カテゴリー別アーカイブ: 書籍掲載記事

内ゲバ発生! 反日御殿「ナヌムの家」のトホホ〝お家騒動〟(同和と在日2011/2)

By 鳥取ループ

三品純(取材・文) 同和と在日電子版2011年2月号

水曜デモの前線基地、ナヌムの家

「私たちは日本政府に対して心からの謝罪と補償を要求する」。毎週水曜日、韓国・ソウル中学洞の日本大使館前でこんなシュプレヒコールが飛び交う。第二次世界大戦中、日本軍の軍慰安所で性行為を強いられたという、いわゆる「従軍慰安婦」たちとその支援者による「水曜デモ」の光景だ。水曜デモは、1992年1月8日正午から、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が被害にあったと主張するハルモニ(おばあさん)たちと始めたものである。この運動の様子は、日本でもたびたび報じられることもあるが、特に有名なのが民主党・岡崎トミ子元国家公安委員長が2001年に現職の国会議員としては、異例の国費でデモに参加したことだろう。
 そして水曜デモに参加するハルモニたちのいわば“前線基地”の役割を果たしているのが、元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」だ。この施設で居住するハルモニたちが、水曜デモに参加するのである。発足の経緯は、1992年8月に仏教人権委員会が「ナヌムの家設立推進委員会」を設立。この年の10月にソウル市内に施設が建設され、移転を繰り返しながら現在の広州市に。この施設は、ハルモニたちの居住施設とともに6つの展示場と野外展示公演のスペースを備える歴史館でもある。
 1999年11月には社会福祉法人の認可を受け、翌年4月に、日本軍「慰安婦」被害ハルモニを入所資格とした無料養老施設となり、国から月額約600万ウォン(60万円)の支援金も受けるまでになった。施設内には、医師や看護師ら医療スタッフもいる他、生涯学習やゲートボールなどのプログラムも用意されている。韓国人はもちろん、日本からもボランティアスタッフが数名おり、日本語の翻訳、通訳、案内業務などに従事する。
 日本でも定期的に、市民団体らの手で映画『ナヌムの家』の上映会が開催されている他、関連する講演会、イベントは多数。また全国メディアでも、2006年3月20日に『ニュース23』(TBS)でナヌムの家の特集が組まれたことも。番組内では、日本と韓国の若者がナヌムの家で議論し、従軍慰安婦問題の解決に向け、協力し合うといった様子が放映された。だがその後、「参加者募集の呼びかけなど存在していない」、「話し合いの上で水曜デモに出かけるという演出だったが、すでにデモ参加は決まっていた」など“やらせ疑惑”も浮上していた。
 もっともニュース23で特集される以前から、日本の若い世代の活動家の間でもナヌムの家への関心は高く、現地でボランティア活動に従事する若者もおり、水曜デモや講演会などの運営に携わっていた。日本人も関心を寄せるこのナヌムの家で、研究員・村山むらやま一兵いっぺい氏とインターン、古橋ふるはしあや氏の雇用をめぐってナヌムの家で“お家騒動”が起こっているのだ。

“日韓の架け橋”ナヌムの家の研究員、村山一兵氏が解雇

 2010年12月、日本の市民団体関係者に、村山氏と古橋氏からメールが送られてきた。それはナヌムの家が両氏を不当に解雇するため、支援を求める内容だった。この人物、日韓問題の運動家の中では、ちょっと知られた人物である。

2003年から1年間韓国に留学しました。でも「慰安婦」被害者のハルモニたちに出逢うのはまだまだ先なんです。留学した当初は、ナヌムの家に行くことが出来ませんでした。ナヌムの家に行った友だちもいたんですけど、最初は正直言って「行っていいのかなあ」と。なんかすごく肩が重いというか、……難しかったですね。最初にナヌムの家に行ったときも、自分にとってハルモニが遠いというか。帰ってからも周囲にハルモニのことを話すことは出来ませんでした。で、これはおかしいなあと思って

(2010年2月14日大阪府堺市内の講演録より)

 村山氏は、法政大学法学部政治学科出身。実は筆者の大学の後輩であったことも判明した。なにしろ同大学は2000年代に入っても、機動隊が出動するほどである。なるほどいかにもだなあ、と個人的には思いつつ、経歴を見ると、2003年に韓国の延世大学に交換留学生として渡航し、ナヌムの家のボランティア活動にも関わるようになり、水曜デモにも支援者、ハルモニたちに混じって参加している。『中央日報』など韓国メディアによると、彼の弟も19歳にして、デモに参加したというから、まあ筋金入りの運動家ではある。
 またしばし来日し、講演会などで講師として登壇したり、メディアに取り上げられることもあった。後述するが、日本でのこうした活動も解雇理由の1つであったことが判明する。
 さて問題が起こったのは2010年12月のことで、それは日本でも知れ渡った。村山氏が、日本の支援者らに当てたメールで問題が発覚したのである。村山氏のメール(2010年12月25日)によると、12月9日、家側から解雇と即日業務停止を伝えられたという。解雇理由として、事務所側が挙げたのは「2010年12月5日に東京で行われた女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムに事務所に無断で参加し、通訳をしたこと」「始末書の不提出」の2点だった。
 そこで村山氏は、ナヌムの家の責任者、アン信権シングォン所長に書面による解雇理由を要求するも、「作成する」と言われながら、後日、琴仙クムソン副院長から「解雇をするのに書面は必要ない。他の所に聞いてみろ」と反論されたそうだ。また村山氏は、12月9日に歴史館のカギや警備カードを、そしてその数日後には、業務用のパソコンも没収された、と訴えている。また村山氏が日本から予約を受けていた訪問客の案内業務からも外されており、事実上の業務停止処分の状態だったようだ。
 そして村山氏は、メールを通じ、この状況を日本の支援者らに訴えていく。すると12月24日の職員朝礼で安所長が「ナヌムの家の悪い話をすることは、結局はハルモニに被害をあたることである」「ナヌムの家の職員として個人的な感情を外部に話してはいけない」などと批判されたとある。
 また「12月末に解雇とは言っていない。3月末に今年の契約が切れるので、再契約はしないと言った」(安所長)との主張や、琴仙副院長、キム貞淑ジョンスク事務長を交えた4者の話し合いでは「12月末で解雇とは言っていない」と説明があったことも明かしている。
 メールの文面だけでは、一般企業の労働問題にもありがちな水かけ論とも思える。どうも状況がつかめないが、「村山さんは、日韓の架け橋になった功労者なのにこの処分はひどすぎる」(日本の支援者の一人)という意見や、中には「日本、韓国の議員に呼びかけて村山さんを助けてくれるよう要請行動も検討している」(有力支援者)といった声もあり、日本国内では村山氏への同情が集まっているようにも見える。
 一体、ナヌムの家で何が起こっているのか、村山氏本人に電話取材を通して尋ねた。
「12月に解雇? 決まっていません。まだ何も正式なことは決まっていません。失礼します」というのが最初の回答だった。一方、インターンの古橋氏にも状況を確認してみたが、応答はなかった。

ナヌムの家が「これ以上、私たちと共に仕事ができない」と反論

 さて関心は、ナヌムの家側がこの一件をどう説明するかである。実は、家側の内部紛争については“前歴”があった。2001年2月、ナヌムの家の所長で、設立の中心人物だった慧眞ヘジン師が女性職員に肉体関係を迫られたなどを理由に告発され、所長職を辞任し、大韓仏教曹渓宗の僧籍も返還するという事件も起こっている。詳細を尋ねようと、日本語ができるという金事務長に確認してみた。
 金氏は「日本語はできますが、ゆっくり話してください」と言い、こう説明してくれた。
「村山さんの解雇はもう決まっています。インターンの古橋さんももともと12月までの契約になっています。どんな問題があったかですか? ええ問題はたくさんありますが、説明がとても難しいです。後日なら日本語ができる人もいますので、質問を送ってくれたら回答します」(金氏)
 そこで村山氏の解雇理由などについての質問状を、メールで送付した。日本の支援者から教えられたアドレスには「このメールは一兵が管理してます」とあり、一応、双方が確認可能であるようだ。
 すると後日、ナヌムの家から詳細な回答文が送られてきた。
 回答文はこんな書き出しで始まっている。

こんにちは。「ナヌムの家」です。村山一兵氏に関連して、「ナヌムの家」の立場をまとめて送信します。今回の件は「ナヌムの家」独自の人事に関連する問題です。つまり、従業員個人の職業的態度や姿勢、行動規範、業務の指示の不履行に関連する組織内の、問題です。そして今回の件はナムヌの家自らの人事と関連された問題です。すなわち、職員個人の職業的態度と姿勢、倫理綱領、業務指示不履行と関連した組織内の問題です。これと関連してナムヌの家の運営、事務、要人、会計、資産、事業など、固有権限を侵害する越権行為、虚偽事実流布、事実関係拡大解釈や陰湿な攻撃。 そして、色々な問題が提起されて、これ以上ナムヌの家で私たちと共に仕事ができないと判断の上、2011年3月31日の契約満了後、再契約をしないと口頭の助言をしました。再契約の問題は、使用者側の判断です

 回答文というよりは、なにやら“糾弾声明”にも見えるこの文書には解雇に至った経緯が説明されている。

平和の理想郷、ナヌムの家の人間臭い労働環境

 ナヌムの家から送付されてきた回答文は、一見して村山氏個人への不満が伝わってくる内容だった。何よりも、一番重要なポイントとして「村山氏は、自分の対場、位置を十分に理解していなかったことである」と家側は指摘する。

村山氏 は報告、連絡、相談などの社会的ルールを無視し、全て日本からのボランティア依頼、各地における集会依頼メール、要求、相談、文書作成、写真使用等に関し、報告無しで本人のみで、消化・処理・行動していた。日本側から公式以来は事務所宛ではなく、全て 村山一兵氏宛になる。村山一兵氏は日本の代表者ではなく「ナヌムの家」の日本人担当職員である。

 確かに日本からの依頼メールであれば、日本語ができる村山氏が必然的に窓口になるわけだが、この場合、村山氏個人が処理するのではなく、所長ら管理者の承認、了承を経て業務が行われるはずである。文面を読む限りは、日本での活動は村山氏の個人的な判断で実行されていたようにも見える。またナヌムの家は、今回の解雇騒動についても、突如、日本の支援者にメールで呼びかけたことも問題視している。確かに先にも述べた通り、日本での状況は、村山氏寄りの意見が多い印象である。とは言え、回答文からは村山氏の単独スタンドプレーと思しき、行動も見て取れるのだ。
中には「業務未処理状態」として、「2008年から歴史観内の水曜集会スペースをリニューアルするように指示したが、現在までに処理されずにいる状態」「2010年1月に前年分も合わせて日本訪問者リストの作成業務を指示したが未作成」「2010年韓日強制併合100年、光復65周年と関連して日韓の団体間の多くの行事が開かれ、日本の国会の日本軍慰安婦被害者関連法、戦後補償法などに関連し日本側の資料を整理して報告せよと指示しても、いまだ報告をしない」
 また「水曜集会の際、毎回ハルモニと2人が同行する事になっている。1人は運転手、1人はアシスタント。キム・ジョンスク事務長 より、水曜集会に関し、ナヌムの家は、常に日本からの来場者、電話が来るかも知れない為、 1度に2名の日本人の同行は避けるよう十分に 業務の説明、指示をする。それにもかかわらず、支持に従わず 村山一兵氏 、インターン綾氏2名が同行 。再度、所長が説明し、業務の指示をしても支持に従わず。(本人の理由は、一緒に行きたいとのこと)」(原文ママ)などの業務上の問題も挙げている。
 もっともこうした話は、双方の行き違いという側面もあるかもしれない。この辺りの言い分については、第三者からは是非は判断しにくい。それにしてもナヌムの家の村山氏解雇に関する回答は、実に詳細というか、はっきり言って細かい。

2010年8月26日金貞淑事務長 が業務上の支持をしたが、指示に従わず、大声で2人が争うことになった。そのため副院長が2人に始末書提出するよう指示。事務長は27日付で提出、村山一平氏はいまだ提出していない

 こんな話から「全従業員の身に着けているネームカード継続して未着用」ともあり、

 → 「ナヌムの家」はいつも多くのイベントや歴史館観覧で、多くの国内外の方々が訪れており、訪問者が従業員を区分できず、右往左往して不便さを訴えることがある。そのためスタッフの名前カードの着用を要請した。その後、副院長クムソンお坊さん、アン所長、他事務長、看護師、調理師、ほかスタッフ全従業員が着用することにする。 村山一兵氏 、インターン綾氏二名 のみが着用なし。着用することをあらためて要求して、 インターン綾氏は着用、最後まで 村山一兵氏は着用しない。(理由は不明)
または
●ネームカード未着用に関する事由書 未提出
 → 副院長クムソンお坊さんは 村山一兵氏 にいつも会議ごとに指示、口頭で警告をしても着用せず、他の従業員たちはすべて着用しているが、なぜ着用しないか理由書を提出するように3回提出を要求。一度は提出するが理由書の内容話にならなかったため、きちんとした内容を書くように言ったが、聞き入れず未着用のままでいた。
●報告なしの事務経費を支出
 → 取引先への入金処理に関して報告とは違う内容・金額等不明な点が多く発生
(何度か改善を要求したが、改善されず)
●事務所使用に関して
 → 会議で24時間オープンされていた事務所を夜10時まで使用することにした。夜10時以降の業務処理をしなければならない状況の時、許可をとって使用する事を会議で決定する。しかし、村山一兵氏は数ヶ月間許可なしで事務所を使用した。口頭で注意・警告しても、事務所を勤務終了後継続して使用していた模様。時には10時過ぎに直接電話ではなく、携帯電話のメッセージで報告をすることもあった。(職場の規則に従わない)

(原文ママ)

とこのような主張もあった。
 日本の慰安婦問題の活動家や左派メディアにとって見れば、ナヌムの家は、戦時被害者を守る希望の砦と賞賛するのだろう。だがナヌムの家と村山氏の間で起きた、労働トラブルは、むしろ一般企業などでも起こりそうな話がズラリと並ぶ。日本で報じられる姿と違い、その実情は、かなり人間臭いトラブルも多いようだ。

* 水曜デモに向かう途中で事故、ハルモニたちと参加を決行
 それは2010年8月18日の水曜集会の参加途中のことである。集会に参加するために、ソウルに向かう途中、信号停止中のナヌムの家の送迎車が接触事故を起こしていた。
 送迎車にはハルモニたちも同乗していたという。「村山氏はハルモニたちに異常がないと自己判断し、水曜集会に出席。事務所に連絡するか、指示を受けるのか、病院に行くなりの、行動が必要にも関わらず、一方的に処理。ハルモニの安全は気にしていない。結果、車両後方トランクを全面交換する」(ナヌムの家)と批判する。
 また翌週8月25日の水曜集会のことである。ハルモニの1人が体調不全で出席が不可能と見られていた。その折、こんなやり取りがあったそうだ。ハルモニは「水曜集会に日本の方々がたくさん来るので、行く必要があると」、と言ったそうだ。事務所側は「どこから日本人がたくさん来ると言う情報が入ったのか」と確認したところ、「一兵氏(村山氏)が言った」と答えた。そこで「なぜ体調が悪いハルモニを水曜集会に行かせるのか」と事務所側はただしたところ、村山氏は「そんなことは言っていない」と回答したという。ただその他、ハルモニたちも「一兵氏が行かなきゃと言った」と答えた。
 事務所側は「今後は、水曜集会も重要だが、ハルモニ達の健康を優先すべきである。健康チェック後、(血圧・体温)水曜集会の参加についてハルモニ達の意見を聞こう」と言うと「なぜそんな必要があるのか、行く行かないは、ハルモニ達の自由だ」と村山氏は反論したそうだ。これに対して事務所側は「実際、健康が優先だと言うことを理解してくれない」と批判する。家に住むハルモニたちは80、90代の高齢者ばかりだ。確かにデモよりも健康問題の方が切実なような気もした。

女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウム参加の裏側

 左派の市民団体からは今や従軍慰安婦問題におけるヒーローのように讃えられ、一方、右派のネットユーザーからは反日思想の権化のようにバッシングされる村山氏。たびたび彼の主張が各ブロガーに扱われることもあるが、その1つに中国・上海で日本軍の慰安所とされる地域の訪問ルポがある。韓国のインターネット新聞『韓国日報』(2010年6月28日)にも村山氏の訪問記が掲載されている。過去ログを見ると、同紙記者のキム・ヘギョン氏の署名が付されていた。
 この上海取材についても、ナヌムの家の事務所は問題視している。
 2009年にキム・ヘギョン記者 は 村山氏に「ナヌムの家」研究者の立場から慰安婦問題のため中国上海の取材を要請。この時、村山氏は「個人休暇」を取って、記者に同行し、上海に行ったとのこと。その後、ナヌムの家側は、村山氏が上海に行っていたことを記事で知ったと説明している。記事にはナヌムの家の研究者、村山一兵と紹介され報道していることから、村山個人ではなく、やはりナヌムの家代表者として取材に同行したと見るべきだろう。この点については村山氏のマナー違反にも見えるがどうだろうか。
 実は解雇理由にもなった「女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムの無断参加」についてもこんなトラブルがあった。
 2010年11月25日、 沖縄キリスト教大学の催しに村山氏と玉仙オクソンハルモニが招待されることになり、これは正式に事務所にも受理された。そして女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムについては、カン日出イルチョルハルモニとスタッフ、および日本の通訳ボランティアが参加することになっていた。ところが村山氏は、沖縄より「東京に行きたい」と主張し始めた。そして沖縄キリスト教大学側に対し「事務所が行くことを許可しない」と村山氏は説明したそうだ。
 当然、大学側からは「何故一兵さんを来させないのか!」とクレームの電話が入ったため、家の事務所側は「村山氏自身が沖縄より東京行きたい」といった旨を説明。それで再度、村山氏と李ハルモニの沖縄行きが決定。その際、村山氏は東京に行かない、ことを確認したというが、村山氏から休暇願いが提出されたのはこのやり取りの後のことだった。しかも女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムで通訳ボランティアを依頼していたスタッフに村山氏は密かにキャンセルさせたのだ。そして2010年12月急遽、村山氏が東京で姜日出ハルモニらの通訳スタッフとして女性国際戦犯法廷10周年のシンポジウムに参加したのであった。
 シンポジウムの最終日の6日には、懇親会も開かれその最中のことである。
 1928年生まれの83才のカン氏にとってはシンポジウムと日本への旅は体力的にも大変だったことだろう。カン氏はスタッフに「疲れたので休みたい」と申し出るも、村山氏からは「みんなが待っているから行こう」と誘われたという。スタッフらは「懇親会よりも健康状態の方が先だ」と主張し、口論に発展したそうだ。
 真剣に運動に関わる人から見ればこうしたトラブルをどう感じるものだろう。「女性国際戦犯法廷」、正式名を「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。2000年に「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)が開催してから国内外のメディアでもたびたび取り上げられた。特に有名なのが、NHKが2001年1月30日に放送した、NHK教育テレビ・ETV特集「ETV2001  問われる戦時性暴力」をめぐって発生した「NHK番組改変問題」も記憶に新しいだろう。この問題について2005年1月12日、朝日新聞は、自民党・中川昭一氏(故人)と安倍晋三氏(当事副官房長官)から番組制作に圧力があったとする記事も報じている。後にはVAWW―NETジャパンによって法廷闘争にも発展した女性国際戦犯法廷。こうした過去を経て、村山氏をめぐる問題について、支持者、批判者を問わず当時の関係者たちは何を思うだろうか。

韓国の市民運動の「北」と「宗教」シンドローム

 ナヌムの家からの回答文を見ると、確かに村山氏自身の勤務状況にも疑問点が多い。かといって 先にも述べた通り、過去にはナヌムの家内部で所長による性的行為の強要事件が発生するなど、決してその過去は「清廉」でもない。しかも事件を起こした所長は、僧侶、つまり宗教者でもあった。そしてここに韓国の市民運動が抱える問題の一端があるのだ。韓国の市民運動に詳しい東国大学の研究者はこんな話をしてくれた。
「日本に『パボ』というアイドルグループがいるでしょ。私など労働問題に関わっているとビックリするんですよ。パボとは韓国語で『馬鹿』とか『アホ』の意味なんですが、韓国の労働運動のシンボル的な活動家にチョン泰壱テイルという人がいました。彼は中学さえ中退するほど貧しかったのですが、独自に労働法を学び、劣悪な労働環境と戦うために『パボの会』というのを作ったんですよ。みな学歴もない労働者ばかりだったので、アホの会という意味ですね。結局、彼は70年にガソリンをかぶって焼身自殺をすることになったんです。それ以降は、全泰壱のような本当に貧しい労働者が先頭に立って労働運動をするのではなく、どちらかといえば“北韓派”と呼ばれる親北朝鮮の一派が力をつけました」
 また同氏は宗教団体と人権運動との関係性についてもこう指摘する。
「韓国は犯罪被害者を救援するために『犯罪被害者支援センター』を全国に55カ所も設置しましたが、実はこれがほとんど機能していませんでした。それで結局、民間のカトリック団体の力を借りてようやく機能するようになったのです。つまり北のシンパか宗教団体の協力がないと、なかなか市民運動や人権活動に人が集まらないのも否定できません」
日本国内の支援者の中にも宗教関係者が関与していることを快く思っていない人も決して少なくない。また村山氏自身もたびたび日本の団体や支援者に対して「ナヌムの家のハルモニ達はナヌムの家を出たいと言っている」、「ナヌムの家は問題が多い」というメールを送っていたという。ならば自らその問題点の原因は、宗教にあるのか、施設内の制度にあるのか、白日の下にし、社会に問うことがあっても良かったはずだ。雇用が切れた後、村山氏がナヌムの家について何を訴えるのか見ものではある。

