新・同和と在日文献の旅(3) 「部落旧慣調査 高知県高等警察課」

カテゴリー: 教養, 新・同和と在日文献の旅 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

「部落の地名はそこに本籍や住所を置く人のプライバシー」という論理で『全国部落調査』が出版禁止の仮処分を受けているが、この資料はどうだろう。

示現舎は、高知県内の部落を網羅的に解説した『部落旧慣調査』という冊子を発掘した。内容によれば、大正13年に高知県高等警察課が作成したものである。当然、部落の地名のほか、当時の様子がデータと共に解説されている。部落に関する資料というだけでなく、大正時代の地方の貧困層の様子を記録した、歴史的にも貴重な資料と言える。

作成された時期から推定すると、大正12年の全国水平社結成を受けて、社会運動団体を取り締まる当時の高等警察が、対抗のために作成したのであろう。同様の資料が全国の警察で作られた可能性が高いので、もし現存するものを発見した方は、ぜひ弊舎にご連絡頂きたい。買い取り可能である。

本記事では全てのページを掲載する。

部落ごとの戸数、男女別人口。部落数は72。対して1815年の『憲章簿』は56、1935年の『全国部落調査』は69、1968年の『漁村型同和地区の実態と行政の課題』では85である。おそらく『憲章簿』にあるのが歴史的な穢多村で、後の資料では近世の歴史と無関係な部落があると考える。

各部落の前科者の数を犯罪の種類別にまとめている。窃盗と賭博が多い。前の統計と合わせれば前科者率が分かり、後に出てくる貧困者の統計と合わせると貧困と犯罪の関係も見えてくるだろう。

各部落の生活状況。部落でも貧富の格差が大きかったことが分かる。東洋町の野根東町、室戸市の大谷部落、西灘部落、安田町唐浜薬師、土佐町の駒野が特に貧困者の割合が高い。

主業の統計。全般に農業が多いが、他の産業が多い部落もある。漁業も多く、漁業権を持っていた部落もそれなりにあったことが分かる。前の生活状況と共に全国部落調査と比較すると、全国部落調査の記述の基準が推測できる。

副業の統計。いわゆる部落らしい仕事である、獣肉販売、皮細工業、斃獣解体は副業であって、とても少ないことが分かる。これは近代になってこうなったのではなく近世も同様だったであろう。近世にこれだけの人数が従事するほど動物の解体や皮革の需要があったとは考えにくい。

出稼者調という統計。定住地で行う職業とは別枠になっている。当たり前だが部落にも官公吏、弁護士、薬剤師、新聞記者がいる。それより目を引くのは芸娼妓が多い部落があることだ。

宗教の統計。西日本の部落なので浄土真宗が圧倒的多数。信者がいないのに、わざわざ大本、天理教、金光教の項目があるのは何か意味があるのだろうか。

教育状況の統計。注目すべき数値は不就学児童。教育への取り組みも部落ごとに格差がある。一番下に水平社の加入者があり、この時点では西谷部落の1名で、これは高知県水平社を創立した国沢亀のことであろう。

野根村東浜は退廃的な部落のように描写されている。菜生の始祖は鈴木孫一という名前だったので紀州の雑賀衆との関係が推定される。正路は明治初期に成立した部落だと書かれている。

奈半利町の東浜部落、安田町の薬師部落、香南市の赤岡北町部落の解説。 東浜は起源不詳で少なくとも足利義政の時代よりも古い。 薬師は秀吉の朝鮮出兵の捕虜の子孫が徳川吉宗の時代に移住したと伝わる。 北町は越後田上の山城主、小原式部太輔俊之が上杉謙信に負けて落ち延びたと伝わる。

香南市吉川町吉原、南国市前浜刈谷、香美市土佐山田町旭町の部落の解説。物部町大栃、物部町安丸も出てくるが、この2つは1910年頃に土佐山田町と香南市赤岡から移住者がいたということだ。 刈谷の地名は借家のことであり、穢多ではなく乞食が起源と書かれている。

高知県最大部落、南国市の野中部落の解説。最大部落だけあって、詳細に書かれている。ただ、部落の起源ははっきりしない。戦国時代には存在していたようだ。 明治維新前後に「部落征伐」と称する襲撃があり、解放令後は改善運動に取り組んでいた。

高知市介良、本山町、大豊町粟生の部落の解説。それぞれ起源が違い、介良は他の部落からの移住、粟生は乞食の家族。 興味深いのは本山で関ヶ原の戦い後に警吏、武具製造の役目を与えられ、後に草履竹細工を農家に配布し農作物を得て生活。解放令によりその既得権益を失い没落した。

