【津市相生町自治会長問題】S氏市製糾弾会を徹底検証(前編)

カテゴリー: 津市相生町自治会長事件 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

今月19日から始まった津市相生町自治会長問題に関する百条委員会(特定の自治会と行政の不適切な執行疑惑に係る調査に関する特別委員会)。来月5日の議題には本件の象徴というべき環境パトロール事業、ゴミ箱設置事業といった重要案件が控える。しかしさすがの百条委員会も「同和絡み」になると追及が鈍るというもの。「同和」を盾にしかも全くの部外者を教育長室に入れ一市民を吊るした「S氏糾弾会」を有耶無耶にしてはいけない。当事者のS氏直撃を含め、田邊会長増長のきっかけになった市製糾弾会を追跡調査する。

糾弾文書は市役所が代書したのでは?

「全国の同和を連れてくるぞ!」暴力団まがいの口調で市民を恫喝する。しかも津市教育長室の中で大勢の職員が取り囲み…。当サイトが相生町自治会長問題を報じて以来、人権派を自負するアンチという人々から「地方の町の些細なトラブル」「大騒ぎしすぎだ」と言っていた。しかしこの異様さを認識できない、矮小化しようとするところに「人権派」の何たるやが垣間見える。

自治会長問題の発端となった教育長室の一件については田邊一派の「恫喝音声」現場は“市製糾弾会 ”だったをご覧頂きたい。関係資料には再度、掲載する。

あの場では一体、何が協議されていたのだろう。「協議内容」の項目には「ア 市立西橋内中学校生徒の市施設利用時における暴言について」とある。上記文書は市内部からの情報提供だが、改めて弊社が協議記録を開示請求。すると大井自治会長とS氏の氏名が黒塗りにされた記録文書が公開された。この記録自体はもう公開済みだから特に有力な情報はない。

しかし「津市役所職員への周知の協力について(依頼)」「聴取内容」については初見であり、またS氏糾弾の実態が透けて見えた。

議会でも回覧したため当時、議長だった田矢市議の印もあるのが興味深い。あるいは田矢市議がいたから議会でも回覧したという見方もできるが、さておき。同依頼文は「深冷の候、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます」との時候の挨拶文で始まる。通常、Wordで文書を作成した場合、「あいさつ文の挿入」を選択すると定型文の候補が出てくる。

田邊会長がパソコンを開けワープロソフトで文書作成。

失礼ながらその想像図で苦笑してしまった。同氏の経歴を考えるにそんなスキルがあるとは思えない。子息は教員だ。代書という可能性もある。しかしそこは我々も数々の行政取材をしてきた経験がある。こればかりは感覚的なものでしかないが、文書全体から公務員特有の雰囲気やテンプレートを感じてしまう。つまり市役所職員の何某かによる作成と推測している。

西橋内中生徒への暴言とは何だったのか

一方、協議内容についてだが、「協議記録」にはこのように箇条書きされている。

ア 市立西橋内中学校生徒の市施設利用時における暴言について
イ 大井町自治会長への人権に関わる差別発言について
ウ 市役所職員への業務妨害について

S氏は西橋内中学校生徒に対して暴言をしたのだろうか。「差別発言」ではなくて「暴言」というわけだ。

平成25年10月頃午後4時前後 ※生徒からの聞き取りによる 。

リージョンプラザお城ホール前ソファで本校1年生2名がゲームをしていたところ、■氏がカウンターで「最近の子どもはマナーがなっとらん。あやまりもせんし…」と話しているのが聞こえてきた。

生徒達は、自分たちのことではないと思っていたが、やがて■さんが自分たちの方へ来て、 「ここは営業妨害や。よそへ行け。」ときつく言われた。 生徒達は怖くなり、ゲームを止めて勉強に切り替えた。勉強なら怒られないと思ったかららしい。教育委員会から連絡を受け、学年の生徒指導の教諭が現場に向かった。

本校生徒2名はそこにいたが、■氏は見えなかった。教諭は生徒に対し、自宅で学習するよう促し、帰宅させる。

*■氏はS氏のこと。

平成26年10月23日 (木) ※教員からの聞き取りによる

合唱委員は15 20にホールへ集合予定であったため、 15:00すぎには何人かが

ホール内に到着していた。ホール内のホワイエでは、パネル展示の準備をしていたので、合唱委員はホール外へ出るように教諭が指示をした。教諭はホール外にある丸いテーブルのところにあるいすに生徒達(5人から6人) と共に座り、午前中の合唱のリハーサルの様子や文化祭に向けての話などをしていた。

生徒達は明日の文化祭に向けて盛り上がって話をしていた。 一緒に話を続けていたら、カウンターから■氏が怒っている様子で教育委員会事務局職員と歩いてきた。■氏から「どこの学校や」、 「われ、おまえ、教師か、このざまはなにや」と大きな声で言われたので、-教諭は学校名と教師であることを伝えた。

教諭が首にかけていたタオルを取ったら「首にタオルかけるな」など、大きな声で叫んできた。■氏は生徒達には、直接何も言ってはいない。生徒達は、 様子を見ていた。その間、教諭ば「すみません」、 「申し訳ありません」と伝えた。

■氏が「校長を呼べ」と言われたので、教諭は教育委員会事務局職員と一緒に校長先生をホール内に探しに行った。その間に生徒達は、ホール内に入ってきていた。教諭がホールの外にいる生徒を確認するためドアを開けた際、カウンターに座りながらこちらを向いていた■氏に「すみませんでした」と声をかける。

教育委員会事務局職員が教諭に対し、 「こちらで対応する」と言われたので、教諭は生徒達の方に戻り、 リハーサルを行った。その後、教育委員会事務局職員が校長に連絡を取り、校長が喫茶店のところべ駆け付けた。

■氏から校長に対し、 「公共の施設でのマナーのこと」や、 「名札を付けてい漆かつたので、最初は保護者かと思ったら教師であったこと」などについて、意見があった。■氏からマナーについては、 「しっかり指導して欲しい。俺も卒業生だから」との訴えがあった。学校の代表として校長が謝罪し、以後マナーについて指導する旨を話した。

“同和要素 ”が出てくるのはこの次。

■氏の言動について ※市職員からの聞き取りによる

平成22年度から平成25年度までの4年間、何度か、 「同和」 「同和」という発言をしており、そのたびにその発言は、おかしいということを言っていた。なかなか、その発言を撤回するには至らなかった。

あるとき(H23かH24)、市役所7階の通路を、■氏と何かの話をしながら、西から東に向かっているときに、敬和教育推進会議の関係者の方が通りかかり、すれ違いざまに、わざと聞こえるように「同和のもんが. (語尾は覚えていない)」という言い方をされた。関係者の方も「何言うとんのや. . 、何が同和や・ ・ ・ (内容は不確か)」と言い返され、二人が、お互いににらみ合ってくってかかろうとするような場面があった。

その時、当時の教育委員会事務局の課長とともに、殴り合いになりそうなところを止めた(ような)記憶がある。関係者の方もその場で突然そんな言葉を浴びせられ、憤慨されたが、さすがにそれ以上にもめることはなく、その後日氏が落ち着いたときに、その発言はいけないというような内容を話した。しかし、■氏は簡単に聞き入れようとする様子はなかった。

西橋内中学校に確認したが予想通り、平成26年当時を知る教職員はいなかった。しかしこれは市役所に呼び出すほどの暴言なのか判断が難しい。字面だけからは確かに“町の厄介者 ”という気もする。しかし聞き取り調査が必要なほどか? というのも著者が小中学校ぐらいの時代は地域の「怖いオジサン」は結構いたものだ。

しかし声をかけたら不審者扱いされる昨今、「怖いオジサン」も要注意人物なのだろう。この辺りはジェネレーションギャップなのか、それともS氏の態度が想像以上に激しかったのか。

また幾度も「同和」と発していたというが、どういったニュアンスだったのかこれでは分からない。しかも「語尾は覚えていない」「内容は不確か」といったもので曖昧だ。これで全国の同和に吊し上げを食ってはたまらない。

糾弾会の筋書きは市民部人権課か!?

