現地ルポ 〝プロ同和〟村﨑太郎が語らざる共産党・人権連の不都合な関係(同和と在日2011 1)

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By 宮部 龍彦
三品純(取材・文) 月刊同和と在日2011年1月号

 バブル景気にわく八〇年代後半、バラエティー番組などに若い猿回し芸人が登場した。彼に操られる猿は机に手をついて「反省!」というポーズを披露した。いかにも人間臭い動作で芸人も猿も瞬く間に人気者になっていた。あれから数十年、彼は「同和地区の出身者」であることをカミングアウトした。もちろん「弱者」「差別」などの言葉を好むメディアが放っておくはずもない。TV、新聞、雑誌で彼を取り上げた。そして今では猿回し芸だけでなく、各地で「人権問題」の講演や執筆を続けている。「猿回し芸人・村﨑太郎」その人である。
 村﨑は一九六一年、山口県光市浅江(あさえ)に生まれる。後に詳しく説明するが自身が語るとおりこの地は同和地区だった。村﨑の父、義正(よしまさ)(故人)もこの地で生まれ、やがて解放運動に身を投じた。一九七〇年には日本共産党の市議にもなりインフラ整備や生活改善に尽力した。
 村﨑はカミングアウトについて妻との共著『橋はかかる』の中で「二年前に被差別部落出身であることをカミングアウトして以降、私は小さなカミングアウトを囁(ささや)かれる」としている。二年前とは、二〇〇八年一二月二八日の『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)に出演したときのこと。村﨑にとってはこれが〝カミングアウト元年〟ということになるようだ。
 確かにTVメディアという反響を鑑みれば、出版物とまた別の意味があるかもしれない。ただ作家、立花隆の『青春漂流』(一九八五年)の中ですでに村﨑が被差別部落出身であることを話している。解放運動家、父、義正氏は『怒りの砂 高州(たかす)解放運動の歩み』(一九七六年)の中でも太郎についてその思いを綴(つづ)っている。本書の奥付には発行所名に「山口県部落解放連合会」「光市協議会」の名がクレジットされるように、一般向けの書物ではなく、関係諸団体に配布する非売品だ。
 もともと本書の読者は限定的の上、今やほぼ入手困難。だから露出という意味ではTVや大手出版社の書籍とは比べ物にならないが、ただ彼の出自を知ることは本書で可能だ。
 彼は、月九ドラマを手がけるなど著名なテレビプロデューサーの栗原美和子と二〇〇七年夏に、再婚。彼女もまた在日韓国人と日本人の恋愛をテーマにした『東京湾景』(二〇〇四年)を担当するなど、人権や社会弱者といった題材を好む。
 栗原との再婚後はメディアでの活動も活発になっていく。それは本業の猿回しよりも、自身の生い立ちや同和問題をテーマにしたものが目立つ。栗原自身も二〇〇八年に、私小説『太郎が恋をする頃までには・・・』(幻冬舎)を出版するなど、夫を通じて同和問題に取り組むようになった。時には夫婦でメディアに登場することもある。
『女性自身』の「シリーズ人間」(No・1982)で、村﨑は妻と一緒にインタビューを受けた。普段は芸能スキャンダル、料理、韓流ドラマ、こんな俗っぽい内容が並ぶ女性週刊誌の中で同和問題を扱うというのも珍しい。これも猿回し芸人と月九ドラマのプロデューサーという肩書きがあってのことだろう。
 村﨑はインタビューの中でこう少年時代をふりかえっている。
「家はトタン屋根の掘建(ほった)て小屋。雨が降れば泥だらけになる砂利道に囲まれていた。事故で死んだ犬を拾ってさばき、干して保存食にするような貧しい生活。外の大人たちからは「部落の子やから普通やない」と言われ、友達からも「親に、村﨑の家に遊びにいってはいかん、と言われた」と囁(ささや)かれた。
 解放同盟系の機関紙や刊行物でもよく見られるエピソードである。さて冒頭、彼の父親について日本共産党の名が出たところに、違和感を持つ人もいるかもしれない。村﨑自身の「同和問題」における主張やスタンスは、父が所属した共産党、人権連とは異なり、部落解放同盟のそれとほぼ同質のものである。
現在、村﨑自身はむしろ解放同盟と蜜月の関係だ。
「シリーズ人間」のインタビューでは、最後に組坂(くみさか)繁之(しげゆき)部落解放同盟中央執行委員長も登場し、村﨑夫婦に賛辞の言葉を述べている。
「お二人は、部落の者と部落外の者との結婚の、希望の光です」とある。大手メディアが「同和問題」を扱うときのある意味、定型句やパターンを踏襲しながら構成された内容だった。だがどうも村﨑の言説には何かと疑問を感じる。彼は少年時代についての貧困を語っている。
 これもどうだろうか。実はもともと村﨑の出身地が判明したのはもう一つの理由があった。埼玉県に「黒須(くろす)建設」という会社がある。このHP上で、村﨑の同級生を名乗る役員がこんな自己紹介文を掲載した。すると一気にネット上で拡散されることになる。それがこの一文だ。

