曲輪クエスト(243) 静岡市 葵区 新通・駒形通

カテゴリー: 曲輪クエスト | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

静岡市の中心部近くに部落があったようだ。かつては白山町《はくさんちょう》という名前で、昭和初期の戸数は77だった。さらに昔は毛皮町、屠児《えとり》町とも呼ばれており、その名前からどのような職業の人々が住んでいたのか想像できる。

白山町という名前は消えてしまったが、その場所は現在の新通《しんとおり》、駒形通の一部であるという。そこで、実際に現地に行ってみた。

とりあえず、新通の北西あたりにある、適当な駐車場に車を停めて探訪を開始した。無論、この場所ではないだろうと思う。

しばらく歩くと新通小学校に突き当たった。昔の航空写真地図アプリで見ると、ここから南の方に住宅が密集した場所があったようだ。そこで、その方向へと進んだ。

途中の双葉町辺りで、地元のおばあさんに出会ったので「白山町」の場所を聞いてみたが、知らないという。しかし、この近くにあったことは間違いないはずだ。

途中に稲荷神社を見つけた。

何か氏子の名前が書かれたものでもないか探したが見当たらなかった。神社には「老人つどいの家」という看板が掲げられ、集会所も兼ねているようだ。

そしてさらに進むと、特徴的な形の公営住宅を見つけた。ここは未指定地区のはずだが、そうであっても都市部の住宅密集地では一般対策として公営住宅が存在することは珍しくない。ひょっとすると、ここではないかと思った。

そして、次に目に入ったのがこの墓地。筧、七條という名字が見える。ここでは、七條姓の貴族が没落して賎民になったという伝承があるので、これが部落の墓地で間違いないだろう。

墓地の横にある寺は鉄壁の日蓮宗だ。

その横の神社の氏子にも七條姓がある。

昭和初期には履物製造や日雇労働をしていたという記録があるが、大正期には野犬撲殺の仕事をしないように申し合わせたという記録がある。逆に考えれば、その頃までは野犬撲殺の仕事をしていた人がいたということだ。

野犬撲殺というと、漫画「ねこぢる」の「□ぬごろし」の巻が思い浮かぶ。主人公と遊んでいた犬の子が、犬殺しに理由もなく絞め殺されるというそれだけの話だが、文藝春秋版の復刻版ではこの話はまるごと削除されている。ただ、昔は野犬が増えすぎたことがあり、それに伴う狂犬病の蔓延は脅威だったので、犬を殺す仕事が職業として成り立っていた時期があったのだ。

履物屋が残ってないかと思ったが、これは仏具屋の跡だった。

地図を見ると、本通りから駒形通りにかけてバナナのように曲がった通りがある。その通り沿いであろうと推定されるがどうだろう。

過去の航空写真と見比べていたら、地元の老人に出会った。そこで白山町のことを聞いてみると、いきなり「ここで白山町って言ったらぶん殴られるぞ」と言われた。

老人によれば、ここにはかつて遊郭があり、屠殺、罪人の刑罰といった仕事をしていたそうだ。はっきり言えば「非人」で、城下町の謂わば汚れ仕事がここに集積されていたという。また「カーボー(皮坊)」という言葉があったそうだ。

ただ、駿国雑志には穢多とある。

もうその記憶も薄らいでいるのだが、今でも有害鳥獣駆除の仕事をしている人がいるという。

屠場はこの写真の奥あたりにあった。白山町というくらいなので、白山神社があったのか聞いてみたが、それは知らないという。

ただ、過去の文献によれば確かに白山神社はあったようで、かなり昔に宮本町の神明神社に合祀されたようだ。

これにて一旦静岡探訪は終了である。次は静岡以外のどこかを探訪する。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

曲輪クエスト(243) 静岡市 葵区 新通・駒形通」への19件のフィードバック

  1. 『永帳巻物』

    >>七條姓の貴族が没落して賎民になったという伝承があるので、

    … 遠江国 二条河原彦五郎 宗道 駿河国 七条西洞院泊作源師 光重 
    甲斐国 相坂米売藤次郎 宗重 伊豆国 八条西堀川弓作右近丞 光直 …
    右醍醐天皇御宣旨ニテ従坂本之御所ニ御年貢為催促ト国々仕被下者ナリ

    返信
  2. 『今川氏親朱印状』(七条文書)

