【本巣市放火殺人事件】デヴィ夫人、田宮高麿&よど号ハイジャック犯 死亡男性の摩訶不思議な交遊録

By Jun mishina
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9月5日に岐阜県本巣市のケーキ店で発生した放火殺人事件は、店主の曽野さとみさんも死亡し、死者は4人となった。事件に関与したとみられる会社役員・林寛至氏も死亡しており、動機の全容が本人の口から語られることはない。地元の清掃会社経営者という肩書からは想像もつかない人物像が浮かんできた。元赤軍派議長の塩見孝也氏に伴われて北朝鮮を訪れ、よど号ハイジャック犯の田宮高麿らと交流。さらに巨大な念珠を南北朝鮮へ奉納しようと奔走し、その過程でデヴィ夫人とも接点を持っていたのである。(写真=デヴィ夫人のSNSより)

同和団体と行政の関係と酷似する業界

【本巣市】放火殺人事件 死亡男性は連合赤軍の指導者・川島豪の親類でバキュームカー闘争の行動隊長だった

9月11日には曽野さんの死亡も発表されこれで死者は4人という凄惨な事件。曽野さんは事件直後、一命は取り留めたものの、報道関係者によれば全身の8割に大やけどを負い帰らぬ人となった。

林氏の一族は本巣郡北方町を中心に一般廃棄物処理業、環境衛生事業、土木建築業を営む。林氏は若い頃、連合赤軍の指導者で岐阜県のし尿収集運搬業の中心的人物、川島豪に心酔。当時、岐阜のし尿処理業者の抗議行動は激しく、岐阜県庁、可児市、各務原市役所へバキュームカー数百台を動員し、要求闘争を繰り返した。

川島の指導の下で林氏は〝行動隊長〟のように活動した。また川島が顧問を務めた岐阜県環境整備事業協同組合(岐環協)の現会長で、全国組織の全国環境整備事業協同組合連合会(全国環整連)会長も務める玉川福和氏も、川島の薫陶を受けた人物だ。

1963年、し尿収集運搬業者が国会でデモを行い、全国清掃協議会(環整連の前身)が設立され、岐阜でも清掃事業連合会が結成された。環境整備事業者においては岐阜県は主導的な役割を果たしたと評価される。

玉川氏は政治的な影響力も大きい。中道改革連合の前衆院議員・枝野幸男氏の支援者として知られ立憲民主党結党にも尽力した。一方、新左翼の世界の有名人、川島豪と交流があった林氏だが、かといって左翼思想の持ち主だったわけではない。

かつての自民党県議団の領袖、故・船戸行雄元県議と交流があった。船戸氏に代わって自民党県議団のトップになったのは〝岐阜のドン〟猫田孝県議(当選14回)である。

さてし尿収集運搬業は、衛生状態を維持し、感染症や水質汚染を防ぐ重要な生活インフラだ。人口の少ない地域や下水道未整備地域では、現在も欠かせない事業者であるのは言うまでもない。また自治体の許可を受けた業者が設備と人員を確保し、継続的に業務を担う必要があるため、業者の保護には一定の合理性がある。

業者保護の根拠になるのが「下水道の整備等に伴う一般廃棄物処理業等の合理化に関する特別措置法」(合特法)だ。

合特法は本来、下水道整備によって仕事を失う許可業者を救済するための制度である。しかし実際には、代替業務の委託が長期間続き、随意契約となっているケースも少なくない。

だが行政としてはバキュームカーを並べ抗議されてきたというトラウマがある。〝合特タブー〟といったところだ。その要求闘争は生活インフラの維持というより、既存業者の営業権と収益を組織的に守る運動という側面も見逃せない。

同和行政と非常に酷似していないだろうか。林氏も運動を支えてきた一人だった。会社は安定、豪邸に住み、何の不自由もないはずが、放火殺人の実行犯の疑いがかかる。しかも破滅的な方法で、だ。それだけ曽野さんに強い思いがあったのだろう。

