左翼活動家が招く対立と分団 日本基督教団と沖縄教区の関係は「国と沖縄県」と酷似する!

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By Jun mishina
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辺野古沖転覆事故は平和学習と反基地闘争の暗部だけではなく、日本基督教団の闇も浮き彫りにした。事故後、教団側は転覆事故に関する対策本部を設立したが、具体的な活動は見えない。それに以前は政治問題、歴史認識問題などで強烈な主張をしてきた教団関係者が事故や故・金井創牧師について沈黙している。総括や問題提起などできるはずがないだろう。なぜなら教団にとっても沖縄は同和問題と同等のタブー事項。沖縄問題に疑問を呈することは内紛を起こしかねない。(写真=宜野湾市の沖縄教区)

沖縄教区の特殊事情

「沖縄の平和学習のあり方について再考する」

例えばこのような声明を日本基督教団が発することはあり得るだろうか。まずありえないと断言してもいい。なぜなら沖縄問題は教団の根幹に関わる問題だからだ。

単なる政治課題ではない。基地問題に賛成か反対か、反戦運動に距離を置くか近づくか、といった次元だけでは語り切れない。むしろそれは、教団自身の成り立ち、戦争責任、そして沖縄教区との合同の歴史に深く関わっているからだ。

日本基督教団は1941年、戦時体制下で国内のプロテスタント諸教派が統合されて成立した。この時、沖縄県内の複数の教派・教会も「九州教区沖縄支教区」として組み込まれた。ところが敗戦後の米軍統治によって沖縄教会は教団から切り離されたのだが、沖縄側はこれを〝見捨てた〟と訴えてきたのだ。

1969年、日本基督教団と沖縄キリスト教団は合同する。沖縄キリスト教団は日本基督教団沖縄教区と再編。ここから沖縄問題は、教団にとって外部の社会問題ではなく、教団内部の一教区が抱える問題となった。

金井氏ら左派系の牧師からすれば、日本基督教団は戦争責任を十分に引き受けていない、と糾弾できる。また、そうした主張は、自身の反基地闘争を正当化する追い風にもなる。

日本基督教団と沖縄教区の関係性については『沖縄に立つ合同教会をめざして』が詳しい。

教団に対する戦争責任を問う

金井氏も参加した教団への書簡。

本書では、沖縄の教会は沖縄の歴史と現実の中に置かれた教会だと強調されている。

沖縄は琉球処分、同化政策、沖縄戦、米軍統治、日本復帰後の基地負担という歴史を負っており、その中で沖縄の教会は「沖縄に立つ教会」でなければならない、という主張である。

そして教区の不満としては、日本基督教団が1969年の合同後、沖縄の独自性を尊重しなかったというものだ。沖縄キリスト教団と旧日本基督教団は、互いの違いを認め、共存・協力し合う「合同教会」を望んで合同したはずだったが、合同後の日本基督教団は受け止める努力をしなかったと批判している。

さらに沖縄教区は、合同によって制度上は日本基督教団に吸収され、教会としての主体性・独自性が見失われたと考えている。一方では牧師・信徒は「沖縄の教会である」という自覚を持ちながら、もう一方では「日本基督教団の教会であるべきだ」という複雑な心理があるようだ。

そして沖縄教区は、教団総会で合同関連議案がすべて審議未了廃案になったことを「廃案=無視」と受け止め、日本基督教団との関わりに距離を置くと表明した。

「教団総会議員を沖縄教区から選出しない」「日本基督教団の委員会などに、沖縄教区から委員を推薦・派遣しない」という方針を掲げた非常にエキセントリックな内容だ。

また2010年10月20日付で、日本基督教団沖縄教区の金井氏、平良修氏らが第37回日本基督教団総会の議員に送った「日本基督教団総会議員に宛てた書簡」には「教団に距離を置く」ことを決断した、と述べている。これまでの記事でも紹介したが、平良氏は沖縄教区における平和運動、反基地闘争の中心人物だ。

本書からは沖縄教区の怨嗟が強く伝わるのだが、しかし疑問も残る。

そもそも歴史認識・反国家・反基地の主張が、教会制度論とかなり強く結びつきすぎていること。沖縄教区は、国家から自由な教会、軍事基地を拒否する教会、差別された人々の側に立つ教会という理念を掲げている。

