直撃! 崇仁協議会 ヤクザ、武富士、地上げの過去を追う(1)

三品純 By 三品純

「有限責任中間法人崇仁協議会」(現在は一般社団法人)。崇仁を語る上で、同団体は欠かせない。崇仁地区を拠点にする同和団体なのだが、崇仁の土地買収にも深く関わってきた。今回、取材を申し込んだところ、同会の中口寛継理事長の快諾を頂いた。中口氏のコメント、また関係資料、地元の証言を交えながらまずは崇仁の“過去”を辿ってみた。

現在の崇仁協議会の事務所は、京都駅東地区市街地再開発準備組合(材木町463-3崇仁河原町ビル)にある。ここで中口理事長は取材に応じてくれた。時には図面を広げ、崇仁の歴史や現況など、意欲的に語られる。そして崇仁の再開発には並々ならぬ情熱を見せた。

再開発後の崇仁地区のイメージ図。近未来都市のようだ。

――示現舎というのは同和問題をはじめとする人権問題、またメディアが報道しにくい現象や事件を扱っています。それが1つの要因で現在は解放同盟とは対立関係にあります。

なるほど(笑)。私ら協議会は、解放同盟とも自由同和会ともお付き合いがありますよ。再開発については共産党の議員さんにも協力して頂いたりね。

――え? 共産党ともお付き合いがあるんですか?

ええ。再開発については理解して頂いていると思いますよ。やっぱり混住すれば差別がなくなるというのがあるんですよ。ただし地域のことは地域の住民がやらなきゃならんのです。そして地域がやる、という以上、しっかりした計画がないとアカンというわけでね。だから政財界の方にも相談して、今、再開発の計画を進めています。住民の方々の意見を集めて、この町に仕事ができた、町が活性化した、ということにしないといけません。

――私たちの感覚で言うと、崇仁協議会はちょっと独特で、他の運動体にはない存在感があるというのか・・入る余地がないというのか。

そうでしょうね。だから支部がないでしょ?

「同和地区」。表のメディアで語られる時は、いつも「差別」と「悲劇」といった言葉一色で表される。しかしその実相は地域で全く異なる。特に運動体との関係についても複雑だ。必ずしも運動体の支部があるわけでもないし、解放運動、解放教育が行われているわけでもない。解放同盟やその他、団体が混在している場合もあれば、保守系の「全日本同和会」「自由同和会」だけということもある。さて京都と言えば共産党が強い地域だ。もちろん部落解放同盟も強いし、自由同和会もある。にも関わらず崇仁地区は、既存の運動体とは距離を保って独自に歩んできた。中口理事長の話が続く。

運動体が入り込めない崇仁の強み

――支部がないというのは解放同盟の?

だけじゃなくて他の団体も支部がないでしょ。だから歴史的に崇仁については地元でやってきたという自負はありますよ。正確に言えば以前、自由同和会が崇仁地区に支部を作ったことはあったんです。ところがそれも2年ぐらいだったかなあ。結局、閉鎖してしまったんだけど。

――どうしてですか? 何かトラブルがあったとか?

いや、そうではなくて単純に住民の意思と合わなかっただけですよ。必要がなかったというのか。支部に入りたいって人がいなかったんでしょう。

――とても独自性が強い地域というのは分かります。つまり他の運動体も協議会に対して一目置いているというか。

確かに独特の存在というのはあるかな。強みというかね。コアマガジンの『別冊ブブカ12月号』(2005年)の「やはりアンタッチャブルなのか? 京都駅近郊に現存 被差別部落の今を完全レポート」という記事に対して抗議活動があったのは知ってるの?

