1934年(昭和9年)に世界館(名古屋市)で上映された特撮映画『大仏廻国・中京編』をご存じだろうか。特撮の原点としてマニアの間で語り継がれる作品だ。
残念ながらフィルムの所在が確認されておらず、本編を視聴することはできない。しかし本作の枝正義郎監督(故人)の孫、佛原和義氏の監修で株式会社3Yが『大仏廻国』2018としてリメイクし、今年12月に公開予定。
平成の世も終わりを告げようという今、昭和の奇作『大仏廻国』が帰ってくる! では、一体どんな映画だったのか? また上映当時、どんな反応や評価があったのか? 現存する資料をもとに検証してみた。
名古屋市内を大仏が闊歩する
『大仏廻国』の枝正義郎は戦前、映画監督として活劇、忍者物などの作品を生み出した。主にトリック映像を得意とし、『ゴジラ』『ウルトラマン』の生みの親、円谷英二も師事。その円谷に『マグマ大使』『スペクトルマン』を作ったピープロダクションの創業者・うしおそうじが師事した。
この系譜を見ると枝正は怪獣物、巨大ヒーローなど特撮作品の始祖、原点と言ってもいいだろう。本作は枝正監督の自主製作ながら、オールトーキー(*無声映画の対義語。現在の映画と同じ意味と考えてください)、そして部分的天然色(一部カラー作品の意味)だから当時としては最先端の作品だ。
スタッフは、企画に帝国キネマ出身の名興行師・立石駒吉、天然色撮影法の第一人者、安藤春蔵らが名を連ねた。またシーンこそ少ないが無声時代からの名優、石川秀道も僅かだが出演。この通り名うての映画人がズラリと揃う。
とは言え宗教的教訓、あるいは寓話、メッセージ性、ストーリー性はない。私腹を肥やす領主を倒すべく、大仏が怒りの表情に変化するわけでもない。
日本軍の秘密兵器でもなければ、長い眠りから覚め再び人類のために戦うが、敵は自身の煩悩が生み出したもう一人の自分だったという体の手塚治虫、富野由悠季的なプロットでもない。中京編とあるように、大仏がただ名古屋や愛知県内の名所を練り歩くというだけ。当時の映画評を元にまとめると、こんなストーリーだ。
聚楽園(東海市)の大仏に突如、魂が宿った。110尺(約33m)の大仏は、開眼すると立ち上がり、行脚を始めた。東本願寺名古屋別院(中区・東別院)、本願寺派名古屋別院(中区・西別院)、大須観音を参詣する。そして名古屋城に接近した後、犬山城に向かい城下の堤防を枕に寝る。明けて大仏は、真清田神社(一宮市)を参詣、次いで再び名古屋市内を闊歩する。行程順は明確ではないが名古屋公会堂、名古屋市議会、松坂屋、覚王山、ひたすら名古屋の観光スポットを練り歩く。時には芸妓を掌に乗せて踊らせる。鶴舞公園のガードで、汽車が通過中のところをヨイショと大仏がまたぐ。そして三河地方まで足を延ばし常福寺の大仏(愛知県・西尾市、現在は『刈宿の大仏』と呼ばれる)と対面を果たした。
名所行脚が前半とするならば、後半は地獄めぐり。大仏は、百姓家の娘が死ぬと極楽に導き、そして信仰心がない死人は地獄に送るのだ。地獄の場面では、閻魔大王が亡者たちの裁判をしている。時に閻魔大王は爆弾三勇士に敬意を表し、三原山心中者を叱り飛ばす、血の池地獄、釜茹で地獄も。やがて大仏は、自らも昇天し、五彩の花に飾られ雲に乗り今度は、東京に向かっていくーー。
よく言えば奇想天外、悪く言えば荒唐無稽。地獄で出てきた爆弾三勇士は第一次上海事変の英雄、また地獄で閻魔から説教された三原山心中者は当時、三原山の自殺者が相次いだことの風刺だろう。当時の映画は内務省の事前検閲を受けたが、居丈高な役人たちも歩く大仏を見て腰を抜かしたかもしれない。
本編ラストで大仏は東京に向かうというわけだが、おそらく次作「帝都編」か「東京編」が計画されたはずだ。しかし続編があった記録はない。『キネマ旬報』(1934年9月)によると「仏教宣伝映画」と位置付けているので、おおかた仏教団体か聚楽園がスポンサーと思われる。
聚楽園はもともと観光目的で作られ、駅名(名鉄常滑線・聚楽園駅)にもなった。当時、県内有数の行楽地。あるいは聚楽園のセールスプロモーション映画といったところか。次作がないということは“スポンサー受け”も不発だったと思われる。
キング・コングにインスパイアされた意欲作
また新聞や『キネマ旬報』の論評は、大絶賛ではなかった。むしろ記者の失笑すら感じ取れる。いくつか評を拾ってみる。公開前日の1934年9月13日の『名古屋新聞』(『中日新聞』の前身。1942年『新愛知』と合併)は手厳しい。
逆説的なスペクタクル お彼岸向の・・・「大佛廻國」
大仏のトリックであるが、技術に凝っているようだが幼稚なもので、むろん「キング・コング」などと同日の談ではない。(中略)我々の眼に見るこの作品は、偉大なるナンセンスである。教化的な寓意も主張も極めて低俗で、それ自身がすでにナンセンスだ。
また『新愛知』(9月13日)はこう伝えた。
異色ある大作 大映画佛廻國(*おそらく印字ミスと思われる)
オールトーキー・パート天然色映画「大仏廻国」は公開前から非常な前人気を呈しているが、同映画は事実上本秋の日本映画の異色篇というべきもの
異色、実験的、意欲作だが子供騙しの内容、どうもこんな印象を抱いたようだ。しかし技術的にはは当時の先端をいっている。同号の『新愛知』のコラムでは、「スクリーン・プロセス」など最新の合成技術を採用した点を評価している。一方、公開日から遅れるが『キネマ旬報』(同年11月号)の映画評も興味深い。
「キング・コング」式興味をねらふ猟奇映画とも見られる。
この前年にアメリカで制作された『キング・コング』(1933年)は世界中に衝撃を与えた。クライマックスでキング・コングが美女を拉致してエンパイア・ステート・ビルによじ登るシーンは、本編を見なくともイメージできるだろう。
キング・コングが枝正監督の創作意欲を掻き立てたことは言うまでもない。もちろんキング・コングの技術力には遠く及ばない。それでも日本の映画産業の黎明期において、当時の先端技術を駆使した点は意義深い。だからストーリー性はともかく当時の人々の度肝を抜いたことだろう。公開翌日9月15日の『新愛知』(9月15日)はこう報じた。
世界館では問題のオールトーキーパート天然色で百十尺の大仏様が名古屋市内を始め近郊を歩く『大仏廻国』を公開したところ素晴らしい人気で開始。前十時には館前にファン群の列をつくり開場と同時に満員といふ大盛況を呈したが「大仏廻國」の奇想天外な内容に何れも興趣を百パーセント満喫し大好評だった。
多少、ご祝儀的な評価もあったかもしれないが、当時としては斬新な特撮技術は人々を驚かせたことだろう。著者も一特撮ファンとして敬意を表している。
付録 当時の広告集
すでにインターネット上に出回っている画像もあるが改めて当時の『大仏廻国』の広告集を紹介して終わりたい。
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私はこの辺に萌えます
あー鋭い。それも面白かったから載っけておきました。