山口県光市浅江の出身です。保育園から中学校まで、
周防(すおう)
猿回しの会で活躍中の村﨑太郎君と同級生でした。彼は中学生の時、走るのが速くて目立っていました。三年生の時、市内一周駅伝に同じチームで参加し7区間ほとんどで区間賞の完全優勝でした。

最近新聞で、若くて綺麗でスリムな人と再婚した記事が載っていました。大変
羨(うらや)
ましく思います。うちの奥様は少し太めです。

 この言だけを見れば、村﨑が訴えるほどの窮状(きゅうじょう)はさほど感じない。また村﨑はインタービューで「親に、村﨑の家に遊びにいってはいかん、と言われた」という。そうだろうか。『怒りの砂』で義正氏はあとがきでこうしめくくっている。

 つい最近のことだが、玄関のブザーが鳴るので出てみたら、女子高生たちが五人立っていた。「知雄(ともお)さん居ますか」と聞くので、「居ますよ」と答えて応接間に通した。知雄が出てゆき、一緒に三時間ばかり、雑談したり、レコードを聞いたりしていたらしいが、翌日、太郎が「知雄兄ちゃんのところへ昨日女の子が五人で押掛けて来た」と私に報告した。「知っているよ」と答えると「すごいね」と云う。青年達の、伸々とした生活や活動をみていて、日本共産党の宮本委員長が先般光市に帰郷されて、「時は無駄に流れていない」と、しみじみ云われたが、私も、つくづく、そう思う。

 知雄とは三男だ。ここで描写されている村﨑家と太郎が講演会で話す家庭の様子とイメージ異なる。

これがほとんどノンフィクション!?

 一方、栗原はインタビューで『太郎が恋をする頃までには・・・』についてこう語る。

壮絶な半生を過ごしてきた男と、それを伴侶として受け止めようとする女の心の叫びが綴られている。美和子さんは「内容はほとんどノンフィクションです」と言い切る

 なるほど〝ノンフィクション〟か。本作は説明の必要もないだろうが、典型的な被差別部落像で構成されている。話は太郎をモチーフにしたハジメという青年が東京進出は故郷を隠すものだったと告白することから始まる。差別から逃れたくて故郷を捨てた、と。それで結婚差別である。結婚相手が被差別部落出身ということを理由に親族がつきあいを断ってくる、とまあ見事なばかりの前近代的な「部落像」が描かれている。
 そしてハジメは「俺のはじめての恋は成就(じょうじゅ)しなかった。成就できる世の中になっていなかった」と叫ぶ。
 彼女によればこれも「ほとんどノンフィクション」ということだ。どの程度の取材をしたのだろう。
 彼の叔父、村﨑勝利(かつとし)全国人権連副議長は『いのち輝け:解放運動に生きる』(兵庫部落問題研究所)の中で一族の結婚問題についてこう書いている。

 いい機会なので、この親族の部落内外の自由な結婚について、あれこれ考えてみた。まず、私の兄弟の関係で、長男が一九三〇年(昭和五)年生まれで六十五歳、末弟が四十三歳という年代である(中略)ところでこの兄弟の結婚のうち、部落内結婚が四組で、当然ながらここには部落差別の問題はない。紹介したいのは、部落内外結婚が五組で、部落出身を理由に反対されたのは私のときだけだ、ということである。一方、まだ差別が厳しいといわれたこの時期に、長男は見合い結婚をしている。私のとき以外はすべての兄弟が両親族の祝福のもとに結婚している。

