同盟。特に共産党との長年の対立はもはや“タマのやり取り”の域に達した時期もあった。『同和利権の真相』(別冊宝島Real)が刊行された際は、作家・宮崎みやざきまなぶ氏らシンパを集めて『同和利権の真相の『深相』(解放出版社)で徹底抗戦。そして弊誌もついに全国集会で「差別者」認定を受けるに至った。ただ不思議な現象が「出自を同和地区」とする政治家やジャーナリストらによる批判に対しては“スルー”か“容認”の態度をとることだ。特に京都府園部町そのべちょうの被差別部落出身として知られる野中氏の存在をひも解くと面白い現象が起きる。出自が同和地区なら批判も許される、いわばこれは“野中レジーム”と言うべきものだ。

1967年、野中氏が京都府議会に立候補した際、八木町やぎちょうの演説会場で解放同盟員が「部落解放をみんなの手で」という垂れ幕をかけた。すると彼は「あんな垂れ幕を役場の前におろしておるような町は日本国中探してもあらへん」と苦言したそうだ。これに対して地元の同盟員らから「野中はんの中には差別にいきどおる野中はんと政治家としての野中はんが2人おるんです」と声が挙がったそうだ(『野中広務研究』魚住うおずみあきらより)。この発言、もし一介の政治家が言ったならばおそらく糾弾会モノだろう。かといって野中氏が糾弾を受けたような話は全く聞かない。“野中はん”だから許されたのである。

現在、野中氏は政界を引退後、全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長理事を務める傍ら、人権をテーマにした講演会を続けている。本来、政界を引退した場合、時局のよもやま話や回顧などがありがちだが野中氏の場合、「人権」が主題であるのも「出自」によるところだろう。ある時には「保守」の顔、一方では「人権派」としての顔。この処世術こそ自民党のドンに登りつめる原動力だったかもしれない。とはいえ全土連の収入支出決算書を見ると「人権問題啓発推進事業」にも予算がついているのはいかにもである。

「同和」そして「保守・リベラル」の顔を巧みに使い分け、その境界線を上手く生きながらえてきた野中氏らしいエピソードを紹介しよう。2008年10月10日、東京神田の総評会館で開かれた「浅沼あさぬま稲次郎いねじろう追悼集会」での一コマ。浅沼稲次郎とは元社会党委員長で1960年に日比谷公会堂で右翼成年に刺殺された人物だ。社会党委員長の追悼にゲスト出演するのも野中氏らしい。会場には社民党・保坂ほさか展人のぶと氏(現世田谷区長)もおり、「おいキミ追悼文を読みたまえ」と言われると保坂氏も平身低頭。左派の政治家も野中氏には一目置く。

また当時の麻生首相にも触れ「嫌いですよ」とスピーチはヒートアップ。日本と韓国の間で対立する竹島についても言及し、「人が住んでいないから(竹島を)爆破してしまえ」と大放言だ。これこそ野中節。日本領と言えばナショナリストと呼ばれ、かといって韓国領とも言えないところに出てきた爆破発言。これぞ野中レジームの真骨頂である。そりゃ組坂氏もああ言いたくもなるのだろう。(三)

