フルインクルーシブ教育を疑え! 24時間テレビランナー・星野真里氏の発言に地元住民から疑問の声

By Jun mishina
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夏の風物詩『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)はチャリティという性質上、美談を装って特定のイデオロギーを紛れ込ませるケースも少なくない。今回、番組の目玉企画、マラソンのランナーを務めたのはタレントの星野真里氏。番組中、難病に苦しむ長女を語り「フルインクルーシブ教育」を訴えた。なお星野氏の夫、高野貴裕都議(世田谷区選出)も同教育の推進者として知られる。(写真=星野氏のInstagram)

星野氏の発言に世田谷区民が反論

保坂区長もフルインクルーシブ教育の推進者。

ここ数年、24時間テレビは募金の着服などトラブル続き。テーマこそ美しい言葉で飾られるが、日本テレビとタレントの夏のボーナス企画というのが実態ではないか。

「障害者と健常者は「同じ場」にいることが望ましい」「障害は努力と周囲の支援によって乗り越えられる」
「社会問題は制度改革より、善意・募金・家族愛で解決できる」

24時間テレビが伝えるメッセージはおおかたこのようなものだ。一見すると、どれも美しい理念に見える。番組中でも感動物語のように演出されてきた。今回、ランナーを務めた星野氏の長女は指定難病である「先天性ミオパチー」を患い、人工呼吸器や電動車いすを使って生活する。

関係者によれば長女は世田谷区内の学校で、障害の有無や国籍・性別などに関わらず、すべての子どもが同じ場で共に学ぶフルインクルーシブ教育の下、通常級で学習しているという。

星野氏は学校生活について番組中、こう訴えたのだ。

本当にいさせてもらっている状況だったので、すごい衝撃的でした。それが1年生の終わりだったので、数ヵ月も同じ状態で過ごしていたのかなって……。彼女にとってはそれが当たり前のことだったけど、それは当たり前じゃないよと。一緒に学ぶってこういうことじゃないから、『これはおかしいんじゃないですか?』って学校のほうにお伝
えして、すぐに対応はしていただきました。

この発言は、学校側の対応に重大な問題があったとの印象を与える。これに対してある地元住民が反論する。

「星野さんのお子さんにも〝お世話係〟の児童がいます。障害がある子供といっても様々だから教員や児童も大変ですよ。現場は疲弊しているといってもいいです。番組での発言はとても心無い発言だと思いますよ」

いわゆる意識高い大人の〝キラキラ思想〟によって〝みんないっしょ〟というわけだが、現場の教員、そしてお世話係の児童にすれば自身の学習の機会も奪われかねない。

同区は保坂展人区長の号令の下、フルインクルーシブ教育を推進している。「区長寄りの会派、立憲民主党・無所属世田谷区議団・桜井純子幹事長がフルインクルーシブ教育の推進派。区内の学校が推進するよう議会でも求めています」(政治ウォッチャー)

9月16日の世田谷区議会定例会でも桜井氏はフルインクルーシブ教育について質問。その中で星野氏と名指ししていないものの、今回の炎上騒動が「無理解」だと取り上げていた。

そこで桜井氏にもフルインクルーシブ教育による現場の混乱や苦労について質問してみたが、返答はなかった。

また星野氏の夫、都民ファーストの会所属の高野貴裕都議はWebサイトにフルインクルーシブ教育を掲げるほどライフワークにしている。

24時間テレビを介した星野夫妻の政治主張とすら思えてならない。

星野氏の夫、高野都議の公式サイト。

やはり言葉だけは美しい…

フルインクルーシブ教育推進派の学者、政治家、保護者は特別支援学校を普通学級よりも格落ちで「分離、排除、隔離」の象徴と扱っている気がしてならない。

筆者は星野氏の所属事務所、株式会社トルチュを介して星野氏にコメントを求めたが――。

「せっかくのご依頼ですが、現時点で頂いた内容での取材はどの媒体様も行っておりません。また機会がございましたら、その際は改めてよろしくお願い致します」(同事務所)

また番組内の発言の趣旨、フルインクルーシブ教育、特別支援学校への考え方について夫の高野都議にも質問した。

高野氏は、番組内における星野氏の発言については、所属事務所に問い合わせるよう求めた。一方、フルインクルーシブ教育に対する自身の考えについては文書でこう訴えた。

まず、私は特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを「格落ち」だと考えたことは一度もありません。特別支援学校には、専門性の高い教員や設備、医療・福祉との連携など、子どもの学びと生活を支える大切な役割があります。そこで学ぶ子どもや、その環境を選んだご家庭の判断は、当然尊重されなければなりません。通常学級、特別支援学級、特別支援学校、通級、訪問教育など、それぞれに役割と意義があります。

大切なのは、どこで学ぶかによって子どもの価値に上下が生まれることではなく、その子が安心して、自分らしく学び、成長できる環境が保障されることだと考えています。また、ノーマライゼーションとは、障害のある人を、障害のない人に近づけて「普通」にすることではありません。障害や必要な支援をなかったことにする考えでもありません。障害があっても、地域の中でほかの人と同じように、自分の暮らしや学び方を選び、当たり前に生活できる社会をつくるという考え方です。

そのためには、一人ひとりの障害特性や必要な配慮をきちんと認め、社会や学校の側にある障壁を取り除いていく必要があります。私が考えるフルインクルーシブ教育も、すべての子どもを一律に通常学級へ入れれば実現する、というものではありません。本来目指すべきなのは、障害の有無によって最初から学ぶ場や関わる機会を分けるのではなく、まずは同じ地域、同じ学びの共同体の一員として受け止め、その子に必要な支援や合理的配慮、専門的な教育を学校側が整えていくことだと思います。

