甲南大学と大阪府の人権啓発動画は、なぜ封印されたか

カテゴリー: LGBT, 未分類, 行政 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

大阪府と甲南大学の有志学生が共同研究の一環として、トランスジェンダー女性へのSNS上の誹謗中傷を題材にした「人権啓発動画」を作成した。2022年2月の完成披露後には、大阪府の公式サイトや公式YouTubeでの公開まで検討されていた。だが、試写会についての報道をきっかけに内容への批判や問い合わせが相次ぐと、動画は表に出ないまま封印された。

不可解な修正のうちに遅れて公開された情報公開審査会の答申と、これまでに開示された資料を検証すると、自治体の人権啓発活動のずさんさが見えてくる。研究としても、行政活動としても、あまりにもイデオロギー色が強い物を、内輪で作成したところ、思わぬ批判にあって引っ込めた形だ。そして、その過程が十分に検証可能な形で残されていないことを、情報公開審査会からダメ出しされていた。

人権啓発動画「寄り添うことば・引き裂く言葉」

問題の動画のタイトルは「寄り添うことば・引き裂く言葉〜SNSで排除されるトランス女性〜」 。これは、大阪府と甲南大学の共同研究の中で作られた人権啓発動画である。甲南大学の学生が制作した作品だが、単なる学生の自主制作ではなかった。大阪府は企画の途中から内容を把握し、完成後の活用まで考えていた。

企画が動き始めたのは2021年だ。大阪府は大学側とやり取りを重ね、学生たちは脚本を作り、撮影を進めていった。府は完成品を後から受け取っただけではなく、脚本やSNS投稿画面、警察に相談する場面なども事前に共有されていた。つまり、この動画は府の関与のもとで作られた。

大阪府から甲南大学に送られたメールの一部

大阪府はこの動画を高く評価していた。庁内メールには、内容を高く評価する趣旨の記述があり、公式サイトや公式YouTubeでの公開、職員研修や啓発事業での活用まで検討されていた。かなり前向きに扱われていたのである。

2022年2月、動画は完成披露試写会にこぎつけた。制作の過程では、ネット中傷の被害者として自治体等で講演活動をしていることで知られるスマイリーキクチ氏との意見交換も行われている。大阪府と甲南大学は、この動画を人権啓発の成果として世に出すつもりで動いていた。

啓発のはずが、炎上

2022年2月28日、甲南大学で完成披露試写会が開かれた。ここまでの経緯を見るかぎり、大阪府と甲南大学は、この動画を人権啓発の「成果」としてかなり前向きに世に出そうとしていたように見える。実際、大阪府は制作途中から脚本や演出の内容を把握し、完成後の活用も検討していた。庁内メールには、動画の内容を高く評価する趣旨の記述があり、公式サイトや公式YouTubeでの公開、職員研修や啓発事業での活用まで視野に入っていた。

この前向きさは、当時の空気とも無関係ではないだろう。少なくとも行政や大学の人権啓発の現場では、トランスジェンダーをめぐるテーマを「理解を広げるべき課題」として積極的に取り上げる姿勢が強かったように見える。この動画も、そうした流れの中で、トランスジェンダー女性へのSNS上の誹謗中傷を分かりやすく描いた啓発作品として位置づけられていた。大阪府側にとっても、完成した動画は隠すべきものではなく、むしろ広く見せたい成果物だったのである。

そのため、試写会直後の報道も自然に続いた。3月1日、神戸新聞はこの動画を取り上げ、「今後、大阪府の公式YouTubeなどで配信を予定」と報じた。外から見ても、大阪府がこの動画を表に出していく流れにあるように見えていた。

ところが、ここで空気が変わる。報道をきっかけに、動画の内容に対する批判や問い合わせが相次いだ。とくに問題視されたのは、トランスジェンダー女性と女子トイレをめぐる描き方や、SNS投稿の表現の仕方だった。大阪府には「府民の声」が複数寄せられ、市民団体からは公開質問状も送られている。人権啓発のつもりで作ったはずの動画が、逆に「一方的ではないか」「不適切ではないか」と厳しく問われることになったのである。

批判の中身は、単なる好き嫌いではなかった。まず、女子トイレや更衣室といった女性専用空間をめぐる問題を、ほとんど一方的に「差別」や「偏見」の側から描いているのではないか、という指摘が出た。女性側の不安や反対意見を十分に扱わず、対立のある論点を、あまりにも単純な善悪の構図に落とし込んでいるのではないか、という疑問である。