人権侵害救済法を訴える分科会で熱弁をふるう組坂氏。民主党・松野信夫議員も法案提出に意欲を見せた。

人権オジサン平岡元法相
リンチ死遺族にお忍び謝罪

民主党政権下で「法務大臣」とはまさに”鬼門”であった。議員というよりはむしろ運動家という方が相応しい面々が揃ったのもこのポスト。中でも反発が強かったのが平岡ひらおか秀夫ひでお元法相だったかもしれない。同氏は、いわゆる”市民派”や労組出身の議員が多い民主党にあって、元大蔵官僚というエリート。しかし民主党内でも最左派の議員として保守派からバッシングされることも多かった。元日本赤軍出身の北川きたがわあきら氏が社長を務める「第三書館」の『民主党WHO’S WHO[全議員版]ミンシュラン』からも「リベラル派のエース」として紹介されているから、その人物像、政治信条は説明不要だろう。また同氏は、死刑反対派の急先鋒でもあり、野党時代から積極的にこの分野の講演会、シンポジウムに参加してきた。大臣を退いた後も今年4月18日、EU代表部が主催したシンポジウム「死刑廃止に向けて:欧州の経験とアジアの見解」にも登壇している。そんな平岡氏が注目されたのは2007年6月29日放送の『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)に違いない。番組で平岡氏はリンチによって子息を失った女性にこう言った。

「むしろ悪いことをした子供たちはそれなりの事情があってそういうことになったんだろうと思いますけどね」

これがきっかけで平岡氏に批判が殺到。後日、自身のHPでお詫び文を掲載せざるをえなかった。法相就任後、野党がこの発言を放置するはずもなかった。2011年10月25日の衆議院法務委員会で自民党・平沢勝栄氏から発言の意図について追及を受けた。すると11月13日、滋賀県大津市の女性宅を訪問し、お詫びに出向いたという。

「法務委員会での指摘を受けて、訪問しお詫びすることを決めました。約30分の面談でした。法相の立場ではなくあくまでプライベートでの訪問です。どういった話になったのか把握しておりませんし、これ以上のことはコメントできません」と事務所は説明する。

平岡氏は民主党の次の内閣の法務大臣だった。野党時代はリベラルでラディカルなオレ、とばかりにいかにも“人道派”のような発言を繰り返し、上記の暴言につながったわけである。ところがいざ法相となれば、そんな人道派なオレの発言に首を絞められたわけだ。しかも殺人した少年らにすら“それなりの事情”がある、としながらも「人権侵害」に対しては目を吊り上げるアンバランス。しかもその人権侵害が何かも不明のまま、救済法には躍起やっきになっていた。誰が言ったか政権交代前は、”民主党は人材豊富”との評価が聞かれたが、その結果がこの有様なのである。(三)

ナゼか差別禁止法を訴え始めた
元朝日新聞編集委員の無節操

差別禁止を訴えあの戦士たちが立ち上がった! 人権運動家が集まり2011年6月に結成された「差別禁止法の制定を求める市民活動委員会」。なにしろその呼びかけ人メンバーの顔ぶれがスゴイ。もはや人権運動家というより闘士のような人材育成コンサルタントのしん淑玉すご氏を筆頭に、松岡まつおかとおる元参議院議員(部落解放同盟)、多原たはら良子りょうこ札幌アイヌ文化協会事務局長と在日、同和、アイヌの活動家が勢ぞろい。まさに“人権翼賛会”というべきラインナップだ。さらに呼びかけ人の名を見ると元朝日新聞編集委員で現在、和光わこう大学教授の竹信たけのぶ三恵子みえこ氏の名も。

この竹信氏、東大文学部を卒業後、朝日新聞に入社し、朝日新聞総合研究センター主任研究員、新聞労働担当編集委員という超エリート。専門が労働問題、特に女性の雇用などを得意とし、「派遣村」が隆盛の頃は彼女らが言う“ワカモノ”とシンポジウムなどに参加し、積極的に発言をしていた。突如、演説を始めるのはもはや記者というより活動家に見えた。労働分野では輝かしい実績をお持ちで、「反貧困ネットワーク」の「反貧困ジャーナリズム大賞」を受賞した他、「「ルポ雇用劣化不況」で労働ジャーナリストらが選ぶ「2010年日本労働ペンクラブ賞」を受賞している。当時、多くの若い活動家に囲まれ“理解者”たらんとするその姿はいかにも朝日らしいところ。ミス朝日新聞の趣すらある。

