曲輪クエスト(397) 京田辺市 三山木

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By 宮部 龍彦

今回も出典として『京都府未解放地区の生活実態 : 調査報告』を示す。かつては、綴喜郡三山木村。次の通り戸数と人口が変遷している。

年代戸数人口
大正10年(1921年)70423
昭和10年(1935年)120720
昭和15年(1940年)125606
昭和25年(1950年)164764

昭和25年の主要職業内訳は次の通り。ここも最多は農業である。

職業人数
農業74
工業8
商業15
運輸業7
自由業
公務員3
その他57

現地で車を停めようとしたら、親切な方が適当な場所を教えてくださり「ここなら何時間停めといてもええから」ということであった。いくら京都とは言え、後で駐禁ステッカーが貼られて、「え、あんなの本気にしはったん」とか言われることはあるまい。

三山木という地名の由来は、南村・本村・崎村、高村の合併により成立したことに由来し、合併前の村名のある3つの山と木を組み合わせたものだという。

本シリーズを見てきた方なら分かるであろう。三山木全体が部落ではない。

この「京田辺市立南山こどもセンター」という同和施設の名前から分かる通り、部落は合併前の村の中でも、南山にあった。

そして、クエストしている地域の電柱には「ミナミヤマ」と書かれている。まさしくここが、南山なのである。

南山全体が部落だと断じるのも短絡的な考えである。例えば、この南山西区公民館からは、同和施設のオーラを感じない。

さきほどの公民館の隣りにある光照寺は浄土宗である。京都の古村の寺なら、浄土真宗であるはずだ。

京都部落史年表 近代篇 3』には、「三山木南山東」「三山木南山東区」といった記述が見える。古村があるのは、地名で言うなら三山木南山ではなく、三山木谷垣内である。

こちらには、浄土真宗の光西寺がある。立派な寺だ。

古村の歴史は京都の中でも最も古いという。『京都府未解放地区の生活実態 : 調査報告』によれば、「継体朝に帰化した塗利呂王が中心となつて集つた」と伝える。塗利呂王が何なのかは分からないが、継体天皇の時代ということは6世紀のことか。

そのような歴史ある村に、現在では三山木福祉会館のような同和施設が建っている。

そして、同和事業が行われた時代には部落解放同盟田辺町三山木支部が活動していた。

しかし、1980年代に同志社大学京田辺キャンパスが建設される際の解放同盟、特に中川多平支部長と上田克己書記長の行動には目に余るものがあったようで、『部落』1987年12月号によれば、キャンパスの工事への参入を要求し、開学後も職員の採用や学食の運営、物品の購入を同和地区から行うように、しつこく要求していたという。

三山木駅から同志社大学へと向かう道路は解放同盟が要求した同和事業で拡幅したもので、そのことを引き合いに出して、法外な要求をしていたということである。

解放同盟にタカられた同志社は、中川と上田が経営する企業を工事に参入させただけでなく、同志社は解放同盟関係者から必要もない土地を合わせて10億円程度も買わされたという。

現在は、寺や同和施設のすぐ近くでも、集合住宅が出来たり、移住者による新しい家が出来たりしているような状況である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(397) 京田辺市 三山木」への2件のフィードバック

  1. .

    解放同盟の北口末広が近畿大学教授に就任したのも、近畿大学へのユスリタカリ行為ですか? 確か地名総鑑を買ってましたよね、近畿大学は。

    慶應義塾大学も解放同盟の吉田勉を特別招聘講師に雇わされ、解放同盟きもいりの人権講座を設置させられました。解放同盟がそれだけで満足するとは考えにくいので、他にも裏取引があったのかもしれません。
    #7e630f37aade1e32e31be04c542c38e2

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      北口末広は在日コリアン人権協会からそのように言われておりましたね

      返信