曲輪クエスト(53)大阪市東中島3丁目“飛鳥”

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By 宮部 龍彦

大阪の飛鳥部落と言えば、2005年の飛鳥会事件で全国的に知られるようになった部落である。また、橋下徹前大阪市長が育った地区としても知られている。

世帯数は1935年に230,1958年に431,2000年に585と記録されている。

昔は「南方新家村」の分村であり1753年の『摂州住吉東成西成三郡地図』には「新家ノ皮多」との記述がある。その名の通り、江戸時代初期に新田開発のために移り住んできた人々が起源と言われるが、なぜ「皮多」になったのかまでは不明である。

1921年に阪急崇禅寺駅が出来た頃には「崇禅寺」が部落の呼称であったが、1925年に大阪市に編入された際に、現在の柴島高校の辺りの字名をとって「飛鳥町」とし、その後これが同和地区指定された際の呼称となった。今年の6月、グーグルマップで阪急柴島駅の名前が「部落柴島駅」と変えられていたことが話題となったが、柴島駅近辺は部落ではない。部落の最寄りにあるのは崇禅寺駅である。

部落を訪れると、整備された歩道と公営住宅が見え、やはり同和地区であることを感じさせる。

阪急の線路の向こうは柴島で、踏切に並行する道路の北西側が部落である。

市営住宅の1階は改良住宅店舗になっている。ここは「アスカショッピングセンター」と言うらしい。ほとんどはシャッターが閉じていたが、喫茶店とお好み焼き屋は営業中だった。

そして、やはり空き地も目立つ。

ただ、この部落はあまり暗い雰囲気はない。小奇麗な市営住宅と保育園がある。

崇禅寺駅前は商店が少なく、不便だったのだが、つい最近ローソンが出来た。車が停められるコンビニはありがたい。

実はこの場所は、かつての大阪市立飛鳥人権文化センター(旧飛鳥同和地区解放会館)が建っていた。巨大な茶色い煉瓦の建物が威容を誇っていた。しかし、2014年に解体され、跡地は民間に売却された。

ローソンの隣には、立派なマンションが2棟建っている。崇禅寺駅まで歩いて1分で行けるので、かなりの良物件である。

さらに進むと「ともしび福祉会」の福祉車両が。この「ともしび福祉会」こそ、小西邦彦が設立した福祉法人である。

部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長であった小西邦彦が、大阪市から委託されていた駐車場の運営収益を過少申告し、少なくとも6億円を懐に収めていた。そのため、2006年に業務上横領と詐欺容疑で逮捕された。これが飛鳥会事件である。

西中島の高架下にある「大阪駅南第2駐車場」。ここがかつての「西中島駐車場」であり、小西邦彦が得た不正な利益の源だった。飛鳥会事件を期に、同和行政にからむ様々な不正、解放同盟と暴力団とのつながりが問題となり、大阪市は一気に同和事業廃止へと舵を切った。

ただ、飛鳥会事件は2006年に起こったというより、小西邦彦は1983年からずっと不正な利益を得ていて、2002年に国の同和事業が終わったあとになってようやく問題視されたと見るべきだろう。同様の業務委託は飛鳥以外の他の同和地区でも行われており、汚いことをやっていたのは飛鳥だけで、他の地区はクリーンだったと言われても、信じる者はいないと思われる。

掲示板には同和色はない。

ここが飛鳥ともしび苑、かつての「飛鳥健康管理センター」。立派な介護施設である。なぜあれほどの問題に関わっていた団体が存続しているのかと言えば、やはり「同和利権」がなくなった後の雇用の受け皿として欠かせないのだろう。同様の福祉法人は他の同和地区にもある。

市営住宅などがないところは、ごく普通の町並みである。新大阪駅近辺でこのような風景はどこでも見られる。

大阪市の案内板にはまだ「解放会館」が書かれている。

この空き地は府有地のようだが、不法投棄をすると罰金を徴収されるらしい。

その警告をなぜ「ともしび福祉会」が出しているのかはよく分からない。

市有地はどんどん売却されたが、どうも府の方は動きが鈍いのかも知れない。

こちらは市営東中島住宅と崇禅寺住宅。このどれかの立替工事の際に、土器と埴輪が出土したという。

ここが駅名の由来となった崇禅寺。ここから北西側は日之出部落である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(53)大阪市東中島3丁目“飛鳥”」への10件のフィードバック

