学術・研究:部落探訪(159) 和歌山市園部“西山”

アバター By 鳥取ループ

和歌山市園部と言えば、30代後半以上の人は、毒カレー事件を思い浮かべるのではないだろうか。しかし、ここに部落があったことはあまり知られていない。また、魅力ある観光スポットも有る。園部の部落を探索しつつ、園部の別の魅力を探っていきたい。

ここがカレー事件の現場となった空き地の跡地。現在は家が建てられて空き地は小さくなってきている。

そして、ここがカレー事件の犯人とされ死刑判決を受けた林真須美死刑囚の家があった場所。現在この空き地は自治会の所有となっている。

1934年の記録では和歌山市園部に「西山」という7戸の部落があったとされる。農業や日稼ぎが主で生活程度は下だった。その場所は分からないが、少なくとも林真須美死刑囚の自宅周辺は戦後の新興住宅地であり、明らかに異なる。無論、林真須美が園部西山の部落民であることはあり得ず、カレー事件があった自治会も該当しないことが分かっている。

古くからの園部の集落は、カレー事件の現場から北に1kmほどの場所にある。その中心にあるのが一楽寺。宗派は「西山せいざん浄土宗」である。

宗派に西山とつくことから、部落と関係があるかのように思われるかもしれないが、その可能性は低い。まず、関西の部落はほとんど浄土真宗である。例外的に園部の部落は西山浄土宗であったとしても、この一楽寺は7戸だけの檀家で維持されているようには見えない。

とりあえず、この地の観光スポットに行ってみた。一楽寺の北北西にある鳴滝不動尊である。

臨済宗圓明寺の境内にあり、不動明王が祀られているのだが、鳥居があって狛犬があり手洗い場がある。神仏習合の名残だろうか。

ここが圓明寺。 その近くに気になる場所がある。

住宅地図を見ると、この辺りに「滝本」という家が8~9軒ある。戦後間もない頃の航空写真でも7軒前後の家が村から少し離れたところにある。

部落の戸数に一致するが、実際に来てみると、とても生活程度が「下」であったようには見えない。どう見ても昔ながらの地主の家である。住民に聞いてみると、実際にその通りで、昔から小作人ではなく土地を持っていたという。なお、その名字から想像できる通り鳴滝不動尊と縁があり、全て圓明寺の檀家、つまり臨済宗である。

すると、ここが部落である可能性は消えた。「西山」という地名や、浄土真宗の村がないか聞いてみても、全く手がかりはなかった。

圓明寺の東に地蔵寺という、これもまた西山浄土宗の寺がある。

寺とは言っても大きなお堂があるわけではなく、文字どおり地蔵が祀られているだけだ。

ただ、気になるのは「しないさせない身元調査 守ろう人権」というステッカー。事情を聞いてみようと思ったが、残念ながら寺には誰もいなかった。

寺の裏手には古墳がある。

そして、古墳の上は墓地になっている。

ここは長めが良い。

地蔵寺の周辺にも家があるが、戦後間もない頃まではここには田畑しかなかったので、ここが部落である可能性は低い。

再び村の中を歩いていると人に出くわしたので、近くに部落がないか聞いてみた。すると、鳴滝不動尊の奥に、廃集落のようなものがあると教えてくれた。

再び鳴滝不動尊方向に戻る。老人ホームがあるこの辺りは、昭和初期には何軒か家があった。しかし、明治時代の地図では全く家が見られないので、ここが部落であった可能性は低い。

鳴滝不動尊というだけあって、やはり滝がある。

美しい光景だが、水が濁っていたのが残念。

さらに先にある分かれ道を右に進む。

祠のようなものがあり…

石垣と、何か建物があったような形跡がある。

果たしてこれは集落の跡なのだろうか?

