早稲田大学本庄高等学院の近くに部落があるようなので、特定してほしいとのリクエストがあった。そこも旧児玉町で、周囲に多くの部落があるのだが、その中でも学院に最も近い下浅見の部落の特定を試みた。
ここには戦前に13戸の部落と2戸の部落があったとされる。
現地の航空写真と明治時代の地図を見て気になったのは、東外れに神社があったと考えられることだ。そこは高速道路が通っている。試しにその場所に行ってみることにした。ここは早稲田大学の土地のようだが、道があって通れるようになっていた。
ご覧の通り、関越自動車道が通っている。
どの高速道路でも、道路を横切る橋がいくつもある。その中には、なぜこんなところに?と思うようなものもある。ここにも、そのような橋があったので、渡ってみたくなったのだ。
おそらく、あの橋は高速道路で分断された早稲田大学の土地をつなぐ目的で設置されたのだろう。両側は林になっている。
ここは古墳群だが、写真のようなものがあった。これは昔はどこかの村の神社で、その成れの果てなのかも知れない。
古墳群の中に部落特定の手がかりになるようなものはなかったので、橋を引き返して集落のほうに向かった。
ここは高速道路のインターチェンジが近いためか、何軒かのラブホテルがある。部落はこのラブホテルと高速道路に飲み込まれて消えてしまった可能性も考えた。
しかし、見たところ、古くからの家が残っている。
猫が多数たむろしている場所があったので、何となく写真に収めておいた。
この辺りの可能性が高いのではないかと思ったが…
少し離れたところに神社があったので、ここを調べてみることにした。。
これが八幡神社。下浅見自治会の掲示板が出ている。下浅見全体の神社のようだ。
自治会、氏子の名字をチェックするのは曲輪クエストの基本である。気になったのは、氏子の中にあった「磐上」という名字だ。おそらく「いわがみ」と読むのだろう。小林初枝に児玉では言い逃れのできない部落の名字と名指しされた岩上に通じるところがあり、児玉では磐上はほぼ下浅見にしか存在しない。
もとは部落の神社があり、ここに合祀されたのではと思って境内にあるものを調べたが手がかりは見つからなかった。
ここは自治会館。部落があったとしても、未指定であり、融和していることが推定される。
改めて住宅地図を見ると、磐上はさきほど猫がたむろしていた辺りに多い。そこで、再びその場所に引き返した。
近くの茂みに観音のようなものが彫られた石を見つけた。近くの人に聞いてみたら馬頭観音だということだ。無論馬頭観音は部落と直接関係あるわけではないが、ここではないかと思った。
さらに進むと墓地が見えてきた。
背景にラブホテルが見えるこの墓地には磐上と榊しかない。この五輪塔の建て方は禅宗のものであり、特に曹洞宗ではないかと鑑定したが合っているだろうか?
間違いない、下浅見の部落はここだと確信した。
なお、八幡神社の近くに真言宗智山派の寺と墓地がある。
墓の名字は八幡神社の氏子と共通するが、磐上は含まれていない。差別なのかは分からないが、とにかく何らかの理由で部落だけは宗派が別なのだ。児玉でも下町の部落は真言宗だったが、北関東の部落の宗派は共通しておらず、様々な宗派に属しているはずなので、部落の宗派が曹洞宗だったとしても不思議ではない。
今回特定した部落は墓地の規模からすると13戸の方であろう。下浅見には2戸の部落がまだどこかにあるはずだ。早稲田高等学院の生徒さんは、この2戸の部落の特定を研究テーマとしてみるのはどうだろう。
たぶん13戸の方はI上さんとS本さんでしょうか。
2戸の方は鷺山古墳の近くの、そのS本さんとT政さんかと。
こんな感じ。
凄い!それで正解かも知れないですね。
>ここは古墳群だが、写真のようなものがあった。これは昔はどこかの村の神社で、
古墳にはちょいちょい慰霊の為に祠がありますね。それよりも、部落の住宅2か所ほどの