筆者は林氏のライフワークに興味を持ったが、そこで今回は、林氏が築いた新左翼・宗教人脈に焦点を当てる。

塩見孝也の仲介で訪朝 田宮高麿の最期を知る男

地域の有力者だった林氏は、幅広い人脈を持ち、異色の経験を重ねていた。著書には、1995年に北朝鮮へ渡航した経験も記されている。

林氏は著書で、川島とは清掃会社の「同業者」として知り合ったと説明している。当時、林氏は25歳だった。川島については「とても厳しい人で、役所関係や周りからは敬遠されていましたが、なぜか私と馬が合った」と振り返り、「彼が親代わりであった」とまで記している。川島は1990年12月9日、沖縄の病院で死去。その翌年、林氏は川島の姪と結婚した。林氏は敬愛する川島にあやかり、長男の名前に「豪」の一字を取った。

川島が生前に交流していたのが、元赤軍派議長の塩見孝也だ。林氏は川島の縁を通じて塩見と知り合い、交流を重ねたようだ。林氏は塩見との交流の中で訪朝を決意。1995年11月24日、成田空港から北京を経由して北朝鮮へ向かった。

平壌空港では、田宮高麿、小西隆裕、安部(現・魚本)公博、若林盛亮の4名が林氏らを出迎えた。著書によると、林氏は滞在中、田宮氏らと交流したという。

林氏は、中学生時代にテレビで見た指名手配犯と実際に会ったことへの驚きを述べている。一行は運転手付きの車で、林氏が「三階建てのアジトのような所」と表現する施設へ移動し、11月30日まで滞在した。

滞在中には、朝鮮民族の始祖とされる檀君を祭る檀君陵などを訪問。林氏によれば、夕食の席では小西氏が、よど号の機長に模造刀を突き付けて操縦を強要した当時の心境を語ったという。よど号事件の実行犯から当時の心境を直接聞く機会は、名うて報道関係者でもそう得られるものではないだろう。

林氏は11月30日、平壌駅から23時間かけて鉄道で北京に入った。著書には翌日の昼頃に到着したとあることから、北京入りは12月1日とみられる。

その夜、林氏は北京のホテルで塩見の部屋に呼び出された。部屋に入ると、塩見が床に正座していた。

「実は、田宮が死にました!」

こう塩見から告げられたという。塩見の説明によれば、田宮は林氏らを見送った後、心筋梗塞で死亡したという。単に死を悼んでいたとしても、正座して訃報を伝えたという塩見の様子は尋常ではない。

田宮の死亡日は1995年11月30日とされ、北朝鮮当局が発表した死因は「心臓麻痺」だ。田宮の死をめぐっては北朝鮮当局に粛清されたといった説も囁かれる。田宮が死亡する直前に面会し、その訃報を直後に知らされたという点で、林氏の記録は注目に値する。ただし、林氏もすでに死亡しており、著書の記述について本人に確認することはできない。

北朝鮮に数珠を奉納したい 総連「ジャガイモの方がありがたい」

事件後、林氏に関するさまざまな情報がSNS上を駆け巡った。その中でも、デヴィ夫人との接点に驚いた人は多かっただろう。

両者の接点は、林氏が進めていた宗教活動の中で生まれたようだ。

韻山鐘九こと林氏。

林氏は「韻山鐘九」の僧名を名乗り、八雲山大念珠庵という宗教団体を運営していた。また2024年に、『人麻呂のシグナル』(文芸社)を刊行している。文芸社は自費出版を中心に扱う出版社だから、同書が一般書店でどの程度流通したのかは不明。

同書は、万葉集を手がかりに古代の日本語と朝鮮半島の言語を比較し、両言語のルーツを読み解こうとする内容だ。また、「韻山鐘九」こと林氏の交遊録も詳しく記されている。

同書によると、2000年5月中旬、108個の珠からなる第1号の大念珠が完成した。林氏によれば、新聞社やテレビ局から取材を受け、一般公開の際には多くの人が訪れたという。