糾弾の記録文書が掘り起こされたことでS氏の証言が重要になった。そこで市内のS氏宅を訪ね取材を試みた。

S氏の生業は通称“ なんでも屋”と呼ばれるものだ。清掃、植木の手入れ、修繕、諸々のサービスを行う。中学生に対して「営業妨害」と言ったのはリージョンプラザの仕事を受けていたのだろう。

ご家族に用件を伝えると意外にもあっさり呼び出してくれた。

「もともとインターネットやYoutubeはやらないけど、おたくの記事は見ましたよ。警察にも聞かれたしね。だけどもう関わりたくないから放っておいてほしいな」

S氏については正直、あまりいい評判は聞かない。しかしどうあれ本件では被害者だ。だからなんとか当時のことを語ってもらいたい。

「クレーマーと書かれていたけどそんなことしてへんで。確かにうちの子は障害があったけど送迎なんてさせてないし。どういった活動をしていた? 例えば外国人の入管(入国管理)の問題を取り組んだり、役所にお願いに行ったりしてな」

同和に関する発言については

「(差別や中傷の意味で)同和と言ったことはないよ。そりゃ同和事業や同和行政をしているところには同和地区とか、同和というやない? 昔はうちにも“ 俺らは同和のもんや”といってヤクザまがいのが来たからね。自分らでも同和と言うてるから。今でもそうやない? 逆差別的な意味で使われることもあるやんか」

関わりたくないとS氏は言うがなんだかんだで話をしてくれた。「自分はもう話すことはないけども、おたくらがやっていることはまあ分かりますよ。そちらはそちらで頑張って…ただ俺は今でも市役所行けるよ。出入り禁止なんかやないに」

こう言い残しご家族と外出された。そもそもS氏は津市民だ。だから当然、市役所を利用することはあるだろう。また意見すること自体は市民の自由だ。それを市側が制限するのも考えにくい。

しかも全市職員に通達し、徹底されるなど土台無理な話だ。実際に関係部署も同文書の存在を知らない、と説明していた。実際に内々の文書、もっと言えば田邊会長&一部職員とS氏との「覚書」「念書」といったものだろう。

さらに深層に迫るべく当時、教育長室にいた元教育委員会職員への接触を試みた。現状、話を聞けたのは元教育次長、川合陽一郎氏。現在、津市人権・同和教育研究協議会会長の職にある。突然の質問だったが川合氏は丁寧に応じてくれたのが幸いだ。

「全く隠し立てをするつもりはありませんが、古い話ですし私も掲載されていた協議記録で誰がいたのか知ったぐらいなんです。次長だったのはあの一年だけで3月には退職して公立学校に戻っています。だから教育委員会以外の職員を全く知りませんでした。当時の状況で覚えているのは突然、「教育長室に来なさい」と言われて行ってみるとあのような現場というわけです。今、思えば本当にいかがなものか? というやり取りですが、私は驚くばかりで下を向いて困惑していました。お話できるのは本当にこれぐらいです」

ただS氏と面識について川合氏は「奥様のことでカウンター(市役所の)にご相談に来られたことがあったのでお話をさせてもらったことはあります」という。

当初、「教育長室」に何らかの意味があると考えていたが、単に介入の発端が西橋内中学ということだろう。大勢の職員を呼びつけたのも“ 田邊は怖い、配慮すべき”ということを田邊会長本人と取り巻き職員が庁内に示したのではないか。言わば示威行為というわけだ。でもなければ本件と無関係の職員を呼びつける必要がない。

そして過去の取材を含めて糾弾会の筋書きをしたのは

「市民部人権課」

という推測をしている。なぜ人権課なのか。

まずS氏自身は否定するが、同氏の市役所内部での言動について複数の証言を得ている。口裏を合わせているとは思えない。

「ショートソックスを履いていたら公務員らしい靴下にしろ、と(S氏に)言われた」(市職員)

こんな調子である。そして人権課との関わりは特に密接だったと思われる。

S氏は障害を持つ子息がいたこと、それと先に得た証言の「奥様のことで相談」だが、S氏の妻は外国籍である。S氏が「入国管理問題で取り組んだ」と言っていたがおそらく親族のことも含めてであろう。日常的に「人権課」と接触する機会は多かったに違いない。そして何より「同和」が絡む。

次回は本件の核心部分である「同和発言」について検証する。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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【津市相生町自治会長問題】S氏市製糾弾会を徹底検証(前編)」への2件のフィードバック

  1. 壁の耳

    なかなか踏み込んだ取材ですね。がんばってください。
    先日の資源ごみの日、朝、例によって「環境パトロールカー」が走ってましたが、その朝はなぜか、段ボールを車にすべて回収して走り去っていきました。そして、次の集積所でたまったようでした。
    あれは何だったんでしょう?
    今度は回収して売りさばく気なんですかね。業務上横領でしょう。

    返信
    1. 三品純 投稿作成者

      ありがとうございます。
      パート2もありますのでよろしくお願いします。

      返信