 また私の子供三人も含め、甥と姪たち二十五人のうち、すでに十五人が結婚したが、そのすべてが部落内外の結婚である。このうち「部落」が問題となってクレームのついた組もあるようだが、結婚する当事者や周囲の説得で納得し、それぞれが家族、親戚の祝福のもとに新しい生活を開始し、親戚つき合いも深め合っている。

 まるで島崎藤村の『破戒』のような世界観を持つ「太郎が恋をする頃までには」とは随分、異なる状況が説明されている。
 勝利氏は「ともかく、部落問題で最も解決のむつかしい課題といわれた、部落内外の自由な結婚は、私の親族の状況から見ても、ほぼ解決した問題といえないだろうか」と締めている。
 ところが村﨑夫婦は「結婚差別は存在する」という。だが勝利氏が説明した通り、少なくとも村﨑一族内ではその問題は解決しているようだ。ただこうした実態はこの夫婦から語られることはない。ひたすら「差別残酷物語」の語り部のようにメディアで部落差別を訴える。それも一つの方程式のような体裁の記事によって、だ。
 

テレビドラマプロデューサーで、被差別部落出身の男性との結婚を公表している栗原美和子さんが十二月十一日、「差別のない社会をめざして-橋はかかる」と題して富岡市七日市の市生涯学習センターで講演する(中略)二人の親は一時、結婚に反対した。村﨑さんは被差別部落の出身を公表後、仕事が減ったが、ハンセン病の回復者や被爆者など弱者に芸を披露する日々を送っている

(『東京新聞』二〇一〇年一一月二九日)

猿回し師として、名前が知られるようになった自分が告白することで、問題が解決に向かうことを期待したのだ。

 しかし期待に反して、メディアに取り上げられることはほとんどなく、イベントなどの仕事も減り、 「まだタブーなのだ」と思い知らされた

(『読売新聞』二〇一〇年九月二七日)

 両氏の新聞記事のインタビューを抜粋した。記事は「被差別部落出身の男性との結婚を公表している」との記述もあるが、結婚し、公表することが「立派なこと」だとは思えない。なぜなら勝利氏が語っているようにそのようなカップルはいくらでもいるわけで、今さらそれを勲章のように振りかざすことに何の意味があるのだろか。
 また「被差別部落の出身を公表後、仕事が減った」「イベントなどの仕事も減り」という同意義の記述もある。そうだろうか。こうしてインタビューで取り上げてもらい、ドラマも小説も自叙伝も出した。無論、それは「被差別部落出身」という肩書きがあってのことだろう。仮に村﨑が地区外出身者だったらば、こうしたメディアのアクションはあったとは思えない。
 現に九月の読売の記事は村﨑の講演会の告知も掲載されていた。講演会は仕事ではないのか。

村﨑節炸裂! 松本人志は九九ができない

 そしてひたすら「差別」を訴える。二〇一〇年一二月四日、横浜市が主催した横浜市人権講演会
「村﨑太郎トークライブ&猿まわし」での話。この日も〝村﨑節〟は健在だった。
 一五分程度の猿まわしの後、講演が始まった。参加者によると「プロの芸人だから岡村みたいに欝(うつ)になって休んでいる間もない。あれは絶対に欝だ」こんな調子で始まったトークは「中学校の時、勉強は全然していなかった。その頃の先生はお前はどんなに頑張っても、いい学校へ行っても入れて市役所かな、あとは教師か、と言った。九九もできなかった。松本人志も九九ができないらしい。松本もそのへんで生まれている。やめよう。また問題発言だ」と続いたという。
 そして「〝みなさんが知らないだけで、今でも部落問題で若い人達が何人も自殺しています〟と訴えました」(参加者)。もっともこの手の話は、村﨑の講演会や著書を見れば別段、珍しい話でもないが、一連の発言の根拠を問うた。
 すると専属の弁護士の名前で膨大な回答文が送られてきた。(全回答文は後に掲載)
自殺の問題について回答文を抜粋する。

 村﨑はここ二年の間、日本各地のマイノリティの方々を訪ね、交流を持っております。多くの若者たちとも懇親会を重ねてきました。その中で得た情報を基にしたものが上述の発言であり、学者が統計で出したものではなく、村﨑が自分の目と耳で直接得た情報のため、この点のデータ、統計が村﨑の手元にあるわけではありません。村﨑は自分の足を使って色々なところを旅して訪れています。被差別部落だけではなく、ハンセン病の元患者さんが暮らす療養所や被爆者の方や限界集落のお年寄り等々、直接触れ合わなければ知りえないことを、村﨑は当人たちから得ています。村﨑がカミングアウトという行動に出たのはそれが目的です

