津市・前葉泰幸市長は10日、ゴミ箱、掲示板設置補助金の詐欺容疑で相生町自治会、田邊会長を刑事告訴(5日付)したと発表した。相生町自治会をめぐっては昨年、数々の問題が発覚したが真相究明は進展せず。後手に回った市役所や警察の対応に不満を募らす市関係者、市民の声が少なからず弊社にも寄せられた。自治体、そして警察すら二の足を踏む。その理由は「同和絡み」という以外ありえない。相生町自治会長問題事態の出発点、「S氏市製糾弾会」はいわゆる“同和タブー ”を背景としたものだった。市役所、議会、マスコミも「同和行政」について言及しないが、この検証をなくして「反省」も「信頼回復」もありえない。
「内容は不確か」で糾弾されても
前回からの続き。再度、関係資料を掲載しておく。
すでにこの資料についてはご存知の方も多いだろう。この後に「聴取記録」という2枚の文書がある。PDFで閲覧したい方はこちら。周知の協力 こちらも参考に。
例の教育長室の糾弾会の会話を拾ってみる。
同和とかどうのこういう言うたなお前
お?
部落とか言わへんたか?
それは言うてないですよ(S氏)
S氏は「同和」「部落」とは発していないと否定する。発言の有無をS氏に確認してみたがやはり否定した。とりあえず同和部分については後述するとして、生徒への暴言は記録が正確か否かはともかく実際に近い事態があったとは想像できる。
特に「教員が首にかけていたタオルを取ったら、「首にタオルをかけるな」など大きな声で叫んできた」という部分。こうした言動は日常的に起きていたと想像できる。S氏の言動については
「職員がスマートフォンを充電していたら役所の電源を使うなと言われた」
「作業服を脱いでTシャツ姿だった時に、役所でTシャツになるなと言われた」
田邊会長に対して反感を抱く市職員からもこうした証言を取ることができた。だからS氏が支庁内において“ 面倒な人”であったのはまず間違いない。
そして後半部の「S氏の言動について」という部分に着目してみよう。この部分が問題の「同和発言」である。学校関係者への聞き取りは妙に詳細で、発言内容が明確。ところが
「同和」「同和」という発言をしており
敬和教育推進会議の関係者の方が通りかかり、すれ違いざまに、わざと聞こえるように「同和のもんが・・・(語尾は覚えていない)」という言い方をされた。
関係者の方も「何言うとんのや・・・何が同和や・・・(内容は不確か)」と言い返され
発言内容がはっきりしておらず、ご丁寧に「語尾は覚えていない」「内容は不確か」とある。同和地区を多く含む敬和地域を冠した敬和教育推進会議という団体があるぐらいだから、「同和」と発言する機会もあるかもしれない。また「同和」という発言自体が「差別」と考えたのか。問題視するならば正確に発言を指摘するべきだが雑である。
そのあたりが「同和とかどうのこういう言うたなお前」という罵倒につながっていくのだろう。
敬和地区教育推進会議とは何か
ところでこの敬和教育推進会議とは一体、どんな組織なのか。「教育」を冠する以上、当然学校が絡んでくるだろう。ともかくこの文書からは「敬和教育推進会議」の何某かとS氏がトラブルになったことだけは分かる。市教育委員会によれば市が関与する団体ではなく地域独自の団体ということだ。運営に関する補助金などの実績は確認できなかったが、正式名称は「敬和地区教育推進会議」ということだけは判明した。
津広報の説明には「人権尊重に対する意識向上」とある。通常、行政用語における「人権」とは「同和」を指す。「人権上の配慮」とは主に「同和問題への配慮」と考えてさしつかえない。つまり敬和地区教育推進会議とは「同和教育」を前提とした組織であることは確かだ。
地元関係者の話。