しかし、理念を理由に、本人や保護者が希望する特別支援学校という選択肢を行政が一方的に退けるのであれば、それは私の考えるインクルーシブ教育とは異なります。通常学級への在籍を事実上強いることも、特別支援学校への就学を一方的に求めることも、どちらも避けなければなりません。

インクルーシブ教育は、子どもを既存の学校の形に無理に合わせることではなく、学校や制度の側を子どもに合わせて変えていく取り組みです。同時に、専門的な支援や、落ち着いて学べる環境を必要とする子どもの権利も守らなければなりません。

私は、通常学級だけを「正解」とするつもりも、特別支援学校だけを「正解」とするつもりもありません。本人の意思と最善の利益を中心に、保護者と十分に話し合いながら、その子に合った学びの場を選べること。そして、どの場を選んでも必要な教育と支援を受けられ、別の学びの場への変更も必要に応じて柔軟に検討できることが重要だと考えています。

その選択を形式だけのものにせず、看護師や支援員、専門性のある教員の配置、施設のバリアフリー化、通学支援、医療・福祉との連携などを整えることは、家庭の努力だけに委ねるものではなく、行政の責任です。今回お知らせいただいた事例についても、どのような説明や合意形成が行われたのかを丁寧に確認する必要があると感じています。目指しているのは、特別支援教育を否定することでも、学びの場を一つに決めつけることでもありません。

どのような障害や特性があっても、本人が尊重され、必要な支援を受けながら、社会の一員として共に学び、生きていける環境をつくることです。総じて、このような社会を作るため都政へ働きかけていく所存です。

さすがに高野氏はフルインクルーシブ教育の推進者だけあって、並々ならぬ情熱を持っていた。だがまだ疑問は尽きない。

(疑問1)フルインクルーシブの意味が曖昧
>すべての子どもを一律に通常学級へ入れれば実現する、というものではありません。

では、何をもって「フル」としているのか定義が曖昧だ。特別支援学校・特別支援学級という別の学びの場を積極的に認めるなら、一般にイメージされる「完全包摂」とは意味、趣旨が違っていないだろうか。

(疑問2)「最初から分けない」と「選べる」が衝突している

>障害の有無によって最初から学ぶ場や関わる機会を分けるのではなく

という一方で高野氏は「その子に合った学びの場を選べること」と述べた。障害の程度や医療的ケアの必要性を踏まえて、就学前から特別支援学校を選ぶ場面も当然出てくるだろう。それを「最初から分ける」と否定的に表現すると、特別支援学校を積極的に選んだ家庭への評価と矛盾しかねない。

問題にすべきなのは、「最初から分けること」そのものではなく、本人の状態や希望を十分に検討せず、障害の名称だけで機械的に振り分けることではないか。

現に世田谷区では「障害を持ったお子さんについて特別支援学校を希望した家庭が区から普通学級を勧められた」(地元関係者)というケースもある。

そして当事者たちの意思がどう判断されるのか次の疑問につながる。

(疑問3)「本人の意思」が現実には簡単ではない

>本人の意思と最善の利益を中心に

理念としては理解できるが、両者が一致するとは限らない。また、本人が十分に意思を表明できない場合、誰が、どのような方法で本人の意思を確認、あるいは推定するのか。高野氏に限らずフルインクルーシブ教育推進派が頻用する「本人の意思」「最善の利益」は見逃せない。こうした抽象語で、難しい判断を先送りしているのではないか。

(疑問4)特別支援学校を認めつつ、通常学級を原則扱いしている

>まずは同じ地域、同じ学びの共同体の一員として受け止め

「まずは同じ地域、同じ学びの共同体の一員として」とする部分が、実際の就学判断において通常学級を事実上の原則とする趣旨なのかは判然としない。

こうした疑問は高野氏だけではなく、フルインクルーシブ教育推進派に共通するものだ。

続々と進むフルインクルーシブ教育だが

東京都や神奈川県の一部自治体でも、フルインクルーシブ教育を掲げる動きがある。東京都では都教委が 「教育のインクルージョン」を掲げており、〝革新自治体〟国立市が最も熱心にフルインクルーシブ教育に取り組む。

国立市は2022年の教育大綱に「フルインクルーシブ教育の実現」を掲げ、2023年5月には東京大学大学院教育学研究科と連携協定を締結。東大は、国立市の学校をフルインクルーシブな教育へ転換し、日本の先導例にする趣旨だと説明している。

国立市の基本的な方向は「障害のある児童生徒も、障害のない児童生徒も、同じ場で共に学び、相互に成長する」というものだ。

だが近年の同市の公文書では、「一人一人がその子らしくいられる教育」「学校・学級の包摂力を高める」といった、より穏当な表現が前面に出ている。

特別支援学級などを残したまま「フル」と称することへの矛盾や、「多様な学びの場が失われるのではないか」という懸念が影響したという見方が強い。

制度としては特別支援学校や特別支援学級を残すインクルーシブ教育でありながら、理念や将来像としてはフルインクルーシブ教育を掲げているといった印象だ。理想と現実の二重構造が、議論を分かりにくくしている。

タチが悪いのは言葉だけは意識が高く、最新のカタカナ語を用いるため、盲信してしまう保護者、地域住民もいることだ。もっと言えば推進派たちはフルインクルーシブ教育という言葉に酔いしれているだけではないか。

そのため特別支援学級などを残したまま「フル」という矛盾について〝美辞麗句〟を重ねるものだ。

はっきり言えば、推進派の視線は子どものほうを向いていない。

フルインクルーシブ教育を進める素敵な自分たち――。要は大人を満足させるための取り組みだとすれば現場の教員、児童は災難だ。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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