林氏はこの大念珠を、単なる巨大な仏具とは考えていなかった。南北首脳会談を機に、日本から韓国と北朝鮮を結ぶ「懸け橋」として、双方へ奉納しようと構想したのである。

しかし、奉納先探しは難航した。

2000年7月3日、林氏は岐阜市内で顔見知りだった朝鮮総連の関係者を訪ねた。当初は、その人物の後押しがあれば北朝鮮への奉納も進むと気楽に考えていたという。ところが返ってきたのは、意外な言葉だった。

「行為はありがたいが、ジャガイモの方がありがたい」

北朝鮮が深刻な食糧難に陥っていた時期だけに、巨大な数珠より食料支援の方が現実的、というニュアンスだったのだろう。林氏の申し出はやんわりと断られたようだ。

世界平和を願う林氏の壮大な構想に対し、総連側が突き付けたのは、食糧難というあまりに現実的な回答だった。

朝鮮総連への働きかけが行き詰まった一方、林氏は韓国側にも接触した。

著書によれば、在日本大韓民国民団の本部を訪ねたところ、大念珠の奉納は大使館が扱う案件だとして、東京の韓国大使館へ向かうことになった。

ところが韓国側からも、政府が特定宗教の数珠を受け取れば、他の宗教との関係で問題が生じるとの説明を受けた。その代案として示されたのが、北朝鮮との軍事境界線に近い韓国・高城の統一展望台だった。

林氏は同年8月7日から9日にかけて友人を伴い、統一展望台を見学した。しかし、現地を見た結果、大念珠を展示する場所としては意味がないと判断し、奉納先の候補から外したという。

朝鮮総連、民団、韓国大使館へと働きかけたものの、南北いずれへの奉納も実現しなかった。

デヴィ夫人を交えた「宗教サミット」に参加

行き詰まった林氏に別の道を示したのが、林氏の会社を何度か訪ねてきた大阪の寺院関係者だった。この人物は、船戸氏から大念珠の話を聞いていたという。

林氏が韓国と北朝鮮の関係機関に断られた経緯を説明すると、寺院関係者はこう助言した。

「政治的に依頼するのは無理ですから、僧侶関係で奉納する手段を考えられた方が良い」

さらに、韓国と北朝鮮の有力な僧侶を紹介すると約束し、デヴィ夫人を交えた「宗教サミット」が開かれるとして、林氏にも参加を勧めた。

2000年8月26日に、デヴィ夫人や岐阜県内の有力な僧侶らが参加する「愛と平和を語る会」が開催されたという。林氏は大念珠を製作した経緯を説明し、韓国と北朝鮮へ奉納したいとの考えを訴えた。

著書の記述から確認できる限り、林氏とデヴィ夫人との接点は、この宗教関係者の会合を通じて生まれたとみられる。

その後、林氏は大阪の統国寺などを訪れ、韓国の寺院関係者とも接触。大念珠を南北双方へ奉納するため、政治ではなく宗教界を通じたルートを模索していった。

最終的には、韓国の雉岳山にある観音寺へ大念珠2本を奉納したとの説明だ。1本はいつか北朝鮮に奉納する分としている。だがこの目標が実現する日は来るのだろうか。

南北朝鮮へ奉納するという発想は突拍子もないが、林氏が並外れた行動力の持ち主だったことは確かだ。し尿収集運搬会社の経営者から、元赤軍派議長、よど号事件の実行犯、朝鮮半島の宗教関係者、そしてデヴィ夫人へ――。林氏の経歴には、通常の清掃会社経営者という肩書からは想像しにくい、特異な人的ネットワークが広がっていたのである。

なお、林氏と同級生で、選挙では林氏から応援を受けたという北方町の戸部哲哉町長に取材を申し込んだが、町側からは「(関係について)把握していません」との回答があった。

また林氏の会社を訪問すると敷地には複数のバキュームカー、そして玄関先の許可証の欄に「林寛至」の名があった。取材を申し込んだが「お断りしています」と応じてもらえなかった。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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