警察も同和が怖い!?消失寸前の規制表示の怪

三品純 By 三品純

「オートバイの盗難にあったが犯人が同和地区の有力者だったから警察が有耶無耶にした」「飲酒運転を続ける住民がいたが警察は何も言わない」弊社には時折、こういった体験談が寄せられる。部落が絡むと警察も屈服する――ということを伝えたいようだ。警察は強大な権力に違いない。しかし銃を構えて警告を発しただけでマスコミからバッシングされる脆さもある。それだけに日本のタブーの最高峰、同和人脈に「弱腰」であったとしても不思議ではない。果たして警察が“ 部落は怖い”ので要求を飲むことはあるだろうか。この問題を検証するにある事例を紹介しよう。

言論人たちのアウトロー信仰とは

「警察は右翼に弱い。ヤクザは警察に弱い。右翼はヤクザに弱い。この関係を利用しろ」

とはあの武富士の創業者、故・武井保雄の格言だ。このことは端的に日本のアウトロー事情の本質を突いている。警察は銃所持、麻薬、賭博などに手を染める暴力団に対しては容赦ない。だが右翼の場合、「集会・結社の自由」があるため迷惑行為であっても介入するのが困難だ。この関係図に「同和」の二文字が横断的に関係してくる。

同和関係者の中には「ヤクザ」「右翼」という人々が今でも少なくない。この辺りの背景は部落解放同盟岐阜県連大垣支部元支部長の殺人未遂事件に迫った『同和の会長』(小社刊)で一端が見える。もともと「同和の会長」というフレーズは公判の中で証人が発したのを引用したもの。証人の話しぶりは「親分さん」というニュアンスで人権団体の役員というよりもむしろ「任侠」のような扱いだった。何しろこの支部長の父親で元同県連委員長は若い時分に「同和か右翼をやるか」という凄まじい二択を経て解放運動家になった人物。だから「任侠」的なイメージを持たれるのは当然のことだ。

政治団体という体裁ですら警察は介入しにくいのだから、いわんや「人権団体」となると余計に取り扱い困難のはず。当時、この殺人未遂事件の取材に応じてくれた関係者によれば捜査に当たった刑事は緊張感に満ちていたと漏らした。

全日本同和会・松尾正信元会長。彼もまたアウトローの世界との関係が取沙汰された。

警察が警戒したもの当然のことだ。万一、捜査で手違いがあれば…言いにくい。こうしたイメージは「偏見」と捉えるむきもあるだろう。しかし案外、部落=アウトローという構図はメディア関係者によって増幅されている! この点は声を大にして言いたい。

編集者、記者、ジャーナリスト、ライターこういった人々の中には従来から妙な自慢をする人がいる。例えば「〇〇組の幹部と知り合いだ」「六本木の不良グループと飲んだ」なぜかこんな人脈を勲章のように誇示するのだ。こんな例もある。

「解放同盟の役員と飲んだら“糾弾されそうになったら相談しろよ ”と言われた」

行政や企業が震える解放同盟の役員にも顔が利く、と言いたげ。同和人脈を「ヤクザ、半グレ、ストリートギャング」と同類に考えているかのようだ。

不思議なものである。彼らは部落差別を批判し記事でも取り上げることがある。しかし「差別がいけない」という一方でまるで同和関係者を「任侠」のように扱う。大いなる矛盾と欺瞞だ。

この現象をどう読み解くべきか。これについては人権連(全国地域人権運動総連合、共産党系)のある役員の話が印象的だった。人権連がメディア関係者と懇談会をしていた時、同様に同和=任侠の武勇伝的な扱いを感じたという。そうした現象を「アウトロー信仰」と論じていた。つまりメディア関係者の中には少なからずアウトロー賛美をする層が一定量存在し、同和=怖いというイメージを助長している、という考えだ。それは同和だけではなく在日コリアンも同様の扱いを受ける。被差別を訴える階層は「暴れる権利」があり、暴力も何やら「青春活劇」のように扱う。