――もちろんです。あれは当時、ライター業界でも話題になりましてね。それに協議会のホームページにも報告記事が掲載されていますよね。

あの一件については、私らだけじゃなくて、校区の小学校のPTAもとても問題視しましたよ。地域としても声を挙げないといけない、と。そういうことで地元が結束しました。ただ当初、解放同盟が抗議をしたんだけど、なかなかコアマガジンが謝罪広告を出しません。そこで今度は、崇仁協議会として抗議をすると、やっと謝罪文が掲載されました。

――へえ。ということはコアマガジン側は、解放同盟より協議会を重く見たということですか。

重いかどうか分からないけど。要するにそれだけ崇仁の地域住民の結束が強いということですよ。

――住民の力があるというのは良いことですが、その一方で長年「暴力団」「地上げ屋」いわゆる闇社会との関係も取沙汰されました。地上げ物件となった空地は“材木町物件”として曰くつきの土地になっています。

そりゃもう暴力団の問題はね。いろいろ言われてきました。しかしだからこそ住民の人にとってみれば暴力団に対して嫌悪感も強いですよ。

――嫌悪感? 暴力団は懲り懲りというわけですか。

あのね、家族が目の前で覚醒剤をやっているとかね。そういうことがあったんですよ。売人がいるとか、地域内に組の事務所があるわけでね。だから逆に裏社会に対しては冷めたところがあるというか。ええ加減にしてくれって思いがあるわけですよ

――だから若い世代は崇仁から出て行ってしまった、と。

貧困とか差別とか、環境の悪さとかね。例えば昭和35年ぐらいまでは3000世帯約1万人が住む大きな町だった。それが平成12年で2800人、平成18年で1600人ぐらい。現在は460人ぐらいですか。生活保護の受給世帯も多いですよ。このままじゃアカン。京都というか、日本の玄関口なんだからね。だから地元にもお金が落ちて、観光客の方にも、ビジネスマンにも活用してもらえる町にしなくちゃいけない。

――なるほど。ではちょっと崇仁協議会の過去についてお聞きしていきたいのですが。もともと結成が・・

昭和60年(1985年)になるかな。

――当時の藤井理事長というのが要するに暴力団関係者だったわけですね。

藤井鉄雄さんという人なんだけど。今言ったように内浜会というところの組長でしたよ。

――そこで武富士が崇仁の開発にも関わるようになると。

東武クレジットの根津誠副社長(後の東武百貨店副社長)という人がいて、いとこの杉山さんという人が崇仁の開発に興味を持っていた。そしたらあの人は左翼というのかなあ。前田知克(故人)さんという弁護士さんだけど。前田さんが東武クレジットの顧問弁護士をやっていた関係で杉山さんとの間で会談を持ったんですよ。それが始まりです。前田さんは、土井さん(たか子・元社会党委員長、社民党党首)と仲が良くて、辻元清美(衆院議員)の秘書給与問題も担当した人ですね。前田さんが武富士で土地買収なんかもやっていたし経験も豊富だった。それに崇仁という同和地区の解放になるからってね。そういう経緯で前田さんも崇仁開発に関わるようになりました。

前田知克弁護士。2013年9月1日没。中口氏が語った通り、旧社会党、社民党とも関係が深くまた各種労働組合など左派団体の“守護神”的な存在だ。そんな前田氏が1992年12月にまとめた「崇仁地区解放と土地買収の経過」という文書がある。この文書は、崇仁を知る上で重要な資料だ。崇仁地区開発が困難な理由について前田氏はこう指摘している。

この地域が同和地区であること、崇仁協議会に対しては直接接触することを躊躇すること、行政機関の同和地区対策の対応がもうひとつ明確でないこと、解放同盟が同和地区の線引き撤廃に利権上の立場から反対であること、京都市の同和関係行政は解放同盟の意思に反しては一切自由には行えないことなどの諸要因が絡んで、話は幾らでもあったがなかなか結実しなかった。

つまり線引きがなくなれば、利権がなくなる。まるで同和地区がなくなり“解放”されるのを拒んでいるかのようだ。崇仁地区を隔絶した環境に置いたのは単純に「部落差別」だけであったのか疑問だ。そして話はさらに進んでいく。
(次回に続く)

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