日本人のおなまえ研究(5)
西城秀樹 在日説に終止符を打つ!

三品純 By 三品純

インターネット上では有名人に対する「在日認定」がたびたび起こる。今年5月16日、急逝した西城秀樹も同様に「在日説」が囁かれてきた。西城といえば70年代、郷ひろみ、野口五郎と並び「新御三家」として人気を博し、一時代を築いた日本の歌謡界の功労者だ。そんな西城の出自にまつわる真偽について検証してみた。

2つの不毛な「在日認定」

ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」をカバーした「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)。
あの振りつけは今でもカラオケなどで真似をするのでは?

日本のカレールーのシンボル的商品。ヒデキ感激のフレーズはあまりに有名。
いただきマンモス!などダジャレを交えたバージョンも。

♪リンゴがひとつアップル リンゴがふたつアップルプル

作曲家、小林亜星が頑固親父を演じた昭和の名ドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年)のラストでは『りんごがひとつ』を寺内一家の面々が歌い大団円を迎えた。長男・周平役で出演した西城は当時、人気絶頂の頃。西城も楽しそうに『りんごがひとつ』を歌っていた。劇中では父・貫太郎の理不尽な言動から取っ組み合いの喧嘩になり、時には庭先まで吹っ飛ばされることもあった。本当に西城が怪我をしてしまうというハプニングも。歌も芝居も情熱的な人だ。代表曲『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は子供ながら口ずさんだものである。西城はまさに国民的スターだった。思い出はさておき、そんなスター西城にも「在日認定」が忍び寄る。在日認定はとはある人物に対して在日コリアンと認定すること。それは政治家、芸能人、スポーツ選手、時に一般人と対象は多岐に及ぶ。

そもそも在日認定は2つの意味がある。一つは出自を中傷する場合だ。例えば事件の加害者あるいは日本批判、政府批判をする者を「在日認定」すること。これらはいわゆる「ネット右翼」(ネトウヨ)とされる人々にありがちな現象だ。逆に在日コリアン側からも起きることがある。つまり有名人を在日認定することで「日本社会で活躍しているのは在日コリアンだ」というアイデンティティの意味でも使われる。西城の場合の「在日認定」は中傷というよりも「芸能人は在日コリアンが多い」という言説の中で囁かれてきた。大阪市立大学のぱくいる教授の『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(講談社)にはこんな記述がある。

紅白歌合戦の常連組には、錦野旦、都はるみなど在日であることをカミングアウトしていた人たちに加えて、後にカミングアウトすることになる和田アキ子、レコード大賞に輝いたこともある男性大物歌手であるF・A、グループサウンズ出身の人気男性歌手S・K、音大の声楽科出身で歌唱力に定評のあるY・S、新御三家と言われた男性歌手のS・Hなど、在日コリアンの歌手が出場者の四分の一近くを占めていた。

本書では在日韓国・朝鮮籍だった芸能人が実名で記されているが、中にはイニシャルで在日認定を受けた芸能人もいた。イニシャルで指摘された芸能人は七〇年代の初めに紅白歌合戦に出場していたとなっている。F・Aとは布施明、グループサウンズ出身のS・Kとは沢田研二と思われる。また「音大声楽科出身」のY・Sの部分だがこのイニシャルに該当しそうなのが菅原洋一、由紀さおり。しかしその他のイニシャルが姓と名の順に対して菅原洋一だとS・Yになる。この部分だけイニシャルの並びを間違えたのかあるいは他の意図があるのか。確かに音大出身ならば国立音楽大学出身の菅原洋一と符合する。一方、由紀さおりだとすれば出身校は洗足学園短期大学出身だ。おそらく姉・安田祥子の東京藝術大学と混同したと思われる。

そして、新御三家の男性歌手S・Hとは紛れもなく西城秀樹のことだ。まずこの記述に疑問がある。布施明、沢田研二、由紀さおりを「在日コリアン」とする根拠は今のところ見つからない。これはネガティブな意味の在日認定と何が違うのか。ところが朴氏はこう訴える。