 この点も疑問だ。なぜならば自身の経験則だけを自殺の根拠にするならば、いくらでも言いようがある。しかも彼のように「被差別部落出身者」が語れば、少なくとも一般人は反論さえできないのがこの種の言説の特徴だ。しかも弱者救済にカミングアウトが必要だったという。逆に言えば、カミングアウトしなければそうした行動はできないだろうか。世の中、被差別部落出身者でなくても。彼のいうところの療養所や被爆者の方や限界集落に触れ合う人はいるだろう。
 彼はカミングアウトしてから、仕事は減ったとも言った。横浜市市民局人権課によるとこの講演会のギャランティーはシステムブレーンという仲介業者に七〇万円支払ったという。うちどれだけ村﨑の手元に渡ったのか、分からないが「業者を介したとしても七〇万円はかなり高額な部類」(横浜市関係者)という。ではもしカミングアウトせずごく普通の猿回し芸人だったらこの謝礼は発生したものか。というよりもそもそも横浜市〝人権講演会〟に招かれることはあったのかどうか。

著書ではふれられない共産党一家

 とにかく彼の主張が「部落解放同盟」の主張に近いことが分かってもらえただろうか。もちろん解放同盟の主催する講演会にも招かれている。

前述した糾弾闘争問題だ。これはまだ今後も続けられてゆくのか…部落問題をタブーではなくしていくためには、そのことから目を背けることはできない。そこで私は、部落解放同盟に確認する必要を感じた(中略)正直なところ、全解連(人権連)とは支持する政党の違いや運動方法における考え方の違いが理由で、友好関係にあるとは言えないが、私には関係のないことだ。それに解放同盟は、カミングアウト以降の私をたびたび大会の講師に呼んで下さっているから、敷居は高くない

(『橋はかかる』より)

 村﨑は解放同盟と人権連の対立について「関係ないこと」としている。ところがこれが無関係でもない。前述した通り、彼の父親は共産党の市議で全解連の中央委員を務めた。村﨑自身も自著では義正氏が全解連であったことは書いているが、共産党の市議だったとは書いていない。少なくとも既存の刊行物でそのことについて言及したものは見つからなかった。面白いことに村﨑にとって「被差別部落出身」よりも「共産党一家」であることの方がよほどタブーなのだろうか。さらに気になるのが「太郎さんの母親は人権連山口県連の執行委員です。地元では太郎氏をよく思っていない人も多い」(事情通)という証言を得たことだ。母親は人権連、息子は部落解放同盟のシンパということになる。このため「一族も村﨑の発言や出版物にも怒っているし、地元関係者の反発は強い」(前同)という話も伝わってきた。地元では村﨑はどう思われているのだろう。またなぜ村﨑は被差別部落出身であることは全面に出しても、父が共産党の市議であることは触れたがらないのだろう。こんな思いから光市を訪ね、村﨑家と共産党の関係を取材してみた。

