前回は大東市野崎を訪れたが、当然北条も訪れねばなるまい。戦前の記録では333戸とされているが、1958年の記録には200戸とある。しかし、この地は一貫して都市化していることから、戸数が減ることはあり得ない。戦後間もない頃の航空写真で戸数を数えると200程度に見えるので、やはり333という数字が間違いなのだろう。
ここも北条全体が部落という訳ではない。明治期の地図には「東」と書かれている。おそらく333という数字は周辺地域も含めてカウントしてしまったのではないだろうか。
そして、現在でも「東之町」として、かつての地名が残っている。
大東市では名字に方角が付いていれば部落という話を聞いたことがないだろうか? このことは『被差別部落・北条の歴史』に書かれており、地元ではあまりにも有名なので別に筆者がアウティングしている訳ではない。写真の協賛者名簿も何年も前からここにあり、グーグルストリートビューで名前が判別できるくらいに写っていても、そのままにされているものである。
これは部落内に有る八大龍王神。
全てではないが、確かに東西南北中が付いている名字が多い。乾という字もあるが、これもまた方角のことで、戌亥(北西)のことであろう。
大きな人権文化センター、つまりは隣保館がある。
そしてその近くには自治会館が。よく見ると、左側に一部が黒テープで隠された銀色のプレートが見える。アイキャッチ画像の通り、何かの「大阪府連合会」である。画像でディテールを写し取ることは出来なかったが、近くで肉眼で見ると黒いテープが「部落解放同盟」の形に盛り上がっているのが確認できる。
その下に郵便受けがあるが、右側は自治会のもので、左側には「東心㈱」と書かれている。この会社名で検索すると、「東心株式会社の社長、鈴木竜次氏は特定の地名情報をあげて「同和地域、いわゆる被差別部落地域です」と、「あらたな差別につながる情報」を記者発表で発信しました」であるとか、「鈴木氏は部落解放大阪府企業連合会北条地区組合会長である」といったことが地元共産党議員のブログで書かれている。
要は部落解放同盟との関係があるのだが、何らかの理由で部落解放同盟の文字を隠したい理由があるのだろう。
ここにも大きくて立派な浄土真宗本願寺派のお寺がある。
老人憩の家、公営住宅もあり、大阪の典型的な同和地区の風景である。
ここは地形が特徴的だ。生駒山地の麓にあり、全体が斜面になっている。中央には川があり、砂防ダムもある、典型的な扇状地である。すみません、コメント欄で指摘されている通り扇状地になるまでに至ってないようです。
この大東市市有地の黄色いプレートは野崎にもあったが、ここは畑ではなく草むらになっている。
大きな市営住宅。
掲示板にやたらと部落を主張するものはない。なんでも相談できるというイベントの案内が貼られていた。
その公営住宅の近くに、なにやらお洒落な建物が。
これはKeittoという北洋風のショッピングモールとのことである。ごく最近オープンした。実はこの場所は同和対策の公衆浴場だった。
同和地区の商業施設というと、閑散とした改良住宅店舗をよく見かけるが、ここは営業中だった。この施設が出来た背景がどうであれ、市民の血税を無駄にしないよう、賑わいが続くようにするためには、やはり部落を思わせるものは黒テープで隠して正解なのではないだろうか。
>>生駒山地の麓にあり、全体が斜面になっている…典型的な扇状地である。
生駒山地は生駒断層による傾動地塊 (西側が急傾斜で、東側が緩やか) で、まだ新しい山地。北条が立地するところは全体的な浸食による段丘堆積物です。現状はまだ小さな谷しかなく、全く扇形の堆積地にはなっておりませんね。
すみません、訂正しておきました。
北条の部落について知見はありませんが、近くの5丁目に北條妙見堂があり、陰陽師系の人も居たことが想定されそう。
地車修復の芳名録に部落解放同盟の名前が見られませんか?
確かにあります。府連、支部、企連から100万円寄付されてます。
解同の地車修繕寄付の資金元は何でしょうか?
どこかからむしり取った賠償金とかですか?
それとも地域の加盟各戸からの会費とかでしょうか?
もしくは、地方創生事業みたいな助成金を解同を介して(解同が中間搾取して)、町内に寄付しているのでしょうか?