本山の解説は当時の生活の様子が目に浮かぶようである。 農家に籠や草履等の道具を置いていく人たちがいる。農家にとっては農作物を与えておけば自分たちが道具を作る手間が省けるので農作業に専念できて助かる。でも特別な仕事をしている特別な人達という感覚だったであろう。

大豊町の梶ケ内、庵谷、土佐町駒野、高知市の一宮西町、神田西山、小高坂、河ノ瀬の部落の解説。 梶ケ内、庵谷、駒野は起源不詳。一宮西町、神田西山は穢多だったようだ。小高坂、河ノ瀬は歴史が古く、鎌倉時代には存在し当時移住した浪人の子孫が長宗我部元親の時代から長吏を勤めたとある。

朝倉3部落と長浜、梛ノ木、石丸部落の解説。朝倉の部落は全て北芝が起源で、北芝は山内公の時代に既に存在し、山内公がさらに京都方面から賤民を連れてきたとある。長浜は鎌倉時代には存在。梛ノ木は鎌倉末期に越知町片岡部落から移住したとあるが越知町に部落は確認できない。

土佐市太郎丸、日高村西越、西田の解説。 太郎丸にある西平神社は粛慎の神。いずれの村も江戸時代初期に賤民が移住してきたことが始まりとされ、当初は斃牛馬の処理や皮細工をやっていたが、後に男子が竹細工を主業とし、女子は草履を作るようになった。

土佐市井関、佐川町永野の解説。 井関の広楽寺は非人法師の子孫亀井知教が創立。 永野の西願寺は部落の始祖尾崎助兵衛直重の後裔が住職をしていた。 穢寺の住職は賤民かという論争があるが、当地では賤民だったようだ。永野は穢多廃止反対者が襲撃を試みたが襲撃者は惨殺された。

旧須崎町、梼原町神の山、梼原町川口、中土佐町猿毛の部落の解説。 旧須崎町の部落は刈谷だが後に琴平となった。他は起源不詳。梼原町の部落はいずれも山奥にあり、川口の部落は宗隆という名前だが正確な場所が分からない。猿毛は旧久礼町の中心部から久礼川を隔てた谷地にある。

四万十町見付、興津小室、道徳・平野・黒岩、四万十市右山、黒潮町佐賀横部落の解説。 この中で注目すべきは小室だ。解放令後も荒れていたので周辺村民が穢多征伐と称し物産不買運動をして反省を促したとある。部落民から畏敬されていた部落始祖の3屋敷が現存するなら見たい。

万行、東谷、大岐、竜串(当麻)、加久見、広瀬、大正北ノ川の解説。 東谷も長宗我部元親に敗れた落ち武者。 注目すべきは北ノ川。関東からの落ち武者で全国部落調査に記載はないが現地にニコイチがある。部落に伝わる名刀「七腰」を見たい。

梼原町田野々、四万十町大井川、野々川、小野、四万十市西土佐用井、三原村柚ノ木部落の解説。 大井川は複数部落があり、起源が2つに分かれる。一方はおそらく粛慎、もう一方は落人である。落人部落は大変な奥地にあるが、そんな奥地にまでニコイチらしきものが見える。

四万十町久保川、四万十市西土佐橘、土佐清水市浦尻、大月村弘見・頭集、宿毛市山奈町山田、平田町戸内・黒川、和田、大月町周防形岩井崎の解説。 猪害で撤退したと思しき幻の部落がある。山奈町山田は高知最古の部落で、欽明天皇の時代が始まりというので、古墳時代から存在したことになる。

大正時代の高知県の部落で使われていた言葉。おそらく、高知以外の方言由来の言葉が混ざっているので、日本語学の知見がある人が見れば、高知の部落民がどこからやってきたか推定できるかも知れない。

部落の日常生活における習俗をまとめたもの。偏見も入っているが、大正時代の地方の貧困層の習俗を記録したものとして貴重である。 逆に、当時そのような習俗が尊ばれていたのかも垣間見える。

宗教上の旧慣。高知の部落はほとんど浄土真宗本願寺派だったので、当時の浄土真宗檀徒の様子が分かる。 信心深く本願寺の多額の寄付をするので余計に貧困に陥っていると批判されている。 おそらく、たまたま見た印象的な事柄をまとめただけなので偏見が多いと思われるが貴重な記録である。

