天下の朝日新聞『落日新聞』へ転化の道④「PE制度と角度」

三品純 By 三品純

朝日新聞が慰安婦問題&吉田調書の二大誤報を生んだ根底に記事作成の過程で「角度をつける」という社内文化があることを前回論じた。「角度をつける」とは端的に言えば取材した事実や報道資料などに独自見解を加えるというもの。「報道」「検証」というよりも「政治活動家」のような言説であることから有識者らからも苦言を呈された。そこで同社は信頼回復のための取り組みを開始したが、その一つが外部専門家・文化人による「パブリックエディター制度」(PE制度)だ。記事作成や編集方針に外部の意見を取り入れ中立性を担保するという狙い。だがPEのパーソナリティによっては余計に“ 角度をつける”が誘発される気がしてならない。

朝日新聞の「PE制度」と言われてもピンとこないかもしれない。制度については同社HPの説明文を引用しよう。

当社は「ともに考え、ともにつくるメディアへ」を掲げ、2015年4月にパブリックエディター(PE)制度を新設しました。読者の声や社外の評価を踏まえて報道を点検し、編集部門に説明や改善を求めています。2016年春には、各界の有識者と編集部門で報道に関して討議してきた「紙面審議会」に代わり、PEが中心となる「あすへの報道審議会」を発足させました。年に3回程度開き、本紙とこのページ、朝日新聞デジタルで報告しています。PEはコラム「パブリックエディターから」を執筆し、原則として毎月掲載します。

要するに外部識者によるチェック機能といった役割だ。あるいはPE自体が著名人だから固定ファンの囲い込みの意味もあるだろう。説明文には触れられていないがPE制度が発足したのは先の慰安婦問題&吉田調書の二大誤報が原因である。

言論の広場の機能強化という狙いがあるそうだ。

2015年7月、大阪旧友会総会で渡辺雅隆社長がPE制度の創設について語っているので引用してみる。

社長を拝命してようやく5か月が過ぎました。再生に向けたこの間の活動や、今後の改革のねらいなどについてお話させていただきます。4月の紙面改革は、朝日新聞の変化を直接伝える重要な節目と位置づけました。1月に発表した「信頼回復と再生のための行動計画」で、3つの理念として、「公正な姿勢で事実に向き合う」「多様な言論を尊重する」「課題の解決策を共に探る」を掲げました。それを具体的に紙面で伝えることを最大の目標にしました。目玉は、「言論の広場」の機能の強化です。新たに「フォーラム面」を立ち上げ、暮らしや社会をめぐるさまざまなテーマを取り上げていきます。読者やネット上の「朝日新聞デジタル」の視聴者、専門家の方々に参加していただき、記者も加わって議論します。そこから新たなニュースを見いだし、発信していく、朝日新聞デジタルとも連動した新しい試みです。

同時に、パブリックエディター制度を導入しました。社外から、NHKのニュースキャスターだった高島肇久さんと『中央公論』編集長などを務めた河野通和さん、元TBSアナウンサーでエッセイストの小島慶子さんの3人を迎え、当社の前広告局長の中村史郎さんも含めた4人でスタートしました。編集部門から独立した立場で報道のあり方を検証し、ご意見いただきます。お客様オフィスに寄せられる年26万~27万件に及ぶご意見やご指摘、6万件に及ぶ『声』欄への当初、紙面モニターの方々からのご意見、ASAや広告部門を通じたご指摘などをパブリックエディターに集約し、紙面に反映していきます。

この翌年2016年、「ともに考え、ともにつくる~みなさまの豊かな暮らしに役立つ総合メディア企業へ」という企業理念を打ち出す。同社長が述べた「公正な姿勢で事実に向き合う」もこの企業理念に込められているようだ。実に崇高な理念ではあるがそれを実践するべく打ち出したのが「PE制度」らしい。しかしそのメンバーに気になる人物が・・・。

フェミニズム論争、ジェンダー、性犯罪、こういった分野ではとても攻撃的な発言や批判でメディアやSNSを賑わす小島慶子氏が初代PEの一人になった。現在はPEメンバーから離れたが朝日新聞への寄稿もしばし。また朝日新聞に限らずリベラル系のメディアの常連だ。最近、小島氏のツイッター投稿が大きな反響を呼んだ。

アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ系、第6期)で登場するモデル体型のねこ娘によって子供にルッキズム(外見の美醜で人を評価する考え方)を刷り込むと指摘した。

そもそも妖怪とは「いろんな体があっていい」=多様性の価値観という意味合いで語られてきたものか。中には訓話、寓話に満ちた妖怪エピソードは存在するが、「ルッキズム」という観点は聞かない。小島氏の投稿を受けて初めてこの6期鬼太郎の存在を知ったが、主人公・鬼太郎を見て愕然とした。ヘアスタイルが若手俳優にありがちなニュアンスパーマ風でオールドファンとしては耐え難いデザインである。ただ小島氏は「ファン目線」の疑問ではなく、単純にモデル体型のねこ娘に問題意識を感じたようだ。

