「西郡住宅は中核派が関与している」
以前からこんな話を聞いていた。大阪府八尾市の西郡住宅は、同和住宅として建設されたが「解放運動」よりも中核派のイメージがつきまとう。一部住民による家賃の滞納、そして八尾市との係争、住宅明け渡し反対運動といった「西郡住宅闘争」を経て、同住宅は今年の4月1日から株式会社東急コミュニティーが指定管理者になり運営されていく。壮絶な過去を持つ西郡住宅の“今”を見てきた。
大阪府八尾市桂町、幸町、高砂町一帯に並び立つ「市営西郡住宅」。同和事業下で八尾市が建設した市営住宅だ。現在、西郡という地名は、消滅しているが、戦前、この地域が「|中河内《なかかわち》郡西郡村」だったことに由来する。西郡住宅は、一般の住宅と店舗併用住宅の2種類があり、建物自体は、その他の同和地区でもよく見られる集合住宅だ。むしろ特徴は、部落解放同盟全国連合会(通称、全国連)から分派した「全国水平同盟」の影響が強いことだろう。
もし全国連をご存知なら、よほどの部落マニアだ。最近では、全国連が関西で部落差別ビラをばらまいた犯人を特定したことは本誌が報じた通り。また、『全国部落調査』をめぐり不定期的に本誌に糾弾状を送付してきた団体でもある。
全国連は、もともと東大阪市にある部落解放同盟大阪府連合会荒本支部が分派して1991年に結成した部落解放運動団体だ。全国連は、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)と関係が深く、共闘関係にあった。しかし2008年、全国連は、運動方針をめぐり中核派と「断絶」を宣言。しかし、全国連傘下の一部の支部はこれに同調せず、西郡支部を中心に2013年、中核派系の「全国水平同盟」を結成した。つまり、全国水平同盟は部落解放同盟の分派のさらなる分派の団体と言うわけだ。ある意味、最もエキセントリックな団体かもしれない。
分裂時の様子を中核派の機関紙『前進』(2013年7月19日号)は、こう報じている。
「今再び部落解放へ新たな宣言を発する時が来た」と呼びかけた、部落解放の新たな全国組織・全国水平同盟がついに結成された。7月14日、大阪府八尾市西郡桂人権コミュニティセンターに多くの西郡住民を始め350人が結集し、熱い感動あふれる歴史的な結成大会が大成功した」
記事によると、この結成大会の際、「新たな住宅闘争をきりひらこう。八尾北つぶしをはね返そう」との呼びかけがあった。「住宅闘争」とは、冒頭でも触れた「西郡住宅闘争」のことだ。西郡住宅の一部住民が長年に渡り、家賃を滞納しており、返済を迫った八尾市から民事訴訟を起こされた。善良な住民の名誉のために言っておけば、ここで言う一部住民とは、もちろん活動家、運動家といった面々のこと。中には、数百万円もの家賃(その他経費を含む)を滞納していた住民もいたほどだ。被告の中には、岡邨洋西郡支部長らも含まれていたことから、家賃の滞納は、経済的事情よりも政治的意図が強いのだろう。滞納していた住民の家賃例を見てみよう。
住民A
家賃(月額) | 14600円 |
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共益費 | 800円 |
敷金 | 29200円 |
駐車場 | 1000円 |
住民B
家賃(月額) | 3000円 |
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敷金 | 6000円 |
住民C
家賃(月額) | 2600円 |
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共益費 | 800円 |
敷金 | 1800円 |
一般的な感覚で言えば、支払い困難な額ではないだろう。住宅闘争で配布されたビラには、「働き手が失業したり、病気になって家賃が払えなくなることなど、誰にでも起こることです」と書いてある。その通りだ。しかし最も滞納額が多い住民(被告)が元気で勇ましく演説する姿が機関紙に掲載されている。どう考えても「病気や失業」だけが理由と思えない。滞納していた住民たちは、すでに市営住宅から退去し、現在は別の住民が住んでいた。話によれば住民の多くは、一般の公募で入居しており、高齢者が多いということだ。エレベーターがないため随分、不便しているらしい。足が不自由な高齢者は、優先的に低層階に入居させるようにしており、上層階の住民のゴミは、八尾市職員が回収しているそうだ。独居老人の生活支援の一助になっており、有効活用されている印象だ。
