曲輪クエスト(416) 甲賀市 甲賀町 大原中

カテゴリー: 曲輪クエスト | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦
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前回訪れた相模に隣接するのが大原中の古村である。『滋賀の部落 第1巻部落巡礼』には「大原中部落の方はこの相模からさらにまた移っていったもので土地はすぐ隣につづいているのに本郷が違いますので呼び名も変っているのです。本当は一つの部落であるべき筈です」という相模の古老の証言が掲載されている。

このように、古村が行政区画の境界をまたがっている場合に、2つの古村としてカウントされる現象はしばしば見られる。

相模の施設である「相模共同作業所」は実際には大原中にある。この写真は、さらに大原中に入り込んで作業所を見たところ。

周辺は都市化しているが、明らかに農家だった家がいくつもある。

その間にモダンな家が建てられている。

「わしらの先祖が一文なしで、よるひる働きつづけて土地を拓いて来たのに、差別の壁だけは未だに同じです。現在では部落民でない世帯が半分くらいはありますが、この差別の壁がまだその間に残されていることは、否定することは出来ません。」という古村の古老の証言が紹介されている。これが昭和の半ばごろのことで、その頃から新住民が移ってきたことが分かる。

歴史的には、大久保から派生した相模からさらに派生したということだが、大原中の発生時期ははっきりとはしていない。また、融和事業の対象となった形跡もない。

『同和対策地域総合センター要覧』によれば、「立地条件に恵まれ、混住化が顕著である。近隣地域と生活実態は変わらない」という。

地区世帯数は15。すべて持ち家である。相模にあったような作業所はない。平成初期の時点で農業は1人だけで、自営業者は3人、他はサラリーマンである。

ただ、ここにも同和施設がある。

看板には「七・八組集会所」の文字がうっすらと見える。実はここが大原中教育集会所だった。

『地域総合センター要覧』の図面と空から見た建物の形状、玄関の位置は一致しているように見える。

ここは解体されずに、自治会の集会施設として再利用されているのであろう。

同和地区指定する意味はなかったような気もするが、滋賀の同和事業の対象地域指定は『滋賀の部落』をベースにしているであろうことがうかがえる。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(416) 甲賀市 甲賀町 大原中」への3件のフィードバック

  1. 空は青い

    はじめまして。明らかに農家だった家、の写真の家は母(昭和29生まれ)の実家です。母の育った場所が同和地区というのを30代の時にネットで知りました。祖父は9人兄弟の末で、その家のある周辺道路ぐるりの中の土地を相続しました。前から企業に貸していたり、従兄弟が友人に売ったりしてました。同和地区であることを母は知らず、近江八幡で夫婦で結納店をしている時も、近所の部落差別を受けている地域同士でしか結婚できない、という悩みを受けてそんなことがあるんやなあと言ってました。でも母の姉や祖父母は知ってたと今はわかります。理由は母の姉が地域総合センターの職員だったからです。夏休みに遊びに行くと決まってそこに行きました。学校にいけない子もそこで学習してました。センターと読んでました。また跡継ぎの従兄弟は相模の子と結婚しました。従兄弟が昔から近所から出るのが怖い、と免許取得後も甲賀から出なかったのは、もしかしたら差別を恐れていたのかなと思います。母は他の地域の人と結婚して出たため、あまり良く思われず、結果広い土地や財産は姉が主体になり、祖父の存命中に従兄弟名義になり、母は勘当されました。今付き合いはありません。でもそれでよかったと思っています。何も知らない母には知らせず関係をたち、すごい差別としがらみを残ってる人だけで背負ってくれたんだと思います。私はたまたま知ったので、こうしてここのサイトにも辿りつきました。15年以上音沙汰無くしたので、懐かしい気持ちもありコメントさせていただきました。

    返信
  2. 青い空

    はじめまして。明らかに農家だった家、の写真の家は母(昭和29生まれ)の実家です。母の育った場所が同和地区というのを30代の時にネットで知りました。祖父は9人兄弟の末で、その家のある周辺道路ぐるりの中の土地を相続しました。前から企業に貸していたり、従兄弟が友人に売ったりしてました。同和地区であることを母は知らず、近江八幡で夫婦で結納店をしている時も、近所の部落差別を受けている地域同士でしか結婚できない、という悩みを受けてそんなことがあるんやなあと言ってました。でも母の姉や祖父母は知ってたと今はわかります。理由は母の姉が地域総合センターの職員だったからです。夏休みに遊びに行くと決まってそこに行きました。学校にいけない子もそこで学習してました。センターと読んでました。また跡継ぎの従兄弟は相模の子と結婚しました。従兄弟が昔から近所から出るのが怖い、と免許取得後も甲賀から出なかったのは、もしかしたら差別を恐れていたのかなと思います。母は他の地域の人と結婚して出たため、あまり良く思われず、結果広い土地や財産は姉が主体になり、祖父の存命中に従兄弟名義になり、母は勘当されました。今付き合いはありません。でもそれでよかったと思っています。何も知らない母には知らせず関係をたち、すごい差別としがらみを残ってる人だけで背負ってくれたんだと思います。私はたまたま知ったので、こうしてここのサイトにも辿りつきました。15年以上音沙汰無くしたので、懐かしい気持ちもありコメントさせていただきました。

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    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      大変貴重なコメントありがとうございます。やはり部落民を認識させるような教育は害悪であると思いました。

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