そんな彼女が今度は同和―在日―アイヌ団体と差別禁止法というのだから、どこまで朝日イズムの実践者なのかと思いきや、ある部落解放同盟員はこう話す。

「いや別に珍しいことではないよ。本田ほんだ雅和まさかずさん(朝日新聞記者)も女性国際戦犯法廷のNHKの特集番組で騒動になった後、ウチの集会や活動に参加していた。僕は当時、知らなかったからあれ? 本田さん解放運動にも興味があるんだなって思ったけど」

朝日記者は一線を退くと同和に駆け込むのか、と思いきや本誌内部からも同様の声が。

「昨年の鳥取市長選に出馬した砂場すなば隆浩たかひろ(現鳥取県議)も元朝日新聞記者で、同和地区実態調査の復活を呼びかけるなど解放同盟の主張をそのまま取り入れている」(鳥取ループ)。

これまた朝日らしい話ではあるが、要するに彼らの「人権意識」や「弱者」の定義とは運動体の主張を真に受けたものばかり。声はやたら大きいものの、他にもある弱者や人権を考えるイマジネーションが全くないのである。(三)

人権問題の最恐メンバーたち。右端が竹信三恵子氏。「同和と在日」にすり寄るのも朝日記者らしい。

学会員もいる救済法の“別働隊”
「反差別国際運動」

人権侵害救済法案の立法に向け、部落解放同盟とともに運動を展開している「反差別国際運動」(IMADR=イマダ)。表面上は学識者や市民で構成されるNGOなのだが、オフィスは松本治一郎記念会館にあり、実質解放同盟内の組織といっても差し支えない。現在は人権救済法を始め、国内人権機関やアイヌ新法の立法を呼びかけるなど主張も解放同盟と歩調を合わせている。IMADRは1988年1月、解放同盟を筆頭に北海道ウタリ協会、全国障害者解放運動連合体らの人権団体が集まって結成。初代理事長は上杉うえすぎ佐一郎さいちろう部落解放同盟中央執行委員長が就任した他、事務局長は部落解放研究所理事長の村越むらこし末男すえお氏だったという点からしても解放同盟の影響を物語っている。

発足当時は「部落解放基本法」の制定を呼びかけた経緯から、全解連ぜんかいれん(共産党系)が反発するのも自然の成り行きだった。全解連はIMADRが「NGO」の資格を取得するのは問題があると指摘すると、1991年に11月29日、部落解放同盟は全解連と部落問題研究所を相手に名誉棄損裁判を起こした。ところが94年に解放同盟側が「NGOの資格を取れたこと」を理由に告訴を取り下げ、終結したのである。

現在は、武者小路むしゃのこうじ公秀きんひで理事長の下、国連人権委員会などに出席し、同和問題、アイヌ、在日コリアンなどの人権問題を訴える。また定期的に委員らを日本に招き、京都ウトロ地区の視察といった活動も有名。要するに解放同盟の国際ロビー活動班といった存在なのだ。さてそんな折、一部の支援者から「事務局長が創価学会員」との情報を得た。創価学会と言えば綱領に「地球民族」を掲げており、人権問題や平和活動にもご執心だ。また公明党も外国人地方参政権、人権擁護法案の推進派で解放同盟やIMARDの主張と親和性は高い。

活動は学会員としてか、人権活動家としてなのか、その方針について事務局長に聞いた。「ええ学会員ですけども、それが何か関係あるのですか? どういった趣旨で聞かれているのでしょう。活動とは関係ないと思いますが」と同氏は答える。

それと言うのも前述した通り、解放同盟と学会の主張は共通点が多く、人権救済法の提出と議論が佳境の中、両者の関係は不気味だからだ。

しかも、だ。

「解放同盟と創価学会の関係は決して浅くない」とは元創価学会員。「学会は同和地区住民を“折伏しゃくぶく”する際に“日蓮にちれんもせんだら(ヌードラの和訳、奴隷の意)の解放に尽力した”と説いたのです」(同)という。ただでさえ強固な解放同盟、IMADRの面々に学会というさらに厄介な団体の影響力が加わったら…。これは手強そうである。(三)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。