実際に住宅群の周辺を散策してみると、すでに店舗併設の住宅の「店舗部分」の大半が廃業しているようで、中にはゴミ屋敷化しているところもあった。
同和事業で建設された集合住宅では、家賃が安い分自動車にお金をかけるために、駐車場にベンツやレクサス、セルシオ等の高級車が停まっているということがありがちだ。ところが西郡住宅の場合は、こうした現象は見られなかった。今となっては一般公募で入居した住民、特に高齢者が多く、文字通りの社会的弱者のための住宅となっているようである。
一方、延滞や一部住民への退去問題について住民に尋ねると、多くを語りがらなかった。そんな中で、質問に応じてくれた西郡住宅の住民は、苦々しくこう語った。
「裁判のことはあまり話したくないな。昔は、そんなんやなかったから。ある人が煽ったからみんなおかしくなった。もちろん住民たちがその人を担いだのもようなかったけどな」
この話で出た“あの人”について問うてみたが、「そりゃ言われんわ。その辺で聞いてみたらええやん。みんなそうやって言うわ。すぐ分かるわ」と口は重たい。
もしやこの人物では? とあるメモを見せた。
「元八尾市議、末光道正《みちまさ》八尾北医療センター院長」
この住民は、ただうなづくだけだった。末光道正氏は、西郡住宅闘争、またこの地域の運動の指導者的存在だ。1970年代の安保闘争の最中、京都大学生として学生運動に身を投じていた筋金入りの人物。そして八尾北医療センターは、西郡住宅闘争を含めたこの地域の活動拠点、ランドマークになっている。また病院だけではなく一種の「コミュニティーセンター」の役割も果たしており、全国水平同盟などの集会がセンターのロビーで開催されている。
西郡の解放運動を率いる末光氏は一体、どんな人物なのか? ますます会ってみたくなった。八尾北医療センターに行けば、氏に接触できる何らかのチャンスがあるかもしれない。そんな思いで同センターを訪問してみた。すると意外な出来事が起きた。
実は、この日は、全国水平同盟の運動家や付近の住民による「懇談会」の日だった。西郡住宅が指定管理者制度に移行することへの反対集会といった様相だ。センターに入ると、車座になった約30人ほどの住民・運動家がロビーに集まっている。ロビーは「待合室」というよりも、活動拠点と言うに相応しく、おおよそ病院とは似つかわしくないスローガンが張り出されている。懇談会のスタッフと思しき人に名刺を渡し、末光氏への面会を求めてみた。しかし末光という名を出すと怪訝な表情を浮かべた。
「先生に会わせるわけにはいかない。少し待ってほしい」
すると「もうすぐ会が終わるからここで待ってや」とロビー脇のベンチに座るように促された。そして懇談会が終わり、しばらくすると複数の活動家がやってきた。
「何を聞きたいん?」
「何しにきたんや?」
という。
なぜ家賃の滞納が起きたのか、その事情を伺いたい、との旨を告げる。
「記録を見たんやろ。そこに書いてある通りや」
しかし明確な理由は書いてない。スローガンめいた文言は並ぶが、そのことが「滞納」する理由とはどうしても思えない。そう話し、家賃例などを見せたが、怒りは収まらないといった様相だ。
続々と活動家が集まってくる。激高した一人が怒鳴る。
「ここをどこやと思っとるんや!」
「病院です」
「あかん、こりゃ話にならんわ。出てってください」
「でてけー」と叫ぶ者あり。「差別者が!」という者あり。活動家が総出でやってきた。ガラガラガラーー、と門のゲートが閉まり締め出されてしまう。これ以上のやり取りはできなかった。
現在、西郡住宅問題は、国家賠償請求に移り、闘争は継続されている。しかし地域の住民たちから支持されているとは、到底思えない。また同和事業盛んなりし時代ほどのエネルギーは、失いつつあるのだろう。しかし部落解放団体が失いつつある”荒ぶる高揚感”を八尾北医療センターで垣間見た思いである。
貴重なルポをありがとうございました。
”荒ぶる高揚感”といえば、「崇仁協議会」vs「崇仁・協議会」の対立が現在どうなっているかも興味があります。今度、取材していただけませんか。
こいつらあほやな。日本国のため、早く死んでください。
同和問題は、ほとんど終わりつつあります。
一番問題は、公務員の問題です。
市民の二倍三倍以上の年収を取り、福利厚生、退職金、国が1200兆の国債発行で破綻しかけてるのに
これを一番取り上げて頂きたい。
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