敷地内に石祠があるので、それが何かを確認してくるべきです。
地の神かもしれませんが、敷地内の祠で白山様もよくありますので。
ひとつの部落に本家・分家でそれぞれ白山様祀っている所もあります。
新たな研究・聞き取り結果・・・①東野地方にあるカッパ伝説について、古老によると以下。川縁でカッパに会って、悪戯をされるなどの話に出て来るカッパは、氾濫の危険のある川沿いに追いやられた部落の子供を指すこともあったようだ。カッパは人間ではない、それ以下の動物・妖怪であるため、部落の子をそう称したという。
②被差別化の原因並びにその道程を辿るについて、貧困とカワタが二大原因と推定してきたが、新たに例外情報あり。(香川県か島根県かもう一度調べないと確定できないが)老婆からの聞き取りによると、ひとつの村落の総インカムは凡そ一定の昔、数軒がなにやら美味しい手法を編み出し、他の家よりも多少恵まれ始めると、妬み・そねみ・やっかみ(ヤッカムは関東言葉)から誰が言い始めるともなくヒソヒソ話の類いで「あそこの家が繁栄しているのは狐がついたからだ。狐つきの家と婚姻すると狐の子が生まれる」。そういう洗脳が行われると、男には誰も嫁が来ず、女はもらい手がなくなり、よって跡継ぎもなく没落していくという事例もあったようだ。結果、貧困・穢多・非人に身を落とすことになるのだが、元を正せば妬み・そねみが原因である。日本人特有の横並び一線を美徳とし、出る杭は打たれるの言葉が今も残るのは、こんなことも影響しているのではないか。
「学術・研究:部落探訪(287)埼玉県 本庄市 児玉町下浅見」中、13戸の部落と2戸の部落とあったので、その2戸が取分け分別された理由に何か特別なことがあったのではないだろうかと疑った。
①は木地屋関連かな。
部落差別とは少し違うかも知れないけど木地屋系を差別する地域は今でもありますね。
②は全国にある憑き物筋ですね。
高知県だったか、最近まで(今もかな?)残っていたらしく調査結果が書籍になっていたかと。結論は新参者だね。
香川県はとんびょ神とか言ったかな。
>①は木地屋関連かな。
柳田國男の『遠野物語』だよね。松本亙章さんはタイプミスで東野地方としちゃってますが。
木地村で同和指定されているような例はないのでしょうか?
彼らの仕事からすると生活は楽ではなさそうですし、里とはあまり接触しない山奥の生活で差別されそうではありますが。
犬神だろ。小林初枝も犬神のことを書いている。
①が家族内だと座敷童になるんだと思います。
②について。
おじろく・おばさ、という家庭内奴隷について精神疾患での研究があるみたいです。家父長制の時代は長男以外の扱いはひどかったですから。売りに出されることもありました。
現代の発達障害やいじめ、職場のパワハラにも通じてるかもしれません。
いじめっこがいて、傍観する人がいる。諫めた者がいじめられていくからです。
いじめを差別に置き換えたら部落の問題じゃないでしょうか。
いじめ解放同盟はできませんかね。
木地師は全国の山を渡り歩く為にニセ綸旨を伝える家が存在していて、胡散臭さがありますが、本当に被差別部落に繋がった例は聞きません。
木地師は滋賀県東近江市永源寺が発祥の地と言われますが、かつて元首相の細川護熙さんが退任後にそこに修行に行っています。
やはり木地師が被差別的な待遇で残るということはなかったのでしょうね。
永源寺のほか何箇所か木地師の里は行きましたがどこもみんな普通の農家になっていますね。
木曽なんかは商売としてうまくやっているようですが必ずしも自分で作って売っているということもないようです。
親戚に◯◯県の木地山の◯◯がおりますと言うと非常に喜んでくれて今でも同胞的な意識があるのかと驚きました。
木地師の苗字と言われている小椋さん?
ポツンと一軒家で以前放映したのも岡山県真庭市田羽根の小椋さんでしたね。
下浅見八幡神社の境内社には白山社は無い様です。
これかなぁ?
よく見つけますね