性的虐待、セクハラ、キリスト教聖職者はなぜ「性」トラブルを起こす?(前編)

三品純 By 三品純

国内外でキリスト教の聖職者による性犯罪、性トラブルが報告されている。特に衝撃を与えたのはこのニュースだろう。8月、米ペンシルベニア州のカトリック教会で70年間もの間におよそ300人以上の聖職者が児童に対し性的虐待をしていたことが報じられた。被害者は1000人以上とも言われ事態の深刻さを物語っている。一方で日本国内のキリスト教団体も聖職者による性的トラブルは無縁ではない。しかもカトリック、プロテスタント、教派は問わず「従軍慰安婦問題」「女性や児童の権利」「人権問題」に取り組んでいる。そんなキリスト教の聖職者たちがなぜ性的事件やトラブルを起こすのか。

また「日本聖公会」の施設で性的トラブル!?

「日本聖公会」と言ってもどれぐらいの人が認識できるものだろか。それがいきなり「また日本聖公会」と言ったところで事情がよく呑み込めない人が多いと思う。それ以前にカトリック、プロテスタントという存在自体、馴染みがない人も多いことだろう。そうした基本的な知識は後に譲らせて頂き、まずは9月14日に報じられたニュースから紹介させて頂こう。聖路加せいるか国際病院に勤務する非常勤職員の牧師(40代)が院内に設置されているチャペルの個室で女性患者にわいせつ行為した疑いで書類送検された。牧師は「チャプレン」という専任聖職者の一人で患者やその家族のための祈り、対話など心のケアに当たる立場にあった。キリスト教団が経営する病院では患者のメンタルケアのために聖職者を配置することは珍しくない。なおこれも詳細は後に譲るが聖路加国際病院は日本聖公会が運営する病院である。一般に聖路加は「せいろか」で通じるが、正確には「せいるか」だ。『ルカによる福音書』を執筆したとされる聖人ルカの漢字表記が名称の由来である。書類送検されたのはチャプレンの一人、柴田実牧師。所属する聖路加国際大学キリスト教センターのHPによると同氏は関西学院大学大学院神学研究科博士前期課程修了。聖路加国際大学臨床牧会教育(Clinical Pastoral Education)修了、日本スピリチュアルケア学会(日野原重明理事長)認定指導臨床会員という経歴だ。また横浜精霊キリスト教会(港北区綱島西2)の副牧師でもある。

当初、聖路加国際病院に勤務する牧師だから日本聖公会所属の牧師かと思いきや事情が違っていた。横浜精霊キリスト教会の深谷美枝主任牧師は「司法判断に影響するからコメントは控えます」とした上でこう語ってくれた。

「横浜精霊キリスト教会は日本キリスト教協議会(NCC)には所属しておらず単立の教会ですが、聖公会ではなくプロテスタント系ではあります。聖路加国際病院は日本聖公会が運営されていますが、教派は関係なく牧師(柴田氏)はチャプレンとして勤務していました」

柴田牧師は聖公会所属の牧師ではなかった。もっとも聖路加国際病院の象徴的な存在である日野原重明名誉院長も日本基督教団(プロテスタント)の信徒だから別段、不思議ではない。深谷牧師によればキリスト教系の病院であっても僧侶がメンタルケアを担当することもあるそうだ。NCCという団体についてもまず聞きなれないかもしれないが、日本基督教団、日本聖公会、日本バプテスト連盟、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト同盟、在日大韓基督教会などプロテスタント系の教派が集まる連盟組織だ。早い話が新興宗教系ではないプロテスタントの集まりと理解してほしい。もちろん伝統も由緒もある教会であってもNCCに加盟しないケースもあり、 横浜精霊キリスト教会もその一つだ。だから「また聖公会」という表現は“行き過ぎ”と思われるかもしれないが、しかし「また」と言われるだけの背景がある。

あの日野原重明氏が赤軍派を説得って

まず日本聖公会とは何か? ここから始めよう。16世紀の「宗教改革」で派生したイングランド国教会を系譜を引き、「英国国教会」とも呼ばれるが日本では通常、「日本聖公会」と言う。世界164か国7500万人の信徒を抱える。日本国内では1859年、米国聖公会の牧師が来日し布教を始め、1887年に「日本聖公会」が誕生した。現在は北海道から沖縄まで11の教区があるが、一口に聖公会と言っても主に東京と福岡は米国聖公会系、神戸と横浜は英国聖公会系、中部地方はカナダ聖公会系などと教区によって系譜の違いがある。また特徴的なのは他宗教、政治・社会団体とも積極的に交流を持つ「エキュメニカル」を鮮明にしている団体ということだ。だから政治運動はもちろん「部落問題」についても日本聖公会は取り組んでいる。エキュメニカルは本稿でキーワードとなるのでこの点にご留意頂きたい。

