岐阜の同和取材で邂逅した連合赤軍の黒幕・川島豪の夢 後編

三品純 By 三品純

『同和の会長』(小社刊)の追加取材中に浮上した連合赤軍、川島豪(故人)。すでに学園紛争、安保闘争の歴史自体が風化し、また川島を知る人もほとんどいない。そんな中、川島が1979年の出所後、経営していたトバナ産業(旧川島環境サービス)で話を聞くことができた。革命に挫折した川島が屎尿処理会社の経営者としてどう生きたのか、そんなことを伺ってみた。

バギュームカーの抗議活動、実は川島が・・・

羽島市のトバナ産業。社屋で川島の話を聞きたいと伝える。応対した若い社員氏が「川島さん? 私たちも少し話を聞いているぐらいで」と困惑しつつも、「社長ならお話できると思います」こう応接室に案内してくれた。とりあえず取材依頼、顔見せ程度に伺ったつもりが、意外な展開になった。しばらくすると同社の大森敏夫社長が来てくれた。

「川島豪のことを聞きたいなんて珍しいですね。今の若い人は知らないんじゃない。知っていることならお話できるけど」

そう笑いながら大森氏は、話を始めた。まず川島豪という人物になぜ興味を持ったか? それは株式会社イシイと石井輝男、涼也の取材の過程で、川島の名が浮上したことを伝えた。それも川島と輝男は、かなり懇意にしていたという証言を紹介した。するとーーー

「石井さんって解放同盟の委員長だったでしょ。我々の業界は、解放同盟さんと過去、お付き合いはあった。それで確かに川島は、石井さんと知り合いだったけど、川島が兄貴分だとか盟友だとか、そこまでの関係じゃなかったと思いますけどね。川島が一緒に解放運動をしていたってこともないですよ。ただ川島も階級闘争をやっていたわけで、部落解放運動にも通じるところがあるでしょ。だから理解はあったと思います」

輝男との“兄弟分関係”は、否定した大森氏。そこで汲み取り料金をめぐり、輝男が同業他者とのケンカを買って出た、そして市役所にバギュームカーで抗議活動を繰り広げた、こんな証言についても確認する。ところが意外な答えが待っていた。

「バギュームカーの抗議? 石井さんが? そりゃ間違いですよ(笑)。なんでって? バギュームカーの抗議は、川島が先頭に立ってやったんだから。当時、我々の世界も待遇や労働環境が悪かったから、改善を求めて川島や当時の経営者たちが運動をしていました」

大森氏によると当時、バギュームカーが大挙して抗議するという手法は、当時珍しいことではなかったという。というよりも業界では、定番の抗議方法と言ってもいいようだ。岐阜県環境整備事業協同組合(岐環協)HPの年表を見ると、昭和39年「国によるし尿処理業務直営化法案阻止のため全国業者が立ち上がり、バキュームカーによる国会包囲デモによって法案を葬り去り、全国清掃協議会(環整連の前身)を設立」とある。バギュームカーで国会を包囲した過去にも驚いた。インタビュー後に岐環協への取材を申し込んだが、「役員がいないので用件だけは伝えておく」ということだった。ただ応対した職員も川島と輝男の“盟友関係”については、否定的に見ていた。バギュームカーで抗議というのも、いかにも武闘派で鳴らした輝男らしいと思っていたが、どうも事情は違ったようだ。

そして場面をインタビューに戻す。なぜ川島が屎尿汲み取り会社の経営者に収まったのか、もともとのいきさつを聞いた。

「事件(米軍基地爆破未遂事件)で逮捕されて、刑期を終えた後、地元(大垣)に戻り、家業を継いだんです。勘当? いや、お父さん(次郎氏)も“世間に迷惑をかけた”ということは言っていたけど、そこまでは怒っていなかった。それで川島が代表取締役になるんだけど、実務は、弟の英三郎さんがやっていた。組合活動だとか、対外的なことは川島(豪)がやっていたのかな」

岐阜県環境整備事業協同組合(岐環協)のHPより。バギュームカーの抗議活動。

国体の水泳選手、百恵ちゃんが好き 革命家の素顔

やはり会社や組合でも強烈なリーダーシップがあったのだろうか。なにしろあの赤軍メンバーを統率した男だ。

「そんな感じじゃないです。我々にとっては、ごく普通の青年。高校時代は、水泳で活躍して、国体の選手にも選ばれたんですよ。ただ試合当日、体調不良で出場はできなかったらしいけど。それから山口百恵が好きでね。“百恵ちゃんを嫁にしたい”なんて軽口を叩いたもんですよ(笑)。ただ正義心というか、反権力的なところはありました。出所した後、3~4年は、警察にマークされていましてね。彼は、血圧がとても高くて、大垣市民病院に通院するんだけど、覆面パトカーなんかが後からついてくる。それで駐車場に入る時、混雑している時なんかは、順番を待っていて、川島が先に駐車すると、警察車両はまだ入口付近で空くのを待っているんですよ。だから“おーーいここに警察がいるぞー”と大声でからかってね。そんな話も聞かされたもんです」

