部落探訪(13)滋賀県長浜市桜町(前編)

三品純 By 三品純

滋賀県・旧東浅井ひがしあざい虎姫町とらひめちょうにある大規模な改良住宅群は、同和事業の顕著な例である。

2011年1月に改良住宅の1つで起こったガス爆発事故をきっかけに、住民による家賃の滞納、また貸しなど不正行為が明るみになった。弊舎は「同和と在日④」で虎姫改良住宅についてのレポート記事を発表したが、その後、改善されたのか。虎姫の今に迫った。

虎姫 (24)

滋賀県JR米原駅から北陸本線で福井県敦賀方面に向かう。ちょうど長浜駅をすぎた辺りで、車窓には青い屋根を持つ二戸一にこいち(独立した2つの家屋が1つに結合している住宅)が見えてくる。あるいは自動車の場合、国道8号線の姉川あねがわを過ぎたあたりでもこの二戸一住宅群が視界に広がってくる。

これぞ旧虎姫町改良住宅である。「2ちゃんねる」の人権問題板等では、“タイガープリンセス”または略してタイプリと呼ばれた。虎姫町は2010年に長浜市に編入され、現在は長浜市改良住宅に改称された。しかし、今でも「虎姫」といえばこの改良住宅群の代名詞なのだ。

「改良住宅」という言葉を初めて聞いた人のために、少し説明しておこう。

戦前の不良住宅地区改良法(1927年)、同法を継いだ住宅地区改良法(1960年)を根拠法とする住宅地区改良事業では、不良住宅の密集地域いわゆるスラム街が整備された。この時、建設されたのが改良住宅だ。一般的な公営住宅よりも安価で貸与され、また改良前の住宅に対する代替として提供されるため、地元の住民の入居が優先され、ほとんど持ち家に近い感覚で使用されることもある。

また住宅地区改良事業の適用要件を緩和した小集落地区等改良事業で建設された住居も改良住宅である。いずれも同和事業のイメージが強いが、それ以外の住民を対象にした場合もある。一概に改良住宅=同和事業とはならないが、決して大きな間違いでもない。ただ確実に言えるのは、同和対策事業下で建設された改良住宅が圧倒的に多いということだ。

旧虎姫町改良住宅の場合、どうかと言えば1975年、住宅地区改良事業によって建設された。もし部落問題の専門家、部落マニアを自称しながらこの名を知らぬというならば“モグリ”としか言いようがない。かつて旧ソ連の宇宙飛行士、ユーリイ・ガガーリンが「地球は青かった」と言ったように、グーグルマップの衛星写真にはしっかりこの「青い屋根」の住宅群が映っていた。無数に連なる住宅群はまさに“青い山脈”。この屋根の青さも、地球の青さに多少なりとも貢献しているのだろう。

元助役の解放同盟員がまた貸しの張本人

ここ旧虎姫町改良住宅の不正が注目されたのは、2011年のこと。住民の家賃滞納、改良住宅の権利の不正転売、住民による住宅のまた貸しが露見した。特に、前述のガス爆発事故の現場となった住宅が、解放同盟員でなおかつ虎姫町役場元助役によってまた貸しされていたことは大きな問題となった。

また貸しが起きた理由についてはいくつかパターンがあり、複雑である。ただ単にモラルハザードという以上に、二戸一という建築様式の特殊性が作用してくるからだ。まず本来、二戸一とは、一戸に一世帯が住むもの。ただし家族が増加したことに伴い、もう一戸を使用する場合も出てくる。しかしいずれ子供も成人すると他地域に転居してしまう。するとその余った一戸をまた貸しする事態が生じるわけだ。余談だが、このように一つの世帯が二戸一の両方を使う場合、結合部分の壁を勝手にぶち抜き改造してしまうケースもある。これが違法かと言えば極めてグレーゾーンなのだ。行政にとっては市営住宅という認識、逆に住民にとっては持ち家という認識、このギャップがゆえに起きる現象だろう。

話を戻そう。住民が他地域に持ち家を持ったため、そのまま改良住宅も所有していたパターンも確認できた。あとは住居用と個人商店用で二戸一住宅を使用するパターンもあった。個人商店を廃業した結果、一戸が余るためそれを貸し出そうというわけだ。虎姫住宅が整備された当時、個人事業の開業資金も町から貸し出されており、自営業を営む住民もいた。その際、住居用と個人商店用で二戸一を併用していたわけだ。

住宅の家賃は、年代、住民の所得状況で異なるが当時、本誌が確認したところでは、月額3千~5千円という価格帯が多かった。これを3万8千円から4万5千円で貸すわけだから相当な利ザヤになることは言うまでもない。ひょっとしたら「それだけの家賃が払えるならば、もっと他にいいアパートがあるはずだ。なぜ改良住宅に?」と疑問を持った人もいるだろう。この周辺は、大手メーカーの工場があり、一時的にこの地域に住む派遣社員や期間労働者も少なくない。その時、保証金、保証人など面倒な手続きをするよりも、虎姫住宅で家主と契約書を交わした方が楽だった、と。そんな事情もあったようだ。こうした滞納、転売、また貸しを総計すると総額数十億円にのぼるという試算もあったほどである。これも人権派が言うところの”弱者の権利”なのだろうか。

虎姫のシンボルエリア「大字五」の歴史

さて久々に虎姫へやってきた。この地方は稲作が盛んだ。ここで穫れる米は、江州米と呼ばれ関西地方の穀倉地帯となっている。今の時期は、青田がとても美しい。一方の青い屋根の住宅群も健在だ。虎姫の象徴とも言える旧虎姫町(現在の長浜市桜町さくらちょう)の風景も変わらない。