さらに、劇中のSNS投稿の表現にも批判が集まった。投稿画面が実在のSNSに酷似しているうえ、実在する第三者のアカウント名に見える表示が使われているのではないか、という指摘があった。また、物語の展開自体についても、盗撮投稿だけで主人公がトランスジェンダー女性だと広く分かる設定は不自然ではないか、警察による取締まりの描き方が誤解を招くのではないか、問題なのは盗撮や個人情報の拡散なのに、あたかも「トランス女性への批判そのもの」が直ちに処罰されたように見えるのは適切ではない、などの疑問が出されていた。

こうした批判は、市民団体の公開質問状や府民からの意見にも表れている。要するに、批判した側が問題にしたのは、単に「気に入らない動画だ」ということではない。人権啓発をうたう行政関与の動画である以上、内容が一方的ではないか、現実とかけ離れていないか、第三者の権利を傷つけていないか、という点が正面から問われたのである。

しかも重要なのは、批判が出たからといって、大阪府がすぐに手を引いたわけではないことだ。3月に入ってからも府は作成した動画データの活用を模索し、庁内向けの説明資料を作成し、公式YouTube掲載や出前講座での活用をなお検討していた。つまり、外では批判が広がっていたのに、内部ではなお「使う」前提の発想がしばらく残っていた。

だが、3月末になると、大阪府の説明は一変する。府民からの意見への回答では、「本府の公式YouTubeチャンネルにおいて公開する予定はありません」と明言するようになった。こうして、完成披露まで進み、いったんは公に出されるはずだった動画は、表に出ないまま止まることになる。

要するに、この問題は、最初から慎重に扱われていた企画が静かに消えたという話ではない。むしろ、当時のトランスジェンダー問題に前向きな空気の中で、自信を持って世に出そうとしていた動画が、思わぬ反発にぶつかって急停止したという経緯に近い。だからこそ気になるのは、大阪府がいつ、誰の判断で、なぜ態度を変えたのかという点である。ところが、後に情報公開で見えてきたのは、その肝心な過程を示す記録が驚くほど乏しいという事実だった。

答申で見えた、大阪府のまずい対応

この問題でいちばん気になるのは、動画が公開されなかったことそのものより、大阪府がなぜ方針を変えたのかが、記録からよく分からないことだ。最近公表された情報公開審査会の答申は、その点をかなりはっきり示している。

情報公開審査会は文書作成がずさんであったと異例の指摘をしている

答申によると、大阪府は、動画をめぐってネット上で批判や問題投稿が出ていることを把握していた。大学側からも被害の相談を受け、府として確認までしたという。ところが、そのわりに、どんな投稿があり、どう対応を考えたのかを示す文書がほとんど見当たらない。審査会は、こうした文書がまったくないのは不自然だとしている。

問題はそれだけではない。大阪府はこの動画を高く評価し、公式サイトや公式YouTubeでの公開まで考えていた。ところが、批判が強まると、3月末には「公開予定はありません」と説明を変えた。では、いつ、誰が、なぜそう決めたのか。いちばん大事なはずのその部分の記録が、はっきりしないのである。

市民団体からの公開質問状についても、対応は中途半端だった。答申によると、大阪府は回答案までは作っていたが、実際にはきちんと回答した形跡がない。問題を指摘されても、正面から答えないまま終わらせていたことになる。

しかも、この答申そのものも、すんなり公表されたわけではなかった。答申の日付は2025年9月30日なのに、府のウェブサイトでの公表は今年に入ってからだ。さらに、修正前の版では大学名や動画名がそのまま出ていたのに、後から公表された版では伏せ字に変わっている。答申まで後から直して出し直すというのは、かなり異例である。

トランスジェンダーとトイレの問題と言えば、2023年7月11日に、いわゆる「経産省トイレ事件」の最高裁判決があり、最高裁は性自認が女性である男性の女子トイレ利用を認める趣旨の判断をしたが、事件の原告によるものと見られるTwitterアカウントが不快感を催すような性的な書き込みをしていたことも相まって、世間の大顰蹙をかった。しかし、それまではトランスジェンダーのトイレ利用について批判は許されないような雰囲気があった。

そのような空気の中で、行政や学内での率直な批判がなく、トランスジェンダー賛美なら何をやっても世間からは批判されないだろうという甘えが、このようなお粗末な結果を生んだのではないだろうか。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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