「ご存知の通り、同和対策特別措置法が施行され部落解放同盟や旧全解連(人権連=共産党系)の対立が鮮明になりました。そうした対立構造は津市も無関係ではありません。敬和地区内でも部落解放同盟、全解連の対立が懸念されました。そこで地域に団体間の対立は持ち込ませない、子供だけではなく地域全体で人権問題に取り組むことを目的に1973年に敬和地区教育推進会議が設立されました」
そして代表になったのが大井町自治会長、吉田貞美氏である。この名前見覚えがないか。教育長室で田邊会長と同席した人物だ。相生町住民に同文書を見せたところ
「あの吉田さんがこんなことに関わっていたとは思えません。うちらには面倒見のいい“吉田のおっちゃん ”ですからね。そんな人があの音声に関わったとは驚きですが、利用されたのではないでしょうか」
と驚いていた。実はこの吉田会長にも接触を試みようと思ったがすでに他界。御夫人ともに地域に尽くした好人物だったと住民たちは声を揃える。そして文書にある「敬和教育推進会議の関係者」とはすなわち吉田貞美氏本人だろう。それから「敬和地区教育推進会議」については若干、指摘すべきことがある。
もともと相生町自治会長問題の取材を開始した際に、解放同盟など団体の関与を勘繰ったが田邊会長と運動体の関係を示す痕跡はなかった。また電話帳上には団体の連絡先こそは残っているが、活動は休眠状態。
おそらく敬和地区教育推進会議の存在によって個別の運動体が機能しなくなったと考えられる。吉田氏は高圧な態度で行政と交渉する人物ではなかったという。敬和地区教育推進会議によって津市敬和地区は解放同盟―全解連の陰惨な対立から免れたとの評価も聞いた。
しかし、特定個人の影響力が増大する危険性は避けられない。非運動体の部落住民で「地元同和のドン」と呼ばれるパターンはよくある。これは関電問題で注目された福井県高浜町元助役・森山栄治(故人)などがいい例だ。森山氏は元部落解放同盟支部長で役職を離れた後も、独自に同和行政、人権啓発に関与した。
田邊会長が発言権を高めたのもこうした地域事情があったに違いない。
一つの推測だが、S氏排除を狙った市関係者と田邊会長が吉田氏とのやり取りの中の「同和」発言を知りえ“切り取り ”して糾弾材料にしたのではないか。
「市役所が勝手にやる」という構造
実際にS氏が「同和」を侮蔑する発言をしたのか、それとも切り取りかもはや過去の話の上、水掛け論になるだけだ。仮に発言をしたとしても複数の職員で包囲し暴力団まがいの脅し文句で一市民を恫喝するなど言語道断だ。
実は本件の取材において解放同盟関係者から情報提供を頂いている。そんな人々ですら、S氏の件は「利用しただけ」「バカバカしい」「何が差別だ」と疑問を持っていた。
ただこうした証言をもって「同和発言がなかった」と結論付けることはできない。
そこで一部議員、職員から信頼を集めるが、反田邊派住民からは「田邊派」と揶揄された人物に接触することができた。この人物もまた敬和地区住民である。あの小梅の飲み会リストの一番最初に名前が掲載されていた教育委員の中村光一氏だ。中村氏は市消防長などを経て現在は津市社会福祉協議会会長職にある。職員によっては「田邊さんが頭が上がらない数少ない職員」との評もあった。
なぜ住民たちは中村氏を「田邊派」と考えたかと言えば、他界された御舎弟が田邊会長と同級生だったためだ。
中村氏は「確かに彼とは面識があります。私に頭が上がらない? そうではありません。彼は意外と目上の人間には礼儀正しいのです」と語る。中村氏からは「環境パトロール事業」などについての事業開始前後の状況をお聞きしたが、とりあえず本稿ではS氏糾弾にクローズアップし証言を紹介する。
「Sさんのことは知っていましたが、あの糾弾の件はそちらの記事や音声で知ったぐらいです。確かにあのやり方はおかしいと思いますよ。ただ私も敬和地区に住んでいますからSさんから『だから同和のモンは』という言い方をされたことはあります。だから大井自治会長にも似たような発言はあったのではないでしょうか」