村﨑家のふるさとを訪ねて

この地域の名所、虹ケ浜海岸。夏には多くの観光客が訪れる。海沿いには工場群も立ち並びいかにも瀬戸内の海という風情だ。

あさえふれあいセンターかつての隣保館。今は「あさえふれあいセンター」に改称。全く同和色は感じない。スポーツや生涯学習を中心に利用されている。

 山口県光市。同和問題よりもここは「光市母子殺人事件」のイメージの方が強いだろう。光市に到着し、駅から徒歩二〇分ほどの浅江地区にむかい、村﨑家を訪問したが、留守だった。近くの三男宅の玄関には大きな猿がいた。ごく普通の街角で猿がいる光景も珍しい。まじまじと見ると猿の表情も怒ったようで興奮している。確かにこれから村﨑家に尋ねることが、非常にきわどい内容だけに招かざる客であることは確かだ。
 ということで先に周辺や関係者を取材することにした。武田薬品、新日鉄光といった大企業の工場の他、海沿いにはいくつかの工場群が並ぶ。観光はと言えば虹(にじ)ヶ浜(はま)海水浴場くらいなものだろう。村﨑の住む、浅江とはあしの生い茂った沼の入江湾を形作ったことから浅い江、「浅江」となったらしい。その言葉通り、浅江からは海はとても近い。とぼとぼ歩くと島田川にぶつかった。
 島田(しまた)川は義正氏や村﨑の著書にも出てくる。義正氏の祖父、梅二郎がここでズガニというカニを採りに行っていた。梅二郎が手をガニに挟まれ溺(おぼ)れかけた。すると近所の子供たちが「なんじゃエタの梅か」とあざ笑った。村﨑一家の刊行物がよく持ち出す差別のエピソードである。
 取材前に浅江について知る人から、「あの地域は七〇年代まで塩水しか出ないひどい土地だった」と聞かされていた。義正氏にとって上下水道施設の整備は悲願でもあり、その運動は上下水道に費やされたといっても過言ではない。地域住民によると「義正さんが上下水道の獲得運動のために使った費用は、生涯で得た議員報酬の総額を上回ったかもしれない」というほどだ。なるほど確かにこう海が近くては塩水しか出ないのだろうと思ったが、周辺のご老人によれば「そんな馬鹿なことはない。そりゃウチらのジイサンの頃の話だ」と一蹴(しゅう)された。やはりこの手の「悲惨話」はある意味、伝言ゲームのように伝わることもあるものだ。
 義正氏の祖父に当たる梅二郎は資産家だったという。ずいぶん気性が激しい人らしく、義正はこの祖父に肥溜めに突っ込まれたことがあったそうだ。資産家になったのも義正曰く「あくどい儲け」らしい。当時、結核の療養所(現在の光市民病院)だったため、患者が死亡してもその遺体の引き取り手がなかった。遺族からは棺(ひつぎ)に着物や指輪を入れてやってください、こんな依頼があったそうだ。だが梅二郎はこの着物や指輪を〝失敬〟して、古物商に売り払った。遺体の処置から火葬までも請け負ったため、その代金も入ってくる。
 ところが昭和二二年、梅二郎は河豚の食中毒で死亡。ここから村﨑家の家系が傾いていく。太郎はしばし幼い頃は、貧しかったというがもとをただせば地元では資産家である。少なくとも部落=貧困とは限らない。
 一方、義正氏も随分な武勇伝の持ち主だ。昭和三〇年代から水道設置闘争、それから地元の保守系住民で結成された全日本同和会との闘争、コワモテな人である。後に全解連に参加するわけだが、その活動スタイルはむしろ我々が解放同盟に抱くものに近い。「あいつら(人権連)もたいがいのことやっとるやないか」と関西地方の部落解放同盟員に言われたことがある。今となってはその言葉も妙に説得力がある。
 今の人権連からは実力行使の印象はないがその昔は、共産党系であっても過激なものだったようだ。しかも義正の場合、むしろ任侠(にんきょう)に近い。叔父には山口市内の暴力団、松田会の親分もいた。
 そんな義正氏にも春が来た。妻、節子さん(太郎の母)との結婚だ。実は以前から少し村﨑家の取材も続けていたが、その当時こんな話を聞いた。
「節子さんはとても気丈な人。当時、義正さんは酒やらケンカの荒れた生活でした。義正さんが熱心に結婚を申し込んで〝よし私が〟と受け入れたんですよ」(福岡県内の共産党町議)。
 面白いことにこの町議が義正と妻の話をするときはなにやら青春群像のように楽しそうに語る。ところが話の中で「人権擁護法案」の話題になった時に表情が苦々しくなった。そして「こういうことを書くから、おかしな法律ができるんだ」と出してきたスクラップは太郎氏のインタビュー記事だった。
 普段、新聞記者や編集者の話を聞いているとある共通点がある。それはいわば〝アウトロー信仰〟のようなものである。言うならば映画『パッチギ』のような世界への憧れ、賛美、とにかくアウトロー好きという人が少なからずいる。一つには高学歴の多いメディア業界の人間にとって「アウトロー集団の感覚にも理解できる自分」でいたい。こんな思いも感じる。だから同和と在日、彼らが犯罪を起こせば「社会のせい」「差別のせい」と断じる。
 これはおかしい。犯罪なり不祥事を全て出自のせいにすればその時点で話が終わる。逆に言えば同和地区出身者でも、在日コリアンでも真面目に生きている人はたくさんいるだろう。現在の同和と報道を検証するに、もちろん「同和タブー」もっと言えば「同和は怖い」という側面もあるのだろうが、もう一つにはこのアウトロー信仰も手伝っていると考える。
 義正氏のアウトローぶりについても何か地元の共産党員は感慨深げだった。「あははあれは痛快だった」義正氏が関わった事件などの話を向けるとこんな調子である。

