部落と言えば「差別」ということが強調される一方、差別されなくなった部落がメディアでクローズアップされることはあまりない。「解放」された部落というのはどのようなところなのか、本当に部落差別を解消したいと思うのであれば、そのような事例は参考になるものであるし、本来は多くの人が興味を持って当然のことである。
そのような「解放」された部落の1つがかつての舟場地区、現在の大阪市北区中崎西である。
大阪市同和事業促進協議会10年の歩みによれば、北区舟場町、堂本町、葉村町のそれぞれ一部が「舟場地区」とされていた。この3町の場所は、現在の大阪市北区中崎西とほぼ一致する。
今でこそここは都市に飲み込まれているが、昭和初期までは大阪駅周辺の東海道線の北側は田畑が広がり、舟場地区も、まさに「村」だった。しかし終戦直後に田畑だった場所にバラックや闇市が立ち並び、今のような都市に変わっていった。
1935年の全國部落調査の記録では、世帯数91、人口469。「10年の歩み」が刊行された1963年には世帯数85、人口405とされる。
しかし、「10年の歩み」では全ての世帯が「部落民」ではないと述べている。当時でも5割以上が一般民であり、「部落民」は85世帯のうち、40世帯に満たないだろうとしている。このことから分かるのは、全國部落調査をはじめとする統計資料が必ずしも「部落民」の数を表したものではないということである。
最寄り駅は地下鉄中崎町駅だが、大阪駅からも歩いていくことが出来る。大阪のファッションの中心地、梅田のヘップファイブの方に出て、環状線沿いに歩けばよい。
このコンビニは比較的最近できた。この風景からは部落とは分からない。
しかし、さらに進むと、蔦に覆われた古民家が現れた。廃墟かと思ったら。
店舗が営業している。オーガニック食材の専門店のようだ。実は中崎西には、このような古民家をそのまま利用した店が多数ある、
ビルの間に、古民家が立ち並んでいる。これらのほとんどは、住居ではなく商店になっている。
古民家猫カフェなるものも。このように、古民家、町家を全面に出した店が多い。「10年の歩み」によれば、舟場は靴・履物商による部落だったという。かつての部落の佇まいを残したまま、このような形で発展している部落は珍しいだろう。
細い路地にある民家も店舗に改装されている。家が売られて、かなりの住民が入れ替わっているものと考えられる。
こちらは、葉村温泉という、かつての町名を冠した銭湯。料金は大阪府の標準的な公衆浴場の料金だ。昔は舟場温泉という部落改善事業で設置された浴場もあったのだが、既になくなっている。
「済美」というのは、この辺りの町内会の名前らしい。「10年の歩み」にも「斉美会館」という建物があったことが書かれている。
細い路地があり、普通の住宅があるが、こんなところにも住居と商店が入り混じっている。
この三叉路がかつての「村」の中心で、戦前はこの辺りに集落があって、周辺に田畑が広がっていた。
通行人は若者、特に女性が多い。地区内にはECCの語学、コンピューター、美容師等の専門学校があり、ヘップファイブやエストの延長線上のような場所にある。そのためか、若い女性向けの雑貨店、古着屋、カフェが集まっている。
2011年ごろまで「舟場フォトサービス」という、唯一「舟場」の名を留める物件があったが、今はもうなくなっている。写真は2009年のグーグルストリートビューのもの。
それでも、ここが、かつて同和地区として改善事業の対象だったことは間違いない。しかし、1969年の国の同和対策事業の対象にはならず、今日に至っている。「10年の歩み」には次の記述がある。
寝た子を起こしたくはないが、部落として同和事業の対象として、改善事業の助成は受けたい、と云う考えが非常に強い。かっては、熱烈な解放運動員を出した地区ながらも、現在は40年に亘る運動と実践により解放されんとしているのだ。今頃、差別差別だと云って、ヒステカルになる解放同盟には反撥を感じる、同盟には這入らない。大阪市同和事業促進協議会には、大阪市の同和事業の対象になるから加入すると公言する状態である。
要は住民の興味は行政から金が出るかどうかであって、差別といったことには興味がなくなっていったことが伺える。金は貰いたいけど、解放同盟の運動には協力したくない。そうはいかなかったので、同和地区指定が外されたといったところだろう。
しかし、その選択は正しかっただろう。同和事業の対象となっていれば、大阪市内の他の部落のように、公営住宅が立ち並ぶ、殺風景な住宅地になっていただろう。いやいや、舟場は梅田の近くだから特別だと思うかも知れない。しかし、駅近くの本来は一等地の場所なのに、未だに「同和地区」であり続けている部落はある。同和事業は問題もあったが成果もあった、必要だった、と申し訳のように言われることがあるが、この言説も全ての部落に当てはまるものではない。
大都市の中心駅の近くにある部落という同じような条件にありながら、同和地区指定されて未だに隔絶感を残している京都の崇仁、同和地区指定を外され「解放」された大阪の舟場。両者の違いから学ぶべきことは多いだろう。
改善事業の女性→改善事業の助成 ですか?