もちろんこうした理念は教団本部とも共有できるし、賛同も得られるだろう。だが、それを日本基督教団との制度的関係や教団総会への参加拒否、委員推薦拒否などに直結させると、対外的には政治的対立と映ってしまう。

かといって沖縄教区は即時離脱や合同解消を主張しているわけでもない。資料では、「沖縄教区は日本基督教団からすぐに合同を解消したり、離脱すべきなのだろうか」と問い、その答えとして「相互批判的な連帯関係」に立つことができるように努力するとした。

興味深いことは「相互批判的な連帯関係」と述べたその直後、「このような思いを抱きつつ、日本基督教団に対し「距離」を置き続ける」とまとめていることだ。

教団側に反発しつつも、実際に離脱するとは言っていないし、また具体案もない。強硬な主張は教団側への圧力とさえ思える。

また一つの教会の伝統や教理を他の構成員に強制してはならず、多様性における一致が必要だと沖縄教区は訴えてきた。 いかにもキリスト教牧師が掲げそうな文言だ。

だが組織である以上、教規・人事・議決・財政・信仰告白など、最低限の共通ルールは必要だ。そこをどこまで共有するのかが曖昧だと、「違いを尊重せよ」と言いながら、実際には沖縄教区だけ特別扱いを求めているように見えてしまうのだ。

そうした主張からは言葉の軽さも感じてしまう。「国家から自由」「沖縄に立つ」「内外に開かれた合同教会」「相互批判的な連帯関係」といった主張に具体性を感じない。具体的な制度設計や責任の所在を伴わない理念語は、政治運動や市民運動のスローガンと同じだ。

いずれにしても沖縄教区は、日本基督教団に対して「沖縄を一教区として管理するな。沖縄戦、米軍基地、戦争責任、国家との関係を自らの問題として引き受け、本当の合同教会になれ」と迫っているかのようだ。

だがその主張は、沖縄の歴史的苦難に根差す一方で、反体制・反基地といった政治思想と強く結びついており、一般社会からは“教会論”というより“運動体の綱領”にも見えかねない。というよりも運動体そのものだ。

内部からも疑問の声が

実はこのような主張について内部からも疑問が投げかけられた。

沖縄教区議長、沖縄キリスト教団兼次教会などを歴任した故・松田定雄牧師の著作『私が見た戦後沖縄の歩み』は『沖縄に立つ合同教会をめざして』の対抗資料といってもいいだろう。同牧師は戦後の沖縄キリスト界を間近で見てきた人物。そして教団紛争の暗部も知る。

松田氏によると1969年、合同式典が行われた後の総会ではヘルメットをかぶった活動家たちが松田氏ら教区の議員を軟禁状態にしたという。合同によって沖縄教区も教団紛争に巻き込まれたのだ。

一方、松田氏は沖縄教区側の「日本基督教団は沖縄の教会を切り捨てた」「1969年合同は実質的に吸収だった」という見方に対し、それは一面的で、戦後沖縄の教会形成には本土側教団・海外教会・沖縄側の双方の事情が複雑に絡んでいたと反論する。

松田氏は「戦後、日本基督教団は沖縄の教会を切り捨てた」とする見方には距離をとる。確かに沖縄側からそう受け止められてきたことは認めつつも、戦前・戦中・戦後の沖縄の教会の歩みを自分が見てきた限り、そのような受け止め方は「適当ではない」と述べたのが印象的だ。

松田氏の回想では、戦後から1950年代、1960年代にかけて、本土側から沖縄への訪問、協力、信仰告白や伝道協力をめぐる関与があったことが説明されていた。もちろんそれが十分だったかは別問題としても、「完全に切り捨てた」「一方的に無視した」とまでは言いにくい。ここは沖縄教区側の叙述が、被害の記憶に寄りすぎている可能性もある。

沖縄キリスト教団の認識が絶対、正しいとは限らない。

非常に気になる証言がこれだ。

当時、本土側から沖縄側に対し、「復帰に先立って、沖縄キリスト教団が日本基督教団と一緒になる気持ちがあるか」が打診された。沖縄側は、合同すれば米国からの援助はどうなるのかと問うた。これに対し本土側は、戦責告白をするなら、米国から金をもらって養われる教会が戦責告白しても意味がない、また戦争で被害を受けた沖縄の教会を放置したまま戦責告白しても意味がない、と答えたという。