未償還金六億円! 光市の同和行政の影

浅江中学校同特法立法当時は、市内の小中学校の教職員全員が会員となり「光市学校同和研究会」を設立した。また『橋のない川』の上映会も行われるなどかつては同和教育が活発だった。

 地元の英雄、義正氏肝いりの同和事業についても触れておこう。例外なく光市にも事業が促進されていった。面白いことに当時の「広報ひかり」を見ると、同法が施行された一九六九年頃から、紙面に「同和事業をさらに推進」「貸し付け金拡充」こんな文字が躍った。また浅江は同和教育推進のモデル地域に指定され、村﨑の出身、浅江中学校は「同和教育に留意した道徳指導」を主題とする文部省(当時)の研究指定校にもなった。
「正確には覚えていないけど、同和地区中小企業支援や住宅改修貸付金、自動車免許取得の補助や奨学金で同特法が施行されてから五年ほどで五~六億円の予算は投じられたんじゃないかなあ。だから義正さんのところにも随分、おかしな人がたかりに来たものですよ。ところが義正さんはそんなとき、建築廃材置き場に連れていくんですよ。それで〝ええか、このコンクリートの壁を三日間ぶっ通しでぶっ壊すんだ。それができたら融資の口も聞いてやってやる〟というわけです。ただ、たいていの場合、一日も持たずに逃げ出してしまいます。すると義正さんは〝根気のないやつだ。あれじゃあダメだ〟と嘆息(たんそく)していたものです」(地元市議)。
 この地域の特徴を見ると、関西地域にありがちな豪邸や巨大な集合住宅群は存在しない。むしろまあどこにでもありそうな地方の家屋ばかりだ。かつての隣保館だった「ふれあいセンター」も現在は同和事業を全く感じさせない。玄関口のスケジュール表にスポーツや生涯学習が書かれる中、ポツリと「人権連光支部会議」がある。せいぜいこの程度だ。それから光市には部落解放同盟はない。いわば人権連のお膝元といってもいいだろう。かつては全日本同和会光支部があって、義正氏とも対立したがこれも今は消滅。
 ところが同和事業の影はある。同和地区住民を対象にした二〇〇九年度までの住宅新築資金等貸付金の収入未済額は三億一〇三二万〇三七三円で、償還率が二%。また同和福祉援護資金貸付金は二億五四〇七万八四一二円で償還率は二・五%。合計約六億円も滞納があるのだ。
 私を含めて一般に解放同盟が強い地域にこうした滞納が起こりがちと考えてしまうが、光市の場合は当てはまらない。これが村﨑の言う貧しい地域の一側面でもある。