調べてみると、1970年代のごく一時期に作業場のような建物があった。残念ながら、ここが部落である可能性は低いと言わざるを得ない。

部落の特定をほぼ諦めかけて帰ったところ、『紀伊続風土記』に西山の部落の手がかりになるような記述があるとの情報を頂いた。

これが園部村について解説した箇所。「村の西に小名西山といふあり(褞の編の部分が火)坊を職とす」「地蔵堂  小名西山にあり」と書かれている。

つまり、西山に火葬や墓守を職とした隠坊と呼ばれる雑種賎民が住んでいたと考えられる。なお、隣の善明寺に「皮田」があったとの記述がある。

そこで、園部の西の端、善明寺との境界近くに行ってみた。過去の地図によれば2000年頃までこの辺りに神社があったようなので、今も残っていないか探してみる。

過去の国土地理院地図では確かにここに神社があったのだが、近所の人に聞いてもそんなものはなかったということだった。

地名の由来ともなった善明寺はこのすぐ近くにある。この寺は間違いなく浄土真宗である。寺の近くで80歳近いと思われる老人に出会ったので、駄目元で地蔵堂を知らないか聞いてみた。

すると、お地蔵さんなら、橋を渡ったところにあると言われた。子供の頃からずっとそこにあるという。

その橋というのが、鳴滝川にかかる聖護院しょうごいん橋。

橋を渡ってあたりを見回しても地蔵はないが、その代わりに小屋が1つ。やや殺風景だが、このような何の変哲もない小屋が実は神社だったというようなことを筆者は経験したことがある。

小屋の中を覗くと、いかにも古そうな地蔵と新しい地蔵、そして地蔵大菩薩という提灯があり、祭壇のようなものがある。間違いなくこれが地蔵堂だと思った。

昔とすっかり風景は変わっているだろうが、この辺りが西山の部落と考えて間違いないだろう。

『紀伊続風土記』は江戸時代に書かれたものだが、都市化した現在でも、当時から受け継がれてきたものがしっかりと残っているのである。道端にある何気ない地蔵、小さな神社、道祖神といったものが、実は貴重な歴史の証言者であることを改めて感じた。

学術・研究:部落探訪(159) 和歌山市園部“西山”」への7件のフィードバック

  1. アバターJY

    素晴らしいです。
    しかし、今がギリギリ、人に訊いて解る時なのかもしれません。
    歴史探求の上で残された時間は少ない、そう感じます。

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      特定しただけで満足です。まだまだ特定できていない少数点在部落が多数あります。

      返信
  2. アバターあたみ(青空文庫耕作員)

    紀伊続風土記は、国立国会図書館デジタルでは、なぜか第1輯(集)だけが著作権未確認で隱されてます。(2~5輯は公開されてるのに)
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9573494
    Googleブックスにはありました。
    https://books.google.co.jp/books?id=fGa6ilzgmq4C&printsec=frontcover&dq=%E7%B4%80%E4%BC%8A%E7%B6%9A%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjugKze54DmAhVUFogKHYUSBT0Q6AEIKTAA#v=onepage&q=%E7%B4%80%E4%BC%8A%E7%B6%9A%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98&f=false

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      詳細な理由は分かりませんが、確かにその通りです。一方で国立国会図書館は因幡誌のように賤民の村の地名が明記されている資料をインターネットに開放しているので、純粋に著作権関係の手続きの問題なのだと思います。
      館内では普通に閲覧、複写できました。

      返信
      1. アバターあたみ

        明治43年7月36(1910) 初版発行の書籍なんですが、上梓されたのが天保10年(1840) で、編集に参加した人たち(奉賛というのか)が記載されてはいるけど、筆頭の(臣)仁井田好古は編集委員の「総裁」で、編纂が和歌山県神職取締所jとなってますね。
        団体名義の著作権なので、著作権法上は公開から保護期間が経過していきますが、現行著作権法の70年どころか、版権法(1893)の対象だとしても終戦前に 版権登録から35年の保護期間を終了しているはずで、なんか怪しいことをやっているんじゃないでしょうか? と邪推したくなるな w

        返信
  3. アバター和泉守

    事件の後、関西ではやっぱり風評が色々ありました
    さて…例えば、私事ですが普段の近所の隣人の噂なんていうのも嘘ばかりで、独身の私も子供が二人いるなんて職場で信じられていました(笑)
    なので事件後関西では、本当に風評がひどかったです 人が面白いと思う嘘は色々と広がるものです 意味不明な根拠のない情報も色々ありました
    示現舎様のこの記事により風評は抑えられると思いますし、私も変な風評を信じていた友人にもこの記事を見てもらいました
    結構納得してくれていました
    それでもこのサイトが差別を誘発するというのは意味が分かりません
    こういった私の書きこみですら批判の対象になる可能性もあるのかと思うと…
    なんだか納得のいかないものがありますが、あえて書きこませていただきました

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo