澤部落の真ん中には写真の自動販売機がある。しかも、ジュースとタバコと酒の3台。ある意味福祉を感じさせる。さすがに昼間から飲んでいる人はいなかったが、夜になると住民が憩う姿が目に浮かぶ。西成や番町のような都市スラムにはこのような場所はいくつもあるが、農村部落で見るのは初めてだ。
そして、自動販売機がある広場の桜の木に隠れるように設置された看板。「NPO法人・人権ネット」とはいったい何なのだろう? 電話してみると、電話番号から分かるように個人の携帯電話につながった。
もしかすると丸尾良昭本人かと思ったが、丸尾氏と一緒にNPOを運営しているのだという。そして、あの看板がある土地はNPOのもので、NPOが管理しているので電話番号が掲げてあるということだった。いずれにしても、丸尾氏の周辺の人であることは間違いない、せっかくなので、あの石碑について聞いてみた。
「あれは、丸尾さんと、あと何人かのグループで作ったんです」
電話に出た人は、意外に丁寧な口調で説明してくれた。NPOはあくまで部落の自治会とは別の団体なのだという。そこで、ぶっちゃけそのNPOは部落解放同盟と関係あるんですかと聞くと、急に口が重くなった。
「あ、それはちょっと微妙な話で、今職場にいてここで話していると人に聞こえるし、何かと思われるんで、丸尾さんに聞いて下さい」
ということだった。ということで、また機会があれば丸尾さんに聞いてみようかと思う。
改めて澤部落の概況を説明すると、1935年の記録では153世帯、775人の大きな部落だ。主な産業は農業、日雇土工とある。貧しい小作人の村で、日雇いの収入を生活の足しにしていたらしい。
ここに小学校の分校があったという。
丸尾氏の力によるものなのかは分からないが、この部落は非常によく改善されている。せっかく改善したのに、同和予算が切れたら、施設が老朽化したままほったらかしで荒れ放題の部落もあるが、ここはそうではないようだ。また、道は草取りがされていて、植栽が整えられている家が多く、一般地区と見た目はあまり変わらない。
たまに荒れた空き地や、ミントが生い茂っている家もあるにはあるが…
ほとんどはこんな感じで、むしろ住民は比較的裕福そうに見える。
部落の周囲には田畑が広がる。
このような看板があり、路上駐車は少ないし、朽ち果てた廃車が放置されていることもない。
あの丸尾良昭の地元ということで、どのような場所かと思ったが、あの石碑を除けば同和色はあまりなかった。
石碑撤去してしまったら、被差別部落の痕跡はなくなりそうですね。
『凍った炎』(1977)だったと思いますが、「ここは川の水が涸れる悪い土地だからろくに耕作できずに日雇いや柳細工をするしかない。伊由谷川の傍なのに夏は水が涸れるからここだけ大ポンプで水を汲み上げないといけない。円山川はここの近くだけ堤防がないから、増水の時はここだけ洪水になる。役所はここを見殺しにして遊水地にするためにわざと堤防をなくしている」とか「消防車が通れない程道が狭い」というような内容の記述があったような気がします。
“差別の証人”大ポンプがどこかにひっそりと保存されてたり、あるいは堤防がここの周辺だけ新しかったりするのか気になるとことです。
なんだか諸々の本を読んだ感じだと、南但部落解放紛争とでも言うべき、「大学の外で起こった大学紛争」が起こっていて、八鹿高校事件はその紛争のうちの、地域への日常的影響が強い一般人(教師には共産党の影響力が少ない教師だっていたでしょう。多分)を標的にした事件という感じがします。若年層の団体が大規模な内ゲバ乱闘をしていたり、殴るべきでない対象に陰惨な暴力を加えて支持を失った辺りも大学紛争に似ています。
関連事件も合わせると、八鹿高校事件は「聖地」がやたら多い感じがします。生野・新井・青倉駅ですらマニア的見方をすれば聖地です。それだけ広域的な紛争だったんですね。
橋本哲朗とか、山田久やその息子とか、そういう関連事件者へのインタビューはあまりなされていないと思うので、需要があると思います。
それにしても、「いや、さっき『丸尾さん』と言っているのがもろに聞こえたような気がするのだが」(前編)とか、これはおそらくここではなく但馬全域辺りの気風なのでしょうが、こりゃ失言の言質も取られる。こういうのどかさが、好きな人もいれば嫌いな人もいるんでしょうね。
京都府の某人権センター(探訪先が被ってるといけないので伏せます)でいろいろ話をしている中で、八鹿高校事件の話になった時、「40年前のことなんて、当時の人もほとんどのこってないし、そんな昔のことで(解放同盟を)怖がるなんておかしいでしょ。」と言われました。
そのあと、「事件のことどこで聞いた?」「貴方が見たサイトはどんなサイトだった?」「内容はどんなだった?」「悪意で書かれてませんでした?」そして、「今もそのサイト残ってるの?」質問攻めに遭いましたよ。
事件による歪が、現在でもいろんなところに影響を及ぼしてるんだなと思いましたね。
そんな昔のことと言いつつ、かなり気にしてるんですね
「差別に時効はない」というのは解放同盟の殺し文句。地名総鑑購入企業が「地名総鑑なんて、そんな昔のことでウチを差別企業扱いするなんておかしいでしょ。同企連やめます」と言いはじめたら、その人権センターの奴は激怒するんでしょうな。
あるいは、慰安婦問題について「そんな昔のことで謝りつづけるなんておかしいでしょ」と言ったら?
広島や長崎への原爆投下について「当時の人もほとんどのこってないし、そんな昔のことで核を怖がるなんておかしいでしょ」と、その人権センター職員の前で言ってみたいものです。
部落民の戯言w
このサイトについて示現社様にぜひお伝えしたいことがあります。ここに書くと、投稿として載ってしまうかもしれませんので、ここに書くことはできません。どうしたらよろしいでしょうか?メールアドレスを教えていただくことは可能でしょうか。
https://jigensha.info/contact/
こちらからご連絡ください
澤姓で残ってる人で被差別部落の人はいるんですか?
澤部落だから、ということで「澤」という姓の人々が住んでいるというわけではないのですか?
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澤には澤という名字の人は見当たりません。
それは確かですか? 澤姓の人が皆してその村から出た、ということはありえないでしょうか?
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たぶん、それはないでしょう
大阪の豊中でその澤姓を名乗る精神科医が暴れている。
慶応義塾大出身のその澤はおそらくはその村出身の澤ではないだろうか。
だとすれば警察が取り締まるのはやつの方だ。
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