部落差別以上のアカという差別

猿まわし劇場途絶えていた猿まわし芸の復活の立役者となったのが俳優の小沢昭一氏。猿まわし劇場の看板の題字には小沢氏の名が。

「村﨑君か、光市内で(二〇一〇年)一一月七日に、フォークジャンボリーというイベントがあったけど、彼も出演していたね。そういえばお母さんも見にきとったかね」との情報を地元の共産党員から得た。義正とも親交があったという人物だった。彼に太郎氏が解放同盟寄りの主張をしていることなどを話し、地元や村﨑家はどう思っているのか、またなぜ太郎は共産党一家であることをふれたがらないのか聞いた。やはり彼も一族への遠慮かもう一つ歯切れが悪いが少しずついろいろなことを教えてくれた。
「お母さんと対立しとる? そんなことはないと思いますよ。確か一ヶ月に一度は帰省してるという話ですよ。確かにお母さんはウチ(人権連)の執行委員だけど、県連の三役から〝気持ちは分かるから、太郎君のことは気にしないでくれ〟と言われているそうですよ。そりゃ親子だからイデオロギーはまた別ということでしょ」
 親子の党派問題。なるほどそこには地元人権連の配慮で成り立っていたのだ。「親子で対立していた」などの情報は、少し異なった。ではなぜ太郎氏は共産党にふれたがらないのだろう。証言からある意味、共産党員の悲哀さえ感じた。
「義正さんが亡くなったときに、地元の議員さんが弔辞文を書いたんだけど、一族の意向で解放運動のことは書いても、共産党の活動は書かないで欲しいというリクエストがあったそうですわ。なんでかって? そりゃまあどうせウチら〝アカ〟ですからね(笑)」
 こう自嘲気味に語った。そうだ重要なことを忘れていた。同和問題を取材をするとき必然的に人権連や共産党員に取材をする機会が多い。だが考えてみれば、世間一般で見れば彼らは〝アカ〟なのだ。解放運動家たちはしばし「就職差別」を持ち出すが、自治体や企業では逆に同和枠が設けられていることもある。
 それに対して共産党員はどうだろう。枠どころか共産党というだけでまず出世の道は閉ざされる。そればかりか公安警察、または公安調査庁などの機関からは監視対象にされる。同和地区出身であることより、むしろ共産党員であることの方がよほど差別を受けているのだ。となれば村﨑が共産党にふれたがらないのもある意味では当然のことだろう。人気商売にとって共産党一家など足かせでしかないかもしれない。
 全ての疑問が解けたところで再度、村﨑家を訪ね、母親に取材を申し込み、太郎氏の主張の疑問などを聞いてみた。突然の訪問に驚いた彼女は三男も呼び同席させた上で話をしてくれた。
「ええ確かに私は県連の執行役員ですよ。それで息子とも考え方は違いますけど、あの子は今でもこっちに来てくれますし、あの子にはあの子の考えがあるんですよ。それでいいじゃないですか。私たち人権連は一人ひとりの考え方を大切にするのですよ。ただし部落解放同盟の主張は絶対に私は許しません」
 こんなやり取りが続く中で業を煮やした三男氏がついに爆発した。
「アナタねえ分かっていないよ。俺もそりゃ解放同盟の言っていることは嫌いだよ、でもそれが何なの? お袋はお袋、俺は俺、太郎は太郎の生き方があっていいじゃないか。太郎が部落差別で自殺したって言っている? そりゃアイツはアイツの考えがあってのことでしょ。そりゃ俺たちとは違うけどね。じゃあアンタ猿回しや部落の何を知っているっていうんだよ。アンタは解放同盟がおかしいっていうけど、アンタも同じだ。アンタの背中に解放同盟がいる。これは俺からのプレゼント、アナタの背中のこの辺りに解同がいる、この言葉をプレゼントフォーユー!」
 唯物(ゆいぶつ)論、科学主義、中央の共産党の論客たちは、しばしこのような言葉を用いる。そして数々の政治闘争、イデオロギー闘争で、共産党は、諸団体や政治家、運動体と対立してきた。だが、村﨑家内部のイデオロギー問題は、家族の絆(きずな)の方が勝ったのである。ただ突然の訪問という非礼もあってのことだろうが、それ以上に、太郎氏の件について二人からはいらだち、もどかしさ、のようなものも感じた。とは言えこうした一族の思いとは別に村﨑の「解放運動」は続いていくのだろう。もっとも、その主張は、彼の父が望んだ「部落問題の決着」につながるのか、分からないが。(文中敬称略)(三)
浅江神社義正氏の著書でも紹介されている神社。ここを北上すると浅江中学がある。


参考資料・村﨑太郎氏の事務所の回答全文(原文ママ)

一、岡村隆史さんに関する発言について

 岡村さんが欝だという情報はマスコミから得たものです。数々の新聞のテレビ番組などで、欝が濃厚と報道されておりますし、ご本人も相方の矢部さんも、それに近い発言をなさっています。人権問題を語る際に、村﨑自身が部落差別を原因として欝になったという過去の事実は欠かすことのできないものです。しかし村﨑は、猿まわしという仕事そのものが被差別部落出身の証であるにもかかわらず、猿まわしを楽しみにしてくれるお客様がいる以上、仕事を休むことをせずにやり続け、欝を乗り越えました。このため村﨑には、仕事と直接向き合い、仕事を続けてゆくことによって、欝は乗り超えることができるんだという信念があるため、岡村さんが欝になったとしても仕事を休まない方がいい、仕事を続けることによって、病の根幹が解決される等と、同じ苦しみを体験した同業者として岡村さんに対してエールを送ったというのが、岡村さんに関する発言の意図です。もちろん第三者である村﨑が公衆の面前で、岡村さんが欝であると発言すること自体問題であり、この点につきまして村﨑は岡村さんに対して真摯に謝罪したいと考えております。しかしながら、岡村さんに関する発言の意図は以上のとおりであり、村﨑は、突然、欝について発言したわけでも、岡村さんを誹謗中傷するような目的をもって発言したわけではありません。村﨑の講演会全体を聞いていただければ、この点はご理解いただけるものと考えております。