むしろこの局面では、教団側の論理の方が明快で筋が通っている。戦争責任を告白する教団が、戦争被害の象徴ともいえる沖縄の教会を外部に置いたままでは、告白そのものが空文化してしまう。

沖縄との合同は、単なる組織上の吸収ではなく、戦責告白を実質化するための教会的責任でもあった。後年の沖縄教区は合同を“吸収”と批判するが、その批判は、当時の教団側が抱いたこの問題意識を十分、検証していない。つまり教団側は「体制」と見立て、「造反有理」とばかりにノーを突きつけているだけにしか見えないのだ。

国と沖縄県の関係に似ている

辺野古漁港のテント村に設置された寄せ書き。

合同をめぐる教団側と沖縄教区の関係だが、何かに似ていないだろうか。

国と沖縄県の関係に酷似しているのだ。国と沖縄県という構図で見た場合、県は「本土は沖縄戦・米軍基地・戦後統治の重みを本当に自分の問題として引き受けていない」という不満を持つ。

沖縄教区と日本基督教団の関係でも、同様で日本基督教団は、沖縄戦、米軍統治、基地負担、戦争責任を自分たちの教会の問題として引き受けていない」という見解が支配的だ。

あるいは本土復帰によって国が沖縄のアイデンティティを奪ったという主張は繰り返し語られてきた。先の『沖縄に立つ合同教会をめざして』でも沖縄の教会が日本基督教団に制度上吸収され、主体性や独自性が見失われた、という趣旨が述べられている。これも瓜二つの主張だ。

一方、特に玉城県政下では政府の方針に対して強い批判を展開してきたが、その一方で沖縄振興交付金という莫大な予算が投じられてきた。沖縄の自立を訴える割に具体的な方策があるわけでもなく、国の交付金に依存している。

合同によって沖縄教区は様々な不満があったとしても、教団から援助を受けたのは事実だ。これもまた国と沖縄県の関係と共通する。

まさに教団と教区の関係は「沖縄問題」の縮図なのだ。全く無関係の県外活動家が沖縄で反基地闘争することと、金井氏や島しづ子氏といった本土出身の牧師が沖縄で政治闘争を繰り広げるという点も同じだ。

平良氏は沖縄キリスト教の独自性や自主性を訴えるが、実際は合同問題を介した「政治闘争化」というのが本音ではないだろうか。

「沖縄教区合同問題特設委員会」で委員長を務めたのは他でもない平良修氏。教団への主張も平良氏の理念が強く反映されたもの。

「初めに合同ありき」…沖縄キリスト教団はこの発想に縛られてしまっていた。そして合同を端的に良いこと、沖縄キリスト教団のためになること、合同を政治的日本復帰の先駆として誇りにしたことにより、日本と沖縄間にある普遍的な問題、つまり同化、系列化による差別の構造に無自覚であった。また、合同が、天皇制国家への再併合の先取りであり、同時に日米軍事体制への組み込みの先取りであるという問題に気付かなかった。これらのことを気付かせる内容を持たなかった「戦責告白」の質も、問われなければならない。

単なる教会の組織論から天皇制、日米同盟にまで展開したのは驚いた。平良氏、また今のキリスト教系活動家らしさを感じるものだ。

かといって教団側はこうした批判にも耳を傾けなければならない。反論すれば「体制への加担」「歴史修正主義」といったレッテル貼りが待つ。

内部がこうした状況にあって反基地、反体制を貫いた金井氏の行動を総括するなどできるはずがない。聖者扱いせざるを得ないだろう。だからといって転覆事故の総括は社会、また少なからず内部からも求められるはずだ。だが反戦、反基地、人権といったエキセントリックな教職者らによる反発も予想できる。

『日本基督教団 実録 教団紛争史』の著者、小林貞夫氏は本書でこう結んだ。

「伝道についても、人権や社会正義の実現が優先されるべきだという悪しき信念も残ってしまっている」

教団の実情を端的に示した一文。その悪しき信念が具現化したのが辺野古転覆事故なのだ。いかに社会が教団に事故検証を求めたところで〝悪しき信念〟という壁が阻むだろう。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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