解雇騒動、見守らざるをえない日本の支援者たち

 当初は一方的な解雇にも見えた今回の問題だったが、ナヌムの家側の説明では、若干、村山氏にも疑問点を感じた。一連の事実を踏まえて再度、村山氏に事実関係を確認した。
「契約についてまだ何も決まっていません。まだナヌムの家で働いていますよ。事故の話ですか。それは解雇の理由として聞いていません。それに知らない方なの電話ではお話できません。韓国に来て頂ければお話します」
 ということであった。もっともこの村山氏、単なる研究員ではなく、ナヌムの家で暮らす「住民」でもあるのだ。ここを解雇となればすなわち韓国内での住居を失うことにもある。勇み韓国に乗り込み、いつしか慰安婦問題の若手のホープまでに成長し、メディアや講演会出演も多数。それも「ナヌムの家」の研究員という肩書きがあってできたこと。また自身も単に支持者に向けて、メッセージを発するだけでなく、女性国際戦犯法廷における通訳問題なども合わせて説明すべきだろう。
 一方、慰安婦問題の支援者の間では、おおむね村山氏への擁護的な意見が多かった印象だが、慰安婦問題解決に取り組む関西地方の地方自治体の議員はこう話す。
「村山さんはとても熱心にやっておられたと思いますが、なにしろまだ若いでしょ。現地のスタッフからすれば、個人行動が目立ったと判断される可能性はあったかもしれませんね。ただナヌムの家の皆さんも熱心な方ばかりですよ。内ゲバ? 単に行き違いでしょ。我々は日本でできる限りのことをやって見守るだけです」
 とは言え、今後、日本の支援者たちにとっては厳しい選択が迫られるだろう。村山氏の活動自体は応援したいものの、かといって大っぴらに「ナヌムの家」を批判することも難しい。前出の議員の言葉を借りればこの一件、実は「見守らざるをえない」のかもしれない。一体、彼らが守ろうとしたものは何だったのか? 高齢者となったハルモニたちなのか、それとも組織なのか、個人の思想や運動なのか? 改めて思う、人権運動が組織化した時、本当に守るのは「人」でなくなる、と。(三)

ひっそりと“小西”の名を留める「飛鳥会」の今を追う(同和と在日2012/12)

三品 純 By 三品 純

三品純(取材・文) 同和と在日電子版2012年12月号

2006年に発覚した「飛鳥会あすかかい事件」。大阪府、いや全国の解放運動に影を落とした同和関連事業における最大級の事件だ。広域暴力団の幹部、部落解放同盟大阪府連飛鳥支部の支部長でもあった財団法人飛鳥会理事長、小西こにし邦彦くにひこ(故人)が「同和と暴力団」をバックに政界、行政、銀行、芸能界に至るまで影響力を持ち、不正蓄財を重ねてきた。俗に“同和は怖い”という言説やイメージがあるが、これに対して解放同盟側は「解放運動に対する偏見」などと批判する。だが同事件によってやはり「同和は怖いこと」が鮮烈に印象付けられた格好だ。

大阪市の外郭団体から西中島にしなかじま駐車場の業務委託を受けた小西は、収益を過少申告しその差額を横領していた他、旧・飛鳥解放会館(後に大阪市立飛鳥人権文化センターと改称)館長らと結託し、暴力団関係者に健康保険証を不正所得させた。さらに銀行の融資に対しても小西は、発言権を持ち旧三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)とのパイプを深め、自治体などとの斡旋あっせん役だったことも衝撃を与えた。このことは『同和と銀行』(もりいさお)でその内幕が克明に描かれている。

事件を契機に特に大阪市では、同和事業の見直しが求められ、関連施設が軒並み閉鎖されていく。解放同盟の解放研究集会やその他の催事においても、主催者の最初の挨拶で「運動の点検が必要」といった文言が付け加えられるようになった。しかしそれがどう点検され、どう運動に反映されたのか“外の世界”からは、あまり見えない。また「運動の中でエセ同和行為を行っていた者がいた」と暗に小西を批判するコメントもある。しかしこのことは裏返すと運動の内部に「エセ同和行為」の下地があるということであって、早い話、この種の主張は、自己弁護に過ぎない。

ところでなぜ今の時期に「飛鳥会」を取り上げたのか? このことを説明しておこう。実は「まだ飛鳥会は存在している。調べてほしい」といった声が本誌に寄せられたからだ。また本誌編集長、鳥取ループが2011年同地付近を訪れた際、大阪市立飛鳥人権文化センター自体は開館していたことを確認しており、何らかの運動は継続していると予想したのだ。さらに「グーグルマップ等には、今でも飛鳥会の名が残っている」(鳥取ループ)というから周辺には、飛鳥会の関連組織が存在しているのかもしれない。果たして飛鳥会は、今どうなっているのか? 飛鳥会とセンターの所在地である大阪市東淀川区東中島、阪急電鉄京都本線「崇禅寺そうぜんじ駅」付近に向かった。

かつては、歩道橋にまで「部落解放基本法の早期実現を」といった横断幕が掲げられたほど運動が強かったこの地域。しかし崇禅寺駅付近には、その面影すらない。駅を降りると目の前に大阪市立飛鳥人権文化センターがある。センターの外観は、非常に“小洒落た”造形でいわゆる「ポストモダニズム」の影響を受けた造形だ。

しかし当初の話とは、大きく異なっており、施設はすでにロックアウト状態だ。そして「施設事業終了のお知らせ」と大阪市市民局人権室の名で掲示板に張り紙があった。

南方人権文化センター(市民活動プラザおおさか西館)、もと飛鳥人権文化センター(市民活動プラザおおさか東館)の事業は、平成23年度(平成24年3月31日)で終了することとなりました

2011年度までセンターは運営されたものの、現在は終了となったわけだ。地元住民に尋ねると「今頃、何しにきたん? 何か事件でもあったの?」と淡々としているので、事情を話すと「飛鳥会があったビルはあれやね。もとの事務所は2階やったかな。もう忘れた」と示した方向には、一階に薬局があるごく普通の建物だった。ビルの2階を訪ねると男性職員が応じてくれた。

「飛鳥会? ウチは福祉施設の事務局で関係ありませんわ。この上のフロアも1階の薬局さんが借りておられるようですわ。ビル自体もとっくに競売にかけられているしね。地図に飛鳥会の名前が残っている? そりゃアンタ、別に珍しいことでもないでしょ。古い建物の名前がそのままになっていることはよくあるんと違いますか?」

建物は、すでに飛鳥会の「あ」の字も残しておらず、完全に飛鳥会の名は消滅しているかのようだ。しかしビル周辺を観察してみると「飛鳥会はまだ存在している」という情報も実はやぶさかではなかったことが分かった。郵便受けを見ると「小西」と彼が運営していた福祉団体の名称がまだ残っていた。

「配達自体はまだされているみたいだね」(ビル関係者)というから、小西亡き後も何らかの郵送物が送られているのだ。こうしたことから「まだ飛鳥会が存在する」という話になったのだろうか。ただ郵便受けは頑丈にロックされ、出し入れした痕跡すらない。あの壮絶な事件を起こした陰惨さよりも、むしろ物悲しさすら漂う郵便受けの「小西」の二文字だ。彼の隆盛を知る人物はこう述懐する。

「解放運動家というよりもすご腕のビジネスマンで、プロ中のプロの興行師じゃないか。ショーを開くのも芸能界の事情をよく知っている。小西さんの興業の打ち方は “かつて一世風靡した芸能人”に声をかけること。もっと言うと“名前はあるけど、仕事はない”という人に声をかけてチケットをどさっと購入してやるわけだ。芸能人本人からも事務所からも感謝されるし、観客も地元のおっちゃんおばちゃんばっかりやから有名ってだけで喜ぶしね」

巧みに相手の心理をつき政界、芸能界、銀行にまで食い込んだ小西ならではエピソード。ある意味、豪快さすら感じるが今、この地からはその面影すら感じない。(三)

主を失った旧・大阪市立飛鳥同和地区解放会館は、現在、完全に封鎖状態にある。立派な外観は逆に当時の事業の勢いを物語っている。

飛鳥会事務所があったビルの郵便受けに「小西」の名が。施錠されているものの、現在も郵便は配達されるという。送り先は誰なのだろうか?

メディアが隠す放送業界の大チョンボタダ見し放題B-CASカードの欠陥で正直者は損をする(同和と在日2012/7)

By 鳥取ループ

鳥取ループ(取材・文) 同和と在日電子版2012年7月号

2012年5月中旬頃、日本のデジタル放送を受信するチューナーやテレビ等には必ず入っている、B-CASビーキャスカードを書き換えするためのソフトウェアが出まわり、誰でも簡単にWOWOWやスカパーなどの有料放送をタダで見ることが出来てしまうことが明らかとなった。その事実は複数のブログで紹介され、新聞でも報道された。カードの書き換えはパソコンと、税金の電子申告などに使うカードリーダがあれば簡単にできてしまうことから、各地でカードリーダーの売り切れが続出する事態となった。

6月に入って、さらに自体は急展開を見せる。堂々とブログでカードの書き換え方法を紹介していた「平成の龍馬」こと多田ただ光宏みつひろ氏が、6月19日に電磁的記録不正作出・同供用の疑いで京都府警に逮捕された。さらに、書き換えのためのプログラムをネットで配布した人物も不正競争防止法違反容疑で逮捕された。このことはテレビでも報道され、これを機に、カードの書き換え方法を紹介していたブログやウェブサイトは次々と姿を消した。

しかし、これは事態の収束を意味していない。書き換えのためのプログラムは現在でもネット上に出回っているし、秋葉原の電器店などでは「書き換えをしよう!」と言わんばかりに、B-CASカードとカードリーダが一緒に販売されている。放送局側は未だに何の対策もしておらず、書き換えたカードで有料放送を視聴できる状況は今も変わっていない。京都府警の捜査にしても、ネットでは「不公平な見せしめ逮捕ではないのか」「そもそも逮捕は無理筋で、裁判で有罪にすることはできないのではないか」といった批判の声も聞かれる。

どうしてこんなことになってしまったのか、ほとんどのメディアは沈黙したままだ。特にテレビに至っては、報道できるはずもないのだ。それは、単なる不正書き換えであるとか、カードの技術的欠陥であるといった問題だけでなく、問題の核心に触れるためには放送業界が作りあげてきた現在のデジタル放送の“制度”そのものが抱える根本的な問題を避けて通ることはできないからだ。

メディアが取り上げにくいもう1つの理由として、問題を理解するには放送技術についての専門知識が必要になるということもあるだろう。そこで本誌では、なるべく一般の読者でも分かるように、これらの問題の核心を解説していこうと思う。

膨大なデータを家庭に届けるデジタル放送

まず、デジタル放送の仕組みから解説しよう。ご存知の通り、デジタルは0と1の信号を組み合わせた、数字の羅列によってデータをやりとりする方式のことだ。これはインターネットで使われているものと全く変わらない。ただし、放送の場合は空から電波として一方的にデータが“降ってくる”という点が異なる。

デジタル放送の情報の伝送速度は、地デジの場合15Mbpsメガビット毎秒、衛星放送の場合12Mbpsである。これは0と1の組み合わせがそれぞれ1秒あたり1500万回、1200万回あることを意味する。そう言われてもピンとこない人が多いと思うが、これは大変な速度である。家庭用のインターネットの光ファイバー通信回線が100Mbpsと宣伝されているが、実際は10Mbpsも出てればよいところであり、しかも接続先のサイトや、その時々によって速度にばらつきがある。しかしデジタル放送の場合は、全く同じ通信速度で安定して途切れなく家庭に情報が配信されるという特徴がある。もし、この通信速度を文字情報の伝送に使うとすれば、1秒間に本誌「同和と在日」書籍版に換算して約400ページ分に相当する文字情報を送ることができる。

放送局が放送内容を発信し、家庭でそれをテレビに映し出すためには、0と1の組み合わせをどのように送って、どのように家庭のテレビに再現するかという取り決めがなくてはならない。デジタル放送では、この取り決めとしてMPEG2-TSエムペグツーティーエスという国際標準方式を採用している。この方式では、0と1の組み合わせ1504回分を1つの塊(パケットと呼ばれる)として分割し、テレビに必要な映像や音声だけでなく、文字情報も載せられる仕組みになっている。

地デジの場合は、このパケットが1秒間に1万個近くも送られてくることになる。全てのパケットを映像と音声に使う必要はなく、他のデータを載せたパケットを織り交ぜながら送ることができる。例えば放送局が1秒間電波を飛ばす間、9000個のパケットに1秒分の映像と音声の情報を載せ、残りの1000個のパケットに番組名などの文字情報を載せるといったことが出来る。このように10分の1のパケットだけを文字情報に割り当てるとしても、書籍に換算して毎秒40ページ分くらいの文字情報を送れる計算である。

テレビをつけると、すぐに番組名などが表示されるのは、この豊富なデータ量を利用して同じ文字情報を2秒毎に繰り返し送っているからだ。後述するが、この映像と音声以外の情報は、個別の受信者のB-CASカードに書き換えをすることさえ出来るようになっている。

B-CASカードが必要なワケ

デジタル放送の方式は、国際標準をはじめとして、文書として公開されている。デジタル放送を受信する機器のメーカーは、この公開された文書に書かれた方式に従って機器を作りさえすれよいということになるのだが、日本では事実上そうなっていない。なぜなら日本のデジタル放送は全てスクランブル、つまりは暗号化がされている。その暗号を解除するためには、中身は非公開とされているB-CASカードを使用しなければならない。

放送についてのルールを定めた法律である「放送法」では、NHKや代表的な民法などの「無料放送」とWOWOWやスカパーなどの「有料放送」が区別されており、有料放送の受信には放送事業者との契約が必要だが、無料放送については同様の規定はない。なので、本来は無料放送は自由に受信してよいものなのである。

しかし、前述のとおりデジタル放送は無料放送であっても暗号化されており、暗号の解除にはB-CASカードが必要である。そのB-CASカードは株式会社ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ(B-CAS社)から「貸与」される。そのため、視聴者はB-CAS社との間でカードの仕様についての契約を結ぶことになり、法律上は自由であるはずの無料放送を受信するために、視聴者が1民間企業との契約条件に縛られることになるのである。そのため、この仕組みが脱法的であるとして、しばしば批判の対象になっているのだ。

なぜ放送局が無料放送までも暗号化したがるのかというと、放送内容のコピー制限をしたいということが挙げられる。しかし、著作権法上は私的な利用や、論説のための引用など、正当な理由がある場合は著作物のコピーが認められている。そこで、B-CAS社の約款でもって本来は法律上で認められているコピーにまで制約を加えようというわけである。実際、B-CAS社の約款には「カードの使用目的に反する機器(例えば著作権保護に対応していない機器)に、このカードを使用することはできません」とある。

このようにデジタル放送のようなデジタルな著作物を、権利者の側で技術的な手段を使ってコピー制限等を加えることをデジタル著作権管理(Digital Rights Management: DRMディーアールエム)と呼ぶ。しかし、技術的に完璧なDRMというものは今のところ存在していない。

なぜなら、著作物を提供するためには、最終的にはいずれかの段階で著作物を見ることが出来る状態にしなければならないからだ。そのためには、利用者が機器を使用している間、復号された“生のデータ”が必ず機器の中に存在するのである。DRMの技術はそれを取り出しにくくするためのものではあるのだが、現実には案外簡単に取り出せてしまう場合が多い。暗号を解読するための手段が利用者の手元にあるのだから、当然のことだ。

すると、狡猾こうかつな人はDRMを解除して自分の好きなように著作物を利用する一方で、正直者にとってはわずらわしい制約になってしまう。そして、DRMにための技術にはコストがかかり、そのコストを負担するのは結局は正直な利用者という、実に不公平なことになってしまうのだ。

また、せっかくアナログからデジタルへと技術が進歩したのに、利用者にとって前より不便になるのは理不尽だという批判もある。もっとも、コピーしたデータの質を気にしないのであれば、チューナーをビデオレコーダーにつなぐか、テレビの画面をビデオカメラで撮ればよい。

本誌電子版同和と在日も、デジタルデータである以上はDRMを使用することはできるのだが、使用しなかったのは実はこのような理由からである。

それならば、無料放送の自由な受信や著作物のコピー自体を禁止してしまえと思うかも知れないが、それが出来ないのは、やはり憲法が保障する表現の自由が関係してくるためだ。放送の受信について国民に制約をかけることは、全体主義国家で行われているような情報統制につながるし、報道や政治的な議論のためのコピーまで禁止してしまうと、民主主義そのものが成り立たなくなる。

B-CASカードというのは、経済活動の自由と表現の自由のせめぎあいの中で、経済活動の自由を主張する側が生んだ産物と言えよう。

B-CASカードは何をやっているのか

B-CASカードはICカードの一種である。そして、ICカードの中でも「スマートカード」と言われる部類に入る。スマートカードは単に情報を記録するだけではなく、実はカード自体が小さなコンピューターになっている。カードリーダーに差し込むと、単にカードにデータを読み書き出来るだけではなく、カードに電源が供給されて、カード内のコンピューターが起動する仕組みになっているのだ。

B-CASカードの中は本来非公開なのだが、実はコンピューターの種類まで既に判明している。MC6805と呼ばれるもので、これは30代の方であればおなじみの「ファミコン」の中に入っていたコンピューターによく似ているものだ。現在では家電製品や産業機械などに組み込む、小型コンピューターとして大量生産されており、非常に安く入手できることから採用されたのだろう。つまり、B-CASカードの中にはファミコンが入っていると考えていただいて差し支えない。この「ファミコン」が、暗号を解読するための計算を行うのだ。その仕組みを、詳しく解説しよう。

数字の羅列られつであるデジタルデータを暗号化するには、まず「暗号化の手段」を決めなくてはいけない。例えば数字をずらして、1を2に変え、2を3に変えるというのも立派な暗号だ。もちろん暗号化の手段を隠しておけば他人には分かりにくくなるのだが、暗号化の手段は公開しておき、暗号を解くためのヒントを秘密にしておくという方法もある。例えば、数字をずらすという暗号化の手段は公開しておくが、いくつずらすのかということを秘密にしておく方法だ。この暗号化を解くためのヒントとなる数字ことを、「鍵」という。暗号化の手段を箱とすれば、それを開くためのヒントを鍵になぞらえているわけだ。例えば、数字を3つずらすということであれば、この「3」が暗号化の鍵ということになる。現代社会で実用されている暗号化手段は、このように手段は公開しておき、鍵を非公開にするという方法をとる場合がほとんどである。そうしておけば、暗号を送る側と受け取る側は、前もって鍵となる数字だけをやりとりするれば済むからだ。従って、デジタル通信における、暗号を破るという行為は、秘密にされている鍵の数値を求めるということを意味する。

アルファベットをずらす程度の暗号化であれば簡単に解かれてしまうのだが、もちろんデジタル放送などで使われる暗号化の手段はもっと巧妙だ。デジタル放送の映像や音声データを暗号化する手段は「MULTI2マルチツー」と呼ばれるもので、1988年に日立製作所が考案した方法だ。暗号化の方法の中身まで説明すると長くなってしまうので割愛するが、この方法では鍵となる数字は0と1の組み合わせを64個並べたものを使う。この組み合わせの数は一見少ないようだが、実は1億の1億倍以上の組み合わせがあり、そのうちのただ1つの数値が実際に暗号を解読する鍵ということになるので、簡単には解けない。

もちろん、解けない暗号というものはない。コンピューターを使って力技で1億の1億倍以上の組み合わせをしらみつぶしに試行すれば、理論上は解ける。その代わり、そのためには現在のコンピューターの性能では、例えば千年かかるとか、一万年かかるとか、現実的にはあり得ない時間がかかるという見積りがあって、安全性が保障されている。しかし、暗号は数学の「数論」という分野を応用したもので、この学問には未解明の問題が多く残されていることから、絶対的な保障はない。ある日突然数学者が、しらみつぶしに試行するよりも、計算によりもっと効率良く鍵を見つけ出す方法を発見してしまう可能性があり、現にそうやって突破された暗号化手段もある。突破されにくい優れた暗号化手段を考案するには、暗号を突破する方法についての知識が必要になるため、世界中の研究機関で、様々な暗号化手段を突破するための研究が行われている。

しかし、デジタル放送にはそれ以前の問題がある。視聴者が放送を見るためには受信機の中で現に暗号が解読されなければならないので、鍵は必ず受信機の中に存在しているのだ。実はB-CASカードは、この鍵を取り出しにくくするためのもので、少しまどろっこしいことを行なっている。

まず、放送局から暗号化された映像と音声(この信号はPESピーイーエスと呼ばれる)が家庭に届けられる。受信機は暗号化されたデータを、チャンネルごとに異なる「ストリーム鍵(デジタル放送の技術文書ではKsという略号で呼ばれている)」という鍵を使って復号している。しかし、このKsが判明すれば、誰でもそのチャンネルを視聴できる受信機を作れるということになってしまうので、放送局は数秒ごとにこのKsを変えている。

ここで、B-CASカードが使われるのだ。Ksは、数秒ごとに放送局の電波に載って受信機に届けられる(この信号はECMイーシーエムと呼ばれる)。前述のとおり、暗号化の鍵は文字に換算してわずか8文字分なので、膨大なデータを送ることができるデジタル放送にしてみれば、Ksを頻繁に送ることはたやすいことだ。

このときKsは暗号化された状態で放送局から送られてくる。つまり、鍵をさらに別の鍵を使って暗号化しているのだ。この、暗号化されたKsを復号するための鍵こそが、B-CASカードの中にあり、「ワーク鍵(Kw)」と呼ばれる。そして、復号自体もB-CASカードの中で行われる。B-CASカードの中にコンピューターが入っているのは、この復号を行うためだ。

放送局からECMが届けられる度に、テレビやチューナー等の受信機はそれをB-CASカードに渡して、引き換えにB-CASカードから復号されたKsを受け取り、それをさらにPESの復号に使っている。B-CASカード内にあるKwもチャンネルごとに異なるが、こちらはKsのように頻繁に更新されることはなく、ほぼ一定のままだ。

実はデジタル放送には、この個別のカードごとのKwを更新する機能がある。例えば、視聴者から有料放送を視聴するための申し込みがあった場合、今まで視聴者が受信していなかったチャンネルを受信できるようにするために、放送局からKwが送られてくる(この信号はEMMイーエムエムと呼ばれる)。全世帯向けの放送を使って本当に個別のカードを更新できるのかと思われるかも知れないが、前述のとおりデジタル放送の通信量は膨大で、それに対する鍵の情報はごく短いものなので、1時間に数十万枚のカードの情報を書き換えることは十分に可能なのだ。

もちろん、放送局から送られるKwも暗号化されており、これを復号化するのもB-CASカードの仕事である。暗号化されたKwを復号するための鍵は「マスター鍵(Km)」と呼ばれ、これはカード毎に異なる。復号されたKwはチューナーには送られず、カード内に格納されるので、本来であればKwを誰も知ることはできない。なお、EMM信号はカード内のKwを削除する、つまりは特定のチャンネルを見られなくすることもできるので、カードの書き換えについて研究する者の間では俗に「毒電波」と呼ばれる。

B-CASカードがKmを使って、放送局から送られたEMMからKwを取り出す。これはめったになく、大抵はKwがあらかじめカード内に入っている。


B-CASカードがKwを使って、放送局から送られたECMからKsを取り出し、チューナーに渡す。このKsは頻繁に変わるので外部に漏れても問題ない。


チューナーがKsを使って、放送局から送られたPESから映像と音声を取り出す。

B-CASカードは
どこまで解析されたのか

「B-CASカードを書き換えて、有料放送を含む全てのチャンネルを見放題にするにはどうすればよいか?」という問題を考えた場合、そこにたどり着く手段の1つは、放送局が個別のカードを更新するためのEMM信号を“偽造”してカードに送り込む方法だ

[email protected][email protected]2012年の5月13日にネットに流され、CardToolカードツールという名前のソフトウェアとして現在も出回っている。このソフトウェアは、パソコンの中でデジタル放送受信機のふりをして、B-CASカードにEMM信号を送って書き換えるというものだ。

このツールを使えば、WOWOW、スター・チャンネル、スカパーE2、難視聴地域向け衛星放送、地上波の視聴可否を自在に切り替えることが出来る。また、ソフトウェアのソースコード(パソコンで実行できる形にする前の、人間が読めるプログラムファイル)も配布されたため、プログラミングの知識があれば、B-CASカードの仕組みをうかがい知ることが出来る。例えば、衛星放送であればチャンネルごとに視聴可否を切り替え可能だが、地上波に関しては全チャンネルに対してしか視聴可否を切り替えられないようである。

EMM信号には鍵の有効期限のデータが含まれており、CardToolを使ってこれを最大値に設定すると、チャンネルの視聴期限は期限は2038年4月22日になる。大抵の場合、視聴期限を最長に設定するため、カードの書き換えは「2038年化」と呼ばれるようになった。

CardToolを使ってカードに信号を送り込むには、パソコンとB-CASカードをつなぐ必要があるが、それは非常に簡単だ。その理由は、B-CASカードがISOイソIECアイイーシー 7816と呼ばれる公開された国際規格に従って作られているためだ。これは市役所や町村役場で発行してもらえる住民基本台帳カードと共通であるため、住民基本台帳カードをパソコンにつなぐために市販されているカードリーダーを使ってパソコンからカードにアクセスすることが出来る。特に自営業者等が所得税の確定申告に使う、国税庁のe-Taxイータックスシステムを利用するにはカードリーダー必須だ。国税庁はe-Taxによる申告を奨励しており、所得税が数千円分減額されるため、最近ではカードリーダーが数多く出回り、値段も2000円から3000円と非常に手頃になった。

しかし、CardToolは万能ではない。なぜなら、EMM信号を生成するためには、カードごとに異なるKmをカード内から取得する必要があり、そのために特定のカードの“欠陥”を利用しているからだ。B-CASカードの中には、ある信号をカードに送ると、カードの中身のデータを読み出せるものがある。このように、ソフトウェアや機械の中身を覗くために隠されている機能は、玄関に対する裏口にながらえて「バックドア」と呼ばれる。本来、バックドアは存在してはいけないもので、これはB-CASカードの欠陥といえる。それが、カードのメーカーの技術者によってこっそりと仕込まれたものなのか、あるいは何らかの目的があってのことなのかは不明である。

バックドアが存在するカードは内部のKmを容易に取得することが出来る。バックドアがないカードの場合は、もちろんEMM信号を生成出来ないので、カードによって書き換えられたり書き換えられなかったりするのだ。

カードのバックドアが発見された経緯ははっきりしていないが、バックドアを“開く”ための信号が比較的単純(B-CASカードは東芝製とパナソニック製のものがあるのだが、例えば東芝製のものは867422、つまりは携帯電話のプッシュボタンで“TOSHIBA”というアルファベットに対応する数字であった)だったので、カードに対してやみくもに信号を送り続けることで誰かが発見できたものと考えられる。もちろん、メーカーの誰かがリークしたか、物理的にカードを分解するなど別の方法で解析された可能性もある。

そして、さらに重要なのはカードの中にある様々なデータが見えるようになったことによってKwや、さらにKwを使って暗号化されたKsを復号する手段までが明らかになってしまっていたことだ。もちろん、前述のとおりEMM信号を生成するソフトウェアが存在するということは、暗号化されたKwを復号する方法も明らかになっているということでもある。

これがどれほど深刻なことか説明しよう。放送局は頻繁にKsを変えているが、それを取得するための鍵であるKwが判明しているので既に無意味になっている。放送局はEMM信号を使ってKwを変更する手段も持っているが、暗号化されて電波に乗ってくるKwを復号する方法も分かっているので、それも無駄である。Kwが分かれば、もはやB-CASカードがなくても、放送をタダ見する機器を作成可能ということになる。

そして、やはりそれは登場した。カードそのものの動作をパソコンで再現し、カードなしで全ての放送を視聴することができる、SoftCASソフトキャスという名前のソフトウェアが//www.wazoku.net/というサイトから公開された(現在は公開されていない)。ただし、SoftCASを使うには別の機器が必要になる。

ところで、デジタル放送の放送方式は全て公開されており、また、放送を暗号化しないといけないという法律はない。前述のとおり、たまたま全ての放送局がB-CASを利用して、視聴者がB-CASの約款に縛られているというだけの話だ。なので、デジタル放送の信号を受信して、その信号をそのままパソコンに送り込むことができる機器を製造して販売するのは自由である。実際に、そのようなことができるFriioフリーオPT3ピーティースリーといった機器が販売されている。

デジタル放送の信号をパソコンに取り込むことができれば、それをどう処理するかは、もはやパソコンの中で動かすソフトウェア次第である。デジタル放送の信号を処理して映像と音声を表示するTVTestティーヴイテストという名前のソフトウェアが、//tvtest.zzl.org/で無料で配布されている。このTVTestとSoftCASを組み合わせて使えば、B-CASカードがなくてもスクランブルの解除までできてしまう。

現在、B-CAS社が新しく発行しているカードではバックドアが塞がれているためCardToolによる書き換えはできないが、カード自体が不要になってしまった以上、それも無意味だ。もはやB-CASというシステムそのものを総入れ替えして、全てのカードを交換するしかない。

CardTool、SoftCASの入手方法であるが、これらのソフトウェアの名前で検索すれば、その使用方法と共にソフトウェア本体がアップロードされたサイトをいくつか見つけることができるだろう。また、ファイル共有ソフトであるPerfectパーフェクト Darkダークを導入し、“B-CAS”で検索すれば、使用法とソフトウェアをまとめたファイルが多数配布されているのを見ることができる。もはやソフトウェアの存在とその内容は公然のものとなっている。

B-CASカードの
真の欠陥とは何だったのか

そもそもB-CASカードが解析された原因は、技術的な欠陥よりも、その技術の“運用”、つまりは使い方や日本のデジタル放送業界の体制の問題が大きいだろう。

まず、前にも述べた通りDRM技術には100%欠陥がある。DRM技術を売り込む業者は、まさか自社の製品に欠陥があるとは口が裂けても言えないが、欠陥のないDRM技術がどこにも存在しないことはコンピューター業界の常識である。たとえ一部のB-CASカードにバックドアという技術的な欠陥が存在していなくても、暗号化手段と鍵がカードの中に存在する以上は、解析されるのは時間の問題であった。そこを運用でカバーしなかったことが間違いだ。

また、B-CASカード特有の問題もある。クレジットカードやキャッシュカード、電子マネーであれば使用履歴がサーバーで集中管理されているため、不正使用の発見が比較的容易で、即座にカードを使用停止させることもできる。また、システムに欠陥が見つかっても、サーバー側の改良で対処できる場合が多い。しかし、B-CASカードの場合は放送を使ってデータを一方的に送信することしかできないので、同じような対処は不可能だ。そのため、欠陥が見つかれば非常に対処しにくいシステムと言える。

セキュリティというのは、技術だけでなく、社会的なリスクということも考慮に入れなければいけない。インターネットで言うならば、例えば有名人のブログのセキュリティと、ネットバンクのセキュリティとでは、そのリスクの大きさも性質も全く異なる。もし、その有名人が反感を買いやすい人物なら、ブログにいたずらをするために前者のセキュリティを突破されるリスクが高いだろう。後者は他人の財産に手を付けることになるので、単なる悪ふざけで突破しようとする人はいないだろうが、真に悪意を持つ者により突破されてしまったときの被害は甚大だ。だから、前者と後者をごっちゃにして、例えばブログのセキュリティが破られたらネットバンクのセキュリティも破られるような仕組みにしておくのはナンセンスである。ところが、B-CASの場合はまさにこれをやってしまった。無料放送のDRMと、有料放送の視聴制限という全く別の目的のために、全く同じ技術を使ってスクランブルをかけたことだ。

放送のような無線通信技術の愛好者は全世界に散らばっているが、彼らには研究として他国の放送を受信する文化がある。また、報道機関や調査機関が情報収集のために他国の放送を受信している。受信状態を受信報告書にまとめて国際郵便で放送局に送ると、放送局はそのお礼として「ベリカード」と呼ばれるものを返す習慣もある。もし、ある国の多くの国民が無料で受信しているのに、スクランブルをかけられている放送があればどうなるか。世界中の技術者に対して、スクランブルを突破してくれと言っているようなものである。しかも、日本の放送コンテンツは世界中で需要があるので、なおさらリスクが高い。

日本国内においても、著作物をコピーすることは、個人的な利用や、調査研究、報道目的であるのなら全くもって正当な行為だ。そして、B-CASというシステムの特性上、正当な行為のためにDRMを破ることと、有料放送の視聴制限を破ることとは紙一重だ。

B-CASカードを破る方法が明るみになったのは2012年になってからだが、実際はもっと以前、おそらくFriioでカードなしで地上波放送を見られるソフトが出回っていた2008年頃には何者かによって既に破られていたものと考えられる。問題が発覚しながら、4年も放置されてきたわけだ。そして、2012年2月には書き換え済みのB-CASカードを「BLACKブラック CASキャス」という名前で販売する者も現れた。いずれも台湾で製造販売されており、日本国内で逮捕者が出た現在も堂々と販売されている。こんな形でも「狡猾な人が得をし、正直者は損をする」状況になっているのである。

日本はACTAアクタ(偽造品の取引の防止に関する国際協定)により海外でも取り締まりを可能にするべく動いているが、少なくとも放送について取り締まることは難しいと考えられる。冷戦時代を思い出せば分かると思うが、無料放送であれ有料放送であれ「国外の放送を受信したら逮捕される」というような制度が国際社会において受け入れられるということは、ちょっと考えづらいからだ。

電波に国境がない以上、本来なら放送においては発信する側が万全の対策をする責任がある。デジタル放送業界が、B-CASカードが破られた場合に対処するための現実的な手段を何も用意していなかったのであれば、B-CASというシステムの運用には、何重もの重大な欠陥があったということになる。

では、対処するための現実的な手段とは何だろう。ネットバンキングを利用した経験のある読者であれば、銀行から送られてきた「トークン」と呼ばれる乱数を生成する機器を使用したことがあるかも知れない。筆者が利用しているジャパンネット銀行がそうで、振込などの操作の度に1分おきにトークンに表示される乱数を入力する仕組みだ。このトークンには有効期限があり、5年毎に銀行から新しいトークンが送られてきて、古いトークンは使えなくなる。

もし、B-CASも同じようなシステムであれば、今のような事態は避けられただろう。内部の暗号化手段を入れ替えた新しいカードを利用者に届け、古いカードを無効にしてしまえば、また新しいカードの中身が解析されてしまうまでの時間稼ぎをすることが出来る。

今からそれをやればいいのかも知れないが、実はそれも至難の業だ。まず、カードの再発行費用を誰が負担するのかという問題がある。前述の銀行の例であれば、利用者の預貯金を運用することでその費用を捻出出来る。しかし、B-CASカードの場合、無料放送だけしか見ない視聴者は定期的に金銭を支払っているわけではない。有料放送だけであれば視聴料に上乗せすることもできただろうが、現状では視聴者に新たな負担を求めるか、あるいは別のところから捻出ねんしゅつするしかない。

もし、新たな負担を求めるという選択をした場合、視聴者の反発は必至だろう。NHKの受信料拒否運動がますます勢いづくかも知れない。しかも、放送業界はB-CASカードというシステムの欠陥を認めて、視聴者に説明しなければならなくなる。今の放送業界に自らそのようなことが出来るようには見えない。

では、放送局やB-CAS社が費用を負担する場合はどうか。これも悪夢が待っている。B-CASカード、今までに約1億5000万枚が発行され、これは明らかに実際の視聴者数や受信機の数と乖離かいりしている。カードを交換するにしても、このうち何枚を交換することになるのか分からない。

また、B-CAS社はカードの利用者を把握していないと言われる。すると、クレジットカードのように、新しいカードを送りつけて、古いカードを破棄してもらう方法を取ったとすれば、事実上タダでカードをばらまくのと同じことになってしまう。いずれにしても、新しいカードが全ての視聴者に行き届く保障はどこにもない。その状態で古いカードを無効とし、新しいカードでしか解除できない暗号を使って放送をしたらどうなるか。突然放送が見られなくなる世帯が続出するだろう。そのタイミングで大規模な災害でも起これば、取り返しのつかないことになる。

B-CASカードは受信機と一体?

さて、B-CAS社は本当にカードの利用者を把握していないのか。B-CAS社のホームページによればカード使用者変更の手続きが存在し、問い合わせ先電話番号が書かれている。そこで、実際にB-CASカードを入手して、使用者変更の手続きを行なってみた。ちなみに、フリーダイヤルではなく、210秒で10円の通話料金がかかる。また、最初にサービス向上のために会話は録音しますというアナウンスがされる。

「B-CASカードを譲り受けたので使用者変更の申請をしたいのですが」

「中古機器と一緒にB-CASカードを譲り受けたということでよろしいでしょうか?」

「中古の機器とは別に、カードが余っているという人から譲り受けたのですが」

「少々お待ち頂けますか」

そうして待つこと1分半、こんな答えが返ってきた。

「本来ですね、B-CASカード単品で譲り受けるという行為はお控えいただいているのですが。基本的には、不要になったB-CASカードはB-CAS社にお返しいただいて、中古機器をご購入された方には、改めてご購入をお願いしているんですね」

それなら、なぜ使用者変更の手続きが存在するのか。よく聞いてみると、約款上カードは機器と一緒に譲渡することになっており、今回のようなケースでは一旦カードを返却して、2000円で再発行するということになるという。

しかし、何だかんだで「今回に限って」ということで使用者変更の手続きをしてもらえた。カードの番号と住所と電話番号を伝えると、後日約款を送付するということになり、最後に「いらなくなったら返却していただくようにおねがいしますね。連絡すれば返却用封筒をお送りしますので」と念を押された。

どうだろう? 何となく釈然としないものを感じたのではないだろうか。もしカードと機器が一緒に譲渡されることになっているのであれば、カードと機器は1対1で結び付けられることになる。そして、機器の譲渡と一緒に利用者変更が必要で、その度に住所と電話番号を聞かれるのであれば、B-CAS社は受信機に1台1台番号をつけて、個人を追跡可能ということになる。そして、B-CASの仕組みの上では、いざとなれば特定の受信機への放送を止めてしまうこともできるのである。どこの全体主義国家の話だろうかと思ってしまう。

では、カードを返却してまた再発行するとなると、あまりに非効率だ。使用者変更の手続きが存在し、現に私の場合「今回に限って」手続きを受け付けてもらえたのだから、2000円を支払うのは馬鹿らしいと誰でも思ってしまうはずだ。

もちろん、電器店で受信機を買っても個人情報を登録することはないし、B-CASカード単品や、カードが内蔵された受信機が堂々と中古で売買されており、誰もB-CAS社に対して使用者変更の手続きなどしていないことは読者もご承知のとおりだ。B-CAS社が約款で定めている「タテマエ」と実態が完全に乖離しているのだ。

さて、数日後B-CAS社から約款が届いた。しかし、約款にはB-CASカードを受信機と一緒に譲渡しなければいけないということはどこにも書かれていない。禁止事項としては、DRMに対応していない機器で使用してはいけないとされているだけで、使用者変更の手続きについても書かれている。

B-CAS社に、約款の内容についてさらに問い詰めてみると、結局は「約款上は単品での譲渡はできないわけではないですが、あまりお勧めはしない」ということだった。そして、2011年3月まではカードの利用者の情報を登録していたが、現在はあくまで利用者変更ということで、利用者の情報までは把握していないということだった。つまり、利用者変更といっても約款を送るという、言わば儀式のようなものに過ぎないのだ。

しかし、まだ疑問は残る。B-CAS社に電話した時、約款の送付には必要ないはずのカードの番号を聞かれたし、しかも会話の内容を録音しているということだった。この点についてB-CAS社に聞いてみると、録音内容は1年間記録されているという。ということは、B-CAS社は少なくとも音声として利用者の情報を1年間保持しているということになる。

繰り返しになるが、これらはあくまでタテマエだ。実際は誰も使用者変更などしていないのだから。しかし、使用者変更をしないことはB-CAS社の言い分では約款違反になるわけで、多くの視聴者が不正行為を行なっているということになる。果たして、こんな状態でB-CAS社の約款が有効と言えるのだろうか。

そして、このB-CASカード、管理もズサンである。カードは受信機のメーカーがB-CASから購入して、受信機と一緒に電器店に卸す仕組みになっている。もちろん、カードがメーカーに渡った時点で、B-CAS社はそのカードの行方を把握していない。つまり事実上はB-CAS社がカードを貸与しているわけではなくて、文字通り売り切っているのである。

さらに、「白B-CASカード」というものがある。これは電器店が店頭で受信機を展示販売するためにあるものだ。このカードの普通のカードとの違いは、例えば普通のカードではNHKの衛星放送を料金を払わずに見ていると、契約を促すテロップが表示されるが、白B-CASカードではそれが出ない。そのため、本来は電器店の展示品だけに使われて、一般には出回らないはずのものだが、堂々とネットオークションで売られていることがある。

そのカラクリについて、ある電器店の店員に聞いてみると、こういうことだった。

「あれはメーカーから電器店に送られてくるんですよ。貸し出されている? そんなことはないですよ。送られてきたら、あとは放ったらかしです。商品の入れ替えの時にカードが余るので、大抵は廃棄してしまうのですが、店員が持って帰ることもありますね」

さらに、声を潜めてこう語る。

「大体、テレビの流通なんていい加減なもんですよ。メーカーが電器店に卸した製品を、なぜかメーカーが買い戻して、また出荷するなんてことをやってます。まあ、出荷台数の水増しでしょうね」

ということは、実際の受信機の数と「出荷台数」が一致していないこともあるわけで、これなら余剰のB-CASカードが多数出回っても不思議ではない。

“見せしめ逮捕”以外に対策はあるのか

電波を発信するという行為には、法律や国際条約によって様々な制約がある。無秩序に電波が発信されてしまうと、混信によりまともに電波を利用できなくなってしまうからだ。そして何より、取り締まりには実効性がある。電波の発信源を割り出すことは技術的にはたやすいことで、違法に電波が発信されていれば、その現場を押さえることが出来る。

それに対して、電波を受信する行為は自由度が高い。憲法で「通信の秘密」があるためか、一応電波法には特定の相手に向けた無線通信を「傍受ぼうじゅしてその存在若しくは内容を漏らし又はこれを窃用せつようしてはならない」という定めがあるが、これも受信すること自体は禁止していない。電波は国境も関係なくどこにでも飛んでいき、受信するだけであれば、誰がどこで受信したかということを特定することは技術的に不可能だからだ。つまり、取り締まりの実効性がほとんどない。

冒頭で述べた「電磁的記録不正作出・同供用」という容疑にしても、B-CASカードを書き換えて使ったことを公言しなければ、誰にも分からない。特にネットワーク機器にもつながっておらず、純粋に放送を受信するだけの機器を使っていれば、家宅捜索でもされない限り、絶対に分からない。視聴した後に番組を録画せずカードを処分してしまえば、証拠も残らない。さらに、パソコンの中身をすべて暗号化した状態でSoftCASを使えばやりたい放題だ。これらの行為を推奨するわけではないが、紛れもない事実なのだ。

欠陥法として有名なものに、かつてのアメリカの禁酒法がある。この法律はほとんどの人が守らなかったので取り締まりに実効性がなく、“法律を破る行為”の需要があまりに高かったので、違法行為を行うことが当たり前になり、かえって法秩序の崩壊を招いた。B-CASカードの問題も、それに近い状態になりつつある。

本質的に安全でない技術を、一般の人が理解できないのをいいことに、誰かが無理やり押し付けたのではないか。乗っかった人も実は理解できていないのに、理解したつもりになって過信した面もあるのではないか。そして、欠陥を知る技術者がそのことを言い出せないか、あるいは言っても誰も聞く耳を持たないような状態に陥っていたのではないか。私の心配は全くの想像で、杞憂きゆうなのだろうか。

無料放送と有料放送に同じ仕組みでセキュリティをかけたことが問題の原因の1つであることは前に述べたとおりだ。これに関しては、実は改善がはかられつつある。2011年10月31日に総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(第60回)」で「新コンテンツ権利保護方式(新方式)」と呼ばれるものが発表された。

これは、地上波デジタル放送ではB-CASカードを廃止し、スクランブルの解除のための鍵を受信機の中に内蔵してしまおうというものだ。鍵は相変わらずB-CAS社が管理するが、受信機メーカーは別の社団法人(地上放送RMP管理センター)を通じて鍵を受け取るという仕組みだ。新方式は2012年7月末から関東地方を中心に徐々に始まり、2013年4月に全国で運用開始されることになっている。

しかし、新方式についても課題が多い。現行のB-CASカードを使った機器をいきなり使えなくしてしまうことはできないので、当分は旧方式と新方式が併存することになるが、では、いつ旧方式を廃止するのかということまでは決まっていない。それまでは、タダ見できる現状は変わらない。もちろん、新しい方式が破られない保障はどこにもない。むしろ、また破られてしまう可能性が高いだろう。

一番の被害者は、契約しなくてもタダ見できるような欠陥システムに料金を払わされ続ける有料放送の契約者だろう。しかし、無料放送のスクランブルを解除し、有料放送のスクランブル方式を変え、有料放送の事業者が新しいカードを契約者の元に届ければ一気に解決するはずだ。当然、そうすれば無料放送のDRMは無効になる(もちろん事実上DRMはとっくに破られているので形式的なものだ)が、CMを収益源としている無料放送の事業者にとっては、そのことによる損害はゼロに等しい。強いて言えば当初からDRMにこだわってきた放送業界の“メンツ”の問題に過ぎないだろう。

そもそも技術の欠陥と運用のまずさが原因であるのに、それを取り繕うかのようにDRMを解除する行為を法律でガチガチに縛るために著作権法、不正競争防止法の改正が次々と行われている。結果として、放送の受信のみならず国民全体にとってデジタルコンテンツを利用する自由が狭められていく動きは、当分おさまりそうにない。放送業界のメンツは、かつて冷戦の終結にもつながった“放送を受信する自由”よりも、重いものなのだろうか。

なお、2012年8月30日に共同通信の記事「料デジタル放送カード刷新へ 「タダ見」根絶狙い」によれば、有料放送の事業者がセキュリティー対策を強化した新しいカードを配布することを検討しているという。おそらくカードの書き換えはされなくなると思うが、SoftCASへの対策はどうするのかなど、具体的にどのような強化が行われるのかは不明である。いずれにしても、地上波デジタル放送のスクランブルが事実上破られた状態は変わらないと考えられる。

一方、京都大学関係者によれば、多田光宏氏は現在保釈されており、大学は処分を検討しているものの、本人は裁判では争う意向であるという。2012年11月12日現在、公判がいつ開かれるかは未定である。(鳥)

緊急レポート“強盗国家”韓国を許すな 狙われた敦賀市・常宮神社の国宝「新羅鐘」(同和と在日2012/1)

By 鳥取ループ

三品純(取材・文) 月刊同和と在日2012年1月号

民間の文化財も韓国人が奪いに来る!