「今は高級住宅地になった部落」シリーズに興味があります。今度、鎌倉市極楽寺も探訪してください。
誤字の指摘ありがとうございます。なおしておきました。
極楽寺は海岸の辺りが部落だったのでしょうか。
温泉があるようですし、一度行ってみます。
箕面市桜もいまでは高級住宅地になってますね
箕面市桜ヶ丘ですね。2年程住んでましたが東の1-3丁目は高級住宅街、大通り挟んで西の4丁目からは人権文化センター、図書館、止々呂渕公園、平屋、市営住宅とあり小奇麗になったが同和の後は残ってます。
後は離れますが更に西側の池田市との市境、市役所、キューズモール等。
箕面市はこういった感じで貧富の差が激しいですが民度は高く住みやすいと感じました。
箕面市桜ヶ丘の地図を見ると「住宅改造博覧会跡地」って出てくるので何かと思ったら、大正時代に作られた洋館群が残ってるんですね。
2丁目あたりはストリートビューで見る限り、お屋敷が多いですね。
4丁目はおっしゃる通り、同じ形の古めの集合住宅が並んでいて、同和っぽい雰囲気があります。
「蔦に覆われた古民家」の向かいのマンションから、「済美地域防災マップ」の表示板の後方にかけてが済美(せいび)小学校の跡地です。2004年に統合のため閉校になり、数年前に壊されてマンションになってしまいました。私は済美校区に住んでいたので1960年代に済美小学校に通っていましたが、部落がどうこうとか一度も聞いたことがありません。部落差別というものがあるというのを知ったのは、中学高学年になって、解放同盟の暴力を批判する共産党のビラが入るようになってからでした。自分の周辺地域とは全く無縁の話と感じていました。
地元の方、ありがとうございます。ということは、舟場温泉の場所も分かったりしますか?
部落のことは知らなくて当然だと思います。大阪府の同和担当さえ中崎西に部落があったと知らなかったですからね。
「部落はそこから人がいなくなっても差別は残る」と滔々と語ってましたが、舟場と中津の話をしたら、きょとんとしてましたよ。
行政の担当があんなことでは、そりゃ部落差別なんてなくならないだとうと思いました。
私は舟場温泉に行ったことがありませんが、ツイッターで「毎日通っていました」と書いておられる方によると、中崎西3丁目のマンション「朝日プラザ梅田東」(1980年築)の北端=老人保健施設青美(せいび)の向かい=あたりにあったようです。このマンションは古いお寺を壊した跡に建てられたものです。
なお探訪文中の「斉美会館」は「済美会館」と思います。
お寺は昭和3年頃の地図には載ってました。現地になかったのは取り壊されていたんですね。
「斉美会館」はやはり「済美会館」でしたか。10年の歩みの記述は誤記ですね。
済美は小学校区の名前で、たぶん春秋左氏伝の世々其美不隕其名が出典でしょう。
舟場温泉は朝日プラザの北側にできたマンションの入口部分の場所です。現存する〇〇商店の事務所と朝日プラザの間の場所に存在しました。
済美会館の建物は現存するはずです。今もあるかどうか、GLOW PORTという紳士向けのブティックのある建物です。朝日プラザと道路を挟んで南東向きの角になるでしょうか。
ttp://shibata-shotenkai.com/retrostreet/retrostreetreport2007.pdf
このレポートに昔の公民館の建物が開発により、商店になったとの記載があります。
地元の詳しい情報ありがとうございます。
まさか済美会館が残っているとは思いもしませんでした。
現在のヒカリスヘアー中崎店がそれですね。感動しました。
現況を確認しないで情報提供に至り、大変失礼いたしました。
貴兄には5年位前、電話で未指定地区の情報提供をさせていただきましたが、今回の更なる情報提供で、トランプ君以外に恨みをかうことにならないか、気が弱いので非常に心配です。(笑)
確か出版物によれば済美会館は昭和28年築のはず、同和施策の重要文化財的な存在ですね。
