ルポ 陰謀論者の楽園
「田布施システム」の真実(前編)

三品純 By 三品純

田布施たぶせシステム」。こんな言葉をご存じだろうか。幕末の動乱期、長州藩(現山口県)田布施村の若者、大室おおむろ寅之助とらのすけが陰謀によって明治天皇にすり替わるという典型的な「陰謀論」である。もちろん決定的な物証もなければ、裏付ける資料は何一つない。ところが意外と田布施システムの信奉者は多く、中には政治家、著名人もいる。何が彼らを惹きつけるのか。また一体、田布施システムとは何か? 現地取材を通してこの壮大な陰謀論の正体に迫った。

陰謀論の町、田布施

山陽本線「田布施駅」

山口県熊毛くまげ郡田布施町。同県南東部の一自治体に過ぎないこの町にとてつもない陰謀が隠されているという。それが「田布施システム」なのだ。もともと「田布施システム」という言葉自体が存在しているわけではない。陰謀論好きな人々やインターネットユーザーらによって作られた「造語」である。だから決して「田布施システム」という正式な用語があるわけではないが便宜上、本稿ではこの言葉を使うとする。さてこの「田布施システム」という現象を簡単に説明すると、こういうストーリーなのだ。

時は幕末、長州藩に大室おおむろ寅之助とらのすけなる青年がいた。長州・薩摩の両藩と一部の公家の企てによって睦仁むつひと親王(明治天皇)が暗殺され、大室を天皇にすり替えたのだという。寅之助を天皇に仕立てた薩長、つまり政府はユダヤ人資本とも手を結び明治天皇をコントロールして日本社会を牛耳っていく。そしてこの“闇”の力によって田布施出身者はシンジケートを形成し、岸信介そして佐藤栄作の2人の総理大臣をはじめ著名人を輩出した。さらに岸の孫である安倍晋三首相もこのシンジケートがバックにつく。この一味は「田布施マフィア」とも言われ日本を支配している。

本稿は曲がりなりにもジャーナリズムに即し取材と執筆をしてきた。だからこういう表現は使いたくないが信奉者たちにあえて言う。

「頭、大丈夫か?」と。

田布施陰謀説を扱った関連文献はいくつかある。分厚い割に山のような引用、伝聞推定をまるで我が目で見たかのような記述、そして天空を突き抜けるほどの論理の飛躍。こういう性質のものだ。それでも「田布施システム」という言説に迫るのはあらゆる意味で興味深い現象が詰まっているからだ。もともと田布施町にまつわる陰謀説を広めたのは人権派弁護士で歴史研究家でもあった鹿島昇(故人)。鹿島の著作『裏切られた三人の天皇』(新国民社)が最も詳しい。本書は一部歴史愛好家らによって支持されてきた。決して広く支持されてきた説というわけでもない。しかしこの説がネット上でも盛んに取り上げられるようになったのは2012年のことだったと思う。この前年に3・11東日本大地震、そして福島原発事故が発生したのはご存じ通り。当時、「人工地震兵器」など様々な陰謀論が巻き起こったものである。思うに社会不安がある時に人は「答え」を求めがちだ。3・11直後はまだ余震が続き不安な日々が続いた。あの当時の社会的動揺を覚えているだろうか。その時に「人工地震兵器」なる言説はそう言ってはとても失礼だが“あまり賢くない人々”を安心させるに十分だった。何か不都合な現象に対して「陰謀論」を信じることで自分自身の動揺を癒す、そんな風潮が垣間見えた。

そして2012年、衆議院選挙である。同年12月、脱原発候補として衆議院選挙に立候補した山本太郎(現・参議院議員)を社会運動家・三宅洋平が応援した。ちなみに三宅もまた田布施陰謀論の信奉者として話題になった。当時、滋賀県前知事の嘉田由紀子氏が「日本未来の党」を結成。同党が左派・リベラル層の受け皿になり、「脱原発」などへの期待が高まったが結果はご承知の通り惨敗。そして自民党が与党として政権復帰することになった。この時分から「田布施システム」なる言説が増殖した印象だ。そして同時にこんな陰謀説が飛び出した。集票機器メーカー「ムサシ」(東京都中央区銀座)が票を操作し自民党を勝利に導いたと。この件については『野党敗北は陰謀!?集票機器に怒る市民たちの悲哀』が詳しい。日本未来の党が敗北したことは集票機器の操作にあるという陰謀論だ。論拠をもって訴えるというよりは明らかに「八つ当たり」のレベルである。つまり一部左派の支持層は、自民党政権復帰の裏に「田布施マフィア」と企業の陰謀があると考えた。

