田布施陰謀論は左右を横断すると前編で述べた。左派は安倍首相一族が日本を牛耳っているというストーリーに共鳴し、また右派は大室天皇が朝鮮のルーツを持ち今の日本は朝鮮人が牛耳っているという点で支持しているようだ。両者は信じる方向性がまるで違うが「すり替え陰謀説」という点では一致してしまう。不思議なことである。今回は、田布施システムのご本尊である大室天皇の親族から話を聞けた。証言の中で何か感じ入ることがあれば幸いである。
大室天皇の皇太子!? に会ってみた
実はこの田布施システムは「同和問題」も絡んでくる。もしやこっちの線の話を期待している人も多いかもしれない。それはまた別稿で扱うのでとりあえず話は大室家取材から始めさせてほしい。田布施町麻郷、大室天皇と名乗った大室近祐翁の御料所、いや居住地だ。現地で知ったことだが、近祐翁は1996年に90歳で亡くなっていた。ただ大室家は存在するらしい。この麻郷という土地は独特の地形だ。小高い丘がありそこに複数の集落がある。まるでラクダのこぶのよう。またこの地域は掘れば石器や土器がたくさん出てくるそうだ。さすがに遺跡の町だ。ただグネグネ道が入り組み分かりにくい。近隣で農作業をしている男性に大室家への道を尋ねた。
「大室天皇のことでわざわざ来たの?」
おぉ、さすがに知っているようだ。もっと訝しく思われると思ったが、予想に反して好意的な反応だ。近祐翁に対して親しみがあるようでもあり、面白がっているようにも見えた。
「そりゃ面白い人だったからね。“俺は世が世なら大室天皇だ”と言ってね。町内のスポーツ大会なんかにくると“天覧試合か”ってみんなで言っていたけども」
”世が世”であっても近祐翁が皇位を継ぐ立場なのか知らない。それにしても地元住民は本当に天皇がすり替わったと信じ、また近祐翁の言動をどう考えていたのか気になる。
「おりゃあ歴史家じゃないから真実は分からんわ」
核心部分というか事実関係になると住民たちの反応はおおかたこの通りだ。「あー忙しい忙しい」という感じで話が終わる。「否定も肯定もせずただ傍観する」あるいはネット的な表現で言えば「生暖かく見守る」といったところ。こんな態度がうかがえた。しかしふと考えてみる。近隣住民が突然、「俺は天皇だ」と名乗り出した場合、どう対処していいものか確かに難しい。普通に考えればイタい人に過ぎない。真剣に反論するのも面倒だし、「陛下!」と畏むのも嫌味だ。だから「傍観」というのが最も適切な反応だと思う。
大村家の付近はまるでらくだのこぶのように丘が続く。どうもよく分からない。再び道に迷って再び大村家の行き先を近隣住民に尋ねた。すると丘を駆け上がる一台の自動車を指さした。
「あの車の人だよ。大室さん」
その道をたどると丘の上に家屋があった。綺麗に整備された畑を前にして男性が農作業に取りかかろうとしている。鹿島昇の著作と名刺を差し出し、田布施陰謀説と大室天皇について話を聞きに来たと告げる。通常、こうした取材は即座に拒否されることが多い。ところがこの男性は懐かしそうに鹿島の著書『裏切られた三人の天皇』を手に取った。
「随分前に鹿島さんがオヤジ(近祐翁)に会いに来られて、私も挨拶したよ」
この男性は大室近祐翁、つまり大室天皇の次男の大室弘樹氏だった。少し家系を説明しよう。大室寅之助には庄吉という弟がいた。庄吉は近祐の父。弘樹氏にとっては祖父に当たる。田布施本にも庄吉の名前は出てくる。寅之祐の秘密を知っているから本来は暗殺されるはずだが許されたという筋書きである。ちなみに今回、鹿島の著作は東京都内の図書館で借りてきた。この本が関東地方の図書館にも収められていることに驚いておられた。
「大河ドラマを見てここに来たの?」
弘樹氏は妙なことを尋ねる。聞けば大河ドラマの題材が幕末だと大室天皇の信奉者たちが大室家を訪問するという。
「福山(雅治)という俳優が坂本龍馬の大河(龍馬伝)をやったじゃろう。あの時も何人かウチに来ましたよ」
大室家の敷地内には庄吉や近祐を祭った墓が一つある。もともと神道の家だから仏式の墓はこれだけという。訪問者たちはこの墓をお参りしていくらしい。弘樹氏は彼らの扱いに手を焼いたと苦笑した。
「“本当のことを教えてください、何が真実なんですか、明治天皇の正体は誰ですか” こういってきよるんですよ。詳しいことは分からんと話すだけ。私も歴史研究家というわけじゃないしオヤジがいっちょったことだし」
陰謀論信奉者の扱いは厄介だ。まさか明治天皇が暗殺されていたという話を弘樹氏が肯定するわけにもいくまい。もし弘樹氏が「事実」と答えた場合、「子孫も認めた」と祭り上げられることになる。逆に弘樹氏が否定すれば「闇の勢力によって口封じされている」となってしまい、かえって信憑性を増す結果になる。ただ陰謀説に当惑する弘樹氏だが、天皇のすり替え説については多少の信じている節もあった。