結局、あの糾弾以降、田邊会長‐津市役所の関係が深まっていくわけだが、中村氏はある発言がとても印象的だったという。
「田邊君がある時に“ あれらは(市職員)はありがたいもんや。こっちが頼んでもないことを勝手にやってくれる”と笑っていました」
これには愕然とした。田邊会長を知る人物たちがほぼ同様の証言をしたからだ。いわゆる忖度というものである。確かに補助金が伴う事業を一介の自治会長が把握し利用するというのは考えにくい。もちろん市職員の助言、代行があったのは間違いない。この点は百条委員会で解明されていくだろう。
この点については『三重タイムス』(2月12日)のインタビューで本人が堂々と語っている。
行政暴力の指摘に、「土下座も丸刈りも職員も職員に強要したことは全くない。市役所の職員が忖度(そんたく)して勝手にやったことや」と釈明。
確かに市役所の忖度があったのは言うまでもない。ではなぜ市職員たちは忖度したのだろう。こうした現象は多かれ少なかれどの自治体でも起こりえる。特に「同和行政」においてその傾向は強い。それは「同和は怖い」「人権上の配慮」という心理的効果に尽きる。それが最大に発揮されたのがS氏糾弾。そしてその後の効果はすでにご存じの通り。
奇妙なことに自治体職員が職務熱心、誠実さを表す時に「同和問題」「人権問題」というのは最良の近道である。声の大きな運動家の言説をそのまま受け入れればトラブルは回避できる。予算執行と言っても己の懐を痛めるわけでもないし、議会のチェックもこの分野に対して異常に甘い。LGBTが注目されると全国の自治体が競うように条例、各施策を打ち出したのは最たるものだ。それは「差別者」「差別行政」というレッテル貼りに対する恐怖の表れ、悲しき命乞いである。
加えて津市の場合、特徴的なのがあまりに人間関係が「密」なのも見逃せない。本件に関わった関係者が学校の先輩後輩、あるいは何らかの接点でつながりがある。そうした地域関係の論理をそのまま市政に持ち込んでいた。田邊会長の親密女性でフードバンク三重の理事長氏も津市中央市民館の臨時職員という過去。その親族も元市職員。相生町自治会会計担当は田邊会長と遠縁でこれもまた元市職員だった。
この数か月間、津市行政を観察し痛切に感じたのは「私」と「市」の混在である。これがより人口が少ない「町村」ならばまだ分からぬでもないが、県庁所在地の自治体でこのような実態は驚く他ない。こうした町の構造に同和という要素が加わり相生町自治会長問題の闇を深めた。
残念なことに市長、議会も百条委も「同和」の二文字を発していないし、自治会長問題の温床になった同和行政を指摘していない。現状の対応を見る限り「歴史はくり返す」という言葉がよぎる。
市役所の職員は敬和地区にごまんといます。あるいは出身者が。
今は表向き廃止されたそうですが、かつては職員採用に際して「同和枠」がありましたからね。
私も同地区のものですが、今回に似た問題は、相生町の前自治会長(おそらくM氏)時代からよく耳にしておりました。因習なんですね。昔からなんでしょう。
三重タイムズの記事は読みました。まったく反論になってませんでしたね。
昨日、百条委員会が開催されて、新たな疑惑が追及されました。
この百条委員会は、公明党議員の調査が際立っております。(私は公明党支持者ではありません)
そして百条委員会の委員は19名おられますが、発言者は殆ど固定されており、発言しない委員の奮起を望みます。
自治会長と関わりの議員も数人いますが、来年の市議会議員の選挙には立候補すべきでないと思います。
市長、市幹部の第三者のような姿勢が気になります。
責任をどの程度感じているのでしょうか。
示現舎に感謝、津市市議会に期待です。