「同和教育」というと、同和対策事業の時代に教育を受けた世代にとっては、学校で作文を書かされ、それが教師の位に沿わない内容だと延々と説得され居残りさせられるといった印象があるのではないだろうか。
しかし、同和教育は「福祉教育」から始まったものであって、第一の目的は学力保障である。それが「解放教育」「人権教育」と変遷して、本来の同和教育は見る影もなくなってしまった。
今回紹介する「きょうも机にあの子がいない」は1954年に出版された、高知県の福祉教員の活動記録である。
福祉教員が取り組んだのは、貧困家庭の子供の学力保証である。対象となった貧困家庭は、戦争で父親を失った家庭、そして同和地区の家庭であり、当時の状況は現在の貧困家庭の比ではなかったのだが、現在にも通じるところがある。例えば、当時の貧困家庭が次のように描写されている。
母は経済的観念は殆んどなく、そして、それが道徳的観念さえ失わせている。
何回か勤め先の女将の名をかたって、米やその他の物品を借りて来た事か。生活扶助の金も、男との享楽に一夜にしてはたき、時折金がはいれば自分は勿論、時には学用品さえ十分にない子供達に対しても、少くとも食に関する限りは、ぜい沢のし放題をさせ、学校を休んでいる子供達をつれて、真っ昼間映画館へはいって悔ゆるところもない。好きな男の為には、一万円の前借をして自転車を買う意思はあっても、子供達の学用品は何一つ買い与えようともしないのである。
或る時はこんな事もあった。妹にかばんがないので、担任の女先生は、とぼしい教育扶助の金ではあるし、布切を買って縫ってやろうとしたところ、翌日子供が、「縫ったのでは駄目、女学生の持っているような手さげのよいのを買ってもらえ。」と母親が言ったとの事であった。勿論、子供もどうした母親の言葉を、当然の事のように、臆面もなく担任に伝えたという。
以前、生活保護家庭の金の使い方についてテレビや新聞の報道がネットで物議をかもしたことがあった。奇しくも、「子どもの貧困」に絡んでNHKが紹介した貧困女子高生「うららちゃん」の家庭の金の使い方がおかしかったので、再び物議をかもしているところである。
このような事を繰り返さないために、本当の貧困とは何なのか、先人はどのように取り組んだのか、理解することは欠かせないことだろう。
「きょうも机にあの子はいない」は国立国会図書館にも所蔵されていない貴重な本であるが、幸いにも2012年に復刻され、一般社団法人高知県人権教育研究協議会に問い合わせれば買うことができる。一冊1000円。
記事とは関係ないけども今日オリンピックが終わった
解放同盟は日本一の反日団体なので日本選手がメダルを取るとむかつくのかな
日本負けろ、韓国中国北朝鮮頑張れと思っているのかな
この「きょうも机にあの子はいない」は,最初期の同和教育を知る世代には理解しやすい光景です。親は元推進教員ですし、私は還暦近い。同和教育の弊害は私や担任をいびつにしてしまいました。しかし識字学級によって文盲の老婆は手紙を書く喜びを知りました。これは最初期の同和教育の光の面ですね。あるべき姿は、貧困と文盲をもたらす犯罪的迫害が差別、福祉の対象であると見なす視点を深める教育ではないでしょうか。日本は新しい防衛策によって米国主導で武装するわけで、国も現場も同和団体も差別本体に切り込む必要があると思います。これから社会の階層化が進行し格差は新しい被差別者を作り出します。困窮とは、扶助とは何か。真に扶助を要する困窮者はだれか。学び、考えるべきでしょう。
冒頭の一文がまさにこれで中学時代の嫌な思い出が頭を駆け巡った
幼少期にある教師から受けた屈辱的な仕打ちにより、私は差別者の立場におかれ、アタマが混乱してしまいました。親が推進教員なのに、何で担任が追い詰めるのか。私は部落差別の知識もコトバも知らなかったのに、一方的にイジメられたからです。教室で教師と解放子供会から疎外されたのだから、たまりません。共産や解同とも仲良く話すようになった今でも、心のトゲは消えません。理屈では分かっていても。
その後、あの子はどうなったかが気になりますね。
あと、「うららちゃん」は、キーボードだけ買うとか誰が見ても怪しいと思いますよ。
信じるわけないじゃないですか。
あの子達のほとんどは、当初の各自目標を達成したことになっており、中には顕著に改善したとする例も。生のまま事実が知りたいがそうはなってない。個人特定の情報が少なすぎる。しかしこれはよくあること。実際は、教員の研修資料とするために、事例の指導案作成と会議による脚色や演出がなされます。
うららちゃんはちょっと見グレーだけど、映像視聴しか出来ないから、ヤラセ又は虚偽であるのか判別は不可能です。個人的感触としては故意に編集したイメージがありますが、わからないですね。
神奈川県の会議はまた開催されるようなので、見に行ってみようかと思います。
高校生ほどになると、特定の意図を隠蔽していても感づかせない役者もいますし、内実を恥じて見栄をはり脚色に走る年齢でもあり、結局は生の声と表情を観察するしかないですからね。理想的には直後に奇襲でブツけ、反応見るのが一番ですね。虚構だけではつまらない。黒幕がいたら大当たりです。