県内で発刊された郷土誌『滋賀の部落』によれば、この地域は、江戸時代まで無名の「皮田村」であり、明治の世になって解放令が出された後は「作立さくだて村」と名乗り、1874年に県令によって「小桜こざくら村」と名付けられた。

1891年9月20日の『日出ひので新聞』(現在の京都新聞の前身)には「江州の悪村」として虎姫村大字小桜の名前が紹介されたように、非常に荒んだ村だった。1932年に400名の農民が衝突した「犬上川の水喧嘩」では滋賀県当局の命令で部落の住民が喧嘩に駆りだされたと伝わっている。

1909年8月14日の姉川地震では大きな被害を受け、1951年にも大火に見舞われている。昭和初期の記録では、戸数307,人口1297、職業は日雇いと藁細工等だ。厳しい歴史を歩んできた村にとって、改良事業はまさに念願だったに違いない。

1940年に虎姫村が虎姫町になったことから2年後、小桜村から五と改称された。だから現在の地名「桜町」というのは、旧名にちなんでいる。長浜市虎姫コミュニティセンターには、入り口付近に「同和教育の深まりから、人権教育への広がりをめざして―大字五の略年譜―」と大きな年表が展示されている。大字五が虎姫のシンボルとして扱われている証左だろう。

実はモダン建築物! 時代とともに変わった二戸一

それにしても圧倒的な二戸一の住宅群だ。おそらく多くの人は、二戸一に対して貧乏臭い、古臭い、というイメージを抱くかもしれない。または、江戸時代の「長屋」を連想する人もいるはずだ。以前、滋賀県内で解放同盟の集会に参加した時に差別発言の実例として「部落民は二戸一に住んでいる」といったものが紹介されていた。どうも二戸一はあまり良いイメージがないらしい。また読者から「同和地区を隠せと言うが、二戸一住宅を集中させてしまったら(同和地区と)分かってしまうのではないか」と質問されたことがあった。これも一理ある。ただこうした現象は、二戸一に対する概念が変貌したことを意味している。

と言うのは、もともと二戸一とは「モダン建築物」なのだ。二戸一は江戸時代の長屋というよりもヨーロッパの「セミデタッチド・ハウス」(二軒長屋)などを模したという説もある。建築資材は、規格が同じだからコスト削減にもなるし、土地を有効に使えるというメリットもあった。同和事業のように地域一括で開発する場合に最適と言える。二戸一はある意味、近代合理主義の産物と言ってもいい。虎姫住宅も今でこそ老朽化が進み古ぼけて見える。しかし完成当時の1975年を想像してもらいたい。かなり現代的な住宅地だったはずだ。同和地区というよりも一種の新興住宅地、あるいはニュータウンといったイメージに近かっただろう。それに画一的な住宅群は、今でこそ非個性・無機質に見えるが、昔はむしろ現代的な機能美の世界だった。

思い出してほしい。高度成長期から全国でニュータウンの開発が進められたが、それらはとてもお洒落なものに見えなかったか? おそらく中高年、高齢者ならばこの感覚を理解してもらえると思う。しかしそんなニュータウンも老朽化、住民の高齢化が進み廃れ社会問題になっている。改良住宅の二戸一群から伝わる荒涼感は、単に「同和事業」という事情だけでもない。一般地区、同和地区に限らず新しく開発された町がいつか必ず直面する宿命なのだ。

おそらく虎姫住宅が完成された当時、規則正しく整備された二戸一住宅群を目の当たりにし住民たちは高揚したに違いない。とは言え悲しいことに41年が経って部落マニアのネタにされるとは想像しなかっただろう。思うに同和事業とは暴れる子供を”なだめる”だけの”あめ玉”にすぎなかったのではないか。とにかく長期的な視点というものが決定的に欠けている。虎姫改良住宅は、それを如実に物語っている気がしてならない。あめ玉はいつかは溶けるものである。
(後編に続く)

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部落探訪(13)滋賀県長浜市桜町(前編)」への3件のフィードバック

  1. 猫男爵

    鳥取ループさんのレポートを読んで、いつも思いますが、部落民(解放同盟員なら)何でも有なのかという事
    です。
    町の助役でさえこうなんだ。改良住宅なんて必要だったのでしょうか?

    返信
  2. 斉藤ママ(部落在住なのに減免なし)

    伯父伯母から聞いたのですが、戦前は住宅と食料の無償配給を、いろんな所でやっていたみたいです。
    炭鉱会社は家族全員分の食料を出していたそうです。
    もしかして炭鉱労働者も?(だから半島人が大勢やってきたのですね。)

    昭和の時代は民間企業に社宅があり、私は格安で入っていました。
    旅行や飲み会等親睦の費用も会社が出していました。
    ほか弁であれば、毎日の夕食も格安で提供されていました。
    中小企業でこういう感じです。大手企業の独身寮は食事がタダでしょう。

    こういうのがない人達のために、二戸一があったのかもしれません。
    職業差別じゃないでしょう。

    返信
  3. 四葉

    8月8日未明、台風5号襲来で姉川が氾濫しました。調べてみると、現場は長浜市大井町、桜町の隣です。1993年姉川にかかる新大井橋が竣工した際、溢水地点となった堤防の切り通しの廃止が検討されたが、一部住民の要望で廃止されないまま、氾濫を招いてしまったようです。行政が一部住民の意向を過剰に忖度し、もしくは粘り強い説得を怠って、防災よりも優先させてしまったようなことはなかったのか、疑念をもちました。示現舎様のご見解などおありでしたら、お聞かせいただけるとありがたく存じます。

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