ゴネれば得する、キレたら勝てる―韓国という国はなんでも“アリ”になってきた昨今である。特に民主党政権の誕生以降、韓国の傍若ぼうじゃく無人ぶじんぶりが露骨になってきたわけだが、その象徴とも言うべき事象の一つが「朝鮮王室儀軌ぎき」の返還問題だった。これについては本誌「日韓無法地帯宣言 菅談話で文化財返還狩りが始まる!?」(同和と在日)でも報じた。かいつまんで言うと、この問題は日韓併合100年を迎え、菅首相(当時)は「総理談話」を発表し、その中に日本政府が保管する朝鮮王室儀軌など朝鮮半島に関する資料を韓国に引き渡すことも盛り込んだのだ。

朝鮮王室儀軌とは氏朝鮮時代の文献、記録、資料集だが、その多くは宮内庁の書陵しょりょう部に保管されてきた。しかし、2006年12月に韓国の国会で日本所蔵朝鮮王朝儀軌返還要求決議文という決議が採択され、この決議に基づいて、韓国の国会事務総長から日本政府に対し朝鮮王朝儀軌の返還要求が行われた。

しかし当時の日本政府の立場は、「1965年の韓国との請求権・経済協力協定によりまして、両国及び両国民間の財産それから請求権に関する問題、これは完全かつ最終的に解決」(第166回国会 外交防衛委員会答弁)であり、朝鮮王朝儀軌もこの引渡し対象に含まれていない。ところがこうした国家間の協定よりも、韓国の“声の大きさ”が優先されてしまい返還合意に至る。結局、2011年10月に野田首相と明博ミョンバクが会談した際、朝鮮王朝儀軌やその他一部の文献が引き渡されてしまった。

ここで問題なのが朝鮮王朝儀軌にしても、従軍慰安婦問題にしても、1965年の請求権・経済協力協定の段階で解決済みと国家間で合意しているにも関わらず、今度は「道義上の責任」を持ち出すことだ。ならば国家間の約束事の重さとは何かという話になる。ルール、法的根拠といったものはもう日韓関係の間には成立しないのか? もはや強盗、物取り、詐欺師の領域である。そして今、国宝にまで“強盗国家・韓国”の理不尽な触手が忍び寄っているのだ。

明治時代以来の国宝「新羅鐘しらぎのかね

敦賀市常宮の海岸線にある神社。ここから車で20分程度で気比神社がある。さらに北上すると高速増殖炉もんじゅがある。


福井県敦賀つるが市内にある常宮じょうぐう神社。今、この神社に納められている文化遺産が韓国や日本の運動家たちのターゲットになっている。常宮神社は敦賀市内にある重要文化財「氣比けひ神宮」と乳母神社にあたる。明治九年社格制度(神社の等級制度)で氣比神宮から独立し、常宮神社となった。非常に由緒ある上、敦賀湾の沿岸に位置しているので湾内が一望でき景観も素晴らしい。ここは古くから“お産のじょうぐうさん”として安産祈願の参拝客が多く、また漁師らの守り神として地元でも親しまれてきたが、なんと言っても最大の目玉は、国宝「新羅鐘」(別名「朝鮮鐘」)だろう。

朝鮮鐘は豊臣秀吉の時代に行われた「朝鮮出兵」の文禄の役の際、晋州チンジュ蓮池寺ヨンジサから持ち帰られ、秀吉の命により配下の武将、大谷おおたに吉継よしつぐが奉納したと伝わっている。新羅鐘が作られた年代は白雉はくちというから西暦650年頃だろう。正面には天女が舞う姿が彫られ、千三百余年経った今でもくっきりとその造形を留めている。
歴史的価値はとても高く明治33年に「美術工芸甲種第一等」として国宝に指定され、昭和27年に再度、新国宝に指定された由緒ある鐘だ。現在、この鐘と同じものは韓国の慶州キョンジュ博物館、江原道カンウォンド上院寺サンウォンサ、そして大分県の宇佐うさ八幡宮に所蔵されているという。ではなぜ常宮神社が狙われたかと言えば宇佐八幡宮の鐘は非公開のため、その有無を確認できないからだ。逆に常宮神社の場合、一般公開しているため、韓国人の目にも止まったというわけである。

有光ありみつけん氏が返還運動のフィクサーか?

また韓国人が新羅鐘にこだわる理由を国内の運動家はこう話す。

「韓国では伊藤博文と並び大悪党と教えられている豊臣秀吉にゆかりのある文化財だからですよ。鐘は略奪文化財であるとの意識が強い」

こうした背景もあって新羅鐘を返還せよ、との声が年々、韓国内で強まっていった。さらに現在、日本の運動家にも返還を求める声が広がりつつある。韓国内での動きを追ってみよう。2007年10月3日の「蓮池寺鐘還収念構想パレード」で始まり、翌年2月1日から市民運動としても開始された。2009年1月16日には「蓮池寺鐘返還国民行動市民団体」が創立され、昨年には蓮池寺鐘還収国民行動運営委員会も発足した。そして今年、12月17日から19日まで韓国・晋州市で「敦賀市常宮神社所蔵の朝鮮鐘(晋州蓮池寺鐘)返還求める日韓交流シンポジウム」が開催され、日本からも韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議のメンバーらが参加したという。

同会議の主要メンバーには戦後補償ネットワーク世話人代表の有光健氏も名を連ねる。有光氏と言えば従軍慰安婦問題にも深く関与しており、慰安婦問題での対日非難決議を主導したマイク・ホンダ米下院議員とも懇意にしている人物だ。文化財返還というよりも実質、反日運動の一環とも勘繰りたくなる。

それでも公共放送?
中継で返せと騒ぐ韓国人レポーター

そもそも世界的にも他国由来の文化財を所蔵するケースは全く珍しいことではないし、また数百年前の文化財を返還したという類例は聞かない。さらに法的に見ても返還する根拠もなければ国際的なルールも見当たらない。とにかく朝鮮由来ならばすべて返せ! こう言わんばかりの暴挙なのだ。なにしろ“かの国”と半島に終始べったりの日本の左翼運動家たちのこと、常宮神社に押し寄せ、返せとシュプレヒコールを挙げる姿が思い浮かんでしまう。常宮神社はどう対処するつもりなのか宮司に聞いた。

「そんなシンポジウムが開催されていたのは知りませんでしたが、確かに新羅鐘を返せと訴えてくる韓国人は多いですね。ただデモとか街宣抗議などの運動はありませんよ」

現在のところまだ大規模な抗議活動はないようだが、ただ常宮神社を訪れる韓国人たちのマナーと悪態には呆れるばかりだ。

「新羅鐘は一般公開していますが、撮影不可なんです。ところが韓国人の参拝客は撮影をしようとするので注意すると“もともと私たちのものなのになぜ自由にできないのか?”と居直るのです」

また一般の韓国人だけではなく韓国メディアも同社に訪れるという。その様はメディアというよりは活動家のようだ。

「韓国の公共放送のKBSが来た時なんですが、女性レポーターが私にマイクを向けていきなり“この鐘を返しなさい”というのです。日本語で返せというだけですから、後は韓国語ですから何を言っているのか分かりませんし、韓国内にどう伝わったのか全く知りません。ただずいぶん反響はあったようで、お坊さんの一団が訪れ返還しろと訴えたり、中には返してくれたら勲章を授与するよう政府に働きかけると言った人もいましたね(笑)。とにかくこの鐘はこの神社で代々受け継がれ、大切に守ってきたものです。そして私の跡継ぎにも必ず守るように伝えたいと思います。決して返還に応じることはありません」

毅然と対応してきた宮司の姿を日本の政治家にも見習わせたいところである。

さて法的根拠のかけらもないこの返還運動だが一体、何を理由に返せと言っているのか? 「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」のメンバーの一人、有光健氏に聞いた。

「今のところまだ正式に返還を申し入れたということはありません。どうやって返還してもらうのか法的な問題や根拠を話し合っているところです。またこれぐらい時間がたったものを返還するのは国際的にも実例がないため、仮に裁判所に持ち込んでも主張そのものが受け入れられるか分かりません。どういう形で(返還運動を)作り上げていくかはこれからの問題です」

主張している側すら主張が曖昧なのだから、この時点ですでに論理破綻しているようにも見える。それでも返還を迫るというならば、もはやゆすり・たかりの領域であろう。しかも過去には長崎県壱岐いき市・安国寺あんこくじ宝物殿所蔵の高麗版こうらいばん大般若だいはんにゃ経典が1994年7月に盗難されたその翌年、なぜか韓国で発見される事件も発生。そしてあろうことか韓国で「国宝」に指定されたという不思議な事態となった。また2002年には兵庫県加古川かこがわ市の鶴林寺かくりんじの掛け軸「阿弥陀あみだ三尊さんぞん像」が韓国人らに盗まれたが、その後、掛け軸は韓国内で行方不明になったまま。現在、外務省が調査を依頼しているが、全く進展が見られない。根拠も理由もなく闇雲やみくもに日本側へ返還を迫る一方で、自分の窃盗に対してはおダンマリ。「強盗国家」、韓国にはやはりこの名前が相応しい。(三)

常宮神社の秘宝、「朝鮮鐘」。上部についている突起状の乳頭が残っているのはとても珍しいという。

ワイド特集 人権救済法案 クライマックスシリーズ5回戦(同和と在日2011/12)

By 鳥取ループ

三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年12月号

民主党政権の発足以来、千葉景子、江田五月、平岡秀夫といった歴代の法務大臣が立法に意欲を見せてきた「人権救済法案」。党内には、推進派が多くたびたび上程が検討されるも、いまだ実現に至っていない。このため一部からは”ゾンビ法案”とも揶揄されるほどだ。「立法に意欲」しかし「断念」の無限ループを繰り返す同法案の内情に迫った。(*本稿は電子版「同和と在日」2011年12月号に掲載した記事に補足、加筆したものです)

野田首相も推進派! 人権侵害救済法案の裏側

「民主党には頑張ってほしい。野田さんも平岡法務大臣に対して人権救済法は大事だから一日も早くやってくれ、と言っている」

本誌でもレポートした昨年11月10日、部落解放研究第45回全国集会第6分科会「人権侵害救済法がひらく未来―政府案の実力」で組坂くみさか繁之しげゆき氏はこう立法に向けて気勢を挙げた。外国人地方参政権などには慎重の態度とみられる野田首相も人権侵害救済法は容認の立場を取るようだ。また組坂氏によると加藤かとう友康ともやす部落解放中央共闘会議議長らと政府に人権救済法の陳情に訪れたという。その顔ぶれは前原政調会長、輿石こしいし幹事長、平岡法相ら党内の有力者に及んだという。法案提出の担当大臣になる平岡法相からは「なんとか頑張りたい。次の常会で出したい」という回答を得たそうだ。

民主党―部落解放同盟の協力体制は万全と見える。しかもカギを握る政調会長が解放運動にも理解がある前原氏だからもはや提出を阻むものはないだろう。ただ民主党政権の発足以来、千葉、柳田やなぎだ江田えだ法相と推進派が続き、たびたび「なんとしても実現したい」と言い続け、強い意気込みが聞かれたが、結局は果たせぬままではある。

民主党の推進派議員からはこんな“焦り”も聞かれる。「官房長官時代に人権侵害救済法の陳情を受けていた枝野えだの氏も狭山さやま事件の弁護団を離れ、運動体とは距離を置かざるをえなかった。また部落解放同盟が支持する中川おさむ氏(衆)や狭山弁護団のつじめぐむ氏も次の選挙で議席を死守できるか微妙だ。立法のチャンスは来年の常会になるだろう」

つまり立法に向け“タマ”が確保できる現体制しかないというわけだ。

「平岡さんも人権救済法に熱心です。とても細かいところにまで目が届く人。一時、民主党の法制局長官と言われていたくらいで、救済法案にも大臣がそこまで意見を言わなくてもいいくらい細かく意見を言います」

推進派の松野氏も多少のもどかしさをのぞかせる。もっとも平岡大臣が細かい指摘をしなくてもいまだ党内、関係団体で議論が続いているのは事実。その焦点が人権侵害の定義。松野氏が自らも「違法に人権を侵害するものを定義として考えているが人権侵害の区別をどうするかというとつきつめると正直いって簡単ではない。さらにつめないといけない」と話す。

この通り「定義」をめぐり、政府、党内でも議論は揺れる。その一方で現場からの突き上げは激しい。一部からこんな不満や要望も漏れてくる。

部落解放同盟東京都連合会の支部や支部長に送られた連続大量差別はがき事件(2003年)を例に取り、「この事件は支部長を実名で送りつけたから差別として立件できたが、団体への中傷はどうするのか」と訴える。つまり本来は対個人に対する人権侵害を「団体」にまで適用せよ、というわけだが、これでは人権侵害の適用範囲があまりに広範になってしまう。だが実際にこのような適用範囲の拡大が可能とは考えにくい。

実際に次期、通常国会で提出したいと鼻息が荒いがにも関わらず人権侵害の定義すらできていないとは不思議な話。民主党案、法務省政務三役、旧人権擁護法案の中で「人権救済の定義」について比較をすると民主党案と旧人権擁護法案が「不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為」と定義しているのに対して、法務省案の場合は「空欄」になっている。

人権侵害を救済するのが目的の同法案がその定義でまだ議論が続いている上、所管する法務省は定義がないという有様である。むしろ人権救済法を取り巻く人々が「人権」に振り回された格好だ。さらに救済に当たる人権委員の数も民主党案、解放同盟の間で折り合いがついていない。組坂氏は「我々は7名を求めるが、内々では5人にしてほしいという話もある。ただ5人は誤認逮捕だよ(笑)」と委員数7人を強く訴える。

ダジャレを交え穏やかに語る組坂氏だが、委員会7名には並々ならぬ意欲を見せる。かくも解放同盟が委員にこだわるのも、民主党案の委員の条件に「委員のうちに人権の擁護を目的とし若しくはこれを支持する団体の構成員又は人権侵害による被害を受けたことのある者が含まれるよう努める」としており、「支持する団体の構成員」という部分に解放同盟員の関係者をねじ込みたいという魂胆が見え隠れする。

対して松野氏は「人権委員会の委員を何人にするのか詰め切れていない」とこちらも不透明。しかも「日弁連からは国会の中に委員会の推薦委員会を作って人選すべきという提案がある。ただ人選する人の人選は誰がやるのか難しい」(松野氏)と明かす。人権委員会を推薦する委員を作って、その人選が難しいとはもはや禅問答のような風情。2012年常会に法案提出を目論んでいたが、結局は断念したようだ。いずれにしても関連団体と民主党の間の密室の協議で進行する同法案。他にすべきことは山ほどあるのではないか?(三)

組坂氏激白「野中さんが人権擁護法案で“糾弾”を抑え込もうとした」

「人権擁護法案は野中さんが法務省と糾弾を抑え込むためにやろうとした」。同じく第6分科会でこんな不満をぶちまげた組坂氏。救済法の議論が煮え切らないことに若干、いらだちを感じてのことか。野中さんとはもちろん野中広務元官房長官である。組坂氏から野中批判が聞けるとはなかなか貴重だ。

過去、批判者には厳しい対応を取ってきた部落解放同盟。特に共産党との長年の対立はもはや“タマのやり取り”の域に達した時期もあった。『同和利権の真相』(別冊宝島Real)が刊行された際は、作家・宮崎みやざきまなぶ氏らシンパを集めて『同和利権の真相の『深相』(解放出版社)で徹底抗戦。そして弊誌もついに全国集会で「差別者」認定を受けるに至った。ただ不思議な現象が「出自を同和地区」とする政治家やジャーナリストらによる批判に対しては“スルー”か“容認”の態度をとることだ。特に京都府園部町そのべちょうの被差別部落出身として知られる野中氏の存在をひも解くと面白い現象が起きる。出自が同和地区なら批判も許される、いわばこれは“野中レジーム”と言うべきものだ。

1967年、野中氏が京都府議会に立候補した際、八木町やぎちょうの演説会場で解放同盟員が「部落解放をみんなの手で」という垂れ幕をかけた。すると彼は「あんな垂れ幕を役場の前におろしておるような町は日本国中探してもあらへん」と苦言したそうだ。これに対して地元の同盟員らから「野中はんの中には差別にいきどおる野中はんと政治家としての野中はんが2人おるんです」と声が挙がったそうだ(『野中広務研究』魚住うおずみあきらより)。この発言、もし一介の政治家が言ったならばおそらく糾弾会モノだろう。かといって野中氏が糾弾を受けたような話は全く聞かない。“野中はん”だから許されたのである。

現在、野中氏は政界を引退後、全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長理事を務める傍ら、人権をテーマにした講演会を続けている。本来、政界を引退した場合、時局のよもやま話や回顧などがありがちだが野中氏の場合、「人権」が主題であるのも「出自」によるところだろう。ある時には「保守」の顔、一方では「人権派」としての顔。この処世術こそ自民党のドンに登りつめる原動力だったかもしれない。とはいえ全土連の収入支出決算書を見ると「人権問題啓発推進事業」にも予算がついているのはいかにもである。

「同和」そして「保守・リベラル」の顔を巧みに使い分け、その境界線を上手く生きながらえてきた野中氏らしいエピソードを紹介しよう。2008年10月10日、東京神田の総評会館で開かれた「浅沼あさぬま稲次郎いねじろう追悼集会」での一コマ。浅沼稲次郎とは元社会党委員長で1960年に日比谷公会堂で右翼成年に刺殺された人物だ。社会党委員長の追悼にゲスト出演するのも野中氏らしい。会場には社民党・保坂ほさか展人のぶと氏(現世田谷区長)もおり、「おいキミ追悼文を読みたまえ」と言われると保坂氏も平身低頭。左派の政治家も野中氏には一目置く。

また当時の麻生首相にも触れ「嫌いですよ」とスピーチはヒートアップ。日本と韓国の間で対立する竹島についても言及し、「人が住んでいないから(竹島を)爆破してしまえ」と大放言だ。これこそ野中節。日本領と言えばナショナリストと呼ばれ、かといって韓国領とも言えないところに出てきた爆破発言。これぞ野中レジームの真骨頂である。そりゃ組坂氏もああ言いたくもなるのだろう。(三)

人権侵害救済法を訴える分科会で熱弁をふるう組坂氏。民主党・松野信夫議員も法案提出に意欲を見せた。

人権オジサン平岡元法相
リンチ死遺族にお忍び謝罪

民主党政権下で「法務大臣」とはまさに”鬼門”であった。議員というよりはむしろ運動家という方が相応しい面々が揃ったのもこのポスト。中でも反発が強かったのが平岡ひらおか秀夫ひでお元法相だったかもしれない。同氏は、いわゆる”市民派”や労組出身の議員が多い民主党にあって、元大蔵官僚というエリート。しかし民主党内でも最左派の議員として保守派からバッシングされることも多かった。元日本赤軍出身の北川きたがわあきら氏が社長を務める「第三書館」の『民主党WHO’S WHO[全議員版]ミンシュラン』からも「リベラル派のエース」として紹介されているから、その人物像、政治信条は説明不要だろう。また同氏は、死刑反対派の急先鋒でもあり、野党時代から積極的にこの分野の講演会、シンポジウムに参加してきた。大臣を退いた後も今年4月18日、EU代表部が主催したシンポジウム「死刑廃止に向けて:欧州の経験とアジアの見解」にも登壇している。そんな平岡氏が注目されたのは2007年6月29日放送の『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)に違いない。番組で平岡氏はリンチによって子息を失った女性にこう言った。

「むしろ悪いことをした子供たちはそれなりの事情があってそういうことになったんだろうと思いますけどね」

これがきっかけで平岡氏に批判が殺到。後日、自身のHPでお詫び文を掲載せざるをえなかった。法相就任後、野党がこの発言を放置するはずもなかった。2011年10月25日の衆議院法務委員会で自民党・平沢勝栄氏から発言の意図について追及を受けた。すると11月13日、滋賀県大津市の女性宅を訪問し、お詫びに出向いたという。

「法務委員会での指摘を受けて、訪問しお詫びすることを決めました。約30分の面談でした。法相の立場ではなくあくまでプライベートでの訪問です。どういった話になったのか把握しておりませんし、これ以上のことはコメントできません」と事務所は説明する。

平岡氏は民主党の次の内閣の法務大臣だった。野党時代はリベラルでラディカルなオレ、とばかりにいかにも“人道派”のような発言を繰り返し、上記の暴言につながったわけである。ところがいざ法相となれば、そんな人道派なオレの発言に首を絞められたわけだ。しかも殺人した少年らにすら“それなりの事情”がある、としながらも「人権侵害」に対しては目を吊り上げるアンバランス。しかもその人権侵害が何かも不明のまま、救済法には躍起やっきになっていた。誰が言ったか政権交代前は、”民主党は人材豊富”との評価が聞かれたが、その結果がこの有様なのである。(三)

ナゼか差別禁止法を訴え始めた
元朝日新聞編集委員の無節操

差別禁止を訴えあの戦士たちが立ち上がった! 人権運動家が集まり2011年6月に結成された「差別禁止法の制定を求める市民活動委員会」。なにしろその呼びかけ人メンバーの顔ぶれがスゴイ。もはや人権運動家というより闘士のような人材育成コンサルタントのしん淑玉すご氏を筆頭に、松岡まつおかとおる元参議院議員(部落解放同盟)、多原たはら良子りょうこ札幌アイヌ文化協会事務局長と在日、同和、アイヌの活動家が勢ぞろい。まさに“人権翼賛会”というべきラインナップだ。さらに呼びかけ人の名を見ると元朝日新聞編集委員で現在、和光わこう大学教授の竹信たけのぶ三恵子みえこ氏の名も。