さて一般に聖公会はプロテスタント系と分類されがちだが、厳密に言うと少し異なる。あえて言うならばカトリックとの中間的な存在と言うべきだろうか。「公会」という言葉自体が「カトリック」という意味であり「聖」をつけることでさらに教えを高めるという意味が込められている。立教大学、桃山学院大学、聖路加国際病院などの教育機関、病院の他、約300か所の教会を運営している。第二次世界大戦後、日本に駐留した連合国軍最高司令官・ダグラス・マッカーサーの家族も日本聖公会の教会に通った。

それから聖路加国際病院と言えば先にも少し触れたが昨年、105歳で逝去した日野原重明名誉院長の名を挙げざるを得ない。地下鉄サリン事件が発生した際、自ら陣頭指揮に立ち被害者の治療に当たった功績はあまりに有名だ。あるいは1970年「よど号ハイジャック事件」の乗客の一人だったことも昭和事件史でよく語られる。古参の信徒からこんな話を聞いたので紹介しておこう。

「当時、赤軍派は桃山学院大学内で闘争の教練をしており、その一味がハイジャックを計画しているという情報を日野原先生が耳にされました。表向きは福岡の学会に出席するためよど号に搭乗したのですが『聖公会の大学からハイジャック犯を出してはいけない』と先生は考え説得に向かったのです」

真偽はさておき人道的な同氏らしい噂話である。ともかく日本聖公会が伝統と歴史ある教派であることは理解してもらえたと思う。だが一方で、性的虐待、セクハラが起き、関係者・信徒の間で影を落としている。その最大の汚点が日本聖公会京都教区で発生した「京都事件」。日本聖公会の聖職者、信徒にこの名を出すと苦渋に満ちた反応を示した。

京都市上京区の日本聖公会の聖アグネス教会。平安女学院京都キャンパスの敷地内にある。京都市指定の有形文化財としても知られる。

聖アグネス教会近くにある京都教区センター。

事件の概要は京都教区に所属していた原田文雄元牧師が大和高田市の教会に赴任中の1983年から1988年の間、複数の女児へ性的虐待を行っていたことだ。胸や性器を触るといった行為を繰り返していたという。被害者らは成人した90年代末に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を訴え始めた。被害を名乗り出た女性は3名だが、特に最初に被害を名乗り出た被害者女性AさんはPTSD損害賠償請求をめぐり原田氏と最高裁まで争い2005年7月、Aさんが勝訴する。ところが判決を受けて原田氏の上司に当たる京都教区の高地敬主教は「事実無根。裁判に憤慨している」とコメント。この当時、原田氏を擁護する教区関係者は少なくなかった。同年12月にこのコメントは撤回されることになるが、こうした京都教区の態度も被害者や信徒の不信感を高める結果となった。

結局、原田氏に日本聖公会としての処分が下されたのは2010年11月8日のこと。京都教区主教座聖堂で開催された「日本聖公会管区審判廷」によってようやく原田氏への「終身停職」処分が下されたのだ。審判では原田氏の行為は「著しく不道徳また不正であること」として「終身停職の規定を適用するのが相当」と判断された。80年代の性虐待の処分が2010年に下るというのも対応が遅れたというレベルではない。女児への性的虐待という行為以上に、80年代の問題を長年放置してきたこと、また原田氏を擁護した京都教区関係者には処分がなかったことも心ある関係者、信徒の間で問題視されてきた。いまだに京都教区への批判が根強いのはこうした事情がある。

そして関係者、信徒の証言を下に事件を検証してみるとキリスト教の抱える闇と苦悩が浮き彫りになっていくのだ。まずは原田氏の過去を追ってみた。同氏はもともと日本聖公会中部教区で司祭を目指したが、京都教区に籍を移した。そして1980年、性的虐待の舞台となる奈良県大和高田市の教会に赴任した。当時を知る聖公会関係者はこう証言する。

「地元の子供たちを教会に集めて遊んだり、勉強を教えていました。赴任当時は熱心で誠実な聖職者だったんですよ。ところが子供たちから“先生”と呼ばれるようになって彼は変わったかもしれません」