上記の資料にある写真では、まだ公民館らしさは残っていたのですが、イメージが違います。
私も大阪府限定での物知りを自任していましたが、インターネットで莫大な量の情報が入手できる現在では、私の知識量は貴兄の足元にも及びません。私の情報源は大阪市立中央図書館の大阪関連図書コーナーの同和関係文献と府立中之島図書館の開架閲覧室の昔からの住宅地図(恐ろしい程の充実ぶり!)に限られた平面的な知識の積み重ねですから止むを得ないところです。
5年前ですか…ごめんなさい、該当しそうなものが幾つかあって分かりません。
インターネットの情報検索も、結局はベースとなる知識が必要ですし、私以上の洞察力を持つ人はいらっしゃいます。
今後も情報提供して頂けると大変ありがたく存じます。
舟場温泉と葉村温泉は長い間同時に存在してたようですが、入浴料やお湯の質、人気などはどうなってたか興味ありますね。
神戸の部落は行かないのですか?
日本三大部落の番町部落や他には新川部落など大きい部落がありますよ。
個人的には、神戸よりも北の方に有るひなびた村落が好きなのですが、機会があれば神戸にも挑戦してみようと思います。
そうなんですね、番町部落は先日の抗争でよくテレビでしていますしトラブルもたまにありますが、新川部落は現在はかなり平和なので機会がありましたら訪れてみて下さい!
真の部落解放は部落解放同盟などの活動団体により導かれるのではない、ということがよくわかりました。
自然に住民が入れ替わって昔のことなど話題になることはない、理想的なことだと思います。
活動団体に言われるがままに湯水のように同和対策費をつぎ込む愚行は永遠に恥じなければなりません。
ところで、舟場は立地のせいもあるのか、新しい店の参入が増えましたね。
中津はまだ住宅ばかりだな、もう少し時間がかかるのかな、との印象です。
中津のレポートも読んでみたいです。
はい、中津も行ってみます。中津については、実は今残っているのは元スラムで、本当に部落だった場所は河川改修で既に淀川の底のようです。
三重県桑名市下深谷には「共同浴場」という分野の風呂が現存します。
成り立ちが気になりました。
https://deece.jp/amusement/26497977
位置と料金からすると、これは同和浴場ですね。市史を調べたら設置の経緯が分かるかも知れません。
ですね。取り急ぎ、湯に浸かりに言ってみたいと思います!
「同和地区に朝日プラザ」
これは、大阪・奈良の定番ですね。
https://blogs.yahoo.co.jp/tzhosono/40859845.html
創業者は奈良県橿原市「飛騨部落」の松本喜造氏。
とにかく、胡散臭い会社でした。
朝日プラザというのはホテルですか?
同和地区に集中しているようには見えませんが。
朝日プラザというのは、分譲マンションの名称です。
奈良県大和高田市「朝日プラザシティ イーストウィング」
大阪府松原市「朝日プラザ 松原」
など一般のマンションデベロッパーが手を出さない地域、ど真ん中ではないが隣接地に分譲マンションを展開しました。
松本喜造氏は関西のバブル紳士の一人で、同和団体や暴力団との関連が疑われた会社です。
旧舟場には大阪市内各所にある旧町名継承碑があったと思います、
私も70年代から90年代にかけて済美校区に住み、済美小学校に通っていましたが、部落地域という認識もなく、戦前から済美校区に住んでいた親からも中崎町が部落地域であったとの話は聞いたことありません。
(近所に部落出身の者が何件かあるということは親から聞きましたが、本当かどうかわかりません)
参考まで、舟場町は現在の中崎西3丁目、道本町が現在の中崎西2丁目、葉村町が現在の中崎西1丁目、豊島町が現在の中崎西4丁目で、78年頃に改称されています。
貴重なお話ありがとうございます
同和事業を辞退したので1970年代にはもう部落ということは言われなくなっていたと思います
ピンバック: 部落探訪(49) 大阪府大阪市東中島2丁目“南方” - 示現舎