「同和と原発」を喰った(元?)部落解放同盟員・森山栄治の履歴書

三品純 By 三品純

関西電力役員の金品授受問題。高浜町元助役の故・森山栄治の暗躍ぶりが連日、報じられている。日本の人権問題の絶対的な存在、部落解放運動家が原発行政の中心で、財を成していたとは皮肉な話。このような事件は過去にも繰り返されてきたが、その度に「差別」「偏見」「デマ」で押し切ろうとされてきた。しかし事態はそんな居直りで済むほど甘くない。第二弾目となる今回は森山の爪痕とともに彼を取り巻いた人々を紹介していく。

それにしても関電報道を取り巻く状況はあまりに白々しくうすら寒い。森山が不可侵な存在となった要因に部落解放同盟、同和問題があることは明白だ。にも関わらずTV・新聞は必死で避ける態度がありありと伺える。言うならば報道において同和を避ける“ 忌避意識 ”というものだ。マスコミ諸氏は「忖度」しているのか、何かを恐れているのか知らない。もちろん森山を恐れた関電は情けない。ただ同じく同和を恐れ配慮するマスコミはさも「ジャーナリズム」を演じるわけだがその実、関電と同類であることをぜひ自覚してもらいたい。 余計なことだが本題に入る前に少しだけ――。

森山への「おもてなし」とは…

それにしても本当に現代の話なのかと耳を疑いたくなる。関電側の説明によれば森山から贈られた菓子折りに現金、小判や金貨が仕込んであったという。まるで時代劇の悪代官と商人のような話だ。関電は金品を返却するとの方針だが、まだその大半は返せていない。それも当然だろう。西三松の森山邸には人がいない。その主不在の森山家の表札には「森山一雄」とある。

「それは娘婿さんだね。栄治さんの後を継いだんだよ」(近隣住民)

一時は森山邸に報道陣が殺到した。それを避けるためにどこか別の場所に潜伏していると思われる。では 一雄氏が関電問題について「知らぬ」で済むかと言えばそうもいかないだろう。関電から多額の受注している株式会社オーイングは森山が創業に関わった他、役員(取締役)を務めていた。また一雄氏も取締役に名を連ねている。

すでにTV、新聞等の報道で関電や高浜町の“おもてなし”ぶりは十分、伝わっていることだろう。 高浜に限らず電源立地の自治体議員や有力者に対して電力会社はとても配慮するものだ。故・松本龍元復興対策担当大臣が言った「地元でコンセンサス得ろよ」ではないが、逆にこの場合、地元側が電力会社に対して「地元のコンセンサス得ねえぞ」となっては大変だ。だから高浜に限らずその他の原発立地でも電力会社はハコモノ、学校教育、雇用創出、あらゆる贈り物をした。にしても森山はあまりに別格な存在ではあるが…。

80年代、森山が助役として権勢を誇っていた時分である。役場に関電の原発担当幹部が訪ねてきて、森山と町職員が応接間で対応した。まだ事情を知らない入庁したての若い女性職員がコーヒーを出すように指示された。彼女はカップにコーヒーを淹れ、一同に出そうとしている。そこに先輩の女性職員が飛んできた。

「あーーちょっと、それあかん」

先輩職員は森山以外のコーヒーカップから皿を取った。皿がついたコーヒーは森山だけというわけだ。いかに原発立地の自治体に配慮しようとも常識的に考えておかしい。この場合、客である関電社員に気を遣うべきだが、「高浜ルール」は違うらしい。それも皿の有無で優劣をつけるというこの有様は奇妙というよりも子供染みた話だ。この通り、関電だけでなく役場側が森山に配慮するというパターンもある。もちろん森山が「同和のドン」だから町職員もひれ伏すというわけだ。

「卑屈なものでしたよ」

当時の町政を知る人物はこう苦笑した。

「来客中に、森山さんに電話がかかってきたから伝えにいくでしょ。すると席を外している間、町職員は立って待つわけですよ。お客さんはびっくりするわけ。なんで起立して待つんだって」

その増長ぶりは『前衛』(1982年8月号)「<ルポ>原発のある風景」が詳しい。引用してみよう。

高浜町では、関電と直結した浜田倫三町長と森山栄治助役が、町行政の隅ずみにまで君臨し、私利私欲をむさぼっていた。少しでも町政を批判する者にはたちまち脅迫と報復で報いた。

