先日、9月30日に熊本県小国町で教育委員4人のうち3人が辞職した。教育委員会は行政とは独立しており、首長が議会の同意を得て任命する仕組みになっているのだが、そのうちほとんどが辞職するというのは、異例な事態である。
これについて、地元の熊本日日新聞とRKK熊本放送、そして朝日新聞が報じている。しかし、それらの報道は、異例な事態に至った原因が曖昧にされている。RKKと朝日新聞に至っては教育委員が町長にLINEで質問をしたところ「既読スルー」をされたことが原因であるように報じているが、無論そんなことで教育委員が辞職するわけがない。
本当の理由は別のところにあるのではないかという情報が寄せられたので、真相を確認すべく、小国町を訪れた。
阿蘇山の奥の観光地
恥ずかしながら筆者は小国町のことを全く知らなかった。地図で見ると大分県に接する、熊本県の奥地にあり、どれだけ辺鄙なところだろうと思っていた。
熊本市内からは阿蘇の外輪山に沿った「ミルクロード」を通っていくことになるのだが、この道はとても景色がよく、早朝から多くの車が走っている。
町の中心部にある道の駅は、多くの観光客で賑わっていた。
辞職の本当の原因は?
さて、本題の教育委員辞職の件。報道によれば、渡邉誠次町長が、前の教育長の後任として、元小学校校長の村上悦郎氏を任命する方針を示したところ、複数の教育委員が反発。9月初めに教育委員がLINEで町長に話し合いを求めたところ、「既読スルー」されたので、9月7日に4人中3人の教育委員が辞職願を出した。そして、9月8日に教育長の人事案が町長の方針通りに町議会で可決。教育委員3人は9月30日付で正式に辞職したというのが今回の件の流れだ。
LINEを使っている方なら「既読スルー」の意味はご存知かと思う。LINEでメッセージを送り、相手がそれを読むと送信者側に「既読」と表示される仕組みになっている。何か質問をして既読が付いたのに返信されない状態が「既読スルー」で、これはしばしば相手に無視されたと解釈される。一方で、相手側も車の運転中であったり会議中であったりする等、事情があって返信できないことも多いので、「既読スルー」に対していちいち怒るのも大人げないという考え方もできる。
昨今は学校の児童や生徒がスマホを持つのは当たり前で、LINEで連絡を取り合うのもまた当たり前になっていることから、教育委員と町長が「既読スルー」で揉めるというのは、メディアにとってはキャッチーな「ネタ」なのだろう。RKKと朝日新聞の報道は、見出しに「既読スルー」という言葉を入れることで注目されようという意図が露骨である。
しかし、今回の騒動の原因については現地では別の噂が流れていた。ある教育委員の子供が村上氏が勤務する学校に通っていた時に、教育方針を巡って村上氏と対立していた。また、ある町議会議員の子供が村上氏が勤務する学校に通っていた時に社会科の授業が人権劇の練習で潰されて、それに対して村上氏に抗議したことがあった。別の議員が解放同盟関係者の支援を受けていて、次回の選挙でも支援してもらう代わりに村上氏を教育長にするように町長に働きかけたのではないか、といった内容である。
端的に言えば、村上氏が過度に解放同盟の方針に寄り添い、行き過ぎた人権教育・同和教育をやっていたので、教育委員が村上氏を教育長にする人事に反発したのではないかということだ。
疑惑のゴージャス隣保館
実は、熊本市で県内の同和事情に詳しい人物に、それとなく小国町のことを話したところ、「小国町はいろいろあるから…」と意味深長な反応だった。
アイキャッチの画像は、実は小国町隣保館で、「人権・文化のパラソルセンター」という愛称が付いている。間違いなく同和対策で作られた建物なのだが、建設されたのは1995年と比較的新しく、その場所はほぼ町の中心部。無論、そこは部落ではない。
児童遊園も併設されており、一見したところ、ただの公民館か文字通りの児童館である。実際、町民も同和施設だという感覚はほとんどないようだ。
ある町民によれば、小国町には部落があるが、少戸数の混在地区であるという。確かに『全国部落調査』によれば小国町には1箇所だけ部落があるが、戸数は14戸に過ぎない。地名で言えば小国町宮原の一部で、宮原という区域自体はさきほどの道の駅や隣保館のある町の中心部を含む、かなり広い範囲である。
同和対策の国庫補助が出るのは、教育集会所であれば同和関係世帯30戸以上、隣保館であれば50戸以上からであり、明らかに小国町隣保館は基準外である。都市部ならともかく、小国町のような場所で後に戸数が大幅に増えたということは考えづらい。現に今でも少戸数部落と認識されている。とすると、周辺地域も一緒にして同和関係世帯数を水増しし、国の予算を引っ張ったと考えるのが自然だ。