家族、職業上の旧慣。野中部落では長子は結婚すると別居する習慣があった。逆に末っ子が実家に居続ける。しかし家名は長子が相続する。 部落に限らず、集落単位のローカルルールは全国各地にあるだろう。 職業についてはほぼ予想通りの内容だ。

結婚上の旧慣。同一部落内の結婚が8割。近親結婚のためか部落内に白痴聾唖者不具低能者が多い等と書かれている。女性を誘拐する略奪婚の習慣があったとも。 一方で京阪神方面に出て一般民と結婚する人は出自を隠すので、それは統計不能と書かれている。

衛生上における旧慣と現状。 赤岡町北町等の密集した貧困者が多い部落のことだと思うが、非常に衛生状態が悪かったことが分かる。 トラホームという眼病が蔓延していた。一部部落民が異臭を放っており、病気を避けるために一般民から避けられていたことが想像できる。

大正時代の地方の貧困層がどのような服装をしていたか分かる資料で。年中、裏返しの単衣と細帯で過ごし、ハレの日だけ表地を出す。暑い日は半裸。さらに貧乏な人は細帯すらなく、縄のようなものをしめていた。 昭和の頃の漫画に出てくる極貧者の描写に近い。

教育事情について。想像を絶する実態があったようだ。 子供を学校に行かせないというのは想像通りだが、明治半ばくらいまで部落ぐるみで子供を学校に行かせない方法を講じていた、教師が子供に罰を加えたら一族で学校に押しかけて教師を暴行したとも。

出産育児等の旧慣。衛生知識の乏しさ、迷信により母親にとっては過酷な状況だったようだ。出産前後に激務に従事することは当たり前、出産前も男子と情交すべきという迷信があったという。遺伝性の梅毒というのは、梅毒の母子感染のことであろう。一方、堕胎や子殺しは少なかったとされる。

大正時代の部落の娯楽。流行り廃りはありますが、今で言うところのラップのようなものや、歌と踊りがメインであった。あとは博打と茶碗酒。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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新・同和と在日文献の旅(3) 「部落旧慣調査 高知県高等警察課」」への6件のフィードバック

  1. はくばぱぱ

    文藝春秋11月号 部落解放同盟の研究 この記事、解同の批判かと思ったら 宮部氏を狂人扱いしただけでした
     
    文藝春秋 こんな記事載せるようじゃ程度低すぎ。

    返信
    1. 萩原 篤志

       文藝春秋の本音は逆でしょう。まずはわざと宮部さんを悪く言うことで解同を怒らせない芝居をした。いつもの芝居だ。本音は解同をなんとかしたい。政府マスコミ警察の本音を私は知っている。

      返信
  2. 匿名

    むしろ(莚、筵)の記述はありますか。針のムシロの筵です。貧困のシンボルみたいなニュアンスで教師から聞きました。「ムシロが有名な地域ってのは・・・」と。そこはただの川沿いの新興住宅地でした。

    >教師が子供に罰を加えたら一族で学校に押しかけて教師を暴行したとも。

    平均レベルの衛生観念、学習能力を満たさないことを理由にしつけでの体罰はあったでしょうね。戦前生まれの教師はそんな感じでした。

    これを見てモンスターペアレントを思い出したんです。教師側の言い分ならモンペ、苦情を言う側にも言い分があるだろうけどむかしなら体罰の応酬で特別暴行大作戦だったんですね。

    大正の頃だと、小作農も貧しく不作なら人身売買もあった。間引きもありました。お米の量から母乳が出なくなるのがわかるからだそうです。
    衛生面も風呂に毎日入る風習はありません。

    みんな貧しく汚かったはずで割り引いて考えたいですがそこまで大正時代を理解できません。

    「くさい」というのは食生活で変わります。
    空港の臭いが各国で違うらしいです。韓国だとキムチくさい、日本だと醬油くさい。
    部落も肉食や皮革産業で衣類や体臭のにおいが違ったでしょう。犬みたいですが、においからの本能的な差別もあります。今は肉食大好きな日本人ですけど老人はとんこつや焼肉の臭いを嫌がります。

    上級国民である特高警察とその地域の部落民でにおいの感じ方はちがったかもしれない。気づかない側は差別と思うでしょうね。

    返信
  3. COCO

    貴重な資料ですね。劣化は避けられませんので、
    デジタル化して残して欲しいです。

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      単にそうとも言い切れないところがあります。
      単なる貧困地区もありますが、貧困でない賤民居住地域と思われる場所もあります

      返信

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