町政の実質的なボスは森山助役であった。彼は、かつて京都で味をしめた経験をいかし、自分の住んでいる町内の同和地区西三松部落に自ら組織した「部落解放同盟」を指揮して、だれかれ容赦なく“糾弾 ”をくり返してきた。町議会までが町長・助役の脅迫に屈し、その親衛隊になりさがっていた。

2000年代に入ってまで続いた森山の影響力の原点が垣間見える。町の誰もが森山らの糾弾を恐れたというわけだ。その対象は有力議員であっても起こりえた。

高浜町が制作した啓発パンフレット「同和と人権」。水平社宣言や同特法など基本的知識がまとめられている。これも森山の置き土産?

次期町長候補の議長を糾弾で潰す

部落解放同盟の糾弾が怖いというのは広く知られたことだろう。「偏見」という人もいるかもしれない。あるいはもう少し知恵がつくと「共産党が作り上げたイメージ」と反論するだろう。実際、著者も解放同盟員に取り囲まれたことがある。我々は慣れっことしても、示現舎の活動とは無関係の友人がただ著者と一緒にいたというだけで同盟員に包囲されたことがあった。今でも友人はフラッシュバックで「震える」という。そういう話を聞くたびに申し訳なさで一杯になる。

「偏見」「差別」でもなんでもない。事実であり実体験だ。何よりも行政やマスコミの態度がそれを物語っているだろう。解放同盟員が集団になって向かってくるのは本当に凄まじい。そして同和は怖いという心理的恐怖を植え付ける決定的な手段が「糾弾」なのだ。通常、糾弾とは企業・団体を屈服させて何らかの成果を引き出すのが目的である。かつての『解放新聞』は一面に糾弾対象の企業や行政の職員を並ばせそれを同盟員が囲む写真を掲載。糾弾の現場を見せつけた。この効果は絶大である。

糾弾とは主に3つに大別できる。一つが「他にやることがないから」というかガス抜き的な意味合い。直近で言えば「士農工商えた非人」で糾弾されたサイゾーの事案などがそうだろう。二つ目が先述した通り、行政・企業を屈服させ、何らかの成果を得ること。このパターンが最も多く力を入れるところだ。三つ目が政敵、論敵、単純に「嫌いな奴」を排除・攻撃するため。このやり方には高浜町議会の議長、そして一時は町長の後継者と呼ばれた人物が犠牲になったこともある。

町長候補の有力者だった。

高浜の住宅地図や電話帳を見ると、「一瀬」という名字が多い。森山が全盛期に一瀬敏昭(故人)という議員がいた。森山を重用しかつ剛腕と呼ばれた浜田倫三町長の片腕だったのが一瀬だ。原発推進派として活動していた。意欲的な議員で浜田に命じられては一軒一軒、家を回る人物だったそうだ。

時は1977年。全国的に狭山事件裁判への抗議である、解放同盟による狭山闘争が激化しいわゆる「ゼッケン登校」「同盟休校」が活発化した。また同特法が施行されて以来、地区住民に対する優遇策から逆差別が問題になっていた。高浜でもそうした波がやってきた。そんな時代のこと。浜田町長は一瀬に「お前が後継者だ」として、一瀬に町長の座を譲る意向だったがなぜか翻意して町長を続けると言い出した。一瀬はこれに怒って反浜田に転じ、町長選に向け着々と支持を固めたという。無論、浜田町長や森山助役にとって面白くはない。かといって立場上、直接行動は難しい。

そこで一瀬落としのためにとった手段が「糾弾」だった。

高浜町は青郷村・和田村・内浦村の4つからなる町だ。一瀬は4つの地区を丁寧に回った。ある時、和田公民館で住民の会合があった。一瀬も出席したがそこで「同和地区の就学金はええなあ」とこんな話が出たという。それは一瀬が発したものかどうかはっきりしない。あるいは“ 仕組まれた”発言の可能性もある。事実関係は曖昧だが、和田公民館での会話は差別発言として一瀬を糾弾せよとの声が強まった。

