京都市北区衣笠開キ町3番地辺りの、天神川(別名、紙屋川)に作られた砂防ダム内に、主に在日コリアンが住む部落がある。航空写真で見ると、明らかに周囲から隔絶されており、さらに現地に行って見るとインパクトがあることから、知る人ぞ知る存在であったが、最近は何度か新聞でも報道され、京都の砂防ダム部落として知られるようになった。
ご存知の通り、砂防ダムとは、土石流の勢いを弱めて、下流に被害が生じないように、急峻な川の上流や谷などに設置される工作物である。ダムとは言っても水を貯めるためのものではないので、中央に切れ目があって、水量が少ない時は普通の川と同様に水が流れるようになっている。
また、上流から流れてきた、よく肥えた土が溜まるので、畑作には持って来いだ。ダムの中とは言っても、要は堤防内の畑と同じようなものである。ダムが出来たのは1953年で、その頃から徐々に人が住み始めていたという。
筆者が最初に訪れたのは2013年のこと。
砂防ダム部落の場所は、佛教大学紫野キャンパスのすぐ裏手にある。京都駅からアクセスするには、市バスに乗って佛教大学前で降りればよい。
一目見て、「何なんだこれは?」というのが感想である。
京都と言えば、知る人ぞ知る「オールロマンス事件」の舞台である。1951年、部落解放全国委員会が、同和地区の劣悪な環境を放置することは差別であると、京都市行政に対して激しい行政闘争を繰り広げた。その一方、このような光景が50年以上放置されてきたわけである。
砂防ダムの周囲には、「李」や「金」という苗字の表札の家が多い。そして、砂防ダムの上流には朝鮮学校がある。
この朝鮮学校には人気がない。それもそのはず、既に伏見区に移転されており、ここは閉鎖されたのだ。
部落の入り口は、天神川の東西両側にあり、部落を東西で隔てる天神川には橋がかかっている。ちなみに、この橋は京都府に無許可で架けられたものなのだが、一度水害で壊れたものが、2013年5月に緊急措置として京都府により修理されている。
部落の中に入ると、今となってはそう見かけないような風景を見ることができる。周囲の住宅地との落差は凄まじいものがある。
それにしても、この状況を当の住民はどう思っているのだろうか? 通りがかりの住民に聞いてみると、どうも「玉川さん」という人がカギを握っているらしい。実は、住民の1人として玉川浩二さんの名前が2013年3月30日の京都新聞に載っており、玉川さんは「他に行き場のない人が、身を寄せ合い暮らしてきた。 長年立ち退きの要請はなく、なぜ今更という思い。年老いた人が多く簡単に別の場所に移ることはできない」 と語ったとされる。
早速玉川さんの家を尋ねたのだが、あいにく浩二さんは体調を崩しており、ここにはいないということだった。
もう1人、この問題に取り組んでいる人として名前が挙がったのが、人権・同和教育を専門とする佛教大学の後藤直教授である。後藤先生に連絡を取り、状況を聞いてみたものの「リーダー不在で住民レベルでの運動としては何一つ進んでない状況で特にお話しできるものもない、というのが現在の状況です」ということだった。
電気、ガス、水道はどうしてるんでしょうか?
それと下水とかはどうなってるんでしょうか?
電気は普通に電柱がありますが、ガスについてはプロパンのボンベは見当たりませんでした。
上下水道も謎です。しかし、谷にあるので確かに掘れば水が出るでしょうね。
七輪を使って、主に焼肉を食しているのかも。
だから、キムチなどの保存食と焼肉が、在日の家庭料理となっているのかもしれません。
在日の生活の知恵みたいな本はないかしら。
電柱があるので、関西電力を脅して、ひいてもらったのでは?
ガスはプロパンで十分だし、水道は井戸を掘れば使えます。(首都圏もまだそういう所ありますよ)
下水は直接鴨川に流しているかもしれませんね。あ、トイレに浄化槽という便利な装置があります。
良く考えてみれば、川の近くに住めば、公共のインフラがあまり要りませんね。
整備をする様に行政に強く求める必要ってなかったのかもしれません。
申し訳ない、鴨川→天神川です。><
京都市の西側で金閣寺の近くですね。
朝鮮人が住むにはちょうどいい環境
嫌ならば朝鮮に帰ればいい
ここで北朝鮮のミサイル発射を喜んでいるのかと思うと恐ろしい
朝鮮人にインフラを供給する必要なし
1Fが柱になっていて2Fに玄関がある家は、水上家屋と言うらしいです。
日本には水上生活者が何万人かいたそうです。朝鮮人だけではなかったかもしれません。
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