北陸自動車道の米原ICの近くに並ぶニコイチは、高速道路を利用して米原を訪れる人にはどうしても目に付き、そこに部落があることもよく知られていることである。しかし、そのニコイチが払い下げられる等、ほぼ同和事業の完全終了に至っていることは知られていない。
そういったポジティブな事実であっても、そのことを伝えるためには、そこが同和地区指定された事実を言わないわけにはいかないのだが、それをやってしまうと法務省人権擁護局から部落差別認定され、さらには裁判所から財産を差し押さえられてしまう理不尽な危険性があるからだ。しかし、本サイトは良心的メディアなので、ありのままに伝えることにする。
江戸時代の地名は八木沢村、戦前の記録によれば部落名は北三吉、戸数は114である。平成初期には267世帯になっていた。
まず目についたのはこの団地。改良住宅は62戸、その他の公営住宅が25戸あったと記録にはある。これは公営住宅の方だろう。
ニコイチ群が見えてきたが、全体の雰囲気が他の同和地区で見るようなニコイチと違う。
ニコイチの間にそうではない住宅が混じっており、また通常ではあり得ないほどカスタマイズされたニコイチも見えるし、壁の色も自由である。
レインボーニコイチと、瓦屋根がついて青く塗られ片方だけになったニコイチが見える。いくらなんでも、改良住宅がここまで派手に改造されることはあり得ないので、やはり払い下げられて住民の所有になっているのだ。
過去の記録では持家166戸とあるので、持家もそれなりにあったはず。どこが部落の境界なのかはよく分からない。
これは浄土真宗大谷派の敬永寺。大正時代の大谷派の資料には部落寺院として出てくるが、大きな寺である。
敬永寺から南が一般地区ではないかと思うがどうだろう。
ここは米原地域福祉センター。これは一般施設である。
息郷地域総合センター三吉会館として地図に載っているこの建物が隣保館だったのだが、今は「三吉自治会館」の看板が掲げられている。一応施設は市の所有のままだが、自治会に無償貸与という扱いになっており、いずれ譲渡されるという。
高速道路の下をくぐって墓地へと向かった。
『滋賀の部落』によれば、八木沢村は「八竈」と呼ばれる8世帯から始まったという。それぞれの系統を引く名字があり、さらに8世帯は4世帯ずつ2分されたルーツを持っているという。
『滋賀の部落』の記述では、8つ名字があるとも2つ名字があるとも取れる。
見たところでは主要な名字は少なくとも4種類以上あるように見えるので、8系統の名字があるのではないかと思う。
ところで、ニコイチ群は地名で言えば樋口の場所にもある。
そのニコイチ群の端に焼肉屋がある。ちょうど昼食の時間だし、これは絶対に入るべきだろう。
やはりメニューにサイボシがある。
2年ほど前に近江八幡市末広町で聞いた話だが、近江牛の中心地である末広でも既にサイボシは作っていないという。そして、末広の肉屋で売っているサイボシは米原で作っているということなのだ。ということは、ここが滋賀県におけるサイボシの本場であり、現在唯一の産地かも知れない。
とすると、ここでサイボシを頼んでも以前近江八幡で食べたものと同じものが出てくる可能性が高い。そこで注目したのは、このメニューにある「豚肉のくんせい」だ。
それは要はベーコンのことではないか?…と普通の人は思うかも知れないが、ここが滋賀の部落。ベーコンとは違うものが出てくるはずだ。しかも、サイボシより安いのも嬉しい。
そして、出てきたのがこれ。やはり期待どおりである。食べてみると、味はサイボシそのもの。そして、豚肉だけあって食べやすい。これは、もしかするとサイボシより美味しいのではないか?
こちらはメインの焼肉定食。小さなそうめんが付属している。
焼肉屋の隣に肉の販売所がある。お土産にさっきの豚の燻製を買った。サイボシと同様、桜の木のチップで燻して作るそうだ。
これは車で近くを通る時はもちろん、米原駅からタクシーを使ってでも立ち寄るべきであろう。
元は番場宿の背後にある蓮華寺に隷属した起源を持つとか。
蓮華寺は時宗から1943年に浄土宗に改宗した寺院だが、『瞼の母』や氷川きよしの唄
『番場の忠太郎』の番場の忠太郎が地蔵として祀られている。
一方、敬永寺は元は天台宗で、顕如の時代 (1543~1592年) に浄土真宗に改宗。
・冨田食品 ( 米原市樋口 ) : 食肉鮮魚卸、燻製製造販売
・元三フード ( 大津市長等 ) : げんさんでは無添加・保存料なしで昔ながらの
製造方法で手作りしております。
冨田食品は知ってましたが元三フードは知りませんでした。
ちなみに、冨田は三吉に多い苗字ですね。