二、松本人志さんに関する発言について

 松本さんが九九ができないということはご自身がテレビ番組でも著書でも語っておられます。「その辺で生まれている、というのは、村﨑が生まれ育った環境と非常によく似ているという意味で、これも松本さんご本人の番組内での発言や著書から得た情報です。この発言に関しても、松本さんを誹謗中傷することを意図したものではありませんし、突然、松本さんの話題を持ち出したわけでもありません。村﨑の発言は「自分は中学になるまで九九ができなかった。周囲の大人たちは『勉強なんかしても意味がない。俺はいくら勉強しても出世はできない。』等と断言し、酒浸りの暮らしを見せつけていたので、差別が原因で将来に希望も持てずに努力する気もわかなかった。しかし父から叱咤激励され、突然開眼し、猛勉強をした結果、学年でトップクラスの成績を収めることができた。ダウタウンの松本も、九九ができないとテレビで言っていた。お笑い芸人になる前に印刷屋で働こうとしていたところを、浜田から『お笑い芸人になろう』と誘われて、この道に入ってよかった。もし印刷屋になっていたら、九九ができないから、何枚刷っていいかもわからなかっただろうという笑い話をテレビでしていた。九九ができなくても、努力の結果、タレントとして大成功している人もいる。」等というもので、環境のせいにして努力を怠ってはいけない、諦めきった大人たちが将来ある子供たちの夢を奪うようなことをしてはいけない等ということを伝えるための発言です。その後の「やめよう。問題発言だ。」等という部分に関しては、「著名人の名前をあげると最近では誹謗中傷だ、問題発言だと抗議されてしまうことが多い。そんな意図ではないので、これ以上はやめた方がいいでしょうね。」という趣旨の発言をしたにすぎません。以上のとおり、松本さんに関する村﨑の発言は、差別を受け、幼い頃に勉強できなかったとしても、努力すれば夢がかなえられるということを具体的に伝えるための発言であり、この点につきましては、どうかご理解いただきたいと考えております。

三、自殺問題について

 この点の村﨑の発言は、「日本では年間の自殺者が三万人いると報道されている。しかし、どういう理由でどういう状況で自殺したのか、ということに対して日本人は関心を持とうとしない。自殺の場合、データに上がらない例も沢山ある。部落差別が原因で結婚障害にあって、自殺している若者もいるという例をいくつも聞いた。」等というものです。村﨑はここ二年の間、日本各地のマイノリティの方々を訪ね、交流を持っております。多くの若者たちとも懇親会を重ねてきました。その中で得た情報を基にしたものが上述の発言であり、学者が統計で出したものではなく、村﨑が自分の目と耳で直接得た情報のため、この点のデータ、統計が村﨑の手元にあるわけではありません。村﨑は自分の足を使って色々なところを旅して訪れています。被差別部落だけではなく、ハンセン病の元患者さんが暮らす療養所や被爆者の方や限界集落のお年寄り等々、直接触れ合わなければ知りえないことを、村﨑は当人たちから得ています。村﨑がカミングアウトという行動に出たのはそれが目的です。他人が出したデータではなく、自分自身の目で見、耳で聞きたい。そのためには先ず自らが弱者であることを打ち明ける必要があったのです。
 当日の公演は終了後大絶賛を受け、横浜市長自ら楽屋に訪れ「このような人権に関する素晴らしい講演をしていただき、心から感謝しています。」等とお礼を述べていただいたほどで、村﨑に他人を誹謗中傷する意図も、他人に対する差別的意図も全くない、ことは講演を聞いていただいけた方々に明らかだったと思われますので、この点はどうかご理解いただけますよう、お願い申し上げます。これからも村﨑は、マイノリティの方々を訪ねる旅や講演、猿まわし公演というものを通して、世の中のみなさんと触れ合っていきたいと思っています。応援していただけると幸いです。

以上

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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