安芸高田市 石丸市長 議会との 対立の原因は 同和行政?(前編)

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By 宮部 龍彦

今、全国で最も有名な市長と言えば、広島県安芸高田あきたかた市の石丸伸二市長だろう。2020年9月、議場で居眠りをする議員にTwitter(現X)で苦言を呈したことに対して議会側が反発。2022年6月には議会に対して、「恥を知れ!」と声を荒らげ、議員定数削減案を提出(結果は否決)したニュースがYouTubeで1000万回以上再生された。

それ以来、YouTubeでは石丸市長の人気が爆発し、本人が登場する動画の再生数は軒並み伸びるだけではなく、安芸高田市に限らず、便乗した各地の地方議会の切り抜き動画までもが注目されるようになっている。地方政治への関心を呼び起こしたことは、石丸市長の功績と言えるだろう。

突如現れた革新市長 しかし何か忘れていないか?

安芸高田市の人口は2万5千人程度。「市」とは言っても2004年に高田郡6町が合併した自治体で、「町」の寄せ集めだ。しかも人口は減り続けている。失礼ながら、忖度なしに言えば過疎が進む貧乏自治体である。

そして、2020年には汚職事件により市長と市議会議長が共に失職。そのような危機的状況で突如現れた京大卒、元銀行員の若きリーダー、石丸伸二市長が市政改革のために市議会とガチンコでバトルしているというのであるから、注目されないはずがない。

しかし、何か重要なことが見逃されているのではないかと、筆者は感じていた。

上の画像は、石丸市長就任前の2018年に安芸高田市が作成したポスターであるが、現在も市のウェブサイトに掲載されている。そう、広島の政治を語る上では「同和」は外せない。それは、安芸高田市も例外ではない。改革を推し進める石丸市長が「同和」にどのように手を付けたのか、検証されるべきではないかと感じていた。

そんな折、News Challengerで筆者に対する取材依頼があった。ネットメディアJ-CIAに「【vsエモンズ利権】広島・安芸高田市長が議会最大勢力から攻撃される深いワケ」という記事が掲載されたので、真相を確かめて欲しいというのだ。有料記事なので、ここでは簡単な要約に留めておくが、要は石丸市長は同和対策の箱物施設の廃止に手を付けており、市長に反発している市議会議員は同和団体と繋がりの深い議員ばかりではないかということだ。

これが他県の話ならともかく、広島ならあり得ると考えてしまいそうなところだが、下調べをしてみると、どうもそのような単純な話ではないようだ。

歴史的文書からは、安芸高田市には実に37箇所もの部落があることが確認できる。ただ、それらはいずれも戸数は多くない。一方で市内には4つの隣保館(人権福祉センター、同和対策の拠点施設)があり、同和対策の集会所が非常に多数存在する。

4つの隣保館はそのままだが、集会所については、石丸市長就任前から、既に多くが廃止または地元自治会に譲渡されている。そこで考えたのは、同和施設廃止は石丸市長就任前からの既定路線ではないのか?ということだ。

しかし、市のウェブサイトやネットから得られる情報には限りがある。これは現地取材が必須であると考え、筆者は広島行きの高速バスに乗った。そこからはレンタカーで安芸高田市に向かった。広島駅から約1時間半である。

石丸市長支持か 不支持かはタブー

安芸高田市に来て感じたのは、人口規模に比べて公共施設がどれも立派なことである。写真は安芸高田市役所で、旧吉田町役場だ。他の旧町についても、合併前の役場の立派な建物が支所として残っている。

出会う市民に、石丸市長のことについて聞いてみた。全般に感じたのは、石丸市長の評価の話題についてはタブー感がある。

「市長のYouTubeは全部見てるし、議会を傍聴しに吉田の庁舎にもよく行っているよ。私は石丸市長支持って周りにも公言しているけど、支持していても言いにくい人が多いんじゃないかな。次も石丸さんが立候補したら絶対に勝つよ!」

石丸市長の熱烈ファンだという市民はそう語る。無論、石丸支持だけではない。

「これ、私が言ったって絶対に言わないでね…私は石丸さんには反対。子供の頃から思い入れのある場所がどんどんなくなっているもん。みんな吉田(旧吉田町)に集められて、東京への一極集中みたいなことが安芸高田で起こってる。私の周りも反対の人が多いよ」

「あの人は市民というより、市外の人に支持されているね。支出をカットするだけなら誰でも出来るけど、それ以外の成果が見えない。うちの店にも市議会議員がたまに来るけど、ネットでの石丸さんのパフォーマンスに乗せられないで、政策の中身を議論して欲しいと言っている。私が石丸市長を支持するかどうか? どちらでもないよ。是々非々。石丸さんの言う事で、正しいことなら賛成するし、間違っていることなら反対」

中には、石丸市長の話題を振ると、そのことには触れてはならないとばかりに徹底的に避ける人もいた。筆者が全ての市民の意見を聞くのは無理な話だが、感触としては石丸支持と不支持で市民の意見は二分しているようである。