無論、何をもって同和関係世帯と言えるか明確な判断基準がある訳ではないので、これを不正だと言ったところで水掛け論だ。
文字通りの同和対策の集会所もある。この建物は「倉原集会所」だが、2000年頃まで「湯の原同和集会所」という名前だったことが電話帳で確認できる。実はこの場所は前の解放同盟支部長の実家があったところで、町が土地を買い取って集会所を建てたという。
故人となっているが杉本敏男前解放同盟小国支部長はかなりのやり手で、一支部長にも関わらず解放同盟内で強い発言力を持っていたという。小国町隣保館を見れば、その剛腕ぶりが想像できるだろう。
小国町の教員に ある「同和」のトラウマ
しかし、そのことは小国町、特に教職員の間に深いトラウマを残しているという。小国町の教育事情に詳しい関係者は次のように語る。
「小国町は同和問題には敏感な地域で、そのことを出されると何も言えんのです。人権劇をやるとなると、先生は準備で大変なことになります」
「小学校で修学旅行というと、京都なら金閣寺とか、東京なら東京タワーとかに行きたいでしょ。それが同和問題に熱心な聞いたこともないような寺がコースに入れられて、半日説法を聞かされるということがあったんです。子供は疲れて自由行動の時間もずっと休んでたりして、それを知った保護者からはブーイングですよ」
村上氏が教員時代にそのようなことを主導していたので、過去の教育長が村上氏を小国町に赴任させないように配慮し、このところは行き過ぎた人権・同和教育は鳴りを潜めている。しかし、村上氏が教育長になれば、人権・同和教育に熱心な教員を呼び寄せて、また以前のように、人権・同和教育に時間を取られてしまうのを多くの教員が懸念しているというのだ。
他にも隣保館を起点とする人権パレードというイベントに毎回教員が駆り出されていたが、不幸中の幸いかコロナのためにしばらくは行われていないという。
人権教育以外にも、小国町では近頃子供の学力が低下しているという問題があって、それに村上氏が対応できるのかという不信感もあり、積もり積もって今のような事態が起こった。
しかし、背景に「同和」があることもあって、正面から問題を議論できない雰囲気があり、メディアは核心部分を報じないし、町議会でも明確に人事に反対意見を出したのは共産党議員を含めた2人だけだということだ。子供の教育を巡って村上氏と確執があったとされる町議は、校長の退職者が出てくる年度末まで待ってから人事を決めてもいいのではないかと町長に提案しつつ、採決では棄権した。
一方、当の村上氏は「委員が辞職した理由は聞いていない、人権教育や、解放同盟との関係については中立の立場でいる」と語っているとのことだが、実際に懸念された通りのことが起こるのかは未知数である。
同和に関しては過去の栄光が忘れられないのか、時代錯誤の人を少なからず見聞きするが、こんなのが今でもいるんですね。
そもそも人権教育になんの意味があるのかと思うけど。
ここもお城があった地域ですな
武家に供給する馬具などは自前調達で城下町に必ず皮革の職人がいたんではないですか
気になるのは武家が平民になり明治維新後に取引先がなくなってどうなっていったのか、です
少なくとも近世には城が構えられていないんじゃない?
中世山城は無いところが無いぐらいですし。
印刷すると「おまんこ」って文字が印字されるんですが、どういう仕組み・意図ですか?
気のせいです。
大事な案件をLINEで打ち合わせを、町長とします?3名の教育委員の常識を疑います。
田舎の役所では普通みたいです
津市でもありましたから
マッチポンプ利権ですから。相反する2チームに分けて、過激な誹謗中傷を繰り返して煽るチーム、それに対して差別があると訴えるチーム、これが資本家の掌で制御されているんでしょう。右翼と左翼、民主と共産、そういうもんですよ。
小国町は未だに同和の力が強くて、同和の子供を叱ると解同が怒鳴り込んでくるのは有名な話。
また、南小国町との合併がご破算になった一因に、同和と行政が一体化した小国町に対する拒否感があったとの噂もあります。
実際に某氏が小国町には同和があるから合併しないと発言し、解同小国支部につるし上げられるも、共産党が応援を申し出たという事実もあります。
そういえば、地元の共産党町議もこの記事を見てるみたいですね。
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