光現寺の山門。奥に山が迫る。

曲輪クエスト(470) 土庄町赤穂屋

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By 宮部 龍彦
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1921年刊の『小豆郡誌』は「細民部落」の章で、穢多の由来を記した古文書が「淵崎村黒田部落」に蔵されていると書かれている。大正4年(1915年)末の記録では、「淵崎村大字淵崎川西」が58戸、312人。1921年の『香川県社会事業概要』では「大字赤穂屋字川西」が58戸、353人である。

午前中は豊島にいたのだが、一旦土庄港に戻った。

土庄港からレンタル自転車でアプローチした。途中に世界一狭い海峡として知られる土渕海峡がある。古村はこの先にある。

小豆島で語られる様々な問題にも触れておきたい。

土庄町では今から4年ほど前、当時の三枝邦彦町長が官製談合の疑いで逮捕され、有罪判決を受けたことがあった。裁判で三枝氏が「地元の同和団体」とトラブルになっており、その解決に尽力した恩義から入札情報を漏らしたと報じられていたが、この同和団体は部落解放同盟である。もっと正確に言えば「部落解放同盟香川県連合会」。

これは小豆島に限らず香川県の各地で言われていたことだが、かつては部落解放同盟香川県連合会の岡田健吾執行委員長が絶大な力を持っており、何かにつけて関連企業に公共事業を回すように圧力を加えられたという。小豆島でも、「同和団体とのトラブル」というのは、要は解放同盟関連企業に仕事を回せということであると言われる。

瓦屋根の家並みの向こうに山が迫る。

さらにその前には山田建之元土庄町議会議員による豊島での廃棄物不法投棄事件があり、山田氏が有罪判決を受けている。また、山田氏については関連会社が砕石事業をしていた灘山採石場跡地を、ほとんどが利用価値のない土地なのに2億1700万円で土庄町の外郭団体が買い取り、今も町にとっては実質的に負債となっているということがあった。

家と家の間を石段が上っていく。
家と家の間を石段が上っていく。
板壁の家が続く細い路地。

前回の北条の記事で紹介した『小豆郡誌』の「細民部落」の章は、穢多の由来について、外国から帰化した人種だという説もあるが「淵崎村黒田部落ニ蔵スル古文書ニ左ノ記事アリ」として、由来書が示されている。

○ 前文略 神代ニ於テ長津彦命ナルアリ殺生ヲ好ミテ常ニ山野ニ遊ビ獣類ヲ捕獲シテ食用ト 爲ス茲ニ於テ他ノ諸神之ヲ厭忌シテ遠サケタリキ長津彦命ハ諸社道場ヲ徘徊シ供物ヲ 取リテ一生ヲ過コシ遂ニ行ク所ヲ知ラス其後許多ノ星霜ヲ経テ白髪大明神現ハレ神ノ細工事ヲナス之ヲ細工人ノ氏神トナス白髪大明神ノ三男ニ圓陀羅王ナルモノアリテ 近江ノ志賀ニ住シ太鼓ヲ造ル圓陀羅王又悪行多ク山林ニ入リテ獣類ヲ捕食セリソレヨ リ漸次子孫繁殖シ各地ニ住シテ卑賤ノ業ヲナスニ至ル今ヨリ一千二百餘年文武天皇ノ御宇穢多ノ職業トシテ左ノ四十八種ヲ許サル而シテ之カ願タルモノハ左ノ如シ

江戸 藤原團左衛門 京都 下村新右衛門

一 長吏 一 座頭 一 陰陽 一 傀儡師 一 舞々 一 猿樂 一 鷹師 一 飼貓 一 犬拽 一 猿拽 一 石垣師 一 胸和 一 壁塗 一 神子佐保 一 箕作 一 烏帽子 一 牢番 一 塗師屋 一 弓矢師 一 鍛冶鑄物 一 毛皮屋 一 櫛拽 一 鞆卷 一 瓦師 一 笠摺 一 傘張笠縫 一 船大工 一 木挽 一 関守 一 渡守 一 茶筅 一 絹屋 一 辻商賣 一 淨瑠璃語 一 墨筆子 一 鹽賣 一 大神樂 一 獅子舞 一 葉世目晴 一 髪結 一 番大非人 一 雪踏屋 一 出枉房廻 一 煎皮屋 一 蠟燭屋 一 風呂屋 一 傾城屋

代々ノ御門〇及將軍賴朝卿足利高氏等之ヲ免許セラレシ證判アリ

武州 江戸淺草住人 藤原團左衛門頼綱 洛陽 三條天津住人 下村庄助尉 九州 日向 鬼堺鹿之助

もっともこれは、小豆島特有のものではなくて、各地の古村で出回っていた由来書と同系統のものであろう。とすると、小豆島の古村が特別ということはなく、他の多くの古村と起源が共通していると見るべきだろう。

砂利の空き地の向こうに家並みと山が見える。

現地で聞くと、古村の呼称は「あこや」のようである。県資料の「大字赤穂屋」がその表記で、町議会の会議録にも「赤穂屋墓地」の名が出てくる。地元では、浅野内匠頭の刃傷で赤穂藩が取り潰しになったとき、出奔した人たちがここへ逃れてきたのが始まりだと言われるが、俗説であろう。

