1921年刊の『小豆郡誌』によれば、「豊島村大字家浦東濱」という古村があった。大正4年(1915年)末の時点で32戸、128人。1921年3月刊の『香川県社会事業概要』によれば、家浦の「浜堀」が24戸、91人である。小豆島の西に浮かぶ豊島は土庄町に属し、家浦にはその玄関口の1つである港がある。
1953年の『香川県文化財調査報告』によれば、墓穴を掘るのが「家浦の掘の連中」の仕事だったという。

現地に「堀切」という小字があるので、ここではないかと思った。最初は、何もないのではと思っていたのだが、現地には非常に特徴的な太陽熱温水器があるニコイチ群が見える。これはもう確定だろう。


『香川県社会事業概要』の「部落調書表」には、「豊島村 大字家浦字浜堀」が24戸、91人とある。この表は渡部徹・秋定嘉和編『部落問題・水平運動資料集成 補巻二』(三一書房、1978年)にも記載されている。

香川県特有のソーラーニコイチ。これは昭和50年代の形式だろう。この辺りは田畑だったところで、新しく用地を確保して作られた。

なぜ香川のニコイチはこうも画一的なのかと言うと、土庄町のような市町村がニコイチを建てる時に県が図面をチェックして了承が得られないと予算が下りなかったそうである。おそらくは最初の事例があって、同和対策の住宅とはこういうものだというのがガチガチに決まってしまったものと思われる。


香川県の同和行政について、関係者と話すと、同和行政はどこでもこんなものではないかとよく言われる。しかし、むしろ香川県は他の地域と比べると非常に独特なので、誤解しないようにして頂きたいものである。とは言っても、他の地域の同和地区を巡ることはそうそうないことで、比較する機会もないので無理からぬことだが。

この建物はゼンリン住宅地図では「公民館」となっているが、正しくは「土庄町家浦集会所」である。


土庄町の集会所の設置及び管理に関する条例には、大部、小海、渕崎と並んで「土庄町家浦集会所」が豊島家浦953番地の施設として載っており、まさにこの施設の住所である。設置管理条例に同和だの人権だのといったことは書かれていないものの、所在地はことごとく古村である。

2017年9月の町議会では、人権教育費の「教育集会所維持管理費」として家浦集会所の白蟻駆除の予算が説明されている。すると位置づけは教育集会所であろう。

1953年に香川県教育委員会が出した『香川県文化財調査報告 第2』には、民俗学者の武田明が家浦で採集した「小豆郡豊島家の浦の民俗聞書」が載っている。葬式の作法を記した中に、「墓穴を掘るのは家浦の掘の連中の仕事だと言う」という一文がある。

同じ報告によると、家浦の墓は埋め墓と寺の境内の石碑を分ける両墓制だったが、調査のときにちょうど火葬へ切り替わり、埋め墓を廃して寺の境内に共同墓地を作る移転の最中だった。武田は、土葬のときに墓穴を掘っていた「掘の人々」が、火葬の専任管理人になるのだろうと見通しを書いている。

後で知ったのだが、埋め墓の跡地があるという。事前に知っていればその場所を聞いたのにと後悔した。


さきほどのニコイチは新しく作られたもので、本来の古村の中心はこの「いちご家」の裏手の方にある。


このオリーブ畑がある通りである。「堀」「浜本」という名字が多い。