「明治天皇(睦仁親王)は小さい頃、ぴーぴー泣き虫だったのに幕府軍との戦いの頃になると突然、たくましくなったとオヤジや鹿島さんは言っていた。鳥羽伏見の戦いの頃には自ら馬を引いて戦ったと言うじゃないですか」
私も幕末マニアだ。随分、様々な書物を読んだものだが、明治天皇が鳥羽伏見の戦い(1868年)で出陣したという話は聞かない。しかしこのエピソードは田布施本にはよく紹介されている。要するに幼少期、「怯者」だった睦仁親王が「剛健」になったのは、寅之助とすり替わったからというわけだ。この主張は重要な意味を持つ。田布施陰謀説に「同和」「朝鮮」というキーワードが関わってくるのも一つには「すり替え」にある。寅之助のルーツをめぐって田布施陰謀論者たちは「被差別部落出身者」「朝鮮半島由来」という説を主張している。そして話はここにつながっていく。つまり明治天皇は維新後、肉食を好み牛乳も奨励した。部落出身者で朝鮮人ルーツの寅之助が明治天皇に化けたから肉や牛乳を好むと陰謀論者たちは考えたようだ。
幕末や明治時代の偉人で幼少期は泣き虫というストーリーはよくある。有名なのは坂本龍馬、乃木希典もまた。彼らもまた何某かとすり替わったのだろうか。また肉食は当時、政府も奨励したものだ。明治時代になると元勲らも進んで肉を食べたし、牛鍋など当時の文化人の間では一種の「たしなみ」のようなもの。統治者たる明治天皇が肉食を好んでも不思議ではない。ちなみに明治の小説家、国木田独歩も一時期、田布施に住んでいた。独歩も田布施出身者として地元で親しまれている。独歩の代表作に『牛肉と馬鈴薯』がある。田布施ゆかりの著名人は部落で朝鮮人だから独歩も牛肉を題材にしたとでも言うのか? 江戸時代まで禁忌意識が強い肉を好むのは「部落民」か「朝鮮人」というステレオタイプな観念を感じてしまう。
弘樹氏との話に戻そう。氏に限らず話を聞いた住民たちは「すり替え説」自体は支持してなかった。だが田布施にはまだ「秘史」があると考えているようだ。その心情は分からんでもない。なにしろ日本で唯一、2人の首相経験者を輩出した町であり、地下にはたくさんの土器が遺跡が埋まっている。歴史ロマンが詰まった町だから、逆に感じる物があるのだろう。
「長州藩の公文書がまだ公開されていないからね。むしろ毛利家の古文書を見ればいろいろなことが分かるんじゃないか」と弘樹氏は話す。田布施陰謀本を読むと寅之助は長州藩の常備軍である「奇兵隊」の幹部だったという説がある。しかし『奇兵隊日記』の人名録を見ても大室寅之助という名は出てこない。だから長州藩の公文書が開示されたところで新事実が出てくるとは思えない。弘樹氏は続ける。
「祖父の庄吉が維新後、明治政府に呼ばれて“お前は大室寅之祐という男を知っておるか?”と聞かれた。庄吉は”知らない”と答えた。もしあの時、知ってると答えたら庄吉も殺されたかもしれん。オヤジからそういう話も聞いた」
田布施史観において寅之助はもう明治天皇になったのだからこの世に存在しない人物となる。だから庄吉が”知っている”ということになると明治政府には都合が悪いというわけだ。それにしても弘樹氏の話からとても複雑な心境を感じる。田布施には歴史の裏があると考えているようだが、天皇すり替えという陰謀論を支持しているわけでもない。何かもどかしさ、複雑な心境を氏から感じる。それはこういうことだった。
「お前の父ちゃん、てんのーう」といういじめの過去
この複雑な弘樹氏の心境。原因はどこにあるのだろう。それは話を進めていく上でその理由が分かった。田布施町内で広く聞き込みをしてみたが、近祐翁のことを知っている人は多かった。麻郷から離れても「大室天皇さんやろ。そりゃあ有名な人だよ」(住民)といった証言は多く得た。そしてこの事は何を示すのか。要するに地元の「奇人」「トンデモ人物」というわけだ。そして子供社会からすれば当然、侮蔑の対象になる。
「もう正直、このすり替えの話は忘れたいってのもあるよ。オヤジは農業をやっていたけども、遺跡の研究だなんだってあまり働かなかった。だから昔は貧しかったですよ」
自宅前には「史跡大室」という記念碑を建てた近祐翁。いわゆる郷土資料研究家という顔もあった。それに加えて自ら「大室天皇」と豪語する。
「結構、からかわれたもんね。オヤジのことで」
なるほど。よく分かる。我が身に置き換え考えてみた。同級生の父親が天皇と名乗りだした。私だって絶対にからかっていると思った。
「お前の父ちゃん天皇! とか殿下! とかそういう風にはやし立てられるわけですか」
そう弘樹氏に聞いてみた。
「うんまあ、そんな感じかな。職場でも天皇だなんだって言われたもんね」
随分、苦労されたんだと思う。だから弘樹氏に限らず兄弟も複雑な思いを抱いているという。