  1. 長柄東のねこ

    柴島も懐かしい地名ですね。ちなみに「しばじま」ではなく「くにじま」と読む難読駅名ですよね。
    部落差別は良くないけれど、部落があるということは、反対に言えば「歴史がある」ともいえると思います。
    家柄が固定されて数百年と過ぎているので、何か伝わるものがあると思うし、特に「ただ単に貧しい人たちのスラム」だったところではない、お城の汚れ仕事などやっていたような家とか、村落の特殊な仕事をしていた家とかには特有の歴史資料があるようにも思います。
    差別は無くさなきゃならないし、街並みがきれいになるのはいいことだけれど、そういうものの記録は記録として残しておきたい気がします。
    私は、長柄東のねこと名乗っていますが、今は東京で、鳥取ループさんと仲良しの部落解放同盟の東京本部の近くに住んでいます。
    ここらへんは、八丁堀のすぐ外側の隅田川沿いなので、おそらく江戸時代は、八丁堀の旦那衆が使っていた長吏などが水はけの悪い干拓地に住んでいた、つまり江戸時代には被差別階級の人がまとまって住んでいた地域じゃないかなと思っています。だから、解放同盟があったりするんじゃないかって思っています。(近くには、湊二丁目という、空襲で焼け残って戦前の家が残っていた、バブル期に地上げにあって二十年以上廃墟のようだった地域があります。何か複雑な利権などあったのでしょうか、2-3年前まで残っていましたが、今はタワーマンションが建設中です。)
    東京は、維新・関東大震災・東京大空襲で被差別部落としての集落は消えてしまったところが多いし、もちろんここも部落みたいな雰囲気なんて何一つないけれど、類推すればそうなんだろうなと思っています。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      私の感触なんですが、特殊な仕事をしていたというのは、歴史的にはそのような人がいたというだけで、今の人につながりはないのではと思います。
      小西邦彦からして、もとは飛鳥の人間ではないですし、東京なんてもっと怪しい人がたくさんいます。
      都市部落で、近世以前からのものが伝わっているのは京都くらいではないかと思います。
      むしろ、近世以前からのものが家に伝わっているのは部落でも「名家」で、差別とか騒いでいるのは途中で移ってきた貧乏人が多いのでは…

      返信
    2. 名無しの組織内議員

      解放同盟都連がある場所は弾左衛門の屋敷跡の近くですが、中央本部の現在地は旧賤民と関係ないでしょう。家康の江戸入城の前に、弾左衛門の屋敷が今の日本銀行の所在地あたりにあったのは事実ですが。

      「江戸東京重ね地図」で見ると、中央本部の現在地は江戸時代には南八丁堀三丁目と呼ばれ、井伊直弼や堀直武の大名屋敷のすぐ北側です。「被差別階級の人がまとまって住んでいた地域」とは極めて考えにくいでしょう。

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      1. 源左衛門

        南品川から承応元年(1652)に移転した大井村の59軒の地区は、
        越前鯖江藩 間部家の下屋敷と道一本隔てただけの所にありました。

        http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9370094?tocOpened=1

        5ページ目の下方中央に「品川溜」、
        その左下方に「間部下総守下屋敷」があります。
        泊船(禅)寺に隣接している稲荷社は、東大井4丁目4にあった白山社のはずです。

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  2. 関西人

    ココプラザの前に住んでいた時に自転車でイズミヤか万代だったかに10年前に良くいってました。丁度この保育園の前ですね。ただ日の出の方が強烈です。新大阪駅の出口も知らない人が間違っておりないようにへんな感じになってます。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      新大阪駅は、新幹線の利用者を優先した作りになっていて、地元の人は分かるから適当でいいや、という感じの印象を受けます。
      地下鉄や阪急方面や、タクシーやバス乗り場には出やすいですが、同和地区や北側の住宅地の出口は分かりにくいですね。

      返信
      1. 関西人

        結構あからさまでパーテーションを上手く使い日の出の方には出難いようにしてます。反対側のロータリーに普通に歩くと出ます。ただそっちも深夜日雇いの労働者を連れて行くハイエースで一杯ですが。

        返信
  3. 夢殿

    今度長野県須坂市の二睦探訪お願いします。
    隣の幸高生まれでかなり詳しく知ってます。
    よろしくです。

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