解放同盟高浜支部があった三松センター。現在は町の職員が配属されているが、内部には解放同盟の集会ポスターが貼られており同和感満載の施設だ。

糾弾の先鋒は部落解放同盟高浜支部長・田中稔。この人物は森山の姉の夫、つまり身内である。この一件は先の『前衛』にも掲載されていたが、同誌によると前稿でも登場した山下敬太郎書記長(当時)、そして大阪府連の友永健三((部落解放・人権研究所名誉理事)、京都府連の中野孫四郎副委員長が応援にやってきた。(※なお後の取材で、 友永健三氏は関与を否定した)

「この差別者が! 誰がカネを儲けたんやて。いうてみい」

「部落の者だけがええ思いしていると差別発言をしたんやろ」

こう激しく問い詰められた一瀬。この心労が災いしたのか彼は脳卒中で倒れ、半身不随の体になった。妻に肩をかりそれでも活動を続けた姿は立派かもしれないが、痛々しくもある。一層、森山一派恐ろしやと印象付けたことだろう。

「同和と原発」を喰った(元?)部落解放同盟員・森山栄治の履歴書」への18件のフィードバック

  1. アバター.

    いつも興味深い記事を読ませていただき、ありがとうございます。

    京都の役所にいた頃の森山栄治の活動や、野中広務との交際についても知りたいですが、さすがに古すぎて取材は難しいでしょうか。

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  2. アバター生田恵三

    森山氏が高浜町助役を退任したと同時くらいに高浜発電所のメンテナンス工事に元請として参画してきた企業に、兵庫県高砂市に本社を構える柳田産業なる企業があります。(http://www.yanagida.co.jp/corporate/index.html)
    元々は、三菱重工業(株)高砂製作所でプラント機器の塗装作業をしていた構内業者でしたが、柳田社長の妻が森山氏の姪にあたることから、森山氏の力添えにより、社名変更の上、プラント機器の保守作業に乗り出してきたものです。大した技術も必要としない業務でしたが、関西電力からは特命で受注し、コスト低減が叫ばれた時でも、柳田産業への発注予定工事は、関西電力の誰も手がつけられない状況でした。年を経るにつれ、高浜発電所での受注高もどんどん増え、当初は高浜発電所だけでの工事受注でしたが、森山氏の力によって、大飯発電所、美浜発電所と、その受注範囲はどんどん増え、なかなか再稼働がままならず、定検工事もなかなかない今においても、年間売上高50億円強で経常利益10億円以上という状況を維持しています。
    また、衆議院選挙が今と異なり、中選挙区のころは、故河本敏夫通産相の選挙区であったことから、年始には河本敏夫氏の秘書が、関西電力の本店に役員クラスを訪問し、「柳田産業をよろしく」と挨拶に来たものです。同和のみならず通産相をも歴任した自民党の有力政治家が絡むと、関西電力としては、忖度せざるを得なくなってしまいます。かような背景を熟知していなかった軸丸(じくまる)元高浜発電所長は、「どうして柳田産業にこんなにも工事を発注しなければならないんだ」と部下に尋ね、それが回りまわって、森山氏の耳に入ったとたん、普通発電所長の任期は3年程度あるにも関わらず、わずか1年で異動させられてしまいました。
    最近では、世耕氏に献金しているようです。(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-27/2015042701_04_1.html)
    柳田産業の事業所の一つに京都支店(京都市中京区新町通四条上ル小結棚町431-201)があり、ここが森山氏の京都の拠点・住まいとして利用されていました。(この間までは、柳田産業のHPに記載されていましたが、ここ数日の間に掲載削除されたもようです)
    森山氏は、関西電力の幹部を呼びつける際には、高浜発電所に近い、高浜町、舞鶴市、小浜市ではなく、京都祇園の料亭だったとのことです。
    先の関西電力トップの記者会見では、今回の事案の発火点となった吉田開発がクローズアップされましたが、森山氏が、彼の腕力を最大限発揮していたのは、まさに柳田産業への工事発注だということです。
    岩根社長が人権教育を受けたのは、1990年代初頭の京都支店課長時代ですから、高浜町の助役を退いた直後のその頃から、京都で暗躍していたということです。
    今回、八木会長の金品受領が2006年でしたが、想像するに、1990年初め頃から、連綿と引き続いていたと想像できます。つまり、秋山社長の頃からで、さかのぼるならばその頃まで必要なのではと思うところです。