「この前、法事で兄貴に会ったんだけども、もうこの話(天皇すり替え、大室天皇)は俺たちの時代でもう終いにしようって話しちょった」
もう世は平成すら終わりを告げようとしているが「大室天皇」も風化していくのだろう。
「うちの入り口にオヤジが立てた『史跡大室遺跡』ももうどけた。今はもう伏せてあっちゃろ、ここに来る時見た?」
全く気付かなかった。史跡大室遺跡という記念碑は近祐翁が立てたもので、鹿島昇の『裏切られた三人の天皇』にも写真が掲載されている。しかし今は地面から抜かれ無造作に横たわっている。なんというか弘樹氏のもどかしさが伝わってきた。
そして別れ際に弘樹に聞いてみた。当初、あまり話したくないと言ったのに1時間近く話にしてくれたのはなぜか? と。弘樹氏は言った。
「そりゃ本を持ってきて勉強しちょるようだし。私も知らんこと教えてくれたじゃろ」
また「仮に100歩譲ってすり替えがあったとしても今の皇室に敬意を抱いちょります」という弘樹氏の言葉も印象的だ。こうして大室家を後にした。おそらくこの先、一族で「大室天皇」というのは封印されることになるだろう。
終わりなき陰謀論の世界
しかし親族の思いをよそに田布施マフィア、田布施システム、という主張は続くに違いない。なぜなら彼らが求める答えには「正解」がないから。熟慮が論考も不要、自分の目で資料に当たるわけでもなくそれでいて「特別な何かを知った」という心理が働くのも陰謀論の特徴である。
それに現在、陰謀論が拡散されやすい3つのポイントがあると思う。一つには前編でも触れたように東日本大地震、福島原発事故のように社会不安がある時に「陰謀論」は一種の癒し効果、清涼剤の働きを持つことだ。なにしろ内外ともに不安定な時代で、それでいてAIなど新しい技術が続々と登場する。そうした時には陰謀論は介在しやすいものだ。
そして二つ目にはやはりインターネットの存在も無視できない。残念ながら一度は否定された情報であっても、ネット上では残存してしまう。それを次世代がアクセスした時、真に受けることもあるだろう。
それと三つ目、現在の「出版不況」も陰謀論の拡散を助長すること。現在の斜陽化する出版業界。当然、取材費・制作費というのも潤沢ではない。そのような時に有効なのが「トレース記事」というものだ。これは過去の雑誌・書籍をまとめて記事化する方法。決して現在進行形の事件や出来事がテーマではない。おおかた内容は既報されている歴史物、オカルト、事件史。ネットのまとめ記事の紙版といったところだろう。現在の政治問題、事件や出来事を追跡するのはコストがかかる。しかしトレース記事の費用はせいぜい資料のコピー代程度。下手をすればWikipediaで事足りることもある。驚くほど低予算で、なおかつ一定量の読者が見込めるのだ。大手出版社ですらこの手法に依存することもある。そんな状況にあって「陰謀論」はトレース記事と親和性が高い。田布施陰謀論などは格好の材料であり、その継承者も現れることだろう。
次回は「田布施陰謀論」の正体に迫りたいと思う。
御次男、誠実な方ですね。いい記事を拝読させてもらいました。これからの連載にも期待しております。
戦後には熊沢天皇なんてのもありましたよね。子供の頃、プロ野球選手名鑑で
広島カープの捕手の紹介欄に熊沢天皇の末裔と書かれていてその存在を知り
ました。
三品の文章はつまらない
精進します
結局、「田布施システムはデマだ!!」と強弁してるだけで、
デマであるとする根拠が無いですねこの記事。
なるほど確かにすり替えはないという根拠は提示できません。
というよりも鹿島昇氏らすり替え説を提唱した人たちが何か
明確な根拠、証拠、文書を示したことがあったでしょうか。
にも関わらず鹿島氏も鬼塚英昭氏もまるで
その現場を見たかのようにお書きになっている。
まるでその内幕を覗いたかのような人たちにどういう
反証をすればいいのか。逆に教えてほしいです。
40年寝る間もなく働いてきて、最近まで報道機関はどうでも良いことだけ飽き飽きする程報道するな、一部の事実だけ伝えて視聴者に真実と反対の印象を与える事があるなと言った程度の認識しかありませんでしたが。
学校に通っている時には、学校の図書館の本を全て読み70’には小説だけなくマチュピチュも知る程の活字中毒でしたので文章でどういう人か位は理解できました。
この記事は丁寧で誠実な人柄が伝わり、報道機関が伝えない事の一つを知る事が出来ました。有難う御座います。また良い記事をお願い致します。
はて?大室近祐という人は大室寅之助の「弟の息子」ではなく、「弟の孫」だと聞いてましたが。
一世代ズレてませんか?なので大室庄吉という人も、弘樹氏の祖父ではなく曽祖父では?
そう。大室寅之祐の弟大室庄吉の息子大室儀作。
の子大室近祐。そのこ大室弘樹。