この竹信氏、東大文学部を卒業後、朝日新聞に入社し、朝日新聞総合研究センター主任研究員、新聞労働担当編集委員という超エリート。専門が労働問題、特に女性の雇用などを得意とし、「派遣村」が隆盛の頃は彼女らが言う“ワカモノ”とシンポジウムなどに参加し、積極的に発言をしていた。突如、演説を始めるのはもはや記者というより活動家に見えた。労働分野では輝かしい実績をお持ちで、「反貧困ネットワーク」の「反貧困ジャーナリズム大賞」を受賞した他、「「ルポ雇用劣化不況」で労働ジャーナリストらが選ぶ「2010年日本労働ペンクラブ賞」を受賞している。当時、多くの若い活動家に囲まれ“理解者”たらんとするその姿はいかにも朝日らしいところ。ミス朝日新聞の趣すらある。

そんな彼女が今度は同和―在日―アイヌ団体と差別禁止法というのだから、どこまで朝日イズムの実践者なのかと思いきや、ある部落解放同盟員はこう話す。

「いや別に珍しいことではないよ。本田ほんだ雅和まさかずさん(朝日新聞記者)も女性国際戦犯法廷のNHKの特集番組で騒動になった後、ウチの集会や活動に参加していた。僕は当時、知らなかったからあれ? 本田さん解放運動にも興味があるんだなって思ったけど」

朝日記者は一線を退くと同和に駆け込むのか、と思いきや本誌内部からも同様の声が。

「昨年の鳥取市長選に出馬した砂場すなば隆浩たかひろ(現鳥取県議)も元朝日新聞記者で、同和地区実態調査の復活を呼びかけるなど解放同盟の主張をそのまま取り入れている」(鳥取ループ)。

これまた朝日らしい話ではあるが、要するに彼らの「人権意識」や「弱者」の定義とは運動体の主張を真に受けたものばかり。声はやたら大きいものの、他にもある弱者や人権を考えるイマジネーションが全くないのである。(三)

人権問題の最恐メンバーたち。右端が竹信三恵子氏。「同和と在日」にすり寄るのも朝日記者らしい。

学会員もいる救済法の“別働隊”
「反差別国際運動」

人権侵害救済法案の立法に向け、部落解放同盟とともに運動を展開している「反差別国際運動」(IMADR=イマダ)。表面上は学識者や市民で構成されるNGOなのだが、オフィスは松本治一郎記念会館にあり、実質解放同盟内の組織といっても差し支えない。現在は人権救済法を始め、国内人権機関やアイヌ新法の立法を呼びかけるなど主張も解放同盟と歩調を合わせている。IMADRは1988年1月、解放同盟を筆頭に北海道ウタリ協会、全国障害者解放運動連合体らの人権団体が集まって結成。初代理事長は上杉うえすぎ佐一郎さいちろう部落解放同盟中央執行委員長が就任した他、事務局長は部落解放研究所理事長の村越むらこし末男すえお氏だったという点からしても解放同盟の影響を物語っている。

発足当時は「部落解放基本法」の制定を呼びかけた経緯から、全解連ぜんかいれん(共産党系)が反発するのも自然の成り行きだった。全解連はIMADRが「NGO」の資格を取得するのは問題があると指摘すると、1991年に11月29日、部落解放同盟は全解連と部落問題研究所を相手に名誉棄損裁判を起こした。ところが94年に解放同盟側が「NGOの資格を取れたこと」を理由に告訴を取り下げ、終結したのである。

現在は、武者小路むしゃのこうじ公秀きんひで理事長の下、国連人権委員会などに出席し、同和問題、アイヌ、在日コリアンなどの人権問題を訴える。また定期的に委員らを日本に招き、京都ウトロ地区の視察といった活動も有名。要するに解放同盟の国際ロビー活動班といった存在なのだ。さてそんな折、一部の支援者から「事務局長が創価学会員」との情報を得た。創価学会と言えば綱領に「地球民族」を掲げており、人権問題や平和活動にもご執心だ。また公明党も外国人地方参政権、人権擁護法案の推進派で解放同盟やIMARDの主張と親和性は高い。

活動は学会員としてか、人権活動家としてなのか、その方針について事務局長に聞いた。「ええ学会員ですけども、それが何か関係あるのですか? どういった趣旨で聞かれているのでしょう。活動とは関係ないと思いますが」と同氏は答える。

それと言うのも前述した通り、解放同盟と学会の主張は共通点が多く、人権救済法の提出と議論が佳境の中、両者の関係は不気味だからだ。

しかも、だ。

「解放同盟と創価学会の関係は決して浅くない」とは元創価学会員。「学会は同和地区住民を“折伏しゃくぶく”する際に“日蓮にちれんもせんだら(ヌードラの和訳、奴隷の意)の解放に尽力した”と説いたのです」(同)という。ただでさえ強固な解放同盟、IMADRの面々に学会というさらに厄介な団体の影響力が加わったら…。これは手強そうである。(三)

仰木の里は大騒ぎ 幸福の科学学園がやってくる(同和と在日2012/2)

By 鳥取ループ

鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2012年2月号

京都から20分、閑静かんせいな住宅地

山科やましな駅からJRは東海道本線(琵琶湖線)と湖西こせい線に分岐している。東海道線から見える景色は大津の街並みや田園風景だったりするのだが、湖西線は琵琶湖沿いを通るだけあって、琵琶湖がダイレクトに見える。滋賀県らしい風景を堪能たんのうしたいなら湖西線に乗るべきだろう。

その湖西線に「おごと温泉」という駅がある。今回の舞台はそこだ。駅を降りるとそこには滋賀銀行と平和堂へいわどう(フレンドマート)。これで周囲に田んぼが広がっていれば滋賀県では定番の風景だが、おごと温泉駅周辺は「仰木おおぎの里」と呼ばれる起伏が多い住宅地になっている。場所によっては琵琶湖まで見渡せ、とても景色がいい。京都駅まで20分で通うことができ、交通の便も申し分ない。

しかし、その地で大きな騒動が起こっていると聞きつけ、今日はそれを確認するために訪れた。地元住民の案内で、駅より小高い場所にある住宅地に入ると、早速見つけた。

「守ろう。私たちのまち 仰木の里。建設反対!! 幸福の科学学園 仰木の里東1丁目自治会」

白地にオレンジ色でそう書かれたのぼりが立てられていた。また、そののぼりの横の掲示板には「STOP!! 学園建設 幸福の科学学園関係者の戸別訪問を一切お断りします。湖都ことおか自治会」と書かれたラミネートカードが掲げられていた。

雄琴おごと北2丁目の住宅地に入ると、そこには少し異様とも言える光景が広がっていた。1戸1戸にさきほど見たのと同じのぼりが立てられている。のぼりが立っていない家もあるのだが、その家もよく見ると、例のラミネートカードが玄関に掲げられている。つまり、この地域では、ほぼ全ての住民がこの地域に建設が始められている幸福の科学学園に反対しているのだ。

学園建設反対ののぼり。各家の費用負担で製作したという。

自治会の掲示板には幸福の科学学園建設反対の張り紙が。

筆者が取材に来たのは午前8時ごろ、ちょうど通勤通学の時間帯だ。住宅地の各所には地元の主婦とおぼしき人が立っている。聞いてみると、子供の通学の安全のために見張りをしているという。というのも、因果関係は不明だが学園建設に絡んで住民と幸福の科学のあいだでめるようになってから、動物の死骸しがいが道端に置かれたり、車に傷がつけられたりといった事が相次いでいるという。

さらに学園の建設現場の方に向かうと、さらに白いのぼりを立てた家が多くなった。建設現場の周囲の住宅地はどこもそのような状態で、その光景は圧巻だ。

「幸福の科学の信者さんがいたら、ここには居づらいでしょうね」

と地元住民は話す。

どの家を見ても学園建設反対ののぼりが。のぼりのない家にも学園建設反対のラミネートカードが玄関に掲げられている。

住民から総スカン

なぜ、幸福の科学はここまで住民から嫌われるのか。その理由を一言で言ってしまえば、住民の立場からすれば「教団が気持ち悪いから」ということに尽きるだろう。

幸福の科学は新興宗教の中でも「新・新宗教」と言われる。その教義は非常に斬新ざんしん…というより、前衛ぜんえい的と言う言葉がふさわしい。一応、仏教系の教団ではあるのだが、教祖である大川おおかわ隆法りゅうほう氏(教団内部では「総裁先生」と呼ばれる)を本仏(教団の用語では「エル・カンターレ」)、つまりは仏そのものとして崇拝すうはいしている。

また、特徴的なのは大川氏による「霊言れいげん」である。幸福の科学の教義では、霊とは死者の魂ではなく、存命中の人も含め人間の霊界における分身のようなものとされている。それが「守護霊」である。大川氏は守護霊を幸福の科学本部に呼び出し、霊に成り代わってその意思を代弁することができる。それが霊言である。

もちろん、死者の霊に限らず存命中の人物の守護霊を呼び出すこともできる。最近では金正日キムジョンイル総書記の死去に伴い、北朝鮮の新たな指導者となった金正恩キムジョンウンの守護霊を呼び出して、「父(金正日)を注射で殺した」という霊言を引き出して、「スクープ」として都内で教団広報誌の号外を配った。当然、これらの活動は外部の人から見れば奇行に映る。

北朝鮮の指導者の霊言というような突拍子も無いことなら笑い話で済むだろうが、中には少し深刻なこともある。

「大川隆法が、最澄さいちょうさんは地獄にちたなんて言ってるんですよ」

住民は憤りながら筆者にそう言った。最澄といえば天台宗てんだいしゅうの開祖であり、天台宗と言えば比叡山ひえいざんだ。仰木の里は比叡山のふもとにあり、天台宗の僧侶や檀家だんかも多い。そのような地域から見れば「最澄は地獄に堕ちた」と言うのは確かにとんでもない話だろう。

もちろん、幸福の科学側もいたずらに住民との対立を望んでいるわけではなく、実際に何度か住民向けの説明会を開いている。しかし、住民からすれば教団側の関係者の考えがあまりにも突拍子もないために、逆効果になっているのが実情だ。

「確かに教団の人は最初の印象は紳士的なんですよ。ただ、話しているうちに本性が出てしまって、そこで平行線になってしまうんです」

幸福の科学は何十回も住民には説明しているというが、実際は「延べ回数」で、住民1人に対しては数回程度だという。

また、「教団の人のおかしさ」を言葉で表現するのはなかなか難しい。しかし、例えば最初は「宗教は自由なんだから、あなたがたも歩み寄りなさいよ」というような態度であった地元自治会の関係者でさえも、実際に説明会に参加した後だと「ああ、反対運動する気持ちがよく分かった」と考えが変わってしまうという。そして、皮肉なことに反対運動を期に地元の自治会の団結力がますます高まっているという。

政教分離の抜け道としての学校

住民が学園の建設に反対するもう1つの理由が、その立地だ。学園の建設予定地は斜面に囲まれた土地にある。よく見ると同様の土地に建つ周囲の住宅や学校は周囲をコンクリートで補強してあるのだが、学園の場合は土がきだした。住民によれば、補強のために必要な開発許可申請が出されていないので、完成後もこのままではないかということだ。

2011年12月12日に住民から行政に対して学園の建設確認を取り消すことを求めて審査請求が出されている。その直接の理由は、前述のように危険な土地を補強せずに建設をすすめていることと、実際は開発許可が必要な工事をしているのではないかという疑惑があることだ。

壁にしきられた中ですすむ学園の建設工事。

学園の周囲の斜面は土がむきだして、地下水がにじみ出ている場所もある。

なお、この審査請求は2012年6月4日に却下された。理由は既に開発委員会が開発許可は不要との判断を出していること、土砂崩れなどの危険が生ずる証拠がないといったことだ。

しかし、開発許可の問題以前に、幸福の科学の学園が建設されること自体に対して大きな反発があるのだ。住民の間では、学園ができたことを皮切りに、周囲に次々と教団施設が作られるのではないかという危惧きぐがある。すると、教団の会員以外の人は居づらくなり、また近寄りがたくなってしまう。また、住宅地としての価値も下がってしまうおそれがある。住民の話によれば、実際に、学園の建設が決まってから、近くの小学校の転入生が急減しているという。

もう1つの不満は行政による学園に対する補助だ。私立学校には行政から私学助成金が出されるなど、優遇を受ける。しかし、学園に補助に値するほどの公共性があるのか住民は疑問を持つ。

「幸福の科学学園はりょう制ですし、どう考えても地元の住民は通わなくて、通うのは信者さんだけですよね。同じ宗教系の学校でも、例えば比叡山高校なんて比叡山の門徒もんとはごく一部ですよ」

既に幸福の科学学園が栃木県那須郡なすぐん那須町なすまちに開校している。その学園生活を紹介した冊子があるのだが、生活の中にお祈りや、経典(大川隆法氏の著作)を読む時間がある。学園は入学者を会員に限定しているわけではないのだが、現実問題としてこれでは会員以外の子は学園内での居場所がないだろう。そもそも、自分の履歴書に「幸福の科学学園卒業」という経歴を好んで書きたい人がどれだけいるだろうか。

幸福の科学学園那須校の寮生活の紹介。「朝・夜の祈り」「経典読書」などの宗教行事が組み込まれている。

また、那須の学園は住宅地からかなり離れたところにあるのに対し、仰木の里の学園は前述のとおり住宅地のど真ん中だ。そのことも住民の反発を大きくしている。

しかし、いちがいに幸福の科学だけを責められない点もある。新興宗教としてよく比較対象とされるのが創価学会だ。創価学会は東京都新宿区信濃町の土地を次々と買って教団の施設を建て、信濃町駅の周辺を宗教都市化してしまった。また、創価学園や創価大学もある。その影響は幸福の科学よりずっと大きいし、創価学園、創価大学に入るのは9割以上は学会員であると言われる。それらとどう違うのかと聞くと、住民も「創価学会はちょっと怖いので…」と、はっきりとは答えられない。こうなると力関係の問題だろう。

幸福の科学学園をめぐって仰木の里で起こっている問題は、宗教と教育、教育とお金という今まで見過ごされてきた問題を浮き彫りにしていると言える。事実上特定の宗教団体のための学校に、公金を支出することが正当なことなのかということだ。憲法89条には、

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善じぜん、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

とある。私立学校への公金の支出は、政府でなく民間による教育への支出なので、これに違反しているように思えるのだが、「行政が管理監督するので公の支配に属する」というゆるやかな解釈で行政や司法は「合憲」と判断してきた。しかし、宗教系の学校となるともっと話は複雑になる。例えば学校内でお祈りのような宗教活動が行われているのなら、宗教活動にも公金が支出されていることになってしまうのではないかという点だ。ご承知の通り、公人が神社に参拝した時の数万円の玉串料たまぐしりょうが「違憲」と判断されてしまうくらい宗教活動への公金の支出は厳しく禁止されているのに、そこに「教育」というワンクッションを置けば何でもありになってしまうことは筆者としても釈然としない。

幸福の科学と創価学会といえば、対立関係にあるのだが、地元の創価学会や公明党から学園建設に対する反発の声はあまり聞かれないという。それは、表立って反発すると「ブーメラン」になると考えているのではないかと、うがった見方をしてしまう。(鳥)

本誌の取材に対して幸福の科学の回答

本誌では地元大津市の幸福の科学および学園事務所に取材を申し込んだが、いずれも「東京の本部に聞いてください」ということであった。ここに、幸福の科学本部への質問と回答を掲載する。

Q 仰木の里は、学園建設反対ののぼりだらけになっていて、ある意味異様な状況になっています。そもそもここまでこじれてしまった原因と、今後の対策についてお聞かせいただきたいと思います。

A 幸福の科学学園は、住民の皆様にご理解を得るために、「学園説明会」「対話会」「中高層説明会」「那須本校見学会」等を、延べ30回以上開催をしてまいりました。一部の方々にはまだ御理解いただけておりませんが、今後も話し合いを続けていきたいと考えています。ただ、一部の反対活動は、国や地方への財政貢献を踏みにじり、地元の経済の活性化を妨げる偏見に基づいており大変遺憾いかんです。

Q 現在の場所に建設されることになった背景はなんなのでしょうか。たまたま土地があったためなのか、あるいはあの場所であることに意味はあるのでしょうか。

A 「幸福の科学学園関西校」建設予定地(滋賀県大津市仰木の里)は教育施設等を誘致するために造成された土地であり、土地の公募に際しても、教育施設が、ふさわしい施設として具体的に例示されていたと同時に、周辺環境や交通機関の便利さ、ならびに教団施設である「琵琶湖正心館」が近くにあり、ゆかりのある土地である事などが選定理由です。

Q 大川隆法氏が過去に著書で「最澄は無間むげん地獄に堕ちた」という趣旨のことを語ったことについて、比叡山の麓という土地柄もあって一部の住民が問題視しています。この発言は事実で、現在でもこのような見解なのでしょうか。

A 1987年時点では、経典「黄金の法」(土屋書店)にそのような記述がありました。ただし1995年改訂時に削除され、「黄金の法」(幸福の科学出版)では「現在(一九九五年)も、あの世で反省行に打ち込んでおります。」となっております。総裁は宗教家として霊界探求を行い、客観的で、公正な眼で真実と思われることを述べておられます。このような表現を通して信者を増やす意図などなく、宗教戦争をしかける目的もないことを付言します。

Q 幸福の科学学園は、会員以外の生徒が入学することを想定されているのでしょうか。また、「サクセスNO.1」の生徒が優先的に入学できるというのは事実でしょうか。

A 幸福の科学学園は、会員子弟以外の生徒の入学も想定しています。また、全員、一般入試により選抜いたします。

Q 幸福の科学学園の担当者が住民のPTAでの役職、職業などを知らないうちに把握しているとして、住民が気味悪がっていると聞きました。実際に貴教団で住民のプライバシーを調査するようなことをされているのか、お聞かせ下さい。

A そのような事は一切行なっておりません。

Q 那須の学園について、総工費、会員以外の生徒の入学はどれくらいかといった実績をお聞かせください。

A 那須本校の総工費は約66億円です。会員子弟以外の受験もありましたが、合否につきましては個人情報のため、公表しておりません。

Q 今後、他の学校を設立する予定はございますか。

A 2016年に、千葉県長生郡ちょうせいぐん長生村ちょうせいむらに幸福の科学大学を設立する予定です。

Q 仰木の里の住民感情が悪化している一方で、地元の会員の方から見てあの状況をどうとらえられているのか、差支え無ければ実際に現場の方からお話をお伺いさせていただきたいと思います。

A 取材につきましては幸福の科学グループ・広報局にて対応致しております。

本邦初!? 同和地区指定区域の図面が公開された(同和と在日2012/3)

By 鳥取ループ

鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2012年3月号
2012年1月、取材のために滋賀県草津くさつ市を訪れていたところ、驚くべき話を耳にした。というのは、ある住民が草津市役所に同和地区指定の根拠となる資料を情報公開請求したところ、その図面を市役所が公開したというのである。公開された図面は、「草津市 出自を理由に採用から排除した解放同盟と行政の「就職差別」」(同和と在日③)でも取り上げた西一にしいち地区(草津市西草津にしくさつ1丁目)のものだ。

本誌では長らく行政に同和地区の場所を公開させるにはどうすればよいかということを探求してきたが、それは予想以上にハードルが高いものであった。「鳥取市同和対策減免対象地域非公開の理由」で取り上げたとおり、情報公開請求ではなくて、個人情報開示請求によって「自分の家の場所は同和地区か?」という照会を行なっても開示されないことが明らかになっている。つまり、仮に当の同和地区の住民が個別に開示を求めても、正式な手続きでは開示してもらえないのである。

しかし、草津市の場合は「情報公開請求」に対して市が「公開」との判断を下したという。個別的な開示ではなく、文字通り公開したということなので、筆者が請求してもそれを見ることができるということだ。

早速、半信半疑で情報の真偽と、情報公開請求したい旨を草津市に問い合わせたところ、「あの資料ができた当時は情報公開制度を想定していなかったので、開示されるかどうかは分かりませんよ」という返事であった。もちろん、それで諦めるわけがない。早速情報公開請求の準備をしていると、別の職員から電話がかかってきて、こう言われてしまったので拍子抜けしてしまった。「あの資料なら情報公開請求は必要無いので、コピー代と郵送料を納付すれば送る」というのである。ということは、既に情報公開請求が行われていたということは本当だった。

資料の名称は「住みよい街づくりのために―地域改良事業のあゆみ 昭和63年3月」。草津市内で同和対策事業として行われた、小集落地区改良事業について説明した70ページほどの冊子であるという。西一地区以外の資料も含まれているということなので、それを全部情報公開請求してみるという手もあったが、早く現物を見たかったので、とりあえず既に公開されたという部分だけをコピーしてもらうことにした。

待つこと約2週間、ようやく到着した資料を一目見たところ、非常に貴重な資料であることが分かった。

これが噂の緑色の地区境界か?