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    1. アバター茹でガエル

      興味深いレポートです。序の口なのでしょうが、これが本当ならば「拍手」しかない。

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  3. アバター四葉

    ・・・こうして建設推進、反対の両者の動きが活発となるなかで、従来から設置者により立地自治体へ協力金の名目で拠出されていた寄付金の問題があらためてクローズアップされた。とくに高浜町では七六、七七年に住民や議会に報告されないままに関電から九億円の協力金を町長個人名の普通預金口座に受け入れ、うち三億三〇〇〇万円が町内五漁協に配分された。これに対して住民から監査請求が出されたが監査委員により問題なしとされ、再監査請求に対しても請求の理由なしとの監査結果が通知された。その後、町長に対する損害賠償請求の住民訴訟が福井地方裁判所に提起されたが、七九年一一月、福井地裁は請求人の訴えは不適法として却下する判決を下した。・・・
    『福井県史』通史編6 近現代二 より
    https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T6/T6-6-01-01-03-04.htm

    森山氏が収入役から助役に昇進する頃のことですね。

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  4. アバター一市民

    今回の森山元助役に対する関電の対応は被差別部落という「特殊権力」への過剰?な配慮なくしては
    考えられないものだ。関電のコンプアライアンス問題以前に相手が同和のパワーを汚く使って権力を
    ほしいままにしたのが事実なのかどうかマスコミもその点を明らかにしないと話にならない。
    マスコミは真実を追求することで同和を敵に回す勇気があるのか?
    この問題はデリケートだが解明されるべきである。でなければ納得できない。

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  5. アバター.

    週刊ポストの記事は、森山と暴力団の関係を書いていますね。詳細が知りたいです。

    週刊新潮で解放同盟福井県連の者が「森山がうちにいたのは1~2年」と発言していますが、『郷土誌 青郷』によると少なくとも1969年から1972年まで森山は解放同盟高浜支部の指導者だったとのことで、「1~2年」よりは長かったと考えられます。

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  6. アバター.

    https://twitter.com/tottoriloop/status/1181478175949213697

    「高浜町に行ったことはない」ではなく「高浜町に行った記憶はない」ですからね。政治家の常套句「記憶にございません」と同じです。
    解放同盟界隈の人間の言うことを裏付けなしに真に受けるのは、いかがなものかと思います。
    「七項目の確認事項」をめぐる上杉佐一郎の否定発言が示すように、彼らは平気を嘘をつきます。

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    1. アバター鳥取ループ

      実際に面と向かって聞きましたが、私には嘘をついているようには思えませんでした。友永氏はいろいろな意味で何を言っても平気な立場なので、あえて隠す理由はないと思います。

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  7. アバター.

    「森山氏は部落解放同盟福井県連合会書記長に就任。その言動が高浜町への厳しい指摘であったり、福井県に対する過度な指摘等が問題とされ、2年で書記長職を解任」

    http://www.bll.gr.jp/info/news2019/news20191008.html

    1972年といえば、解放同盟がまだまだ暴力糾弾を派手にやっていた時期です。行政に対する、単なる「厳しい指摘」「過度な指摘等」で書記長をクビになるとは不自然な話です。

    警察沙汰になりかねないような、よほどのことがあったと見るべきでしょう。何があったのでしょうか?

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  8. アバター.

    今週号の週刊新潮にも森山栄治のことが書いてありますね。解放同盟の威光を笠に着ていた森山は、応接室で自分へのお茶の出し方が乱暴だと感じると「俺が部落民だから乱暴に置いたのか! 差別だ!」と怒鳴ったとか。

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  9. アバター操られた反日メディアの正体とは

    操られた反日メディアの正体とは
    2019年10月4日 1:30 AM
    ツイート 概ね巡らせていた推察が、MS氏の記事と結構被る。 (・ω・) 辻元清美、飴をなめると、やめられないとまらない。 MS blog #森友学園 #北朝鮮利権 #北朝鮮シンパ
    https://twitter.com/europa_charon/status/845628664318328832
    そういうものを使う、小沢一郎と使われる仲間。

    返信

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