陰惨な連合赤軍のリーダー、というイメージよりも、もとは快活な青年、そんな素顔も見えてくる。1990年、川島は49歳の時に、ガンで生涯を閉じる。今、脱原発デモ、反戦デモといった活動を見ると、川島と同世代の男女はいくらでもいる。そう思うと、ずいぶん若くして鬼籍に入ったものだ。ただ大森氏の話を聞いていると、当時の学生運動に関わった有力者の中で、最も幸せではなかったか? そんな風に考えた。当時の仲間たちは、今でも服役中、あるいは獄中で自殺したものもいる。そんな中で、川島は、戻る故郷があり、社業を任され、「共産革命」そんな大それたものではないが、汲み取り業界のために尽力した。学園紛争などよりよほど“労働者”に貢献したのである。大森氏はこう振り返る。

「さあねえ。幸福だったかどうかは分かりません。だけど、組合活動に貢献したということで、葬式も組合葬でやってもらいました。そういう意味では、確かにいい最期だったかもしれないですね」

組合葬というのも、功績が認められた証左だろう。万国の労働者よ、団結せよ! かつて川島ら学生運動の闘士たちは、そうアジテーションを繰り広げた。このアジ演説を川島は、体現したことになる。彼の夢は、汲み取り業界で昇華できたのかもしれない。

最期に大森氏にもし川島が今の社会や左翼運動を見たら、どう思うのか聞いてみた。

「そりゃ分かりません。だけど私は彼が子供の頃から知っているけど、本来は、革命とか共産主義とかそんなガラじゃなかったと思うんですよ。何か大きなことをやってみたい。例えば坂本龍馬みたいに社会をアっと言わせたいというか、ダイナミックな活動をしたかった。それが学園紛争だったんじゃないかな。だからこういう取材を受けたら彼も喜んだでしょう。多分、アナタとも意気投合したような気がします」

こう言われて何か取材冥利に尽きたものだった。もし川島が存命中ならば、立場も主張も違うが面白い対話ができたような気がする。今回は、意外なところで川島豪という人物を辿ることになったが、何か歴史の一舞台に踏み込めた、そんな思いだ。

岐阜の同和取材で邂逅した連合赤軍の黒幕・川島豪の夢 後編」への10件のフィードバック

  1. 匿名

    氏の葬儀では『いま語っておくべきこと』が配られましたね。

    気にいい人でしたね。

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    1. 三品純三品純 投稿作成者

      貴重なお話ありがとうございます。ということは関係者や参列者の方たちも連合赤軍の川島という認識はあったということですね。最初はもっと尖った人格を連想していましたが、イメージとかなり異なりました。ちなみに『いま語っておくべきこと』は川島、塩見両氏の情熱が伝わってくるけど、内容はチンプンカンプンでした。

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  2. 匿名

    葬儀参列の栞が入っていました。
    特別関係の深かった方のみ配られたのかもしれませんね。

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  3. 匿名

    葬儀参列のお礼の栞の誤りでした。
    晩年は限られた人のみとお付き合いされてたました。
    沖縄で亡くなったみたいです。

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    1. 三品純三品純 投稿作成者

      『今語っておくべきこと』の対談当時も健康状態は芳しくなかったそうで、最期の力を絞ったんでしょう。今後は、橋本敏春さん、自由同和会、自民党、こうしたキーワードで何か読み解いていきたいと思います。もし何かお心当たりございましたらば、弊社メールフォームでもjm347アットマークnifty.comでも結構なのでご教示ください。

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  4. 斉藤ママ

    すごい迫力があるお写真をありがとうございました。
    こんなやり方があるのか、と目からうろこです。

    検索をすると大阪府松原市でもやっていたようです。こちらは13台なので
    273台に比べると少しですが..。糞尿を満杯にしたバキュームカーと何日も
    戦ってくれた市役所職員の方々には救われる思いがしました。

    http://osakadeep.info/matsubara-city-hall-in-vacuum-trucks/

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    1. 三品純三品純 投稿作成者

      国会を包囲するってのが驚きました。屎尿汲み取りの業界と同和の関係も今後、検証できればと思います。

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  5. tomo

    前中後編と読ませていただきましたが、川島氏と同和の結び付きが分かりません。
    この記事の通り、石井氏との関係がそれほどでないのなら、どうして同和に関わったのか
    謎です。
    川島氏自身は被差別部落の出身ではないのでしょうか。

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    1. 三品純三品純 投稿作成者

      ご出身は大垣市内の一般地区なので部落出身ということはないと思います。

      汲み取り業界自体は解放同盟との付き合いがあったのは事実です。
      だから自ら運動はしなくても理解はあったとかそのレベルではなかったかと考えております。

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