問題の図面は「西一小集落地区改良事業 現況図」と題された、カラーの地図だ。「当初指定地区」として赤い線で区域が囲ってあり、さらに「追加地区(54年)」として赤い点線で過去ってある。そして「追加地区(57年)」として緑の点線が使われている。資料内の説明によれば、改良事業が始められたのが昭和49年。その直後に事業の範囲が線引され、昭和54年、昭和57年に2段階にわたって対象区域が広げられたと考えられる。

緑の線と言えば、思い出されたのが本誌で連載している「滋賀県同和行政バトル日記」において情報公開訴訟の対象になっている同和対策事業に関する地図である。滋賀県の説明によれば、その地図でも同和地区の境界は緑色で示されているという。ひょっとすると、滋賀県が持って地図はこれと同じものなのかも知れない。

ただ、この資料はあくまで「小集落地区改良事業」についての資料であって、この区域が同和地区であるとは直接書かれていない。小集落地区改良事業とは1970年に当時の建設省が定めた「小集落地区改良事業制度要綱」による事業のことである。これは同和対策事業が始まる前から存在していた「住宅地区改良法」による改良事業に準じた事業だが、ほとんどは同和対策として行われた。ちなみに、この制度は現在は「小規模住宅地区等改良事業」と名前を変え、最近では2004年の中越地震により被災した集落の再整備に活用された例があり、100%が同和対策というわけではない。

しかし、西一地区に関しては同和事業として行われたことが資料の中で説明されている。例えば次の部分だ。

当地域における開発は、地域住民の生活環境改善の要求が高まるにつれて、昭和44年から基本開発計画に従い、まず環境改善事業を中心として実施された。この事業による整備状況は別頁のとおりであるが、地域への満足な進入路もなかった状態であったため道路の新設・改修が主に行われた。また、河川・下排水路が特に不十分であり、氾濫はんらんしやすかったため改修が行われた。そして、環境改善事業と並行して、社会福祉の向上、産業の振興など総合的な同和施策が実施されていったのである。尚、本市は昭和40年代に入って京阪神のベッドタウンとして人口が急激に増えはじめたが、この余波は民間企業による宅地開発として当地域周辺にも及んでいった。これは、公共施設の不備から無秩序な開発を招く危険があったため、それに先だち計画性のある町づくりを推進する必要もあったのである。

そして、小集落地区改良事業が同和対策事業の期限に間に合わせるために、急いで進められたことが説明されている。

しかし、事業計画の決定そして地区内の買収着手までには、なお長い歳月を要した。市は、当初同和対策事業特別措置法が昭和53年を期限とする時限立法であったところから、事業を強力に推進していく必要に迫まられていたため昭和49年事業承認を待たずして、事業着手の発端となる地区外改良住宅建設用地を先行取得するに至った。ローリング方式による初年度整備区域の対象者の移転先を確保するためである。

この地図で指定された区域は、既存の住宅を動かして道路や公園を整備したり、改良住宅を作ったりした区域だ。大きさにして南北約100メートル、東西300メートル、広さにして3ヘクタールほどある。ただ、行政区画としての「草津市西草津1丁目」の3分の1程度で、隣保館である西一会館は指定区域の外にある。

資料には事業が始まる前の1970年8月の航空写真があるが、これを見ると草津川沿いに住宅が密集しており、周囲は田畑が広がっている。住宅の密度が高いことは航空写真からもうかがえるが、当時の集落内の写真によると、細い道が入り組んでいたことがわかる。これを整備するために住宅を除去して代替となる改良住宅を建設し、あるいは新しい宅地を造成した。

指定区域はこの当時の航空写真の住宅地域とほぼ一致しているので、そういった意味でこの図はいわゆる「被差別部落」の区域におおよそ一致していると見て間違いないであろう。事業の対象が大雑把な行政区画ではなく、まさに「集落」部分であったことが分かる。

現在の地図、航空写真と重ねてみると、集落は指定区域の外に大きくはみ出しており、一般的な意味での「西一集落」と「被差別部落」が一致していないことが分かる。改良事業による区画整理にともなって、旧集落の外にも改良住宅が建設され、また持ち家のための宅地が造成され、他の地域からの転入もあったからだ。ちなみに、現在の指定区域内には賃貸住宅(ハイツじゅえる)もあり、属地という考え方で言えば「同和地区住民」になることは難しくはなさそうだ。

ただ、実際のところ固定資産税の減免などの同和施策は「属地属人主義」であるため、区域内によそから引っ越してきても対象にはならない。また、施策の対象としての「属地」は事実上行政区画全体に広がっており、古くからの西一集落住民の子孫であれば指定地区外でも施策を受けられるのが実情だ。

そして、地図だけではなく「資金計画」という資料も含まれている。それによれば、当時81戸だった集落に投じられた予算は20億21万5000円。1戸あたりになおすと2469万4000円なので、大変な額だ。しかもそのうち約60%は国と県の補助金で、残りもほとんどは市債だ。草津市の一般財源から出されたのは8.36%、1億6727万8000円に過ぎない。

市にしてみれば、同和対策であれば実際に支出する予算の10倍以上の規模の公共事業を行うことができたのである。当時、これをやらない手はなかっただろう。たとえ「差別される地域」と公的に認定されてしまうとしても、次々と手を挙げる地域があったのもうなずける。対象地区のみならず、周辺地域への経済効果も相当なものだっただろう。

徐々にこじ開けられた戸口

草津市では一昨年から「同和対策施策見直し検討委員会」が開かれ、同和施策について議論が行われていた。委員会で配布された資料が市のサイトにアップロードされているのだが、地区名が伏字にされている。とは言え、地区ごとの現況について書かれた資料には人口や地区の状況が詳細に書かれており、隣保館の設置場所と行政が指定した同和地区がほぼ一致しているという滋賀県の事情もあって、容易に地区名が特定され、ほとんど伏字にする意味がない状態だった。実際、委員会の傍聴に訪れた市民に、会議の後に回収するという前提で配布された資料には地区名がそのまま書かれていたという。

市役所に度々情報公開請求を行なっている住民によると、去年あたりからは解放同盟の支部交渉の資料について、支部名はもちろん、地区名もそのまま公開されるようになっていたという。そして、ついには草津市内の4つの同和地区(新田しんでん橋岡はしおか芦浦あしうら、西一)について説明した「隣保館等の概要と地区の状況について」という資料が、草津市のウェブサイトにそのまま掲載されるようになった。

で、今年公開されたのが西一地区の同和地区の図面というわけだ。

確かに草津市では4つの地区の存在があまりに有名すぎて、最初から隠す意味はなかったのだが、「同和地区問い合わせは差別」という解放同盟や行政の見解があって建前は非公開だった。しかし、同和対策施策の見直しが始まったのを契機に市民からオープンな議論を望む声があり、資料が公開されていった。

最初は一応地区名が隠してあるけど、見る人が見れば丸わかりな資料を公開してみた。しかし、解放同盟からそのことについてクレームはなかった。そこで、試しに地区名を伏字にするのをやめてみた。それでも、何の問題も起こらない。「俺らスゲー! じゃあこれも」ということで出てきたのが西一の図面であろう。まさに戸口に足を差し込み、次は手を入れ、どんどんこじ開けていったという感じだ。この過程については今後も検証していきたいところであるが、「同和はタブー」という感覚が、よい意味で麻痺まひしていったのであろう。無論、本誌としては歓迎すべきことだ。

同和対策というと、いわゆる「逆差別」や「ねたみ意識」といったことがどこでも問題もされる。その原因の1つは同和地区に対する優遇施策であることはもちろんだが、それがあまりにも不透明であるために尾ひれがついて広まってしまい、正確な情報を伝えたり、事業の必要性について説明する努力がされないということがある。「差別があった、環境が悪かった」と抽象的な説明はされるものの、実際の地区の状況や、かかった予算など、個別具体的な説明がなされることはめったにない。

人は分からないものに対して恐怖をいだく。しかし、分かればその恐怖は取り除かれるか、残っても限定的なものだ。少なくとも尾ひれがついて限りなくふくらんでいくことはない。もっとも、公開された資料に見ることができる事業の規模と予算は、尾ひれがつかなくても十分に驚くべきものだ。

滋賀県立図書館で利用制限がかけられている歴史資料「滋賀の部落」によれば、西一地区はかつて「留守川るすかわ村」と呼ばれ、藍染あいぞめ産業の村と記されている。特筆すべきことは、留守川村は経済的には豊かだったことで、明治21年の国税負担額が1戸あたり6円55銭で、滋賀県下67部落中1位だったという。当時の税率は3%くらいと言われているので、逆算すると月あたりの収入は18円ほど。これは当時の小学校教員の平均月給くらいの額で、村全体で見れば決して困窮していたとは言えない。そのような地域にあれほどの予算を投ずる必要があったのか、検証されるべきだろう。

そしてにしても、筆者は行政に対して同和地区の場所の公開を求める度に、「事務事業に支障が出る」「差別や偏見を助長する」さらには「人の生命に関わる」といった理由でこばまれてきた。そう言ってきた人たちに、この資料を見た感想を聞いてみたいものである。(鳥)

真相解明! 部落解放同盟滋賀県連合会名簿はなぜ流出したか(同和と在日2011/10)

By 鳥取ループ

鳥取ループ・三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年10月号

全ては2009年12月14日に鳥取ループに書きこまれた、次の3行のコメントに端を発する。

あるところにはあるようですよ。
地名○○
//www1.axfc.net/uploader/Sc/so/63907.txt

書きこまれたアドレスにアクセスすると、“部落解放同盟滋賀県連合会末広支部会員名簿.txt”というファイルが置かれており、その中身はタイトル通り部落解放同盟滋賀県連合会末広支部の141人分の名簿だった。ファイルが置かれていたサイトは、掲示板などでデータをやりとりするためにいわゆる「アップローダー」で、数日経つとファイルは消えてしまう。

その後、不定期的に同様の方法で名簿がアップロードされ、先の末広支部の他、住吉すみよし虎姫とらひめ川尻かわじり橋岡はしおか長寺おさでら甲西こうせい十里じゅうり長塚ながつか山川原やまがわら川久保かわくぼ、長浜の合計12支部、913人分の名簿が順にインターネットに流出した。「部落解放同盟滋賀県連合会会員名簿流出問題まとめブログ」というブログも作られ、それによれば県連55支部の支部名の一覧が名簿を流出させたと思われる人物からメールで送られてきたという。この経過は拙著「部落ってどこ? 部落民ってだれ?」に既に書いたとおりである。

なぜ県連支部の名簿が流出したのか、長らくはっきりしなかったのだが、我々はここにきてようやくその全貌ぜんぼうを突き止めるに至った。結論から言えば、おおよそ「犯行声明」の通りである。具体的には、2010年1月27日に愛荘町あいしょうちょう3地区(長塚、山川原、川久保)の支部名簿がアップロードされたときに、一緒に添付されていた以下のメッセージに凝縮されている(原文ママ)。

ずさんな名簿管理で部落差別を拡大させ、自らの責任を自らで問えない者が、部落差別解決に向けた取り組みを行おうという行為がすでにエセ同和行為である。

部落解放同盟滋賀県連合会は自分達でない他者の行いを、数々の糾弾という行為でねじ伏せ自分達に有利に物事を動かすことが部落差別を生んでいる事に気が付くべきである。

貴方たちは勝ち取ってきたのではなく。奪ってきたのである。

同様に、東近江市に対しても部落解放同盟滋賀県連合会は糾弾という暴力的な行為を愛荘町を従わせ行った。そして部落解放同盟滋賀県連合会の自己利益のみを追求したばかりに東近江市民や愛荘町民に対し、また部落解放同盟滋賀県連合会に対し部落差別という溝を作った。

滋賀県に部落差別が存在するから部落解放同盟滋賀県連合会を存在させる必要はない。
もし部落差別解放のために部落解放同盟滋賀県連合会が存在することが必然ならば、ずさんな名簿管理により55支部の会員名簿を無線LANで公共の電波ごとく流し公開していた部落解放同盟滋賀県連合会は部落差別の元凶であり部落差別を拡大させている原因だ。

「部落解放同盟滋賀県連合会による愛荘町内の支部員名簿流出事件真相報告集会」を開くことは東近江市・愛荘町にとってラストチャンスかもしれない。

もし、現在の部落解放同盟滋賀県連合会が部落解放に向けた行為を行っているというのであれば、私が行っている行為も部落解放に向けた行為であり、それは部落解放同盟滋賀県連合会の名簿管理体制について糾弾することである。

パスワード無しの無線LANで
情報が垂れ流しにされていた

「犯行声明」の中にある「無線LANで公共の電波ごとく流し公開していた」という部分に注目してほしい。県連が問題の名簿を無線LANによりアクセスできる状態にしていたことは事実である。その前兆が、2009年4月の滋賀県人権センターの職員名簿24人分が流出したとされる事件だ。2009年8月1日の毎日新聞は次のとおり報じている。

個人情報:職員名簿ネットに流出 県人権センター、24人分 /滋賀

財団法人「県人権センター」(大津市におの浜)の職員名簿が4月にインターネット掲示板「2ちゃんねる」上に流出していたことが31日、分かった。本来の名簿にはない職員の個人情報が書き加えられていることから、同センターは県警生活環境課に相談するなど原因を調査。同課はリンク先のサイト管理者に削除を要請し、閲覧できないようにした。
同センターによると、流出したのは3月末ごろに作られた08年度の職員24人の名前や住所、役職の名簿。同掲示板では、部落解放同盟の活動に批判的なスレッド(投稿の集まり)の中にリンク先のアドレスが書き込まれれていた。

住所は黒塗りにされていたが、名前や肩書は実名のまま。備考欄が設けられ、
部落解放同盟の幹部を務める一部職員の具体的な肩書が記されていた。

4月7日に掲示板を見た職員が発見。同センターは名簿作成直後の4月2日昼から数時間、共有サーバーに保存した流出分を含む各種データが消えるトラブルが起きたが、調査の結果、ウイルス感染の可能性は低く、職員のファイル交換ソフトの利用もなかった。

同課もセンターへのアクセス記録を解析するなどして、流出の経緯を調べている。

この点について当時の経緯を知る複数の関係者に取材したところ、経緯はおおよそ記事の通りである。しかし、決定的に欠落している部分がある。それは、名簿が置かれた共有サーバーは無線LANによりアクセスできる状態になっていたことだ。県連のある幹部は「その可能性はある」と、無線LANによる侵入が可能な状態であったことを認めた。このとき無線LANには一応パスワードがかけられていたようで、仮に無線LANのパスワードを破って、さらに共有サーバーのデータを取得して元のサーバー上から削除したのであれば、これは完全な不正アクセスだ。ただ、無線LANのパスワードを解除する方法は、当時から雑誌やインターネットで紹介されており、ツールも比較的簡単に入手できることから、高度な技術がなくてもやろうと思えばできないことではない。当時は人権センターと県連が入居している「解放県民センター光荘ひかりそう」の会議室を度々共産党が借りていたことから、“県連と対立する共産党の仕業だ”といった声もささやかれた。

無線LANを使っていたということは、外部の人間が不正アクセス可能だったということだけではなく、また別の意味合いもある。無線LANの電波は状況によっては100メートルくらい届くので、光荘2階にある県連事務所から1階の人権センターの無線LANに接続できたはずだ。しかも、人権センターの職員に県連のメンバーが含まれていることは周知の事実である。取材の過程で関係者から「人権センターと県連は別組織なので、人権センターから漏れることはあり得ない」という証言があったのだが、この説明は崩れる。実質的には人権センターのデータが県連と共有されていたのである。後に述べるように、県連事務所もまた無線LANを使用していた。設備の面でも、人的な面でも、双方向でデータが共有された状態になっていたのだ。

この人権センターの無線LANとは別に、実は県連事務所も無線LANを使っていた。この無線LANについて、関係者から重要な証言を得た。

光荘にはもう1つの組織、滋賀部落解放企業連合会(企連)がある。県連と企連の関係は、人権センターと県連の関係よりも密接である。関係者によれば、県連事務所が無線LANを使用した目的は、県連と企連がデータを共有するためだったという。そして、この無線LANにはパスワードがかけられていなかったという。つまり、ラジオの放送局のようなもので、電波が届く範囲であれば、誰でもアクセスできる状態だったのだ。「犯行声明」にある無線LANというのは、このことだろう。

県連のある幹部も、無線LANが流出源である可能性を認め、パスワードをかけていなかったことについては調査中としながらも、否定しなかった。また、名簿流出の直接の原因である可能性は低いが、職員がファイル交換ソフトを使っていたり、県連の備品のノートパソコンを私物化して自宅に持ち帰っていた幹部がいたりしたという証言もある。

つまり、人権センターの情報管理には問題があり、県連に関してははっきり言ってお粗末だった。そして、両者が情報を共有していたため、人権センターの情報管理さえも無意味化していたと言えるだろう。

前代未聞の「センシティブ情報」の流出

県連の名簿流出はその情報の性質という点では前代未聞である。世間的には最も流出させてはいけない、いわゆる「センシティブ情報」とされているものの代表格であろう。県連も2010年10月11日発行の解放新聞滋賀版で「被差別部落名である支部名・氏名・住所・生年月日・郵便番号・携帯番号を一緒に流出させており、名簿に記入されている人が被差別部落民であることを不特定多数の人々に知らせることであり「部落人名総鑑」とも言うべき悪質な差別事件である」としている。解放同盟は以前から「どこが部落で誰が部落民か調べることは差別、しかし解放運動のためなら許される」と主張してきた。しかし、ある意味「部落民の名簿」が外部に流出してしまっては、そのことをどのように自己批判しても、あるいは正当化したとしても運動自体のメンツが潰れることは避けられない。県連の場合は、正当化して今後一切他者を非難できなくなるよりは、自己批判する方を選んだのであろう。

名簿が流出してしまったある支部の関係者によれば県連の幹部が何度も謝罪と経過報告に訪れ、それこそ平謝りであったという。誰が流出させたのかということについては、「誰がということではなしに、とにかくそのような情報が流れてしまったことは県連の管理不行き届きだということで謝っていました」ということだ。「まとめブログ」を通じて支部名の一覧もネットで公開されたことから、名簿流出が判明した支部以外にも同様の説明と謝罪があったという。

県連からは「名簿は事務所のサーバーに、金庫のように厳重に管理していた」と説明されたという。支部の関係者に無線LANのことを聞いてみると「無線というようなことは聞いていません」と語った。とすると、内部の人間が持ちだした可能性が高いということになってしまうのだが、犯人探しをすることは求めていないという。個人情報が流れてしまったことについてどう思うか問うと、

「住所が出てしまっていますが、私たちは部落に住んでいるということは別に隠してないですし、それを誇りに思えるようにすることが解放運動だと思っていますので」

と、いかにも解放同盟員らしい答えが返ってきた。

確かにその通り、本来は誰が部落民であるかということを隠さないのが解放運動の理念だ。にも関わらず、「身元調査」は差別であると激烈に反応するのは、対外的な「策略」という面が強いだろう。それがいつしか自己目的化してしまい、世間に定着してしまったのだ。世間一般の人々にとって同和はタブーだ。解放同盟員名簿などというものは、タブーの最たるものだろう。しかし、運動体内部の人にしてみれば、顔なじみの同盟員は多くいるし、別に特別なことではない。同盟員名簿と言っても、町内会の名簿と大して変わりはないだろうし、実際にそのような扱いをされていたように見える。

名簿流出についての報告と謝罪は、実際に名簿が流出しなかった支部に対しても行われた。ある同盟員によれば、県連から「取り扱い注意」とされた謝罪と経緯説明の文書がまわってきたという。文書には、無線LANのことも説明されている。

県連の説明よれば、流出した名簿は2007年8月から同年12月までの間に作成され、その後の修正が反映されていないことから、実際に「犯人」の手に渡ったのはその時期であろうということだ。流出した名簿のファイルの作成日付を調べたところ2005年5月5日5時5分というようなものがあったのだが、実際にそのような時刻にファイルが保存されるとは考えられず、おそらくこれは「犯人」によって改ざんされたもので、県連の説明の方が正しいと考えられる。そして、無線LANが使われていたのも2007年の12月までで、その後は有線LANに切り替えられたという。人権センターや県連事務所の有線LANの切り替えについては県人権施策推進課も把握しており、理由は「セキュリティのため」というから、人権センターの職員名簿流出の発覚から2年以上も前に県連はセキュリティに問題がある状態だったことを把握していたことになる。

流出した名簿のもとになったのは、企連が税金の管理用にもともと持っていた電子データと、紙ベースで保管されていた各支部の同盟員名簿であり、それが2006年頃から電子化されたという。企連名簿はそれなりにきっちりしたものであったが、各支部の同盟員名簿はもともと不正確なものである。例えばある支部の関係者はこう語る。

「うちの支部の名簿なんか昭和50年代からそのままやで。だから死んどる人もおる」

流出した末広支部の名簿を見た地元住民は、名簿の内容は新しくはないが、かと言ってそれほど古いわけでもないと言ったが、おそらく新たな電子化により企連の比較的新しい名簿と、紙ベースの古い名簿がまざった状態になったためだろう。それは、名簿を電子化した目的が、あまり“精度”を要しないような用途であったことを示唆している。

実際のところ、関係者によれば問題の名簿が電子化された目的は、県連が支部会員に対してハガキで県連60周年記念式典の案内をするためだったという。企業で言えばダイレクトメールによる営業活動のようなものだ。その後も名簿は利用され続け、例えば名簿が松岡まつおかとおる元参議院議員の選挙運動に流用されたことがあり、その経路で流出したのではないかと噂する人もいた。

名簿流出に関わった人物が真相を告白!