偏見や差別にさらされたくないという思いから、日本国籍を取得し、在日という出自を暴くというのは、差別をなくそうと言いながら差別に加担する、まさに本末転倒な行為であると言わざるを得ない。

在日コリアンの出自を暴くこと、いわゆる「アウティング」を批判する一方で自身はイニシャル付きで在日認定している。しかも本人のカミングアウトや官報の帰化記録など具体的な情報を根拠にしたわけでもない。結果、ネットではこの記述のイニシャルをもとに様々な憶測や「在日認定」が起きている。よほど悪質ではないか? この朴氏の記述の根底には在日、部落民その当事者が在日出自を暴くこと、部落地名を明かすことは許されるといういわゆる被差別マイノリティを自称する人々の特有の論理がある。この点も見逃せない。ではこのイニシャル認定のS・Hこと、西城秀樹はどうなのかを調べてみると―――

西城秀樹は本名、木本きもと龍雄たつお。公式サイトのプロフィールを見ると生年月日は「S30.4.13」となっている。また自著『いま、光の中で 悩むな、つきすすめ、青春』(集英社)の巻末プロフィールにも「本名 木本龍雄 昭和30年4月13日生まれ」とある。『日本姓氏語源辞典』によると木本姓は①和歌山県和歌山市木ノ本発祥②三重県熊野市木本(キノモト)町発祥③滋賀県長浜市木之本町木之本発祥、その他にコリア系として複数の帰化事例がある。

そして『官報』(昭和50年12月10日)には、「李乙龍(木本龍雄)昭和三十年四月十三日生」という帰化記録がある。帰化後の本名と、生年月日が完全に一致していることから、この記録が西城秀樹のものであることは疑いない。西城秀樹のルーツは間違いなく「乙龍ウルヨン」という在日コリアンであり、そのことが広く知られないまま歌手デビューし、武道館での単独公演を行い、まさにトップ歌手となったその年にひっそりと日本人になっていたのだ。

2段目に西城の本名である木本龍雄の帰化情報が掲載されている。

父親は実業家で裕福な家庭に育ち、自著によれば幼稚園でバイオリンを習い、小学校3年生でジャズ・スクールに通ったという。あの「絶唱型」と賞賛された歌唱力はこうした幼年期からの音楽トレーニングも影響しているだろう。また在日コリアンは歌が好きだ。シンポジウムや関係イベントでもみなで合唱することがある。もし歌手に在日が多いというならばこのような民族性が影響しているのかもしれない。その民族性と日本の教育が加わって西城秀樹という偉大な歌手を生み出したというならば素晴らしいことではないのか。そして今こそ声を大きくして「西城秀樹在日説に終止符を打つ」と言おう。

結論、西城秀樹在日説は本当。正確には在日コリアンとして出生し、その後帰化してコリア系日本人として生涯を終えた。


西城が帰化した当時の住所には「赤坂パインクレスト」がある。当時出来たばかりだったこのマンションに西城は住んでいたのだろうか。

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西城秀樹 在日説に終止符を打つ!
」への7件のフィードバック

  1. .

    西城秀樹の姉はT見Mの「あねさん」だそうですが、正式の妻だったのでしょうか、愛人だったのでしょうか。

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    1. 三品純三品純 投稿作成者

      それは分かりません。西城さんご本人の場合、同和人脈も浮上するので
      気になっています。

      返信
    2. 三品純三品純 投稿作成者

      飛鳥会の小西が西城さんの結婚式に出席している話は
      『同和と銀行』に書いてあったと記憶しています。

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  2. 三品純三品純 投稿作成者

    あのイニシャル認定はどういう根拠で書いたのか
    朴氏に聞いてみたいですよ。
    前田日明の話じゃないけどカールルイスも在日という
    感覚で書いたような気がします。

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  3. 足立区出身

    我が世代の憧れであり偉大なるアーティスト西城秀樹さんへのレクイエムとして、この記事は記録しておくに値するものと思う。
    合掌。

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