『香川県社会事業概要』によれば、小豆郡福田村「遠千浜」に14戸、74人の古村がある。かつては様々な商売や漁業をしていたようである。現在の地名は小豆島町福田の遠手浜。砂浜になった海水浴場がある。

現在では、小豆島のみならず香川県内の部落の一覧は国立国会図書館デジタルコレクションで見られるようになっている。画像は大正10年『香川県社会事業概要』の「部落改善」の部分。

『小豆郡誌』の「細民部落」の章にも小豆島の部落一覧がある。いずれも大正4年のものであろう。
この手の資料の掲載について裁判所の判断は
「紙はいいけどネットはだめ」→「やっぱり紙もだめ」
「古いのはいいけど新しいのはだめ」→「やっぱり古いのものだめ」
「一部の都府県ならいいけど全国はだめ」→「やっぱり一部の都府県もだめ」
「個別の部落はいいけど一覧はだめ」→「やっぱり個別もだめ」
と一貫していない。特に国立国会図書館デジコレで昔の部落一覧がネットで見られるようになってからは、屁理屈の種が尽きたのか、芋づる式に記事がでるからだめだの、さらに知る人が増えるからだめだの、後付けの理由が理不尽化している。もはや公平を装うのはやめて「宮部だからだめだ」とはっきり判決に書いたらどうか?
小豆島誌に至ってはログインなしで閲覧可能なので、登録が必要だのといった言い訳もできなくなっている。

さて。小海、大部と小豆島の北岸を東へ進み、島の東端が福田である。ここは姫路行きフェリーの発着港である。九州や中国地方から小豆島に入るなら、この港が玄関になる。

古い資料では遠千浜とあるが、現在は「遠手浜」と書かれている。読みは「とではま」。

遠手浜海水浴場から道路を挟んで反対側にチェーンが掛かった茂みがある。
ここには地域改善対策事業である文部省補助で昭和57年に整備された福田教育集会所があった。要は同和施設である。町議会の会議録によれば、老朽化と利用実績の減少により2020年10月1日付けで廃止され、同年度の当初予算には解体撤去事業が計上されている。


護岸の下に、海へ降りる船揚げ場が残る。かつては様々な商売や日稼ぎ、漁業をしていたようである。


これは昭和52年度に建設された福田地区改良住宅である。戸数は14戸。大正時代の古村の戸数と一致するので、古村がほぼそのまま改良住宅に転換されたのであろうか。


小豆島をはじめ、香川県では古い改良住宅が真新しく建て直されている例を見るが、ここは古いまま、壁の塗り直しなどがされている。

香川のニコイチの特徴である太陽熱温水器が見当たらないと思ったが、一部の住宅には付いている。ほとんどは取り外されたのだろうか。


集会所跡地の横が墓地になっている。

「三昧墓地」と書かれている。名称はそのままの意味で、かつては土葬の埋め墓もここにあって、後に火葬もしていたのではないか、そんな佇まいと名称である。後にクエストする豊島の古村も三昧であったので、この古村も埋葬の役目をしていたのではないか。


ところで1921年の『小豆郡誌』は、幕末の田中河内介父子の墓について「墓在福田村遠千濵」と記す。田中河内介は1862年の寺田屋事件の後、薩摩藩の船中で殺害され、遺体が小豆島に流れ着いたと伝えられる人物である。郡誌の記載どおりなら墓はこの墓地のどこかにあるはずだが、郡誌の記述にはクエストのあとに気づいた。

古村の宗派はおそらく浄土真宗。日蓮宗もいくつか混じっている。神道の墓もあるが、小豆島には黒住教会があるので、黒住教であろう。古村とそれ以外の墓が混じっている。名字は下田、下崎など。
前にも触れたが、小豆島では古村の存在はもはや公然のものであり、古村の住民は概ね名字で分かるという認識である。

探訪前にトラックなどを降ろしていたフェリーが、探訪後には姫路に向かって出ていった。