ルッキズム批判をするにも何もねこ娘を持ち出すことはないだろう。申し訳ないが虫の居所が悪かったとしか思えない。そして反論がさらにいただけない。

 「自分の体をどう表現するかはその人が決めていいのです」というのだからキャラクターの表現もアニメ制作側が決めていいはずだが、ところがルッキズムと断じる。仮に人種・民族問題、障害・病気をはらむ描写ならばこうした疑問も起こりえるだろう。あのねこ娘の描写によって誰が、どれだけ傷ついたというのだろう。しかしこれも「差別と感じた側に理あり」といった“ 朝田理論2.0”の当世、ねこ娘もルッキズムの権化になりえる。いずれにしてもごく普通の生活を送る人から見ればこの小島氏の投稿は「声の大きな色つき活動家タイプ」そんな風に映るかもしれない。早い話が「面倒くさい人」である。

誤報問題の温床となった「角度をつける」から中立性のある紙面作りを目指してPEを導入したわけだが、「小島慶子」という存在は余計に角度をつける人選としか思えない。誤報問題の傷がまだ癒えぬ時分だが、かなり大胆な起用をしたものだ。

色つきと言えば2016年4月にPEになった社会活動家の湯浅誠氏も活動色が強い。朝日新聞社内報『エー・ダッシュ』(2018年夏号)のインタビュー「湯浅誠はどうして湯浅誠になったか」にはPEを引き受けた理由として

私が朝日新聞に関わるのは、一貫して日本のためだと思っています。朝日新聞自体はなくなってもかまわないが、朝日新聞の立ち位置のメディアがなくなるのは困る。野球で言えば外野の右中間から左中間まで、そこの人たちにきちんと届く言葉と、信頼性を確保したい。

と中立性を強調している。そうは言っても左中間どころかレフトスタンドのポール際ばかり狙った記事ばかりだからW誤報問題が起きたわけである。さて現在のPEは作家の高村薫氏、『おそろしいビッグデータ』などの著者、山本龍彦慶大院教授、福島の地域活動家・小松理虔氏、同社論説委員・山之上玲子氏という陣容。小島&湯浅PEよりかは温和な印象を受ける。

パブリックエディターの意見が「ズレて」いた時、現場記者たちはモノを言えるのだろうか。

PE制度で角度はさらに鋭角へ

車座の対話で風通しのいい議論を目指すという。

信頼回復の一手というPE制度なのだが、現場の社員たちはどんな思いでこの制度と向き合ってきたのか。

2017年9月19日の「パブリックエディターと社員の語る会」のレポートから声を拾ってみよう。同会は社員数名と小島慶子氏、湯浅誠氏ら4人のPEを車座で囲み対話する試みである。車座に出た有志社員は各部局から集まった27人で、これが3グループに分かれ9人ずつが約40分対話。他支社もテレビ中継でつなぎ148人が参加。「PEの人柄や考え方が分かった」との声もあったそうだが、この時間と大人数の中で議論がし尽されたとは思えない。

それに小島氏はTBS出身でテレビ・新聞の違いがあるとは言えメディア関係者。しかし一介の活動家に過ぎない湯浅氏が現場の新聞記者の心境や悩みを理解できるのか。そんな疑問を感じた。

朝日新聞は必要ですか」。ウォッチ対象としても必要である。

2019年12月16日、福岡本部で「PEと語る会」が開催されたがこの時のテーマが「朝日新聞はいま、必要とされていますか」というテーマだった。編集部門や管理部門、製作センターなどの社員が小島慶子、河野通和、山之内玲子各PEを囲んだ。PEと社員がQ&Aで対話する形式で会は進む。

例えば「朝日新聞は必要ですか」との問いにある社員は「食いぶちです」と答え笑いが起きるなど和やかなシーンも。逆に「変わることを自己目的化していないか」「一連の事案は、入社した年に起きたのに、どう変われというのか」「その後、入社した社員も多くいる」という声が寄せられた。確かに若手社員からすれば過去の記事の不始末で「再生」「信頼回復」と突き付けられても大変だろう。

印象的なのはこのやり取り。「朝日新聞が嫌いになったことがあるか」との質問に販売担当の社員は外部から苦情を受けた当時(2014年頃と思われる)を振り返る。

編集局員に「なぜ、事実だけを書かないのか」激しく詰め寄ったことを声を震わせて語り、編集局員から「記者は自分なりのフィルターがあって、それを通して書いていく」と気付かされた経験を経て、「こういう話を侃々諤々かんかんがくがく話せるところが好きです」と話した。

フィルターとは朝日新聞独自の「角度をつける」の同意語であろう。あの誤報も元を辿れば「事実だけ」ではなく「事実を恣意的に解釈・編集」してきた結果の産物ではないか。取材した事実や証拠を取材対象となる個人・団体にぶつける、本来はこの作業で十分のはずだ。それが不十分だから「角度をつける」という一種のアジテーションに逃げてきたとも言えよう。