この関係者は「ある時期に彼(原田氏)のやり方に違和感を持った」としてこう話を続ける。

「子供たちが教会から帰る時に十字架に向かってお辞儀をさせていました。私はそのような時は一緒に十字架に向いて一礼します。ところが彼は十字架の前に立って子供たちに挨拶をさせた。子供たちの目には十字架を背にした原田が神々しい存在として映るのです」

無垢な子供たちにとっては単なる「先生」ではない。まるで原田氏が「神」のように映ってしまう。それゆえに「性的虐待」に対しても拒否できない状況だったのは容易に想像できよう。

やがて「原田に処分を」の声は強まり、先述した通り、ようやく2010年にで「審判廷」が開催された。しかし内部事情に詳しい信徒は「対応の遅れ」以外の問題に着目する。

「すでに原田は民事訴訟で敗訴し、また退職の意思を示していたことから審判廷は必要ないという意見もあったんです。しかしこれはおかしい思いました。なぜなら教会内部の不祥事は教会で裁かなければなりません」

民事訴訟の判決と言ってもあくまで国家が作った司法制度による処分に過ぎない。しかし本来は宗教者としても裁かれるべきなのだ。民事訴訟で原田氏が敗訴したことを「懲罰」とすることは、いわば教会内の処分を「国家」に委ねることになる。もともと日本聖公会は「反体制色」が強い教派という歴史的経緯を考えなければならない。古参の信徒が振り返る。

「戦時中、他教派は国家の弾圧を恐れて、礼拝前には司祭や牧師が行列を作り先頭には日の丸を掲げ入場してきました。ところが聖公会は国家への忠誠を示す儀礼を行いませんでした」

こうした過去は日本聖公会にとってプライドになっていた。それならばなおのこと教会の独立自尊を保つ意味でも教区が原田を裁くべきなのだ。ありえない話かもしれないが、京都事件が刑事事件だった場合、たとえ警察が教会に踏み込んできたとしても原田は引き渡さない、処分は教会が下すと対峙する。彼らの歴史を考えればこれぐらいの気骨が必要なのだ。ところがすでに民事上で処分が下されているから、教会としての処分は無用というならば「気概」すら失ったことになる。

信徒と距離が近いがゆえの皮肉

ただ決して「同情」や「擁護」というわけではないが、こうした性的虐待が起きる温床としてキリスト教の特徴も考慮しなくてはならない。日本は宗教のるつぼである。クリスマスを祝い、そのわずか後で神社に初詣に行く不思議な国だ。結婚式は教会で、葬儀は仏式、こういう人も少なくないだろう。ではキリスト教、仏教、神道(もちろんその他宗教の信者もいるだろうが)この3つの宗教で最も信徒と近いのはどこだろう。キリスト教ではないか。

例えば僧侶や神主が寺社に子供を集め、面倒を見たり、説法をするーー。まず見られない光景だ。それに週に一度、信徒が寺や寺社に行くということもあまり聞かない。しかしキリスト教は週に一度の「日曜礼拝」というものがある。またそれ以外にも平日は子供を教会に集め、勉強させたり、遊ばせたり、そういうボランティアを実施する教会も少なくない。最も世俗化しておらず、なおかつ最も信徒と距離が近いのはキリスト教ではないだろうか。礼拝には親と一緒に子供もついてくることもある。実際に子供の時分、平日は教会で過ごしたという信徒も少なくなかった。著者と同世代の信徒はこんな思い出話をしてくれた。

「『トンデラハウスの大冒険』(1982年)というアニメを覚えていませんか? キリストが生きていた時代にタイムスリップして歴史を学ぶという作品ですよ。近所の友達と夕方、教会であれを見てから帰宅していました」

こう言われて思い出した。キリスト教系出版社の「いのちのことば社」がメインスポンサーについた一種の教育番組だ。著者の場合、この番組で「いのちのことば社」という存在を知ったぐらいだ。似たような経験を持つ信徒もいるのでは? 寺や神社と言っても実際に関わるのは冠婚葬祭、行事ぐらいか。信徒と、それも子供と接する機会が多いのはキリスト教かもしれない。原田元牧師も赴任当社は地域に貢献するつもりで教会に子供たちを集めたことだろう。その初志は決してやましいものではなかったと思う。しかし子供たちとの距離感がゆえに次第に「邪念」が芽生え、事件につながったとすれば実に皮肉な話ではある。

ただこうしたトラブルを原田氏のみに転嫁することはできない。京都事件を追跡している最中、聖公会の別のセクハラ問題に遭遇した。それもセクハラを起こした人物というのは教区内の「人権問題」の担当者だった。これは次回の話にする。

聖公会に限らずキリスト教内でセクハラや性的トラブル対策が進められている。

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