前出のポスターに「吉田町人権啓発推進町民会議」と書かれているが、その事務局があるという建物を訪れた。ご覧のとおり、同和スローガンが掲げていある。

中に入って「人権啓発推進町民会議はここですか?」と聞いてみると、意外な返事が帰ってきた。確かにここに事務局があったが、今はその団体は活動していないという。石丸市長が就任してから、補助金がカットされたためだそうだ。ここ、吉田人権福祉センターは「人権啓発事業」をやめて、貸し館事業に特化するという。つまりは、同和施設よりは公民館に近いものになるということだ。

「石丸さんが、補助金を止めたのですか?」

「いえ、市長が決めたということではなく、市で話し合って決めたことです」

「ちなみに、あの差別とか書いてあるスローガンもこの団体が作ったものですか?」

「いえ、あれは安芸高田市が掲示しているものです」

そんな会話を交わした。なお、安芸高田市は解放同盟は20年ほど前から活動していないという。ただ、解放同盟の代表のような人は存在していることをほのめかされた。

安芸高田市では旧町によって同和行政や解放運動には温度差があった。最も運動が盛んだったのは旧高宮町。逆にあまり運動がなかったのが旧向原町。

差別なんて もうないよ

美土里みどり町は1991年のいわゆる「広島女子高生自殺問題」の舞台の1つとなった。これは教師と恋愛していた女子高生が部落出身を理由に結婚を断られて自殺したとされる事件だが、その教師の出身地が旧美土里町であり、この「差別事件」の糾弾には美土里町当局も駆り出されたという。また、教師の父親も学校の教頭であり、旧甲田町で別の事案の糾弾を目にしていたという記録もある。

ある部落の住民に、かつての解放同盟の活動について話を振ると、確かに昔は解放同盟の活動が激しかったという。

「解放同盟を支持するかどうかは部落の中でも意見は分かれていたな。自分は嫌いだった。何かに付けて役所に差別だと言いがかりをつけて、脅すようなことをしてたから。それで世羅町では校長先生が自殺してしまった」

1999年に世羅町の世羅高等学校の校長が自殺した事件があった。「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱の指導について、県教委と教職員の対立の板挟みになったこと原因であり、後の国旗国歌法制定のきっかけとなったとされる事件だが、対立の背景には「天皇制廃止」を掲げる部落解放同盟の活動もあったとされる。

しかし、各地の部落を探訪している筆者が感じることだが、水平社運動や解放同盟の活動が過激だった地域ほど、その反動のためか穏健になるという法則がある。現在の安芸高田市もその例に当てはまるのではないか。

広島に来たらぜひ食べて欲しい「ポプ弁」。コンビニ「ポプラ」で店で炊いたご飯を詰めてくれる。

会う市民に「今でも部落差別はありますか?」と聞く度に、部落住民を含めて「差別なんて、もうないよ」「それはもう昔のこと」という答えが返ってきた。前出のポスターとは対照的に、「まだ差別がある」と言う人は一人もいなかった。

そして、「石丸市長は同和施設を廃止しているから市議会と対立しているのか」と聞いてみると、部落の内外でも口を揃えて出てくるのは「そんなの関係ない」ということだった。安芸高田市の財政が厳しいので、同和関係を含めて箱物施設を廃止しているのは従前からのことであって、石丸市長が始めたわけではないし、石丸市長が同和施設を狙い撃ちにしているわけでもないということなのだ。

ある部落住民に、石丸市長と特に対立している議員について、解放同盟と関係があるのか直球で聞いてみたが、一蹴されてしまった。

「違う違う。部落の人間かどうかは、見てればだいたい分かるけど、あの人は違うよ」

なお、部落周辺住民に聞いても同様の意見である。つまり、「石丸市長と対立しているのは同和議員」というような説は、完全にガセである。

「確かに高宮町や甲田町は解放同盟の活動が活発だったから、そこの議員が部落の住民に配慮して同和施設の廃止に反対するということはあると思うけど、議員が同和出身とか解放同盟かということは関係ないことじゃないかな」

こうも言われた。つまり、出自とイデオロギーを結びつけるような考えこそが「下衆の勘繰り」ということだろうか。ただ、安芸高田市は4つの隣保館の機能を旧高宮町と旧甲田町の2館に集約する方針を示している。これは、旧町での解放同盟の活動の温度差を反映したものだろう。

石丸市長と最も対立しているのは旧甲田町の山本数博議員と、旧高宮町の山根温子議員である。確かにそれぞれの地盤は解放同盟の活動が活発だったとされる旧町だ。

しかし、市議会の中でも、石丸市長の一番の理解者であり、“石丸派”と見られている熊高昌三議員も旧高宮町が地盤である。そして、石丸市長もWikipedia等の情報では旧吉田町の出身となっているが、地元市民に聞くと、「石丸さんの両親は高宮町の人だから、市長の出自は高宮町と見られているよ」と言うのである。

(後編に続く)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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