結局、「事実を早く正確に伝える」のか「角度をつけるという名の独自見解開陳の場」なのか、今後、朝日新聞はどちらに進むのだろう。

実はその答えの一端は早くも2016年に出ている。同年5月17日、小島慶子PE(当時)のコラム「(パブリックエディターから)記者の「私見」率直に 直球コラム、アリかナシか」に着目した。ここでは朝日新聞に掲載されたあるコラムの是非について説いている。

それは高橋純子現編集委員・論説委員が政治部次長時代に執筆したコラム『政治断簡』「だまってトイレをつまらせろ」(同年2月28日)だ。ご存知の方もいるかもしれない。他メディアからも論評と失笑の対象になった。随分、手垢がついた内容だが念のため紹介しておこう。

ある工場のトイレが水洗化され経営者がケチりチリ紙を完備しないという。
「労働者諸君、さあどうする」と問いかけた。
①代表団を結成し、会社側と交渉する。
②闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。

1960年代末から70年代初頭に山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家、船本洲治は「③新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる」という手段を示した。そんなエピソードを紹介して、こう論じている。

船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。生かされるな、生きろ。私たちは自由だ。

トイレをつまらせて経営者に負担を与える実力行使を船本は説いたわけだ。そんな船本の闘争伝に高橋記者は共鳴したのだろう。山谷や釜ヶ崎の活動とはいかにも朝日好みのキーワード。反体制、反骨心、こんな現象を山谷や釜ヶ崎に投影するステレオタイプな社会観も朝日記者らしい。それ以上に驚くのは政治部次長という立場の記者が紙面を使って「生かされるな、生きろ。私たちは自由だ」とシャウトしたこと。政治部役職者がまさかの尾崎豊エピゴーネン? 

外部の作家、ライター、こういった類の存在の寄稿ならばまだ納得できるが…。仮に政治批判の目的があるならば取材で得た「裏話」「エピソード」を紹介すべきではないか。逆に「生かされるな、生きろ。私たちは自由だ」というのは政治記者としての活動をしているのか疑ってしまう。

そんな絶叫コラムに対して小島PEはコラムでこうフォローしている。

社内でも、賛否両論のようです。支持する声の一方で「記者は、あくまで取材に基づいた話を書くべき」「政治部次長は、反権力的な視点ではなく、中立的な意見を」などの批判があったとのこと。話を聞いたのは4月下旬。その後に掲載された5月1日付の高橋さんの「政治断簡」には「くくるなナメるな勝手に決めるな」という言葉があります。さて、あなたはどう感じたでしょうか? 言葉遣いが記者らしくない? 女性らしくない? 内容が政治部次長らしくない? 新聞らしくない?何かに対して「らしくない」「いやだ」と感じるのは、こうあるべきだと信じるものがあるからです。何を信じるかは、あなたの自由。人に押し付けられるのは、嫌ですよね? 支持や賛同、そして反発や嫌悪も、自分の本音を知るための材料です。私はそんな思考の場を提供するのも、新聞の役割だと思います。読めば何かを言いたくなる高橋さんの「政治断簡」はアリか、ナシか。これからも評価が分かれそうです。

まるで人権団体の機関紙のように「あるべき論」に話をすり替えている。しかしこの問題は女性、弱者、自由、こんな複雑な問題ではない。誤報問題によって露呈した朝日新聞の「角度をつける」=アジテーション型記者の是非ではないか。本来、PEは記事の妥当性に関するチェック機能のはず。むしろ「角度をつける」ことのお墨付きのような役割になってはいないか。

このコラムが執筆されたのは2016年だ。まさに誤報問題で揺れる渦中でこの有様である。ここからもう4年がたち今もPE制度は続いているが、「ともに考え、ともにつくる」はどのような形で実践されているのか見えてこない。しかしウォッチする立場からすれば「角度がついていなければ朝日新聞ではない」のだ。また保守論壇にとっても朝日新聞は格好の題材でむしろ変わってもらっては困る人も少なくないはず。むしろより突拍子もないPEを起用して角度をさらに尖らせた方がありがたいというものだ。

カテゴリー: 調査 | 投稿日: | 投稿者:
三品純

三品純 について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

天下の朝日新聞『落日新聞』へ転化の道④「PE制度と角度」」への2件のフィードバック

  1. アバター白川のび太くん

    「(朝日新聞に)エビデンス?ねーよ!そんもん!(怒)」(高橋じゅうんこ)

    返信
    1. 三品純三品純 投稿作成者

      あの人のコラムはもう少し上の世代なら書きそうなものだけど
      失礼ながらあれぐらいの年齢のあの内容って相当、オジサン脳に染まっている
      気がしてなりません。

      返信

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