ただ選挙敗北における集票機器への責任転嫁というのは左派だけというわけでもない。国政、地方選挙に限らず野党系が勝利すると保守層からも集票機器の操作を訴える人は少なくない。保守・リベラル共通の現象だ。面白いことに田布施システムも同様に、実は保守・リベラルを横断して信奉者がいる。普段はウヨク・サヨクと反目し合う彼らが「陰謀論」の世界では妙に一致することがあるのだ。こうした現象については様々な論考を加えたいが、とりあえず田布施町ルポへ移る。

2人の総理大臣を輩出した町

駅近くの田布施町役場。

それにしても町はこうした陰謀説についてどう感じているのか? 事前に田布施町に問い合わせてみた。応対した町担当者はもちろん田布施陰謀説を知っていた。しかし誤解を解くためのアナウンスをしているわけでもない。また数件だが、町へ田布施陰謀論についての問い合わせもあったという。残念ながら内容については「個人情報」という理由で教えてはもらえなかった。どうやら町も一応、認識はしているようだ。ただ田布施町が陰謀説を否定せず「放置」するのは賢明だと思う。なぜなら陰謀論者や信奉者たちは否定すれば否定するほど、さらに信じ結束する。だから基本的にこの手の話というのは「放置」に限る。

田布施は遺跡の町としても知られている。

さて田布施町だ。同町は岸信介、佐藤栄作という二人の総理大臣以外にも著名人を輩出している。また遺跡の町としても知られる。今回の取材のお目当ては大室寅之助の子孫にあたる人物への取材だった。というのは寅之助から見ると甥に当たる大室おおむろ近祐ちかすけが戦後、「俺は大室天皇だ」と名乗った。そして鹿島昇ら田布施陰謀論者たちも大室天皇に心酔し、この説を支持したのである。事前調査で大室一族が田布施町内にいると聞いた。そこで“大室天皇”の一族に田布施システムについて直接聞いてみようと思ったのだ。

その大室家に向かう途中、「田布施町郷土資料館」を見つけた。なにしろ田布施は遺跡の町でもある。きっと貴重な展示物があるに違いない。そう思い予習がてら、田布施を学ぶべくに行ってみた。玄関には「岸信介 佐藤栄作 兄弟宰相 遺品・資料常設展示」とある。この資料館一押しの展示物であるのは言うまでもない。

佐藤栄作の最後の給料袋。

館内は写真撮影は自由だという。受付にいた職員もゆっくりご覧になってくださいと親切だ。しかし「田布施陰謀説」というものについてどう考えているのか? こんな質問をしてみた。もちろんそんな噂があることは知っているが「私は詳しいことは分からない」とこんな反応。とても当惑した様子が伺えた。さておおよそこの手の資料館、記念館というのはとても「貧弱」だ。展示物が乏しいからやたら広いエントランス、高い吹き抜けなどなど。資料館・記念館の“あるある”だ。しかし田布施町郷土資料館は違う。2階の岸・佐藤両首相の常設展示は実に充実している。とても珍しい品々がある。世間で言うような陰謀説とは別にやはり郷土の英雄としてとても親しまれているようだ。

佐藤栄作の名誉町民賞状。

岸信介の名誉町民賞状。

そして資料館見学後は大室家に向かった。そして非常に貴重な人物と出会うことになる(文中敬称略)。

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「田布施システム」の真実(前編)
」への2件のフィードバック

  1. .

    田布施の部落とも関わってくる話ですね。

    「田布施システム」の支持者は、堀川辰吉郎や中丸薫の信者層と重なっている印象があります。特に堀川は松本治一郎の盟友を名乗っていた男ですから、示現舎のテーマとしても面白いのでは。

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  2. 打桐豊成

    田布施云々は2ちゃんねる日本史板荒らしで初めから田布施の部落の分家が指摘されて破綻していたね

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