    朱印「氏親」
    府中西のつら かハた彦八かゝゆる川原新屋敷壱町五段之分 先年岡部太和守
    奏者として出置訖 其時のことく永かれらか可為屋敷 然者毎年皮やく等申付
    ふさたなく可取沙汰者也 仍如件  大永六年 (1526年) 六月十二日 
    大井新右衛門尉殿

    返信
  3. 七丈八九郎

    途中で会ったオッサンに言われた非人部落を鵜呑みにしてタイトルにしたり、蔦沢さんを鳶沢と読んだり大敗北の恥かき動画でしたな。

    返信
  4. 毛皮町からの変遷

    1872年 毛皮町 → 白山町 
    1924年 白山町 → 新通5・6丁目 
    1961年 新通5丁目の一部 →新通1丁目に編入
    1966年 新通5丁目の一部 → 駒形通4丁目に編入
     〃  新通5丁目の一部 → 新通1丁目に編入
     〃  新通6丁目の一部 → 駒形通5丁目に編入
    1970年 新通6丁目の一部 → 新通2丁目に編入

    返信
  5. 匿名

    仏具屋のあとではないですよ。昔、身体障害者の方が住んでいましたが今は空き家になって40年くらい立っている所です。昭和5年生まれの母に聞きましたが生まれたときはもう新通りになっていて昔の事はわからないと申しておりました。双葉町の方には遊郭はあったようですね。近くの老人って誰なんでしょう、駒形4丁目では母も年長の部類に入ると思いますが…

    返信
  6. 匿名

    多分ですが、駒形ではなく田町ではないでしょうか?
    祖母が田町には住むな、昔処刑場があったりあまり良くないと言っていたらしいです。

    返信
    1. 名無しさん

      田町は被差別部落ではありません。静岡商業高校の西側の河川敷、安倍川緑地田町親水公園がかつて朝鮮人部落でしたが。また部落は駒形通りと言うよりも新通りですが、日蓮宗寺院と白山神社と住民の名字で鉄壁です!w

      返信
  7. 匿名

    この近所に住んでいた者です。
    地元の事を趣味で調べておりまして、過去にこのあたりの昔の地図を見た事があります。
    たしか二丁町(昔の赤線地帯)を検索していて見つけたので、おそらくまだウェブ上で見る事が出来るかと。
    それによると駒形通り、駒形神社からまだ生きてる商店街の方まで屠児町の表記があったと思います。
    わたしが子供の頃(1990頃?)にはすでに部落だった形跡は残っていなかったですが、一度だけ、小学校の体育館で同和についてのお話しがあったと記憶しています。
    蓬莱楼があった地震防災センターあたりが昔の二丁町遊郭、遊郭の中にはお稲荷さんが2つあったそうなので、もし現在まで残っているなら地震防災センター横のお稲荷さんと新通りのお稲荷さんがあるあたりまでは遊郭。
    戦後遊郭が消失してからは、川辺町から駒形駒形神社近くあたりが青線だったはずです。
    今ではその形跡はほとんど残っていませんが、神社近くの駐車場は昔ロマンス街という2階でいかがわしい事をする飲み屋が集まっていたり、その裏の通りは不自然に旅館(連れ込み…)が数件ありました。今では病院や鍼灸院になってますね。
    常磐公園と常磐通りの間にある大きな駐車場は、昔はバラック小屋の密集地帯で、祖父があそこには朝鮮人が住んでると話してくれた事があります。
    この辺りはやはり昔からそういう土地だったんでしょうね。
    まあ私が子供の頃にはわりと住みやすくて中心街にも近くて良い所になってましたが。
    #d596a1fb08f3b3ac9f51eb11e18d89ad

    返信
      1. 匿名

        もう少し拡大してあって、もっと荒かった気がしますがそんな感じでした。
        #d596a1fb08f3b3ac9f51eb11e18d89ad

        返信
      2. 匿名

        左下にニ丁町遊郭が描かれ、真ん中辺りの小路に「毛皮町」の記載があります。
        #cdb391c3965988632772df5744949a8e

        返信
  8. 匿名

    >七條姓の貴族が没落して…

    上にも掛かれているが、伊豆長岡の「宮本家文書(明応六年(1497)五月一九日) 」によれば、『長吏由来書(延喜元年(901)』に、職人の長として「駿河国 七条・源次郎」との記載がある。
    (「伊豆国」は、”西堀”河・弓作・右近)
     ※251コマ(P.497下段)目参照
      https://dl.ndl.go.jp/pid/12150463/1/251

    返信