特に解放同盟絡みになると奇妙な言説がまかり通る。「あの人たち(同盟員)はご先祖の代からひどい思いをしてきた」と真顔で言う人もいた。同盟員全てが解放令(1871年)以前の被差別階層の子孫と言うのだろうか。大袈裟と思うなかれ。本当にこの程度の認識が“標準 ”と言ってもいい。裏返せばそれだけ理解が進んでいない分野なのだ。この理解不足も運動体側にとってみれば都合が悪くない。

ただ面白いことにアウトロー賛美をしたメディアであっても抗議されたり、糾弾されたケースもある。

「糾弾されそうになったら相談しろよ 」

との云々もその運動家が宴席で浮ついて大見得を切ったのだろう。だがそのような個人的な虚勢で動く世界でもない。

「俺が警察にやらせたんや」は本当か

では警察は同和とどのように向き合ってきたのか。それは「ケースバイケースだ」と片付ければそれまでだが、各地域を見ていると時折、注目すべき事案が見つかる。

和歌山市で連合自治会長事件の取材をする過程で興味深い話を聞いた。

「雄松町3丁目の交差点に進入する前、市営団地の出入り口付近に“ とまるな”という道路標示があるんですよ。団地住民の車が出入りしやすいようになんですが、とある自治会役員が“ 俺が警察にやらせたんや”と豪語していましたよ」

市営団地は同和事業で建設されており過去の部落探訪が詳しい。この出入り口は「俺がやらせた」と言った役員や金井氏が住む団地と隣接している。言うならば芦原のVIPの出入り口と言えよう。信号、横断歩道の手前に自動車2台分の停車禁止区域は確かに便利。もっとも外部の住民にすれば特別扱いしているように見えるのは無理からぬこと。

ほとんど消えかかっているがとまるなは分かるだろうか。
住宅側から見ると確かに出入りがしやすい。
赤丸の付近に「とまるな」はある。

なにしろこの地は連合自治会長事件の当事者、金井被告の地元。また昭和の頃にやはり同和をバックに市政に影響力を持った片山悦誠もこの付近に居を構えた。つまり行政が最も慎重になる地域である。

全国には道路に面した団地はいくらでもあるだろうが、皆一様に道路への進入が優先されているものか。地域的には「優遇された」という一種の状況証拠は揃っている。そこで和歌山市道路管理課に聞いてみると管轄は「和歌山市西警察署」ということだった。

同署に確認してみると

「平成7年に地元住民からの要望があって交通規制しました。理由は交差点が渋滞した時に右折して(住宅に)入れないと交通の妨げになるからです。ただ住民の誰が要望したのかはもう分かりません。仮に公安委員会に情報公開請求したとしても現状の回答と変わらないと思います」

との説明だ。平成7年の要望ということだから今よりも芦原住民の要求活動はさらに強烈だったであろう。団地住民の交通トラブルを未然に防ぐため警察が要求を飲んだ、ということは大いにありえる。道路の規制は公安委員会の承認が必要だがもちろん簡単に「許可」という組織ではない。これが一般の団地だったらばどうなったことだろう。

そして「俺がやらせたんや」と言ったとされる自治会役員氏もこの付近に住んでいる。金井被告のことを含めて同氏を直撃したが

「もう聞かんといて。話さんから」

と表情は冴えなかった。年齢を重ね若かりし頃の勢いを喪失したようだ。「喪失」と言えばあの規制表示は同じかもしれない。上に掲載した写真を見てもらえば分かる通り、「とまるな」の文字はほとんど消えかかっている。和歌山西署によれば新たに塗り直す可能性は低いという。消えかかった「とまるな」の文字は芦原住民の威勢も弱まった象徴と思えてならない。

警察も同和が怖い!?消失寸前の規制表示の怪」への1件のフィードバック

  1. アバターyamada

    ガラの良くない地方都市に長い間住んで初めて記事の内容が理解出来ますね。
    ニュース報道を見てもあの県か、あの市か、あの町かと。
    警察官も自分の生活ファースト、
    無い無い尽くしで正義では飯が食えないようで。
    面倒な連中の対応が得意な人もほとんどいないのでしょう。
    始末書を書かされたりして恨み、
    消去法で何もしないヤツが出世していくのかもしれません。

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