1921年の『地方改善ニ關スル調査』によれば、結城郡西豊田村本豊田に9戸の古村があった。小字は前坪である。一方、常総市の同和施設に対応するらしいものは見当たらない。もっとも、「広域隣保」という形で旧石下町による対象地域になっていた可能性があるが、事実上は未指定だったのではないか。


『地方改善ニ關スル調査』のデータを紹介していこう。「前坪」がどこなのかということについては、戦前の地図から分かる。

まず、全戸が農業に従事していた。現在でも田畑に囲まれており、見た目はいかにも古くからの農村である。副業として草履づくりが行われていたが、皮革や食肉の産業はなかった。

ただし、自ら土地を所有するのは1戸だけだったので、ほとんどは小作人で貧しい村だったようだ。


地区内に神社が1つ。それは、この白山神社のことだろう。

小さいながらも、社殿は手入れされている。

そして、神社にあるこの大木は間違いなく欅。古村の白山神社に欅というのは、非常によくある組み合わせである。

そして最近は、どこでも太陽光発電所を見かける。景観や防災上の問題から物議を醸すことが多いが、そんな施設の有用なところは、必ずと言っていいほど登記簿上の住所が記載されていることである。分かったのは、登記上の小字は前坪ではなく「御門内」であることだ。

確かに、別の資料には古村の小字が御門内とも書かれている。読み方を住民に聞いてみたが、知らないと言われてしまった。

ただ、手がかりは明治21年『茨城名勝誌』にあることを、本サイトのファンの方に教えていただいた。「ミカドウチ」が正解である。しかも、穢多屋敷があったことが書かれている。


しかし今はご覧の通り。山崎商店と篠崎商事の巨大倉庫がある。これは米の倉庫のようだ。


小作人の村だったということは、農地解放で土地を得たのであろう。既にかつての記録のような貧しい村ではない。

これは公民館。その佇まいから、明らかに教育集会所のような同和対策施設ではなく自治体所有のものである。

公民館の横に墓地がある。山崎はないが、ほとんどは篠崎。名字から中三坂との関係が推認される。墓石から時宗と鑑定した。

『地方改善ニ關スル調査』を見ると、確かに全戸が時宗。このように、文献の記述が現地クエストから裏付けられた。
熱海の曲輪クエストを
また 訪問して欲しいです。
寺の近くに古村が
あったそうですが、
より具体的な場所を
お願いします。
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そろそろ 同人誌という形で
良いので、本を出して下さい。
「曲輪クエスト ① 神奈川県 編」
「曲輪クエスト ② 東京都 編」
あたりが、売れると 思います。
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