光現寺の山門。奥に山が迫る。
山門の脇の石柱。「浄土真宗 正覚山 光現寺」と刻まれている。

古村の中心に、浄土真宗の光現寺がある。山門の脇の石柱に「浄土真宗 正覚山 光現寺」と刻まれている。

1922年6月19日の『大阪時事新報』は、小豆郡渕崎村尋常高等小学校の差別事件を伝えている。6月8日の午後、裁縫科の教員が高等科の生徒を叱責する際に差別的な言葉を発し、それが川西方面に伝わって、教育者にあるまじき失言だとして日を追って険悪になった。6月14日に光現寺へ「同地方人全部」が集まり、校長と村長が責任ある解決をつけるまで生徒を同盟休校させると決議し、翌15日から川西の生徒三十余名が一斉に休校した、という記事である(生江の歴史を創る会編『資料・水平社運動編 第一巻』1976年に収録)。全国水平社の創立は同年の3月なので、いちはやくここでも活動が始まっていたことになる。

つたに覆われた2階建ての川西自治会館。
入口に「川西自治会館」と「渕崎教育集会所」の表札が並ぶ。

光現寺のすぐ隣に、つたに覆われた2階建てがある。入口には「川西自治会館」と「渕崎教育集会所」の表札が並んでいる。

土庄町の集会所の設置及び管理に関する条例には、大部、小海、家浦と並んで「土庄町渕崎集会所」が淵崎甲1853番地の施設として載っている。前回の家浦の記事で見たとおり、この条例に同和や人権の語はないが、載っている4か所はいずれも古村である。町の行政組織規則を見ると、教育集会所と児童館、そして改良住宅の管理は、「その他人権・同和に関すること」と並んで位置づけられている。

草地に立つ鳥居。
鳥居の奥にある社。

集合住宅の脇で、つたに埋もれた軽自動車。

集合住宅の脇では、軽自動車が一台、つたに埋もれていた。

川を渡った先に、屋根に太陽熱温水器を載せた2階建てが並ぶ。
屋上に手すりを回し、太陽熱温水器を載せた2戸1棟の住宅。

旧集落から川を渡ると、屋根に太陽熱温水器を載せた2戸1棟の住宅が並ぶ。ここまでの記事で何度も見てきた、香川県の改良住宅の形である。旧集落の側には用地がないので、もともと田畑だった川向こうに建てたのだろう。

土庄町議会の会議録によると、町が管理する改良住宅は渕崎、小海、大部、豊島の4団地で、2011年の時点で計121戸だった。渕崎には森田住宅と行者原住宅があり、このうち行者原住宅は老朽化した24戸を建て替える事業が2024年度から始まっている。全体計画は建て替え13戸、改修1戸、解体20戸に集会所1棟の新築で、A棟は2025年2月、B棟は2026年2月の完成を目指して工事が進み、2026年度は赤穂屋墓地の南側にある既存住宅4棟の解体と造成を行い、2027年度からC棟にかかるという。2024年12月の委員会で「町営住宅を減らす方向になっている」と問われた町は、長寿命化計画で戸数を減らす方向だと答えている。

なぜか多数の監視カメラが取り付けられたニコイチが1棟だけあった。

住宅地の一角に建つ新しい建物。
土庄町立富丘文化センター。

住宅地の先に、土庄町立富丘文化センターがある。町の隣保館の設置及び管理に関する条例(1992年)に、上庄1907番地1の隣保館として載っている施設で、香川県の隣保館一覧では事業開始が1992年12月1日である。近くには町の児童館条例にある渕崎児童館(淵崎甲2189番地1)もあり、大部や家浦と同じく、集会所、隣保館、児童館という公的施設が一そろい揃っている。

掲示板に貼られた同和問題啓発強調月間のポスター。「わたしは、正しくつなぎたい。」

センターの前の掲示板には、同和問題啓発強調月間のポスターが貼られていた。「わたしは、正しくつなぎたい。」と大書し、「流されない、見極める」「次の世代に正しい理解をつないでいく」と続く。流されずに見極めているのは本サイトであって、特定の地域に対する偏見を広めているのは、こうして地区の場所に施設を作ってきた側ではないか。

社会福祉協議会が高齢者の日常生活を支援する制度があるのだが、社協の職員が高齢者の通帳から勝手に現金を引き出し、富丘文化センター元館長に渡していたという事案があったと聞いた。複数の人が言っているので事実なのだろう。その後、センターを管轄する人権推進の元室長が海辺で事故により怪我をして入院し、そのまま亡くなっており、口封じではないかと噂されていたが、これは偶然のようである。

富丘文化センター前には「浜本正勝製麺所」がある。お土産に一箱買った。播磨の揖保乃糸は菜種油を使うが、小豆島のそうめんはゴマ油を使う。細さとつるつる感では揖保乃糸が一歩リードしているが、味と食感は小豆島のほうが好みに合うように感じた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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