解放同盟員からは名簿流出の原因について、様々な説が聞かれた。前述の共産党説、松岡徹の選挙運動説もそれだ。しかし、名簿の内容を暴露するのは共産党のやり口ではないし、参議院議員選挙は2007年の7月なので名簿の流出時期よりも前なのでおそらくこれも違うだろう。

最も有力なのは、内部犯行説だ。昨年、県連の建部たてべ五郎ごろう委員長が解任され、藤野ふじの政信まさのぶ氏が委員長となったが、解放同盟関係者によれば、藤野氏の目下の課題は、組織内の対立を収束させることだという。どういうことかというと、県連では山口やまぐち敏樹としき副委員長を中心とするグループと丸本まるもと千悟せんご書記次長を中心とするグループの間で言わば覇権争いがあるのだ。「丸本派」である建部委員長を失脚させて、さらには丸本書記次長も失脚させようと「山口派」の事務員が名簿を持ちだして事件を起こしたという筋書きだ。その一方で、「丸本派」の事務員が金のために名簿を名簿業者に売ったという噂も流れている。

そして、我々は取材をする中で、ついに「自分は名簿の流出に関係した」という人物に接触することに成功した。氏の希望により名前は明かせないので仮に猪口いのぐち静香しずか氏としておこう。猪口氏は

「詳しいことは明かせないですが、名簿の流出に関わった人はたくさんいますよ」

という。そして猪口氏は名簿の管理状況について語ってくれたが、それは県連の報告とほぼ一致していた。すると、残る疑問は「なぜ名簿を流出させたのか」ということだ。氏によれば、前述の「犯行声明」に書かれた通りだという。ということは、「「東近江市民による電話での愛荘町役場への同和地区問い合わせ差別事件」がなければ名簿流出はなかったのか」と我々が問うと、「そう」と答えた。だとすれば、県連の運動方針に不満があり、それを正そうというある種の義侠心ききょうしんから人々が起こした行動なのだろう。確かに、同和地区はどこなのかということよりも強力な、同和関係者は誰なのかという情報を県連が持っており、それをずさんに管理していたという事実を示すことはこれ以上ない強烈な“あてつけ”であるし、愛荘町問題を「差別事件」としたことは同和地区内でも賛否両論があり、県連の方針に反発する人々が少なからずいたことは我々も取材の中で把握していることである。

一方で、「犯行声明」にはこんなことも書かれていた。

部落解放同盟滋賀県連合会委員長建部五郎へ告ぐ

ずさんな名簿管理体制により55支部の会員名簿が外部へ流出し現在8支部(594名)の会員名簿がインターネット上に流出している事実をマスコミ各社に公表し関係各団体ならびに解放同盟滋賀県連会員全員に対し部落解放同盟滋賀県連合会の公式な謝罪文を送付するとともに早期に自らの責任と自らの意思をもって委員長職を辞職することを要求する。
本件は一般人に開放された状態であった無線ネットワーク内の共有フォルダに会員名簿を誰もが観覧できる状態で保存していた部落解放同盟滋賀県連合会のずさんな情報管理体制と社会的責任を委員長建部五郎に追求するものであり決して脅しではない。

建部前委員長の辞職を要求したのはなぜなのか。それを猪口氏に問うと、それは「県連内部での対立を利用した」というのである。

猪口氏は驚くほど県連の内情に詳しい。我々は取材の中で、ある同盟員から幹部がいる支部を避けるように名簿が流出していることを指摘されたが、氏によれば、確かにその通りで、それにはちゃんと意味があるのだという。すなわち、「オレも被害者や」と幹部に言わせないためだ。逆に、名簿が流出したのは建部前委員長をよく思っていなかった支部だという。こうしておけば、建部前委員長と対立する勢力が必ず委員長を辞職させるように動き出すと読んでいた。そして、実際に「犯人」の思惑通り名簿流出に加えて金銭問題を追求されて建部委員長は失脚した。現在県連内部では多額の使途不明金が出ていることが問題になっているが、そのことについて内部告発がされたのも、全て計画通りであったという。

それでは、「犯人」の最終的な目的は何なのか。「犯行声明」には「部落解放同盟滋賀県連合会を存在させる必要はない」「部落解放同盟滋賀県連合会は部落差別の元凶であり部落差別を拡大させている原因だ」というフレーズがあるが、猪口氏によれば、これに関しては「策略」として書いたものではないという。氏はこう言う。

「例えば人権センターにも行政にも、思い描いていた理想と現実とのギャップ(運動団体内での対立など)に失望している人が少なからずいます。同盟員名簿をばらまこうというアイデアを出したのも、そういう人ですよ」

しくもこの原稿を書いている途中(2011年9月)にも、猪口氏の証言を裏付ける事態が起こっている。「2ちゃんねる」で、最近行われている人権センターの職員の採用試験について、出来レースであるという告発めいたことが書かれており、あらかじめ採用が決められているとされる「丸本派」の受験者の実名を出して「名簿屋」とののしっている。これについて人権センターに電話取材したところ、当然センター側は不正については否定した。しかし、驚くべきことは次の日には「火曜日に鳥取ループから人権センターに採用試験について 電話がかかってきて対応した総務の坊さまが騒いでましたよ。」と2ちゃんねるに書き込みがされたことだ。中の情報が筒抜けなのである。このようなことは今になって始まったことではなく、ある県民が人権センターに電話で「人権相談」をしたところ、自分が相談したことが全く面識のない解放同盟員に知られていたということもあった。

部落解放同盟の名簿が流出した要因は複数あり、それらが重なることで起きたと言える。無線LANをパスワードなしで開放するなどのハード面での情報管理の甘さ、県連内部での対立、人権センターの職員の士気の低さとモラルの崩壊、そして「愛荘町役場への東近江市民による電話での同和地区問い合わせ差別事件」である。このうち大きな要因になったのは、人的な面だ。例え無線LANがダダ漏れになっていなかったとしても、内部の人間が関わっている以上、いずれにしても別の方法で名簿が持ち出され、ばらまかれたことだろう。無線LANの問題や愛荘町の事件は、インターネットに名簿をばらまく「大義名分」とされたに過ぎないと言える。この事件の原因は決して情報管理や“セキュリティ”の問題ではなく、解放運動への反発というもっと根源的なものだ。

世間的には「センシティブ情報」であれど、同盟員名簿はたかが運動団体の「同志の名簿」で、本来なら町内会の名簿程度のものだ。役所や企業の機密情報のように、性悪説に基づいてきっちり管理するには馴染まないだろう。例えば、解放同盟の事務所の中にサーバールームがあり、そこに出入りするにはカードキーが必要で、出入りするにはUSBメモリなどを持っていないかチェックされるというような光景を想像すると、あまりに滑稽こっけいではないか。解放同盟の名簿はあくまで信頼関係により守られるべきものであって、お互いに信用出来ないという前提で情報を管理しなければならない状態になってしまうとすれば、「運動団体」としての存在意義に疑問が持たれるときだろう。

県連は「インターネットによる盗難支部員名簿の差別的流布に関する検証委員会」を設置して、再発防止策を検討しているという。今後の情報の流出を防止する対策があるとしたら、何らかの方法で「同志」としての結束力を高めて「裏切り者」が出ないようにすることだろう。しかし、「部落がどこで部落民が誰か調べることは差別、しかし解放運動のためなら許される」と非常に都合の良い理屈で部落民の存在自体を運動に利用してきたことにも問題はないだろうか。

「名簿流出問題を差別糾弾闘争へ」。県連が各支部に配布した謝罪・説明文書にはこんなことが書かれているという。そして、インターネットに流出した名簿が悪用されないように、インターネットにおける人権侵害に対する法規制、興信所に対する規制強化をすすめていくとしている。一方、県連は現在のところ名簿流出という事態を外部に対しては説明していない。

最初の名簿が流出してから2年が経とうとしているが、幸いにも実害が出ている様子はない。もう少し「地区外」の人々を信頼して「気にしないでおく」というのが実は一番の解決方法ではないだろうか。(鳥・三)

同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷(同和と在日2011/7)

By 鳥取ループ
鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2011年7月号

近江八幡駅で見つけた張り紙。

その日、筆者はJR近江八幡(おうみはちまん)駅に降り立った。目的は1つ、ある地域が同和地区指定を辞退した背景を調べるためである。

「声に出して読みたい「同和と在日」文献の旅」では、滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市若宮町(わかみやちょう)のことを採りあげた。「近江八幡の部落史―くらしとしごと」によれば若宮町は被差別部落であったが、1969年に同和対策事業を辞退することを市議会に請願して可決されて以来、国の同和対策事業が終わるまで同和地区として指定されることはなかった。そして、一昨年の近江八幡市議会で冨士谷(ふじたに)英正(えいしょう)市長は「要は若宮町は正直に申し上げまして、以前といいますか、被差別部落という言葉がありました。でも、若宮町の場合は同和地区というのを指定を返上されたというふうに理解をしてるん」と発言した。

本誌では主に同和対策事業に着目して同和とは何かということを解明してきたが、同和を理解するためには逆に「同和でない」地域を知ることも必要であろう。そこで、部落解放運動のゆかりの場所でありながら同和地区指定されなかったという少し変わった歴史的背景を持つこの地区に興味を持ったわけである。

前の記事でも触れたとおり、近江八幡市では、部落解放同盟の不正会計問題を期に、冨士谷英正市長が地元との協議をせずに、隣保館など同和事業関係の施設を全て閉鎖した。なので、同和色は薄くなっているだろうと思っていた。しかし、駅のトイレに入って驚いた。そこには「差別落書きは犯罪です」「お互いの人権が尊重される差別のない明るい社会をつくりましょう」という張り紙があったのだ。「事業はなくなっても差別はまだある」そんなメッセージがそこから発せられているように思えた。

駅前に出ると、早速「近江八幡市人権センター」という案内板が出ていた。人権センターは駅のほど近くにあり、ちょうどこれから向かう方向と同じなので、とりあえず立ち寄ってみることにした。それに、この手の施設には大抵図書室があり、いろいろな意味で興味深い資料が見られるのではないかと思ったからだ。

センターの中に入ると、いきなり職員に「どんなご用でしょうか?」と声をかけられた。とりあえずは、正直に取材目的でやってきたことを告げた。しかし「若宮が同和地区指定されなかった理由を知りたいんです」と直球に言うのも何だったので、「若宮町を取材したいのですが。何でも水平社初代委員長の南(みなみ)梅吉(うめきち)の出身地だそうなので」と答えた。

「ああ、でも南梅吉はほとんど京都に住んでいたので、若宮に行っても何にもないよ」

職員の返事はそっけなかった。

「公民館とかに資料はありませんか?」

「若宮に公民館はないよ。自治会の草の根ハウスがあるけど、あそこは職員が常駐してないから今行っても閉まってる」

そこで、持ってきた「くらしとしごと」を見せると、「そのことなら市史編纂(へんさん)室に行ったほうがいい」と、市史編纂室の場所を案内してくれた。しかし、諦(あきら)めきれなかったので「南梅吉のこと以外も地元の人から聞いてみたいんですが」と言うと、こんな答えが返ってきた。

「それは難しいんじゃないかな。若宮は未指定地区だからね」

普通、行政職員があそこは同和地区だとか、ましてや「未指定地区」などということは言わないものだが、トップの市長が議会で公言してしまっているのだから、今さら配慮する必要はないということなのだろう。職員にしきりに市役所の方を指さされつつ、愛想笑いをしながらセンターを出た。しかし、筆者は彼らの助言を無視して若宮の方向へと一直線に進む。あそこまで言われてしまうと、ますます行きたくなるのが人情というものではないか。

田んぼの中に浮かぶ島

若宮の中心部にある教信寺の門。中には立派な本堂がある。

「くらしとしごと」では、若宮は「船の着かん港」と表現されている。しかし、地図で見るそれは港というより“島”という表現がしっくりくる。近江八幡駅の南側に広がる田んぼを海に見立てるなら、その中にぽつんと若宮の集落が島のように存在している。とは言っても若宮は非常に大きな集落だ。

線路沿いに西に向かい、途中から白鳥(しらとり)川に沿って南に向かうと、右側に大きな若宮の集落が見えてきた。さらに田んぼの中にある農道を通って、いよいよ若宮町に入った。駅から歩いて20分ほどであろうか。部落にありがちな洪水を起こしそうな川が近くにあるわけでもなく、急斜面にあるわけでもない。駅まではずっと平地なので、駅まで自転車で毎日通うとしてもそれほど苦にならないだろう。近江八幡駅が新快速停車駅であることを考えれば、悪くないどころか、むしろ恵まれた立地にある。

集落に入ると、そこは拍子抜けするほどごく普通の田舎の村だった。大きな家もあり、小さな家もあるが、当然ニコイチ住宅や公営の団地のようなものはなく、見るからに悲惨はあばら屋というのもない。ちょうど筆者の実家の周囲もこのようなところで、田舎育ちの筆者には懐かしさを感じさせる風景だ。しかし、それでいて寂れているわけでもない。

集落の中ほどまで来ると、立派な寺が現れた。寺の名前を見ると「教信寺(きょうしんじ)」とある。これが文献(部落解放研究(2003年8月))に出てくる「十座村(じゅうざむら)の教信寺」だ。寺の境内には黒い石版があり、そこに本堂の改築にあたっての寄付者の名前が刻み込まれた石版があった。石版には「南」姓の名前がずらりと並んでおり、南梅吉の故郷に来たということを実感させられた。また、200人くらいの名前が刻み込まれた石版が3枚もあり、この集落の大きさを実感させるものでもあった。

田舎の集落とは言え、これだけの大きさになれば酒屋もあればコンビニ(セブンイレブン)もある。工場もいくつかあり、集落のはずれにある鉄工所は見るからにフル稼働中であった。しかし、一歩集落を出れば一面の田んぼである。旅館でもあれば泊まってみたいところだが、さすがにそれはないのが残念だ。集落の端には東海道新幹線の高架が貫いており、新幹線が通過すると、さすがに風切り音が聞こえる。

しかし、ここに来た目的は観光でもなく、歴史に思いを巡らせて感傷にひたるためでもない。さっそく住民に聞き込みを開始し、この地に詳しい人物を探し始めた。玄関に「身元調査お断り」というステッカー貼られた家があったが、今回は別に個人の身元を暴露しようということではなく、市議会でも公言されているように「若宮町が同和事業を辞退した」背景を知りたいだけなので、何もやましいことはない。そう自分に言い聞かせながら取材を続けた。

地元住民によれば、若宮町には市議会議員が1人いたのだが、既に亡くなってしまったのだという。それでも、この地に詳しいという有力者に会うことができた。

こんな大きな在所、隠せるわけないやんか

「うちのとこは、同和問題には敏感やで」

開口一番言われたのがこの言葉だった。さらに、本誌「同和と在日」の見本を見せるとさらに表情が硬くなり、「こんなカタい名前の本に書いていらん」とまで言われる始末だ。しかし書く。

若宮は世帯数が多い割には田んぼが少なく、160反の田んぼに対して農家が100世帯くらい、平均すると1世帯あたり1.6反(16アール)程度であったという。一方で産業として鹿子(かのこ)絞(しぼ)り(小鹿の斑点のような模様の染め物)があり、自営業で財を成した家がいくつもあった。ただ、中国や韓国から安価な衣料が入ってくるようになると、鹿子絞りの産業は廃れた。

部落全体では決して豊かではないとは言え、極端に貧しいというわけでもなかった。1954年に近江八幡市が発足する以前、桐原(きりはら)村だった頃には地区から村長を出したこともあったという。

早速、今回の本題である冨士谷市長の市議会での発言のことと、同和対策事業を辞退した経緯を聞いてみた。すると、意外な答えが返ってきた。

「ウチは被差別部落だということは認めとる。別に寝た子を起こすなとか言うつもりはない。だいたい、こんな大きな在所(ざいしょ)、隠せるわけないやんか。300世帯くらいあるのに。あんたにはとても言えんような差別もあった。ただ、同和事業はやらんかった、それだけのことや」

国の同和対策事業が始まるということになった昭和40年代はじめ頃、地区指定を受けるかどうかで地区内の意見が割れた。しかし、最後は青年団を中心にあがった「物貰(もら)いみたいなことはしたくない」という意見が勝った。もちろん、今さら部落ということを蒸し返してほしくない、つまり「寝た子を起こすな」という考えを持つ人もいたが、そのことは一面にすぎないという。それよりも、極端に貧乏しているというわけでもないので、自主独立でやれるという思惑があったのだ。また、当時は同和事業を受けるためには解放同盟を組織する必要があったが、意見が割れたので、組織することもできなかったという。

「物事は何でもそうやけど、右向け言うたってみんなが右を向くわけはないやろ」

ただ、2009年から翌年にかけて部落解放同盟滋賀県連の名簿が流出する事件があったときに、支部名の一覧も出て、その中に若宮支部があった。そこで、あれは何なのか聞いてみた。

「特措法が切れる2年くらい前、平成11年のことやったかな。5、6人くらいが解放同盟の若宮支部をあわてて作った。やるんなら本気でやれ、支部員の名簿を見せろと言ったけど結局出てこなかったな。そんな調子だから「若宮の名を名乗るな」という声まであがった。特措法が終わってからは活動してないね」

無論、共産党系の全解連や保守系の同和会のような組織もできなかった。

「同和会なんて、名前からして“同和”って看板出してる時点でオレは同和だって役所を脅す気満々やろ。被差別部落だからという理由で役所から金をもらうのは本当の解放やない。その点若宮は同和事業の金はもらってない。1円も。そういう意味でうちは100%純粋な解放運動をやった。それだけは誇れる」

とにかく「同和」という言葉は不快であるかのような反応をされてしまう。「ここは部落かも知らんけど同和ではない」ということなのだ。本誌「同和と在日」への拒否反応もそうなのだろう。

しかし、同和事業を辞退したことの代償は大きかった。八幡(はちまん)、大森(おおもり)、堀上(ほりあげ)など周囲の「同和地区」は国の予算でどんどん整備されていく一方で、若宮は事業から取り残された。同和対策事業は3分の2が国の予算で行われる。それが一般対策なら、全て市が負担しなければいけない。近江八幡市の人口は8万人程度で、同じ滋賀県内の草津市のように人口が急増してどんどん企業が進出しているわけでもないから、特別に金がある自治体でもない。そこで、「同和地区」ではない若宮の事業は後回しになった。

「だけど、それはおかしいちゃうか。同和事業を辞退したからって、それは何にも事業をするなということではない。他の地区が新幹線なら、うちはどんでいくということで、同和事業でなく一般事業をやってくれと市にいったのに、なかなかしないから市議会であんな質問が出た」

若宮を含め、JR東海道線から離れた近江八幡市南部地域は未だに下水道が来ておらず、ぼっとん便所である。また、土地改良の補助の対象になるのは3反以上の田んぼという制約があったため、前述のとおり1件あたりの田んぼの面積が小さい若宮は土地改良事業を断念し、自前のポンプ小屋で用水をくみ上げているという。その一方で、若宮が被差別部落ということは周囲では有名過ぎるため、若宮は同和事業をやったと勘違いしている人もいて「自力で整備した道路でも、まるで行政の金でやったかのように言われることがある」と憤る。もちろん前述した教信寺の改築も、全て住民の寄付によるものだという。

「市にやってもらったのは、アスベストを使っているからということで、古い水道を改修してもらったくらい」

ただ、同和事業を辞退したことは後悔していないし、市を恨(うら)んでいるわけでもないという。

「たぶん市も後ろめたいところがある。一方でウチは市に借りがない。だから市に対して何でも言えるんや」

自主独立という「解放運動」

「部落問題人権事典」(部落解放・人権研究所編)には、未指定地区についてこう書かれている。

 未指定地区になった経緯については,さまざまな理由がある。第1に行政機関の部落問題に対する消極的姿勢,第2に地区住民の間で*という声が強いこと,第3に,ある程度豊かな地区であったため,に主たる力点を置いてきた同和対策事業の実施の必要がなかったため,などが挙げられる。第3の理由による少数の場合を除いて,未指定地区では,同和対策事業が未実施のまま,劣悪な生活実態が放置されている。

しかし、これはおかしい。客観的に見て「劣悪な生活実態」があるのなら、同和地区であろうとなかろうとそれを行政が放置してはいけないはずだ。しかも、事業を受けるためには「ここは同和地区である」ということを宣言し、なおかつ部落解放運動団体を組織する必要があるのなら、同和対策事業の目的は住民の生活向上ではなく、莫大な同和対策予算をエサに部落解放運動団体の組織を拡大することだったのではないか――そんな疑いさえ感じてしまうのだ。

「事業はみんな、解放同盟があって声の大きいところにいってしまった」

若宮の有力者が語るように、声の大きい人ばかりが得をし、控えめにやっていると取り残されるという実態があったのだ。そのような状況は今でもあまり変わっていないように思う。

ところで、滋賀県内の有名な「未指定地区」は若宮以外では栗東市の小柿(おがき)、近江八幡の御園町(みそのちょう)がある。そして、地区指定されなかった小さな集落は他にもたくさんあるという。しかし、その中でも若宮の規模は最大だ。

「たぶん、こんな“隠れ在所”は他にないですよ。大きさでは全国一やと思いますわ。それに、人の出入りもあまりないから“純粋”やしね」

特定の地域を指して「あそこは未指定地区だ」という噂はネットなどでしばしば流れるが、確かに若宮ほど大規模な集落は聞いたことがない。しかも若宮の場合、意図的に地区指定を受けなかったのだから「未指定」というのには語弊がある。同和地区指定を辞退した地域というと、どうしても「被差別部落ということを蒸し返したくない」「解放運動をやりたくない」という消極的な理由であろうと勘ぐってしまうが、おそらく若宮の場合、同和地区指定を積極的に辞退し、自主独立路線で進むことが「解放運動」のやり方であったのだろう。

地区指定を受けなかったために、事業からは取り残されたわけだが、逆によかったこともあるという。

「これほど大きな在所やから、もし事業してたら権力争いになってたやろうね。だけど争って得るもの自体がなかったからそれもなかった。よその地区だと、二戸一を払い下げるという話があるけど、それなら自分でローン借りて家建てた人は馬鹿みたいだってもめてるでしょ。うちはもちろんそんなこともない」

近江八幡でも同和地区には二戸一の同和向け市営住宅が多数建っている。一般開放するか、住民に払い下げるかどちらかをしないといけないのだが、仮に二束三文で住民に払い下げるようなことをすれば、苦労して自分の家を建てた人よりも、手っ取り早く市営住宅を借りた人のほうが得をするということになってしまうのだ。

ところで、とある行政関係者からは、中学校の先生曰(いわ)く「スクールウォーズみたいなフィクションなんか目じゃないゼ!」というコメントがあった。これはどうなのか。

「子供が30人くらいおるからね。それだけの人数になればやんちゃなこともするわな」

ということだ。

若宮という地域も問題を抱えていないわけではない。しかし、そのほとんどは「在所」だからというよりは、おそらくは地方の農村であればどこでも抱えているような問題である。若宮の事例から見えてくるのは、地域が同じ問題を抱えていても「同和地区」であれば厚い手当を受けられ、そうでなければ後回しにされる、そういった不条理だ。

「まあ、何かよい解決方法が見つかれば、また来てください」

最後にそう言われて、筆者は若宮を後にした。

以上で、若宮探訪は終わりである。率直なところ、「書いていらん! 若宮ということを出したら抗議する! 書くなら書きっぱなしじゃなくてうちらと一緒に戦ってくれ」と言われている。

若宮と同和事業の問題は、いわゆる「未指定地区」に限るものではなく、様々な地域に当てはまるだろう。例えば昨今話題になる限界集落の問題、僻地(へきち)や離島等々。それらについて、声の大きいところばかりが優先され、本当の意味で住民の生活や、あるいはその土地の住人を守ることにより国土を守るという国益が忘れられているのではないかと思うことがある。まして、事業を受けるためには「ここは差別される地域です」と宣言しなければならないとすれば、事業自体が別の問題を生むことになる。「同和」という色眼鏡で地域を見るのではなく、純粋な目で地域の実情を把握することは、そのような意味で重要なことだ。

多少方向性の違いはあれど、本誌はそのために戦いまくっていると自負している。だから書く。(鳥)

匿名で企業に圧力大阪芸大「人権問題論」講師北口学の「エセ同和行為」(同和と在日2012/2)

By 鳥取ループ
鳥取ループ(取材・文) 月刊同和と在日2012年2月号

クリスマスに登場した謎のブログ

2011年のクリスマス、いつものようにネットで調べ物をしていたところ、奇妙なブログを発見した。ブログのタイトルは「blog」とあるだけ。ブログ作成者の名前も書かれていない。しかし、その内容は本誌の批判…というよりは、一方的な罵倒(ばとう)に近い。以下はその一部(原文のママ)だ。

三品(みしな)純(じゅん)と宮部(みやべ)龍彦(たつひこ)(鳥取ループ)恥文出版?

岐阜の集いに参加したというレポートを最近発表したと聞きます。内容はひどいものとも。被差別当事者たちと行政の人々が「これは許せない!」と声を挙げている彼等の行動、そのどの部分が行き過ぎなのかという検証もなく、有頂天(うちょうてん)で喜んでいる底の浅さにあきれていると。確かに自分の取材能力の乏しさ、人権運動に物申すと、えらそうに喧伝(けんでん)しながらの不勉強さには恥をまき散らしている事に自覚がないのでは?と神経を疑うわけです。いや、個々人宅をグーグルマップでマーキングした地図をネット公開しているという論外の行動は、どのような弁解もできないでしょう。本人たちも、その後ろめたさはあるのか、その件にかんする、その最悪の自身の行為には言及無しとか。

そもそも、問題ない、避難されるべきものではないと、幼児のような誤ったへりくつで自己正当化していますが、問題のない行為に法務局や行政担当者が彼等とコンタクトとるはずもないわけです。

「差別はない」と記述して、むごいネット公開をしながら、差別の存在を知っているわけで、差別者が喝采(かっさい)をあげるような雑文や悪質情報を提供し、金銭を得るという神経や行為は許されるのもではないでしょう。(以下略)

ブログには既に複数の記事が投稿されてた。最初の記事の日付は12月13日なので、ブログの作者が日付を変更していなければ、この時期から作られているのだろう。「岐阜の集いに参加したというレポート」というのは本誌電子版2011年12月号に掲載した「実況中継! 同和と在日がゆく「部落解放研究第45回全国集会」レポート 」のことだろう。そして、筆者がグーグルマップを利用して作成した同和地区マップにも抗議している。

ブログは1つだけでなく「宮部龍彦(鳥取ループ)と三品純」「クラフト」といったタイトルで同じような内容のブログがいくつか作られ、「両者に対する多くの批判HPが存在します」として、相互にリンクされていた。しばらく放置して様子を見ていると、数日の間に内容がエスカレートし、本誌の電子版を配信している会社(株式会社GNN)に対しても、役員の実名と共に「悪質な差別煽動(せんどう)をしては、注目を集め、電子書籍販売で儲(もう)けている」と非難した。

同時期の12月27日、部落解放研究集会にも参加していた清見(せいみ)久夫(ひさお)氏のブログに「このところ、鳥取ループの差別行為や差別地図の問題やらに抗議、反論するブログやHPが幾つかみられるようになっているようです。」という記事が書かれた。また、「blog」からリンクされているページに「私は 鳥取ループ氏による さまざまな差別行為に 強く抗議します」というタイトルのものがあった。このページの作者が清見氏であることはおそらく間違いない。なぜなら、清見氏のホームページ「わたしたち発メッセージ」と同じソフトを使って全く同じ方法で作られており、清見氏独特のデザインだからだ。このページが作られた日付は、12月12日となっている。

サーチエンジンで調べてみると、これらのサイトに全く別のサイトからリンクされている様子はない。このことは、これらのサイトがネットではなく「現実の世界で」連携している人々によって作られているか、あるいは1人の人物の自作自演で作られていることを意味していた。

インターネットの人権問題の専門家!?

そして大晦日(おおみそか)から年越しにかけてのこと。普通なら、家族と一緒に過ごして、年越しそばを食べて、年が明ければおせちを食べるところだろう。そういう筆者も家で酒盛りをしていたのだが、時々あの「狂気のブログ」の更新状況をチェックしていた。

まるで「1日1記事書くぞ!」と自分自身にノルマを課しているかのように、大晦日もブログは更新され続けた。さすがに元旦くらいは休むだろうと思ったら、元旦も更新されていた。しかも、ブログの数がさらに増え、10記事くらいがまとめて投稿されていた。驚くべきはその投稿時刻で、1月1日の午前5時から7時にかけてのことである。つまり、このブログの作成者は怨念(おんねん)と共に年を越し、それをネットにぶつけながら初日の出を迎えたわけである。

ここで、作成されたサイトの一覧を紹介しよう(括弧(かっこ)は利用されたサービスプロバイダ。タイトルは原文のママ)。
「私は 鳥取ループ氏による さまざまな差別行為に 強く抗議します」(忍者ツールズ)
「宮部龍彦(鳥取ループ)と三品純」(teacup)
「blog」(忍者ツールズ)
「クラフト」(FC2)
「鳥取ループに“NO”を言おう!SAY NO TO TottoriLoop」(アメブロ)
「鳥取ループによる人権侵害に抗議します」(teacup)
「ねっと世直しレディース隊」(goo)
「reikomamaのブログ」(Yahoo)
「japanHRのブログ」(アメブロ)
「鳥取ループ宮内龍彦・三品純は悪質すぎる差別主義者」(ライブドア)
「反差別の日記」(はてなダイアリー)
「鳥取ループ=宮部龍彦まとめサイト」(FC2)

なお、これらのサイトの内容は全て保存しており、筆者のブログ(//tottoriloop.miya.be/?p=1402)からダウンロードすることができる。

問題はこれらのサイトの作成者が誰なのかということだが、最初は全て清見氏によるものではないかと疑っていた。清見氏と言えば、筆者が作成した同和地区マップを削除させようと当初から行政やグーグルに働きかけてきた人物である。しかし削除要請に法的根拠はなく、グーグルも応じなかったことから、その努力はことごとく徒労に終わっているため、動機は十分にあった。

しかし、元旦に投稿された記事や新しく作成されたページを分析していたところ、清見氏とは別の人物の名前が浮上した…というよりは特定された。ページの作成者はアップル社のマッキントッシュを使っており、パソコンのユーザー名に「KITAGUCHI GAKU」を設定していた。マッキントッシュは購入して使い始める時にユーザー名を設定するのだが、日本語の場合は入力した名前と同時に、名前の読みのローマ字が設定される。私が思い当たる人物で「KITAGUCHI GAKU」と読める名前は部落解放研究集会で清見氏と共に会場から発言していた「北口(きたぐち)学(まなぶ)」氏だけだ。北口氏はグーグルマップに付随する機能である「ストリートビュー」を批判しており、清見氏との関係も深いことから、十分に動機がある。さらに、サイトを作成したと思われる人物のネット上の接続記録を調べた所、大阪府内のケーブルテレビ会社の回線でアクセスしており、これもマッキントッシュを使用していた。北口氏はマックユーザーであることを公言しており、大阪芸術大学の講師であることから、プロファイリングとよく一致する。

部落解放研究集会の取材記録を読み返したところ、北口氏は「多くの人が嘆(なげ)き悲しんで、差別が再生産されていることを理解いただきたい」「意識調査などで、まだ差別があるんだというデータがある」「インターネットでは言論の自由というものはない」ということを語っており、穏やかな語り方が印象に残っていた。確かに、ブログの内容は北口氏の主張と全く同じだ。また、もし最初から喧嘩腰(けんかごし)で来るような人物であれば、匿名で罵倒するというようなことをせず、面と向かって非難してくるだろう。そう考えてみると、ああ、やっぱりという印象であった。

北口氏と言えば「インターネットを利用した人権侵害」の専門家のはずである。北口氏は、2010年10月29日に鳥取県湯梨浜町(ゆりはまちょう)で『「デジタル時代の人権」~インターネットの差別と闘う~』と題した講演を行なっている。案内チラシには講演内容としてこう書かれている。

近年、インターネット上では匿名性を悪用した様々な人権侵害が行われている。

また、加速する技術革新に人権を守るための対策が追いつかない現状も指摘されている。

こうした問題について、長年調査・研究された内容をもとに、問題点の解説や、私たちがどう対応していくべきかについて、インターネット初心者にもわかりやすく、最新の情勢を解説。

本当に専門家であれば、インターネットは必ずしも匿名ではないということも知っているはずだ。インターネットにアクセスすれば、あらゆるところにアクセス記録が残るし、別の形でも個人を特定できる「痕跡(こんせき)」が残ることがある。電子掲示板などで犯罪予告をすれば、ほとんどの場合突き止められてしまうし、捜査機関によらずとも「人肉(じんにく)検索」と言ってネット上で「痛い発言」をした人の身元が、様々な情報からたちまち特定されてしまうことも度々あることだ。北口氏は、それを知った上で「匿名」のブログを開設したのだろうか。仮に北口氏が本気で匿名のつもりでブログを開設していたとすれば、そのような人物が“自称”専門家として一般向けの講演を行い、「インターネットは匿名である」「匿名だから何をやっても分からない」というような間違った知識を教えてきたことになるだろう。

北口氏が作成したサイトの1つ。タイトルは「鳥取ループ宮内龍彦・三品純は悪質すぎる差別主義者」(ライブドアブログ)。

2011年12月、PR TIMESが行った意識調査が話題となった。違法行為や社会のルールに背(そむ)く行為を匿名と実名でそれぞれネットに投稿できるかどうかを年齢別に問うものである。すると、年齢により明らかに意識の違いがあった。20代では匿名と実名であまり違いはないのに対し、30代では匿名で投稿できるとした人が実名の場合の2倍あった。原因の1つに、リテラシーの違いがあるだろう。若い人ほど「ネットは匿名ではない」ということを心得ているのに対し、年齢が高いほど「ネットは匿名だ」と誤解しているのである。北口氏の年齢は分からないが、少なくとも若くはない。

また、北口氏は「月刊部落解放」2011年11月号で「インターネットの差別の現実と不可欠な法制定」という記事を書いている。その中で、こう述べている。

人権擁護(ようご)を願い反差別を誓(ちか)う人々にとって、閲覧は苦痛とも、くだらない不愉快な「トイレの落書、無視すべきモノ」とも語られてきた匿名掲示板やネット上の差別先導や多様な差別。しかし、著作権侵害や、マスコミ報道に誘発された無責任なネット上の発言によるセカンド・レイプ、個人情報流出や炎上、誹謗(ひぼう)中傷などもふくめ、インターネット上の差別と人権侵害は幅広く巨大で、いまやわが国のきわめて深刻な人権問題といえるでしょう。

そして、おそらくはこの記事を書いた何ヶ月か後には、皮肉にも自分自身が「匿名」でブログを開設して「誹謗中傷」を書き込んでいるわけである。

これで思い起こされるのが、福岡県立花町(たちばなまち)の差別ハガキ自作自演事件だ。その目的と趣旨は違えど、自分が非難してきた行いを、自分自身で行ってしまったという点で共通している。「世の中にはこんな差別が満ち溢(あふ)れているんだ」ということを反面教師とするのではなくて、「世の中はこれだけ悪いやつばかりなのだから、自分も悪いことをしてもいいだろう」と考えてしまったか、あるいは「自分が差別されている、あるいは差別と戦っているのだからそれに対抗するためなら何をしても許される」ということなのだろう。

しかし、筆者は北口氏のように匿名で、しかも批判する相手とは直接関係ない人を罵倒するようなことはしない。筆者が作成した同和地区マップについても、それを規制することができないことは公の場で正当かつ民主的な手段を使って証明してきたつもりだ。北口氏の言う「差別」はどこにも存在していない。自分で勝手に「悪」を作り出し、それを見て自分の中に悪心を増しているだけではないだろうか。

90年代の“言葉狩り”にも関与

北口氏に関して見過ごせないのは、1980年代から90年代にかけてメディアで行われた「言葉狩り」の一端を担っていることだ。朝日ジャーナル(1990年12月)には「アメリカ発・差別ゲームの受け入れられ方「ランド・オブ・ニンジャ」はひどい!!」、続いて部落解放(1991年2月)には「『ランド・オブ・ニンジャ』の差別性」と題した記事を「差別とたたかう文化会議会員」という肩書きで発表している。

要はアメリカ製のテーブルトークRPGに昔の日本を舞台としたものがあり、その中で穢多(えた)や非人が差別的な表現で(とは言ってもほとんど当時考えられていた史実通りなのだが)登場するのは問題だということで、日本の発売元であるホビージャパンに抗議して発禁にさせたという内容だ。

それにしても、興味深いのは当時から北口氏が驚くほど進歩していないことだ。当時の「部落解放」に、北口氏はこう書いている。

国際社会。文化や民俗、国家やイデオロギーを超えた世界の反差別運動・人権擁護の闘いの連帯が重要なこの時代は、対話や相互理解、違いの尊重がいっそう重要となっている。そして人類的視野にたった人権意識がもっとも重要なことは、いまや国際社会での常識となっている。まさしく人権が世界のキー・ワードとなっている。

そして、20年後に北口氏が「株式会社GNN」を非難する文章としてブログに書いたのがこれだ。

あきれたものだ。

国際的な事業展開をしているのなら、人権問題がいかに大切なのか分かるはずだ。日本国内の人権活動や政府、自治体が国際的なネットワークや人権潮流の中で展開されている事を理解できないのだろうか? 特に国境を簡単に越えるインターネットという舞台で展開される宮部龍彦と三品純の差別煽動(せんどう)、差別情報流布は永遠にインターネット世界に残ってゆく。全世界の人権問題に関心を持つ市民(普通の常識や感性を持つ全世界の人々)が、進歩する翻訳(ほんやく)ソフトを活用しながら、鳥取ループこと宮部龍彦と三品純の悪質な行動を知り続けている。そして日本の人権問題を考える人々は、鳥取ループこと宮部龍彦と三品純の類例を見ない悪質な差別を全世界に訴え、批判を強めてゆくと思える。

彼等二人を支える企業が「株式会社GNN」であるなら、それ相当の全世界からのイメージ低下は避けられないだろう。

2つとも特徴的なキーワードは「世界」ということだ。どうも北口氏の世界観では、日本以外の国々は人権擁護活動に熱心で、日本はそこから立ち遅れている。だから、世界にアピールすれば同和地区マップを世界の人々が非難するはずだということだろう。

しかし、少なくとも筆者が把握している「世界」はそうではないように思う。部落問題は、世界でも日本だけのことで、さらに日本の中でも一部の地域の問題に過ぎない。ただでさえ日本でも広く理解されているとは言いがたい問題が、ましてや世界に理解されているわけはない。また、場所を隠すことが人権擁護につながるという考えは世界的なものではない。むしろ、場所に限らず情報を隠すことは、非民主的で人権を侵害している政府が行うことと認識されているだろう。実際、同和地区マップをグーグルが消さないのもそういうことだ。

それにしても、だからと言ってマッキントッシュのモニターに向かって匿名で怨念をぶつけながら、クリスマスを過ごし年を越す北口氏の姿は想像するだけで不気味だ。しかも匿名で、議論の相手とは関係ない企業に圧力をかける行為は「エセ同和行為」と全く区別がつかないどころか、そのものと言って過言でないだろう。北口氏は、おそらく彼が考えているところの「人権擁護活動」と「エセ同和行為」が大して違わないことを証明してしまった。

また、「言葉狩り」というと、「ただ言葉尻をとらえて非難しているわけではない、文脈が大事なんだ、意識を変えて人権を尊重することが大事なんだ」という反論があるだろう。しかし、北口氏の行動からは、とにかく自分の主張を押し通すためには手段を選ばず、相手に社会的な制裁を加えて黙らせようという意図が見え隠れする。ただ単に「黙らせる」ということが目的ではなく、相手に対する意識改革が目的であれば堂々と反論し、世間に受け入れられなければ潔(いさぎよ)く身を引けばよいだけのことである。結局、言葉狩りは言葉狩り以上の何物でもなかった。これもまた北口氏自身が証明してしまったのではないだろうか。

倉吉(くらよし)市役所
「市役所まで来て謝罪してください!」

ブログの作成者が北口氏であることは間違いないのだが、念のためプロバイダ責任制限法による発信者情報開示請求をブログ運営会社に対して行った。この手続を行うと、開示請求があったことが本人にブログ運営会社から伝えられる。そのためかどうかは不明だが、ほとんどのブログは同時期に一斉に閉鎖された。開示請求をしていない会社のサービスを使って運営されていたブログも同時期に閉鎖されたので、これは同じ人物が複数のブログを「自作自演」で立ち上げていた事を証明するものだろう。

とにかく本人に直撃すべく、北口氏の勤務先である大阪芸術大学を通して接触を試みた。北口氏は火曜日の「人権問題論」の授業を担当している。授業の前後に講師控え室に電話してみたが、残念ながら本人が出てくることはなかった。大学の担当者に聞いてみたところ、非常勤であるため、いつ大学のどこにいるか把握することは難しいという。

次に、北口氏と連絡を取り合っており、サイトの作成にも一部関与していると見られる清見氏に電話で事情を聞くことを試みた。しかし、「来客中」として電話には応じず、その後留守番電話で北口氏のことで事情を聞きたいことを伝えるも、清見氏からの連絡はなかった。

さらに、北口氏に連絡をとるべく、事情を知る可能性のあるもう1人の人物への連絡を試みた。部落解放同盟倉吉市協議会副執行委員長で、鳥取県倉吉市役所職員でもある下吉(しもよし)真二(しんじ)氏である。下吉氏は清見氏のことをよく知っており、部落解放研究集会では壇上(だんじょう)で同和地区マップを批判する発表を行なっていた人物だ。

早速、下吉氏が所属する倉吉市役所人権政策課に電話したところ、下吉氏は不在だったのだが、電話口に出た職員に「あなたのせいでたくさんの人が迷惑している」として2時間近く絡(から)まれてしまった。職員は「同和地区出身」を自称しており、名前を聞いても名乗らなかった。鳥取県では同和地区マップを消させるために、県下の自治体が対策会議を行っているのだが、倉吉市もそんな自治体の1つで、おそらくは「最も熱心に取り組んでいる」自治体の1つだ。

「法律上はあの地図を削除する権限がないことはご承知ですよね。勝手に対策会議をやっているだけではないですか」

と言うと、

「法律がなければ何でもやっていいわけではない。差別を受けている人がいるから見過ごせない」

という答えであった。さらには「市役所まで来て謝罪して欲しい」という始末だ。

「誰が差別を受けているんでしょうか?」

と聞くと、

「私の姉が大阪で結婚していて部落出身ということを隠している。もし知られて親戚関係がおかしくなったらどうするんだ」

ということであった。

「そういう考えも差別でないでしょうか。そんなに気になるなら自分から部落出身と言ってしまえば済むことではないですか」

と言うと

「部落民と言うことがどれだけ重いことか知っているか!」

というような答えが返ってきた。そして、とにかく「市役所まできて謝罪しろ」の一点張りである。筆者もさすがに頭に来て「この税金泥棒が!」と一喝すると。

「いまの発言は差別で、私に対する人権侵害です」

という反応であった。そして、「こういうことを知ったら親や職場の人はどう思うのですか」というように延々と筆者に説教するのであった。

後に、この職員は前田(まえた)寿光(としみつ)人権啓発係長であることが分かった。彼も下吉氏と同じく部落解放同盟倉吉市協の役員である。つまり、倉吉市では人権政策課に部落解放同盟の役員が2人いるのだ。

いわゆる「同和べったり」に見える自治体でも、役所は一応は中立性を保っている場合が多い。しかし、倉吉市の場合は文字通り「市役所が部落解放同盟」という状態である。しかも部落出身を名乗って差別だ人権侵害だと言って相手に義務のないことを要求するのであれば、これも北口氏のやっていることと同様に、エセ同和行為と違いがない。あまりの対応のひどさに、職員に名前を聞いたのだが、最後まで名乗ることはなかった。自分から部落出身を自称しておきながら「部落民と言うことがどれだけ重いことか」というのもおかしな話だが、「匿名で罵倒する」ことに何の疑問も持たない役所に何を言っても無駄であった。一連のブログのことも伝えたが「把握していない」としながらも、「あなたが地図を載せるからそういうことをされる」といったような対応であった。

結局、周辺から清見氏や北口氏に「早まったこと」をしないように忠告してもらうことは断念せざるを得なかった。

本人に直撃!
「お答えするべき内容とも思えません」

しかし、さらなる調査を続けたところ、幸運にも北口氏について知る人物から彼の連絡先を知ることができた。早速、北口氏の携帯に電話し、事情を聞いた。

「年末から正月に私が所属する会社を非難するようなブログを作成されたようですが、どういった目的で作成されたのですか」

「そういった問題については、私と話すのではなくて弁護士に話してもらったほうがいいのかなと思うのですが。それと、宮部さんとは一度お話ししたいと前々から思っていまして」

北口氏からいきなり発せられたのは「弁護士」という言葉だ。北口氏は終始落ち着いた口ぶりで、ブログのことについては否定も肯定もしないのだが、明らかに動揺していた。普通なら、いきなり弁護士という言葉は出てこないだろう。また、弁護士を通せと言っておきながら前々から話をしたかったとは、どういうことだろう。

北口氏は、その後「寒いですね」と言いながら雑談をふってくるのだが、そのうち株式会社GNNの話になった。北口氏は筆者が会社の取締役であることや、社長のプライベートなことなど、筆者とは直接関係ないことを自分から話してきた。とは言っても、ネットで検索すればすぐ分かる程度の話ばかりなのだが。そして、「あなたと会社とは無関係と言えるんですかね」「誤解と解きたいので会社に電話したい」という。そう言われたところで、筆者としては「どうぞ」と言うしかない。そして、核心的な質問をぶつけた。

「あのブログを作ることで、私を会社から辞めさせて、私的な制裁を加えて黙らせようということでしょうか」

それに対する北口氏の答えは、

「いえいえいえ、あなたはお仕事でちゃんと稼いでもらわないと大変じゃないですか。仕事がなくなったら困りますよね。そんなことを望んでいないですよ」

である。

その後、北口氏とはメールでもやり取りを行ったが、ブログのことについては結局、

「不思議な電話とメール内容で驚いています。精査して勉強させていただきます。ご質問にお答えする義務も、お答えするべき内容とも思えません。あしからず」

ということであった。

北口氏、倉吉市にも共通することであるが、どうも筆者がこそこそ著述活動を行なっていると考えているらしい。そして、ネットで調べれば分かる程度の情報を暴露すれば、ダメージを加えられると考えているようだ。しかし、読者はご承知のとおり、筆者は事業として行なっており、むしろ「宣伝歓迎」という姿勢である。また、1人の人間でも別々の「立場」があり、それが常に関係があるとは限らないということを理解できていないようだ。例えばその人の「出自」が「結婚」や「就職」には関係がないように。

長年人権問題に取り組み、行政や大学でインターネット上の人権問題についての講師を務める人物が本誌を批判するために選んだ手段が匿名ブログの乱立…。怒りというよりも情けなくなったというのが率直な感想だ。次はくれぐれも「匿名のつもり」ではなく、正面から手応えのある批判をしてくることを期待したい。(鳥)